ぐるぐる星人

新出既出

見学

 女の子の家はアパートの二階だった。

 

 ただいま。

 おかえり。

 

 男の老人の声がした。

 

 おじいさん?

 ううん。

 

 おじいさんは端座してサラサラと茶漬けを

食べている。

 

 お客さんか。

 そう。見学。

 あ、すぐ帰ります。

 

 おじいさんは箸と茶碗をおいて、何かのリ

モコンを手に取った。何のリモコンなのかよ

くわからない理由は、ムラサキと白とピンク

のまだら模様に塗りたくられているせいでも

あり、おじいさんの手のなかで小刻みに震え

ながら、茶色の液体を滴らせていたせいでも

ある。

 

 どうぞ。

 

 おじいさんはそう言って、サザエの壺焼き

から身をほじくり出す時みたいに腕をぐねぐ

ねと捩じって、何かのリモコンを差し出して

きた。

 近くで見るとそれはリモコンというより芋

虫に似ていた。

 

 どうぞ。

 あ、いえ。

 遠慮なさらず。

 本当に。もう帰りますから。

 

 すると、おじいさんの腕は、掃除機のコー

ドが巻き取られる時みたいな音を立てて遠ざ

かって、その弾みで、テレビの前に並んでい

たボーリングピンがストライクの音を立てて

弾け飛んだ。

 その衝撃のためだろうか。おじいさんは激し

く咳込んだ。その咳は、とうてい咳とは信じ

られないほど複雑な乾いた音を響かせた。

 グラスハープが吹奏楽であったならば、老

人の肺胞の一つ一つが、すべて異なるグラス

になって、それを一斉に吹き鳴らしているか

のような、繊細で懐かしい爆発音みたいだっ

た。

 おじいさんは這いつくばって、あの世みた

いな音楽を嘔吐し続けた。目玉が飛び出し、

鼻血がとめどなく滴り、舌があごの先端を越

えて垂れ下がり、涎が畳の目にそって室内を

くまなく濡らしていった。

 

 さすがに死んじゃう。

 

 女の子はブーツのまま畳へ上がり、ばしゃ

ばしゃと涎を跳ね上げながら、おじいさんに

馬乗りになった。女の子の短いスカートは風

と音楽を孕んでめくれ上がり、緑の鱗に覆わ

れた絶対領域が露わになった。その体勢は完

璧なモンキースタイルで、やせ衰えた天の川

のようなおじいさんの背骨に沿って身体を前

後に激しく動かした。するとそこからは、鈴

虫の奏でるような音が、運動会の行進曲のよ

うな節回しで響き始めた。

 背骨を女の子の股間に摩擦されたおじいさ

んは、みるみる若返っていった。

 

 あ、ああ。

 

 女の子の速度が音速を超えると部屋は衝撃

波で吹き飛び、バリバリと鱗が飛び散った。

 その鱗には、一筆書きの複雑な溝が彫り込

まれていて、光をあてれば輝き、風が渡れば

響き、指でたどれば永遠に触れた。

 

 あ、ああ。

 

 やがて、女の子が光速に迫る速度に達する

と、もはや女の子というより熱としてしか認

識できなくなった。

 そしてグラスハープと鈴虫の音が切れ切れ

になり、背中が裏側まで擦り剝けた元おじい

さんで、現、女の子のピストンレールこと、

若い男が、生まれて初めて声を発するときの

ヘレンケラーのような息を吐き出して、こと

切れた。

 

 虹を見てみたい。

 

 このとき、若い男は握りしめていた芋虫を

世界へ放った。

 芋虫は着地までの一分間に33回転した。

 これは復活までの三日の間にイエス=キリ

ストがうった寝返りの数に等しく、LPレ

コードの回転数とも等しい。

 

 ぐるぐる星人みたい。

 ぐるぐる星人みたい。

 

 もはや手に負えなかった。


  あ、あの、また来ます。


と、吹き飛ばされ残っていた扉を、そっと

閉めてなかったことにしようとしたのだが、

 

 猫って、何? 

 と女の子が叫び、

 

 虹が見えてるよ! 

 と、若い男が飛び出してきた。


 それからみんなで抱き合って

一生懸命、UFOを呼んだんだ。

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ぐるぐる星人 新出既出 @shinnsyutukisyutu

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