初居好葉のきよし願い Ⅲ
好葉の進む道は、好葉自身が悩むまでもなく決した。七歳ながらに達観し、意欲的に動ける少女が格闘道場に居候しているのであれば、それしかないくらいに。
小撫の父、由埜道場師範の将親は反対した。
格闘を通じて悲運から己の心を守るためなら歓迎できた。好葉と似た境遇の者も多くいて、己を律する術を身に付けることこそが格闘家の真髄だからだ。
――私はお父さんを殺したあのターコイズを殺すために力をつけます。私に戦う術を教えてください。
両親の墓前で、好葉は将親にこう言ってしまった。
その時の好葉の瞳は、憎悪に駆られているとは到底思えないほど澄んでいたため、将親も幼い衝動として流せずに困った。
好葉と由埜親子の四人で墓地を去り、その日はそれ以上、将親を悩ませる問題は何も生じなかった。
堪えていた幼さは、小撫と二人になってから発散されたからだ。
翌朝、居間へ下りてきた好葉と小撫を由埜夫婦は迎えた。
和紗が朝食の仕上げにかかり、将親は着席して新聞のスポーツ欄のみをじっくり読む。いつもの由埜家の朝、好葉の朝。
しかし、この朝に限ってはそれぞれ気が重たかった。
将親は、心身共に強くなりたいのであれば大歓迎だが、殺しの術を身に着けるためなら武道への侮辱に他ならない、と断った。
好葉は言い返さず、小撫と手を繋いで墓前を後にした。
小さく、本来あり得ない類の惨劇に人生を捻じ曲げられた少女の背中を将親は見つめていた。
力とは、どれだけ綺麗に繕っても人を殺す術として使える。仇を殺すために力を欲する少女を肯定できるはずもなく、決定権がこちらにある以上、余計な言葉を堪えて時を待とうと決めた。
やめるなら今のうちなのだ。復讐など何の得もないと知らせるには、この朝のうちが理想なのだが……。
将親にも後ろめたい事情がある。そも、力と殺しについて、闇の世界と無縁であるべき好葉に説くこと自体がまずいため強く行けない。
一目で修練を積んだ格闘家と分かる外見……の割に慎重派で、普段はもっと明るく振る舞う夫の参っている様子を和紗は面白く観察し、こんがり仕上がったベーコンエッグを皿に移した。
少女二人も阿吽の呼吸で準備を手伝う。
好葉が将親のコップに牛乳を注いで置く。「すまない」と言うと、至近距離で視線が重なった。
将親は、捕まった、と感じた。
「それで?」
七歳の少女から凪みたく揺らぎのない声を受け、倍デカい図体の男が固まる。
「今日は学校が休みですから、この後すぐ、みんなと並んでやりたいんですけど」
言われると思ったが、心の準備など整うはずもなかった。
新聞に顔を埋める師範を間近で見つめる入門希望者。そのまま二人の時間が停止してしまったため、この場で唯一愉快な彼の妻が割って入る。
「好葉ちゃん、時間はまだあるから、考えが変わらないにしても、まずはご飯にしましょう」
和紗に言われてしまえば、このまま仕留める気でいた好葉も躊躇う。
「だって……」
「だって、ご飯時に物騒な話なんてするものじゃないでしょ?」
当然のマナーを持ち出され、「ですね」と苦笑。好葉は諦めて椅子に座った。和紗も着席できずにいた娘にウインクを送り、夫から新聞を取り上げて座った。
将親は解放されて安堵の溜め息を吐いた。
それが、一旦引いた好葉を再度刺激した。将親は無意識だったが、妻と娘からしても今の態度にこそ溜め息をぶつけたいところだった。
「隠れて実戦部隊の隊長をやってる人と食事なんて、気を遣わないとできませんよね」
「ブフッ⁉」
将親は思わず牛乳を噴き出した。コップ内に収めたが、隣の妻がニコニコしながらも影を濃くし、斜め前に座る娘が心底嫌がる顔をしているため、「すみません……」と謝り、牛乳を入れ直すために立った。
「一体何の話かね?」
将親はとぼけたが、好葉には確信がある。澄んだ瞳は狩りを諦めなかった。
十全な居候、先が見えているように落ち着く妻、箸を持つのも遠慮して俯く娘を順に見つめ、将親は座り直した。
「由埜道場は、表向きは格闘を学びたい人や、心身共に強くなりたい人が集まって研鑽し合う場所です。古武術を基礎として様々な武術・戦術を学び、並行して各々の個性も見出す。掲げた理想を追い求めるだけでなく、人として進化するために。……あっ、えっと、表向きというか、それも真実ではあります」
小学一年生にしては難しい言葉を使う好葉に確信が強まる。裏付けるようにそれと目が合った。頷くと、娘は「いただきます……」と掌を合わせて食事を始めた。
「この街で強くなるならここが一番良い。私がここでお世話になっているのも今は運命のように思えます」
「そのようなことを小撫と語らったわけか。悪夢見る少女よ」
「小撫は何も悪くありません! 私が聞いたんです!」
「……我が道場が、それぞれの時代の闇に潜む脅威を掃う、機関の実戦部隊であると?」
次第に声音が低くなる将親は師範・隊長としての威厳十分で、好葉は畏怖した。
将親は容赦しなかった。あと一押しで怯み、あるいは泣き出すかもしれない少女にも、顔面蒼白の娘にも。
殺生は禁止だが、事実として戦闘集団を率いているのが自分の裏の顔だ。そのことを好葉も承知している以上、気の良い恩人のままではいられなかった。
「小撫、これは部外者には秘匿すべき事柄だ。次期当主としての自覚に欠ける失態だ。どうして、よりにもよって復讐などに囚われつつある者になど話した?」
「……申し訳ございません」
小撫は箸を置き、またも俯いた。
娘を威圧するような態度は取らないようにしてきた。それが無用になるほどの存在が別にいて、小撫を次期当主として伸ばす上でも無用と判断し、常に距離を考えて接した。
その分、小撫には今の将親が鬼に見える。泣き出す寸前だった。
すると、好葉が小撫の太ももにそっと手を置き、円らな瞳で揺れる瞳に温もりを伝えた。
「教えないと全校生徒の前で辱めるぞ、と脅迫したのです」
復讐の意向があろうと、好葉の優しさを小撫はよく知っている。既に何度も好葉の温かさに救われてきた。
しかし、今回ばかりはあまりに突拍子がなく、震える体が一発で凍り付いた。
将親は再び噴き出し、再び妻の微笑に詫びた。
「二週間以上も住まわせてもらってますけど、みんな動きが怪しかったです。本当に道場生のつもりでやってる人と、そうでない人と様々でした」
「……見分けられるものなのか?」
「証明はできないです。私や普通の道場生には知られないよう、体裁を工夫してるみたいですけど、内側にいると見えてくるものがありました。将親さんが夜中に出掛けるのを和紗さんと小撫が変に思わないのもおかしいと思いました。格闘道場でそんな習慣は必要ないはずです」
「つまりよく分かっていないのではないか……。実態のみを聞いただけで、真実は何も――」
「私と似たようなものじゃないんですか? 自分から進んで闇の世界へ飛び込んだのなら」
「お前が難しい言い回しをするな。調子が狂う……」
中身のない推察だが的を射ていた。好葉のように復讐を目的として機関に入り、道場生を演じている隊員が数名おり、彼らを管理しているのは他でもなく自分だ。
将親は性別も生まれも顧みない。使えれば使う。使えない場合、自ら引き下がることのできる冷静さを持つ者を良く思う。
しかし、初居好葉は駄目だ。亡き親のために復讐の道を邁進するなど、とんでもない。そんなことに手を貸すのも御免だ。
(この分からず屋……)
両親の無念を晴らすことばかりに翻弄さえていること自体が両親にとって無念であると、正しく伝え、復讐を諦めてもらうにはどうすればいいのか。説得の言葉が思いつかぬまま共に食卓を囲んでいる。
「どうしても復讐がしたいのか? それで両親は報われると?」
「他に道はありません」
「妄想だな。そういう年頃だろうから仕方ない」
「そんなことありません」
「詳細は教えられないが、お前の仇は我々が必ず捕まえる。頼まれずとも、我々の敵は奴らになるのだからな。お前は静かに生きなさい」
「私がやらないと駄目です」
「何故? 両親の想いは無下か?」
「私も報われないからです」
「なっ」
将親は絶句した。
幼い衝動などと嘲られようか。呪われた家に生まれ、周囲から白い目で見られようとも、最後まで両親を信じ抜いた少女は、現代の人々が持つべき意志の必要分を超過していた。
他でもなく実戦部隊の隊長で、様々な境遇と生涯戦い続ける者たちを迎え入れてきた将親には、好葉の覚悟を半端なものと突き放すことができなかった。
膠着した食卓。テレビもない、古き静けさを色褪せぬ味とする由埜家だから、不穏な場合は一層重たく感じる。
否定も容認もできなくなった将親と、真っ直ぐ見つめる好葉。太ももに手を置かれたままで困惑と照れが混在する小撫。三人を置いて朝食を平らげる和紗。
険悪ではない。好葉からすれば和やかなほどだ。
最も気まずさを感じていたのは将親だ。いつもの居間のはずが、こんな空気はかつてない。縋るように、吐いた牛乳を口に戻すと……。
ピンポーン!
飲み込むタイミングで来客を告げるチャイムが鳴り、吐き出さずとも少しむせた。
「あら、誰かしら。この時間に珍しい」
和紗が玄関へ向かった。三人は来客に関心を示さず、将親が「食べよっか」と言うと、一斉に箸を持った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます