初居好葉のきよし傷跡 Ⅱ
両親に再会するのは同じ日が良い。好葉は幼心にこだわった。
午前のうちに病院を訪れ、午後に拘置所へ。小撫の母、
父と再会して何を話そう。どんな話題なら、繋がりが砕けず済むのか……。
助手席に座り、過ぎ去る景色を眺める間は悩んだが、いざ拘置所の向かいにある駐車場に停まると、緊張して考えられなくなった。
娘の友達の異変に気付き、和紗は汗ばむ好葉の手を温かい手で包んだ。
流石は小撫のお母さま……と感動し、心が落ち着いた。
和紗さんこそ大和撫子だが、朗らかながらも威厳と権威のある夫を一言で静めさせる様には、見ている好葉も寒気を覚えることがある。小撫も怒ったら怖いのかな……と。
それでも、衣食住をいただき、自分の我が儘に付き合ってくれているのも和紗さんだ。それを思い出すと、挫けている場合ではないと思える。
お父さんに会いたい。やり直したい。ただ顔が見たい。どれも率直な気持ちだった。
想いを伝えて、それでもし無理でも、せめて目に見えないものだけでも繋がりを保てるのなら、救いはあったと言える。
お父さんも、私がお父さんのことを好きだと知ってくれているはず。たとえお父さんが自分を許せなくても、私は信じている。いくつ障害があろうとも、再会を果たしただけで込み上げるものがあったとしても、それだけは必ず伝えると決めていた。
女子小学生のものではない、険しい表情で車を降りた。次いで和紗も車を降り、エンジンを切る。
次の瞬間、拘置所の内部で爆発が起きた。
轟音と、ターコイズ色の閃光だった。
爆発に匹敵するうるささでサイレンが鳴り響き、外の刑務官たちが慌て出す中、好葉は爆発した地点を見つめて立ち尽くした。和紗さんが何もできずにいるなんて珍しい。よっぽどあのターコイズ色が珍しいのだろうか、などと考えつつも、その一点を凝視した。
確かにこの街では滅多に見ない色だ。あの青緑が『ターコイズ』と呼ばれていることさえ知らなかったが、好葉からすれば珍しくもない、家族の絆を引き裂く忌々しい色だ。
ジッとしていられるはずもなく、無意識のうちに走り出していた。ターコイズ色の光と灰の塊が拘置所の裏手に落ちたのを見て、そこへ一直線に駆けた。
自分を呼び止める声に速度を落として振り向くと、恩人が悲痛な顔で手を伸ばしていた。
しかし、好葉には誰の手も取らない癖が身に付いていた。
拘置所はその後も何度か爆発を繰り返し、大きな火事となった。
少しでも早く到着していれば、自分も和紗さんも今頃は爆発に巻き込まれていただろうと、崩れる拘置所を横切り冷静に思う。
内部からの絶叫と、サイレンを上回る破壊の音。外にいた刑務官のほとんどが中を窺い、一部が駆ける少女に気付き声を張るも、その声さえ崩れるコンクリートやガラスなどにより圧し潰された。
男子より体力のある好葉でさえ、すぐに呼吸を乱した。
泣き出しそうになっていた。理由は多々あるが、ここまで来てしまえば最大の要因はそれに尽きる。
ターコイズ色の巨大な岩を包む煙が払われると、そこには男が一人、猫背で佇んでいた。
背景の赤と黒、それからより輝きを増すターコイズ色の光により、そうに違いないと信じて好葉は叫んだ。
「お父さん!」
向こうも感じ取れるものがあったのか、呻きながらも好葉の声に反応した。
好葉は安堵した。取り返しのつかない方角へ更に進んでしまったのだとしても、父親に違いないものが自分の声に気付いてくれたことで、親子の絆だけは本物だと思えたから、自然と涙腺が緩んだ。
たとえ父が、人間の域を越えた怪物に成り果てていようとも。
恐怖はなかった。いかに悍ましく、不可解な様相であろうとも、ここまで来れば躊躇いはいらない。
好葉は狭い歩幅ながら、真っ直ぐターコイズ色に近寄った。
落下した周囲にも炎が回り、父を隕石のように演出した。それでも、一歩、一歩、近付くたびに確信が持てるようになり、両目どころか顔中が、全身が忌々しいあの色で溢れていようとも「お父さん、やっと会えた……」と躊躇わなかった。
一緒に暮らしていた時と同じく、自分は今も愛する父や辛い世界に対して無力なのだろうが、それでも想いがあるからには引き下がれない。
せめて、前例のない呪いに人生を奪われた父を、小撫に倣い、抱き留めることくらいはしなければ。
好葉は、段々と視界がぼやけて見えるのにも、吐き気にも、衣服が焼けるのにも構わず歩んだ。父の呻きは、娘が迫るたび治まっていった。
平静を取り戻した様子の父の背後、これまで見えなかった黒い煙の中から新たな男が現れた。
厳密に男かどうかなど、気絶寸前の好葉には判別できなかった。
ただ、体格から大の男という印象を受けて、父のように段々と姿が鮮明になると、誰、と考える前に時が止まった。
現れた男は、父以上に、しかしてその呪いに苦悩してきたようには思えないほど毅然としていて、腹立たしいほど愉快気で、全身がターコイズ色の宝石みたいだった。
不運に人生を侵されているのではなく、自ら望んでそのようになったのだ。そう確信が持てるほど、怪物としての誇りを持っているように思えた。
父がどれだけ壊し、どれだけ壊れてしまったとしても、父であることに変わりはないと開き直れた。
しかし、現れた宝石の男……後にゴーレムと称される存在が父の隣に並び、父が戸惑う様子を全く見せないことに理解が及ばず、恐怖ではなく、何も知らない自分自身がとても頼りなく、自分に覆せる悲運など一つもないと痛感して両脚から力が抜けた。
熱風が好葉の頬を乱暴に乾かす。虐待は受けなかったが、こういう痛みなのかな、と感じた。
男は普通より裂かれた口を徐々に広げ、口内からより眩しいターコイズ色を放ちつつ「罪が一つ終わり、また一つ始まるか」と言った。
喉まで硬いのか、それが地声とは思えないほどくぐもって好葉には聞こえなかった。
直後の男の行動が、幼い少女の未来を奪う強烈なトラウマとなるからでもある。
並みの男の倍太い右腕を剣として、父の腹部が背中から貫かれた。
目の前で起きた出来事を現実のものとして受け入れるのに時間を要した。
父は歪んだ形相を更に不細工にし、すぐ水溜まりができるほどの血反吐を吐いた。
しかし、倒れる直前には、救われたような、好葉の望んだ優しい表情を浮かべ、そして静かに目蓋を閉じた。
父の最期の挙動全てを瞬きもせず見届けて、男が腕を引き抜くと、好葉はようやく動けるようになった。
「ああああ……あああああああああああああ!!」
狂暴化したみたく慟哭し、肩まで伸びた髪を引っこ抜く勢いで掴み、あらゆる叫びを上げた。
灼熱の台風の目にいるというのに物凄まじい寒波が襲ってきて、好葉はその場に倒れ込み、体を丸めて震え上がった。怖い時はこうすればいいと知っていた。
父を殺めた仇が自分を見下ろしているのに遅く気付いた。どういうつもりかは確かめられないが、その眼差しに憐みの意が僅かでも込められているのなら……と、突如としてこれまで感じたこともない黒い感情が芽生え、寒波が一瞬で熱波に変わり狂った。
好葉は丸まったまま、零れ落ちそうなほど見開かれた瞳で敵を見上げた。
正体は分からない。何故、父親を殺したのか。何故、お前はそういう存在なのか。何も分からないが、自分にとってかけがえのないものを、意味について考える隙さえ与えず奪いやがったターコイズ色の怪物を、好葉は眼力だけで殺すつもりで睨んだ。
男がどのような表情を浮かべていたかは、視界も頭もぐちゃぐちゃな好葉には分からなかった。そも、宝石の顔面には大きな口しかなく、両目も皺も毛も無く、今どのような感情でいるのかを見て取ることは誰にもできない。
男は足元の遺体を片手で摘み、好葉の目の前に放り投げると、何も言わず黒煙の中へ消えていった。
今までも、これからも、私の人生はあの色に奪われ続けるのだろうか。
それならせめて、余裕で立ち去る背中に、可能な限りの、自分が言われてきたものよりも陰湿な、心を抉り、傷跡を残す言葉を放ってやろうとしたが、目の前に放られた赤黒いものにより阻まれた。
そんなことより、やっと治ったんだね、と言いたかったから。
好葉は和紗と刑務官に救われ、病院へ運ばれた。
救急車が病院に着いたところで意識を取り戻すと、大人たちの制止を振り切り、面会の手続きなど気にせず母の病室へ駆けた。
大人たちの呼び止めの理由が、母がもう二度と目を覚まさないからだと分かり、好葉の激しく歪んだ情動はそこで凍結した。
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