暴走する独占欲
カイエがレイを置いて廊下の先を歩いていく。よっぽど早くこの場を去りたいらしい。
「なんだ? 帰るんだろう」
「う、うん」
呼ばれてレイはカイエを追って、その隣を歩く。
「なぁ、あのナギって子、すげー優秀なんだろう? あの若さでラボに所属してるんだし」
「優秀でも、あいつは、とにかく喧しいんだ。初等部の子供だってもう少し大人しく出来る。ただでさえ中央は、子供が走り回ってて騒がしいのに」
「ふーん」
カイエについて歩いていると近くのロッカールームにたどり着いた。止められなかったのでレイも一緒に中へ入り、壁に背を預けカイエを待っている。
着替えるといってもカイエはロッカーに白衣を片づけただけですぐに支度は終わりレイのところまで戻ってきた。
「どうした。レイが静かだと変な感じ」
「そう?」
ナギのことを心底嫌いみたいに口では言うが、レイは知っていた。カイエは本当に嫌いな相手なら口もきかない。
二人で中央研究所の外に出た。
そのままエレベーターエリアまで直通の駅に行くのかと思ったら、カイエに下道を歩きたいと言われた。一駅くらいだし、歩けない距離でもないので並んで歩くことにした。終業時間が過ぎ、ほとんどの人間が駅に向かうので、幹線道路を歩くのは自分達くらいだった。
「ナギくん賑やかでいいじゃん。二十歳くらい?」
「そう。二十歳。今年試験パスして中央に来た」
「俺、カイエが仕事場で楽しそうにしてて、安心したよ」
本当は嘘だ。心配になった。
自分がカイエにとってなんの価値もない人間だと自覚したから。
「研究は楽しい。人付き合いは面倒。それ以上でも以下でもない」
「ところで、さっき、鎖の研究って、言ってたけど、アレ何の話」
「別に。鎖システムに興味持ってる人間なんて、西花には腐るほどいる。あいつもそうだってだけ。珍しくないだろう」
「まぁ、ね。散々、ラボの研究員にオモチャにされてたし。人体実験って楽しい人間は楽しいんだろうな」
「不快だよ」
「全くだ」
あははと笑って見せたけれど、内心は複雑だった。レイ自身本当は、その鎖関係がずっと幸せだと思って感謝して生きてきたから。カイエはそうじゃなかったんだろうか。
(だから、壊したのか? 他人同士になって清々した?)
胸がちくりと痛んだ。
「あの、ナギくんって子さ」
「何だ、さっきから、ナギナギって。お前は、あんな奴が気になるのか?」
「あんな奴って、気になってるのはカイエさんの方じゃねーの。だって、興味ない人間だと、カイエさんは相手しねーじゃん」
「へぇ、レイは僕のこと、よくご存知」
「それくらい分かる」
機嫌が悪いのは、ナギがカイエにとって面白い人間だからだ。興味のない人間なら喋ったりしない。だからカイエと家族でなくなったレイは、近い将来カイエと会話も出来なくなる。
カイエにとって、その他大勢の、喋っても楽しくない人に分類されると思ったら悲しかった。自分がナギのように頭が良く、カイエと同じ視点で会話出来る研究者だったら、カイエの心をこの先も繋ぎ止められるんだろうか。
今は長年暮らした情もあるから、レイと関わってくれているのかもしれないが、そのうち見向きもされなくなる。
近い未来。
きっと、ナギのような人間と話す方が楽しいと思うようになる。また捨てられる。怖い。嫌だ。
「――どうせ、俺は、面白くないよな」
嫌だな。こんなこと言いたくないのにと思った。家族だったらこんなこと思わなかった。こんな調子じゃ気づかれてしまう。
歪なレイの感情を。システムのバグを。このままカイエと家族でいたいのに。これ以上カイエとの絆を失いたくない。
「おい、レーイ。さっきから何の話をしている」
突然立ち止まったカイエに右手を掴まれた。
学術研究都市エリア。この時間は人通りがなく世界に二人だけみたいな感覚だった。
ずっと、このまま二人きりの世界ならいいのにと思う。もう、ラボに行って欲しくない。
「レイ。どうした?」
「お、俺は、もうカイエと家族じゃない」
「――うん」
「そのうち、面白くないって、カイエは俺と喋ってくれなくなる、気がした。ナギくん。面白いんだろ。一緒にいて」
以前は喋らなくても、つながりがあった。今はないから不安ばっかり。そんな情けない、恥ずかしい気持ちを吐露したレイを見て、カイエは目を瞬かせる。呆れて置いていくなら置いていけばいいと思った。
三年前、レイを置いて一人で外スラムへ出て行った日みたいに。
嘘、置いていかないでって思ってるくせに。わざとそんなことを口にして、カイエとの絆を試している。
情けない。
醜い。
恥ずかしい。
悔しい。
断頭台で首を落とされる瞬間みたいな心持ちで下を向いていた。すると静かなカイエの言葉が降ってきた。
「――いや、お前ほど、僕にとって面白い人間はいないな」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ」
カイエはレイの掴んでいた右手を離す。カイエは多分、口を押さえて笑っている。頭の上から、くつくつと笑い声が聞こえた。
何か笑うようなとこなんてあっただろうか。
「レイは、最高に面白いよ」
「それは、馬鹿だから?」
「それも、ある。でも、それだけじゃない。もっと単純な理由」
「単純って」
顔を上げたら、世界一幸せみたいな顔をしてカイエは笑っていた。それは、レイが初めて見た種類の笑顔だった。その美しく優しい笑顔をぽやんとしたアホ面で見上げている。
ゆっくりと長いまつ毛が一度閉じ、灰がかった緑の瞳がレイの姿を正面から映している。
(誰だよ。こいつを魔王さまなんて名前付けたの)
悪いことをする人間は、こんな優しい笑顔で笑ったりしないと思った。
「嬉しいな。すごく」
突然、両腕を伸ばしたカイエに抱きしめられた。子供のとき、衝動的にひっついていたのはいつもレイの方だった。家の中だったらカイエからもハグしてくれたけど、外でこんなふうに嬉しいときに抱きしめられたのは初めてだ。
なんで今カイエが嬉しいのか、レイにはわからないけど。
「どど、どうした? カイエ」
「以前のレイはこんなこと言わなかっただろうなって。そう思ったら感慨深い」
「こんなこと?」
「僕がナギとラボで二人きりだと嫌なんだろ? レイは」
少しカイエの体が震えているのは笑ってるからだ。人の気も知らないで腹が立つ。
「ッ、それ、は……家族、だから、心配で、うん。多分そう」
「ふーん? 心配? 僕が? 何故」
「な、何故って」
「ナギは男だよ? 心配なんて要らない。研究熱心で鬱陶しいところはあるが」
カイエはレイの顔を探るように見つめてくる。何だか気まずい気分になる。
「そーだよな。ごめん、変なこと言って」
「いや。全然、変じゃないよ」
「カイエ?」
「僕はね。レイと家族になったときから、僕が一緒にいて当然みたいに思われてるの、ずっと腹立たしかった」
「何だそれ?」
確かに、そんなふうにカイエのことを自分の所有物みたいに思っていた。けれど、それがカイエに伝わっているとは思っていなかった。
「だから嬉しい。――ところでレイ」
何だか小さい頃みたいだなぁって和んでいたら、笑っていたカイエの美しい笑顔が急になりを潜める。
もう一度抱きしめられたかと思った次の瞬間、突然首筋を思いっきり噛まれた。
「お前、何っ、いってぇな、何するんだよ!」
「――レイ。お前、今日、どこに行ってたんだ。仕事は?」
顔を上げたカイエの目が据わっている。
顔が整っている人間の無表情ほど怖いものはない。そのまま手を引かれて、建物の影まで引き摺られていく。おもむろに壁に背を押し付けられ、顔の横に両手をつかれた。恐ろしさで身動きが取れない。
場所を移動したことで薄暗くなり、カイエの目から光がなくなった。
冷たい笑顔で見下ろされた。理由は分からないが怒っていることだけは分かった。
「ねぇ。レイから石鹸の匂いがするのは何故?」
すん、と鼻を鳴らし髪と肌の匂いを嗅がれる。
「せ、石鹸? ……あぁ。さっき、第二階層の配達行ったラボで」
「誰と、何をしたの?」
亡国の楽園で魔王さまに花束を 七都あきら @akirannt06
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