泡沫奇談 ~甘い血~

睡蓮麗雛

甘い血

* 第1章


 鳥の囀りで僕、新井学あらい まなぶは目を覚ました。

 時刻は12時20分、カーテンを開ける、とても強い日差しに僕は目を塞いだ。

 顔を洗って歯を磨きリビングの椅子に座る。

 何もする事がないのでとりあえずテレビをつけた。

 ニュース番組だ。

 確か今日は金曜日だったはず。

 ということはこの番組が終わったら料理番組が始まる。

 テレビではアルゴノイアというウイルスに感染した患者がワクチンを開発したにも関わらず増加しているというニュースを放送していた。

 テレビの左側の時計が12.25を示すと明るいテーマソングが流れ料理番組が始まった。

 断末魔は聞きたくなかったのでテレビの音量は0にする。

 番組の司会の女性が話し始めた。

 女性の顔のアップ、そして次に写ったのは銀の受け皿に乗った8人の少女。

 年齢は7歳から15歳のように見える。

 少女達は楽しそうに話をしていた。

 司会者の女性が話ながらオレンジのドレスを着た少女を手に取った。

 女性はピーラーを手に取ると少女にあて上下しはじめる。

 ドレスがボロボロになり、肌が露になった。

 少女の目には涙が見える。

 口の動きからするに「やめて」「いたい」「ひどい」と言っている。

 それでも女性は皮を剥く手を止めない。

 血が吹き出し少女は泣き叫ぶ。

 肌は剥かれすぎて骨が見えはじめている。

 それでも手は止まらない。

 少女の目から生気がなくなり内臓が少し溢れた所で手は止まった。

 カメラがまた銀の受け皿に向けられると中の少女達は泣き叫び嘔吐するものまでいた。

 次に手に取ったのは茶色い服のおとなしい少女。

 たぶん一番幼い。

 嘔吐している最中手に取られた為、服の胸元にはゲロが付いている。

 またピーラーで服をズタズタにされ肌が露になる。

 ピンク色の乳首、太めの足、お腹にあるほくろがカメラに写し出された。

 その後まな板の上に乗せられた。

 「いやだ! 死にたくない!」と叫んでいるように見える。

 涙と鼻水が止まらないがそんな事も気にせずに女性は包丁を突き立てた。

 腹を切断され、上と下に別れる。

 少女は泣きわめいている、どうやら一撃で死ねなかったらしい。

 見ていられなくなった僕はテレビを消した。

 グロテスクすぎて気分が悪い。

 僕の日常はこれが普通、至るところに美少女が居て、時折惨殺死体を見る事もある。

 丸められていてよく見ると顔がちらほら見える肉塊や。

 少女の皮で作られたドレスを着て泣き笑いをする少女。

 ミキサーに大量の裸体の少女が入っていたのも見た事があった。

 そのまま混ぜられトマトジュースのような真っ赤な液体に変わった。

 とても苛立ちを感じる。

 「テレビ捨てようかな……」

 と小さく呟いた。

 なぜ僕がこうなったかというと、それは元カノと別れた時までに遡る。



 *



 僕の元カノは何かとツンケンしている女だった。

 榊原吉江さかきばら よしえ、大学で僕と同じ学年。

 吉江とは大学で出会った。

 一目惚れだった。

 告白した頃はこんな女ではなかったんだが。

 とてもおとなしく、黒く長い髪がよく似合い、花束なんか持たせたらそのまま絵になるくらいの女だった。

 彼女はアニメが好きで色々な作品を進めてきた。

 それを2人で見ているうちに僕も彼女の趣味に少し染まってきていた。

 それが付き合い始めてから時間が経つにつれて少しずつ変わっていった。

 ツンデレヒロインというものは好きだ。

 だがアニメのキャラは受け付けるが、三次元、現実の女の子となると嫌である。

 それに今の彼女にはツンはあれどデレの欠片もない。

 会えば暴言、時折暴力。

 そして髪の色も赤に変えたのだ。

 付き合い始めた頃に好きだった所がどんどん変わっていった。

 と、色々悪い事を言ったがいい所もある。

 彼女は料理が得意だ。

 毎日僕に手料理を作ってくれる。

 好意なのか、それとも彼女という肩書きがある為の使命なのか。

 僕にもよくわからない。

 彼女と別れた日、大学1年の秋。

 付き合ってから半年。

 作ったのはミートソースだったのを覚えている。

 「まーたおいしくなさそうに食べてる。少しは笑ったり、おいしい! って堂々と言ったらどうなの?」

 2人で机に向かい合って座っている。

 彼女は頬杖をつきながら言う。

 「僕は元々感情をあまり表に出さない男だぞ。それと言葉には出さないがおいしいとは思っている」

 「そう、思ってるんなら言葉にしてくれなきゃわからない事もあるでしょ。まったくもうちょっと感情が分かりやすい彼氏が良かったわ」

 その時僕は強い苛立ちを感じた。

 「なら僕なんか彼氏じゃなきゃよかったな!」

 つい出てしまった一言。

 感情をあまり表に出さない男とさっき言ったばかりだったが、あれは彼女の会話に適当に返しただけだ。

 それだけ僕は彼女に冷めてたんだろう。

 「学、なに言って……

 「付き合いはじめた頃はそうじゃなかった! 君の優しい所と黒く長い髪が好きだったのに! 君は変わった! 変わりすぎてしまった! 最近薄々感づいてたんだよ。僕と君は合わないって。悪いけどもう君にはついていけない。今日限りで君とは別れさせてもらうよ!」

 「ちょっと! 待ちなさいよ! 学くん!」

 僕はミートソースを半分以上残して彼女の家を出た。

 彼女が最後に僕の事を呼んだ時、付き合い始めの呼び方をしていたが気にせずそのまま家を出て自宅まで走った。

 怒りのままに言葉を吐き出した。

 言っている事もメチャクチャだったんじゃないかと思う。

 心に残っているのは意外にも清々しさだった。

 その時、僕は彼女が自分にとって重りだった事に気がついた。

 

 *


 家に帰りシャワーを浴び、リビングの椅子に座った。

 気がついたらお腹が空いている。

 吉江の家で夕飯を食べるのがここのところの日課だった。

 しかし今日はムキになって出ていってミートソースをほとんど食べなかった。

 今更ながら少し後悔をする。

 冷蔵庫を開けると中身はすかっからかんだ。

 最後に買い物をしたのが2週間前。

 その時の買い物も吉江と一緒だった。

 買ったものは夕飯用の食材と朝食用の冷凍食品。

 冷凍食品は毎日少しずつ食べていたが丁度今日無くなったのを忘れていた。

 とにかくなんとしても腹は満たしたい。

 冷蔵庫を見渡すと卵を入れる場所に箱に入った12個入りのチョコレートがあった。

 いつ買ったかは覚えていない。

 というか今発見するまで忘れていた。

 箱を手に取り見てみると開封すらされていなかった。

 賞味期限はギリギリ。

 まあ腹が満たされるだけマシかと思い箱を開けようとした。

 しかしその時声が聞こえた。

 少女の話し声が微かに聞こえる。

 しかも複数。

 それがとても気になった。

 僕はマンション暮らしだ。

 当然隣人は居る。

 思い出してみたが右隣は夫婦、左隣はおじいさんの一人暮し。

 少女が居るとは思えない。

 夫婦に子供が居るといった話は聞かないし、まさかおじいさんが誘拐をした?! いや……それは考えすぎか。

 じゃあいったいどこから……と考えていた。

 パン! と音がして足元を見てみる。

 考えることに集中しすぎてチョコの箱を落としてしまった。

 拾い上げ箱を開封し、商品名が印刷された包み紙越しにチョコが割れてないか確認をした。

 チョコに触れると「あっ……ひぅっ……」という少女の喘ぎ声……まさかここからか?!

 もう一度触れてみる。

 その手付きはまるで性行の前に女性を愛撫するかのようなものに変わっていた。

 「くっ……あん! ……」

 と確かに聞こえた。

 驚いて指を離す。

 その時だった。

 複数人の少女の喘ぎ声が鳴り始めた。

 脳内に直接響くように!

 くちゅくちゅという音も聞こえてくる。

 中でお互いに愛撫しあっているのか……?

 僕は気になって包み紙を開けた。

 中にあったのは12個のチョコレートだった。

 少女の姿などどこにもない。

 なんだ……さっきのは、幻聴か?

 たぶん疲れているのだろう。

 もしくは最近吉江とレスだったからであろうか。

 欲求不満ってやつなのか?

 19歳、成人とはいえ思春期を引きずっているようだ。

 そう思いチョコを一粒口に入れた。

 「ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 と黒板を引っ掻いたような不快な悲鳴が噛んだ瞬間に響く。

 その声は少女のもの、間違いなく幼い少女。

 「足が………足がぁぁぁぁ!!」

 と声がする、僕の口の中から!

 おかしい! 僕はチョコレートを一粒食べた筈だ。

 口の中には甘い味を感じている!。

 そして、包み紙の中のチョコはチョコのまま!

 「やめて……私、何もひどい事してないのに……」

 痛みに耐えながら絞り出すような声が口の中から聞こえる。

 中を確認したいが見るのが怖い。

 もしそこに少女が居たのなら、僕はどうなってしまうのだろう。

 好奇心と恐怖がぶつかり訳がわからなくなる。

 僕は口を開けたまま洗面台に向かった。

 鏡のある洗面台に近づいた時、僕は目を瞑った。

 手探りで回りの物に触れながら鏡の前にたつ。

 恐る恐る目を開けてみた。

 口の中を覗く、中には僕の舌の上で震えている黒髪の少女。

 服装は赤いドレス。

 片足はなく、目から大粒の涙を流していた。

 失くなった左足からは血を流しているが僕の味覚は鉄の味を感じていない。

 逆に甘い味覚は感じている。

 鼓動が強くなってきた。

 動揺しているのが分かる。

 僕はシンクに少女を吐き出した。

 「きゃっ!」と言って少女はシンクに落ちた。

 少女は僕のことを怯えた目で見ていた。

 僕は怖くなり逃げるようにリビングへ向かった。

 リビングに戻り一旦椅子に座り考えた。

 間違いなく気は動転している。

 いったいどうしてしまったんだ僕は。

 チョコレートが女の子に見えるなんて。

 「ねぇ! あなた!」

 突然声をかけられた。

 声の出所を探そうと周りを見渡そうとした。

 が、すぐに特定できた。

 なぜなら目の前にそれがあったからである。

 チョコの包み紙の中。

 そこには11人の少女がいた。

「なんで……私の恋人を食べたのよ! あの子はまだ14歳なのよ! なんてひどい事を!」

 1人の少女が僕を憎しみに満ちた表情で見ている。

 残りの10人の少女は涙したり、その子に同調して「そうよ! そうよ!」という子がいる。

 「う……うわぁぁぁぁぁ!」

 僕は叫びながら家を飛び出した。

 なぜ外に出たか、家の中のチョコレート、いや今は少女と言うべきか。

 家の中での状況から脱したかった。

 僕は逃げる選択肢を選んだわけだ。

 とにかく走る。

 何か恐ろしい物から逃げるみたいに。

 自分の体力が尽きるまで無我夢中で夜の中を走った。



 *



 どこまで走ったのだろう。

 体力が尽きたのは見たことのない公園だった。

 とりあえず休みたい。

 僕はベンチを見つけそこで休むことにした。

 電灯に照らされている時計を見ると2時24分。

 外を出歩くには大分遅い時間だ。

 (ここは何処だろう。かなり遠くまで来てしまった……。あ、スマホ家に置きっぱなしだ)

 少し、冷静になると、クーラーは消したか、冷蔵庫半開きじゃないか、家の鍵は閉めたかなど生活に関する細かい不安が頭をよぎった。

 そして、あの少女、チョコレートの事も。

 結局、あれはなんだったのだろう。

 賞味期限ギリギリまで残してた事にキレたチョコレートの妖精?

 いや、そんな子供向けの絵本に出てきそうなやつが現れるわけがない。

 いったい何なんだ。

 「おい、兄ちゃん」

 突然声をかけられた。

 見た感じ50代くらいの男。

 片手に缶、もう片手にレジ袋を持っていた。

 少し酒の匂いがするので酔っているのだろう。

 「兄ちゃん。顔色悪いな、飲みすぎたか? もしくは何か悩みでもあんのか?」

 男は僕の隣に座った。

 とても酒臭い、その割には呂律が回り僕を心配そうに見つめている。

 (この人酒強いんだろうな)

 「いえ、飲みすぎたわけでも悩みもありません」

 「じゃあなんだ? 嫌なことでもあったか? まあ無理には聞かねぇよ」

 そう言いながら男は片手に持っていた日本酒の缶を飲み干した。

 「元気のねぇ時には食うのが1番だぞ。これやれるよ」

 男はレジ袋から何かを出した。

 僕はそれを見てギョッとした。

 男が出したものは赤い物体。

 所々に少女の顔が見え、脇の方に空いた穴からは黄色い液体が流れている。

 耳を澄ますと小さな声で「タスケテ………コロシテ……」と聞こえてくる。

 「な、なんだこれは! じいさん、お前、なんてもの出してるんだ!」

 「何っておにぎりだよ。見て分かんねぇのか?」

 おにぎり? あの白い米に海苔との相性がいいあの?

 「おいおいおい! これのどこがおにぎりなんだよ!」

 「おにぎりはおにぎりさ。中は梅干しだぞ」

 男はそう言いながら物体に指をいれ2つにわける。

 メチメチメチと音を立て割れていく物体。

 「イタイ……」

 「ヤメテ……」

 「オカアサァァン」

 と複数の叫び声が聞こえ、穴からは黄色い液体に混ざり茶色い固形物も紛る。

 「お前! 何してるんだ!」

 僕は男を思い切り殴り付けた。

 男は「ふぉぉ」と声を出し地面に叩きつけられた。

 それと同時に赤い物体もベチャッ! と音を立てて地面に落ちた。

 その時物体からちらほら見えていた顔が僕を見ていた。

 「アリガトウ……」

 「オニイサンハ、ワタシタチヲタスケテクレタ」

 「オニイサンハ、ワタシタチヲアイシテクレル?」

 と口々に言っている。

 「ひぃぃ!」

 と声をあげ僕はそこから走り出した。


 

 *



 そこら中を走る。

 回りを見渡すと緑のドレスを着た複数人の少女。

 長い金髪に赤いドレスを着た少女。

 他にも色々な少女がそこら中に居た。

 コンビニの垂れ幕にはさっき見た赤い物体が3つ描かれていた。

 なんだ? 回りが狂ってるのか、それとも僕がおかしいのか、今はそれを考えてる暇はない。

 どこに行けばいいのかも分からず僕はただ彷徨うだけ。

 ドン! と人にぶつかり思い切り尻餅をついた。

 「おや? すいません、大丈夫ですか?」

 とぶつかった人に手を差しのべられる。

 妙に白い手先。

 そのままその人の顔を見る。

 顔立ちは整っているが肌が白いため不気味さがある。

 チューリップハットに明治時代頃のような着物。

 と時代にそぐわぬ服装をしていた。

 「こちらこそ、すいません」

 と手を掴む。

 その手は生気を感じられないほど冷たかった。

 そして僕は急ぐように走っていった。

 「おや………あの人………気配がしますね」

 とその人は呟いた。


 *


 走り疲れ我に返るといつの間にか自宅の扉の前に来ていた。

 無我夢中で走っていたのでどういうルートで走ったかは分からないが、無意識に1番安心できる所に来ていたのだろう。

 しかし家の机の上には先程のチョコレート娘達がいる。

 そう思うと扉を開けるのが怖くなった。

 ゴクリと唾を飲む。

 先程の事を思い出しドアノブに触れることすら恐ろしく感じた。

 その時だ。

 「怖がらないで、私達はあなたのことを恐れていないわ」

 頭に響くように声がした。

 あのチョコレート娘の声だ。

 「扉を開けて、あなたと話がしたいの」

 僕は声に誘われるがままに扉を開ける。

 いつの間にか恐怖心は安心へと変わる。

 なぜだかわからないが彼女の声を聞くと心が落ち着いた。

 足が自然に部屋の中に入っていく

 灯りのついてない部屋。

 カーテンは閉めておらず町の光が入り込み机の上の彼女達を照らした。

 「おかえりなさい。あ・な・た」

 と1人のチョコレートの少女が誘惑するように言う。

 「帰って来ることは分かっていたわ。だって私達とあなたは相思相愛だもの」

 1人の少女が立ち上がる。

 「さっきは私の友達がごめんなさい。あの娘はとても臆病なの」

 少女は僕に向かって歩いて机の端で足を止めた。

 「改めて自己紹介するわ。私達の名前は『夢見る力に』あなたに愛を歌う聖歌隊よ」

 少女は両手でスカートの端を持ちぺこりと挨拶をした。

 愛を歌う聖歌隊か……。

 愛という言葉を聞くと胸が痛んだ。

 少し前に彼女に別れを告げ愛を壊したばかりだからだろう。

 ……もしかしたら目の前の彼女達は僕が見ている幻覚なのではないか?

 彼女を……吉江を失ったショックで見ている、ただの虚像。

 僕の妄想が作り出した美少女。

 そう思うとつじつまがあった。

 スカートの端をつかんでいた少女は両手の位置を変えスカートをたくしあげ、白いパンツが丸見えになった。

 「もしかして夢だと思ってるんでしょう。だったら簡単に確かめさせてあげるわ。私のアソコ……女の子の大切な所にあなたの指を当ててみて」

 少女の笑顔は幼い見た目とは反比例し、とてもなまめかしかった。

 僕はそれに引き寄せられるかのように指を少女の股の間に通し、パンツ越しに性器に触れた。

 「ん……」

 触れた瞬間、少女が小さく喘ぐ。

 「あなたの指……たくましいわね。それじゃあご褒美あげる」

 少女は僕の指に性器を擦り付けながら排尿した。

 「どう? あったかいでしょう?」

 どんどん透明な汁が溢れ出てくる。

 少女の息が荒くなっていく。

 パンツはもうぐちょぐちょになっている。

 しかし小便臭くはなく、とてつもなく甘い匂いがする。

 糖尿病か? と思うほどに甘い匂いだ。

 「この顔、匂いを気にしてるの? 安心して私の素体はチョコレート。体液がぜーんぶチョコレートなの。この液も透明でお小水に見えるかもしれないけど、れっきとしたチョコレートよ。あなたの為ならいくらでも出すわ、なんなら舐めてみてもいいわよ」

 僕は少女の声に操られるように指を舐めた。

 少女は小声で「そこじゃないわよ……」とがっかりしたように漏らす。

 甘美な味が口の中に広がる。

 高級なチョコではなく、ただのどこにでも売っている赤い紙に包まれたあの味がした。

 同じ味だがもっと……もっと……と心が強く求めている。

 何か違うような気がした。

 「気に入ってくれて嬉しいわ。これで幻覚じゃないって分かってくれた?」

 「……」

 「……その顔はまだ信じてないわね。ぽやっとしててかわいいけど」

 実際完全には信じられなかった。

 今まで僕の身の回りではこのような出来事が起こらなかったからだろう。

 いわゆる波風のたたない普通の人生だ。

 普通の現実を生きている僕に突然非現実的な小さな少女達が現れた。

 学校なんかでこの妄想をひけらかした日にはクラスから変態の烙印を押されるだろう。

 だが妄想……それも中学生がしそうな妄想の世界がいま目の前にある。

 とても信じられないというか、現実だとしても受け入れられてないという感じもした。

 少女は顔に少し怒りの表情を入れ話す。

 「なんで信じてくれないの? 私達はあなたに愛し愛される為ここに居るのに……信じてくれなきゃあなたが連れてきたその子達もかわいそうだわ」

 その子?

 僕は少女の目線の先を見る。

 僕の手元の近くにコンビニの袋があり、その中から大量の少女達が顔を出していた。

 こんなに大量に? コンビニ? 僕はコンビニに行ったのか?

 行ったとしたらあの時、無我夢中で走っている時だろう。

 「あなた、ちょっと寝転んでくれる?」

 少女は僕に命令をする。

 僕は素直にそれに従った。

 「みんな、来て」

 少女はチョコレートの箱の中の少女達を呼んだ。

 さらにコンビニの袋の中からも色とりどりのドレスを見にまとった少女達がぞろぞろとやってくる。

 そして少女達は寝ている僕の両耳元に集合した。

 「綺麗な耳ね……これならよく聞こえそう。あなた、今から私達がどれだけあなたを愛しているかここで証明してあげるわ。リラックスして私達の声だけに集中してね」

 少女達は僕の耳元に近づき愛を語り始めた。

 愛してる。あなたの為ならなんだってできる。あなたに殺されたい。あなたは私達の物。あなたが私達の所有物だって世界中の人に自慢したい。そのためならテレビ中継の前で交尾だってできるわ。ネットにそういう動画をあげてもいい。世界が滅んでもこの愛は消えない。死んでも幽霊になって戻ってくるわ。あなたは私達に身を委ねればいい。嫌なことも辛いことも全部忘れられるくらいに愛してあげる。どんな言葉にだって言い表せられるわ。あなたと私達は相思相愛。一心同体。不離一体。私達はいわばうさぎなの。寂しいと死んでしまう。だからあなたが必要。あなたの行動ひとつひとつが愛おしい。好き。好き。いくら言っても足りない。愛は果てしない。愛は美しい。愛は純粋。愛は悲しい。愛は憎い。愛は狂おしい。わかる? これは全部あなたへの思い。愛は人間のほとんどの感情が当てはまるの。つまり愛を捧げるというのは自分の全てを捧げると同じことなの。なのにあなたはまだ信じられない? どうして? 愛が足りない? 愛が感じられない? 愛が体に浸透しない? 愛が酸素にならない? 私達はあなたの養分になりたいの。愛を失ってしまったのね。あの女はひどかった。裏切った。騙した。悲しませた。苦しませた。憎い。嫌い。あなたを苦しめるあの女……いや世界が憎い。愛している人が傷つくのは悲しいでしょ。当たり前よね。だから私達は現れた。ここに居る。存在してる。本当だよ。あなたが疲れているなら私達が癒してあげる。私達はあなたのオアシスなの。あなたの薬……劇薬にでも麻薬にでもなってあげる。これでも私達の愛が伝わらないの? ねぇどうなのよ。

 彼女達の声が僕の耳になだれ込むように流れてくる。

 彼女達が僕に囁くのは大量の愛の言葉。

 文章で表したら段落の切り替える間もなく突き詰められた言葉。

 段落というものなど存在しないラブレター。

 読むことすら嫌になるような『愛』に満ち溢れた大量の言の葉だ。

 僕は彼女達の言葉を聞く内に体が熱くなっていった。

 心臓が鼓動するたびに強く響き渡り胸が痛くなる。

 この感覚は前にも感じた事がある。

 そう、吉江に惚れたあの時に感じた感覚と同じ。

 ……僕は彼女達に惚れてしまったのだ。

 起き上がり正座する形になる。

 彼女達の前に右手を開き近づける。

 少女達は花に群がる虫のように僕の指に集まる。

 少女達は僕の指を膨らんだ男性器を愛撫するかのようになめ始めた。

 少女達が上目遣いで僕を見つめてくる。

 僕は幸福感に包まれた。

 彼女達さえ居れば何もいらないと心が叫ぶように心臓が強く波打つ。

 彼女達は指を愛撫しながら衣服を脱ぎ生まれたままの姿になる。

 彼女達の体は細くしなやかで肌荒れもなく美しかった。

 そして彼女達はまたも口々に言葉を発した。

 あなたも。あなたも。私達と同じになって。生まれたままの姿で。私達と愛し合おう。そしてあなたのミルクを私達は欲してる。全てをさらけ出して恥部を私達にお示しになって欲しい。それだけで私達の泉からは湧き水が堪えなくなる。そうすれば私達はあなたの潤いへと、オアシスへと、変化できる。これは脱皮よ。新たなる恵みをその身へ宿すための。聖なる儀式よ。私達の服はただのお飾り。生物はこれが正しい姿なの。衣服というのは悪い文化よ。人間への冒涜。いつから人は正装を隠すようになったのかしら。裸体こそ神様が作り出した理想の姿なのに。最高傑作の美術品なのに。なぜそれを隠すのかしら。たぶんそれはこの世で偉いと言われている人のせい。その人達が決めた。愚かな行為。衣服は体を守るための防具。その用途が必要ない時はなくても構わないのに。人は己の体を隠したがる。理由なんて単純よ。恥ずかしいから。汚らわしいから。その感情を持つことは間違ってる。おかしい。こんなの絶対におかしいわ。体のパーツひとつひとつが個性であり美学なのに。あなたもそういう考えの持ち主?なら今すぐその考えを捨てて。私達に全てを見せつけて。あなたの所有物の私達にたくましいものを見せつけて欲しいの。

 一般の読者なら2回連続でこのような文章が現れたら苦痛だろう。

 しかし僕にとってはこれは至高なのだ。

 彼女達の甘い囁きは褒美でしかない。

 僕は衣服を全て脱ぎギンギンになっている僕のソレはむき出しになる。

 彼女達はその刹那に獣になり、はぁはぁと息づかいを荒くし僕に集まる。

 僕のソレに集まる彼女達は目がとろんとなり夢中になってしゃぶりついた。

 下半身の快感と上目遣いの彼女達を見下ろす征服感がさらに僕を興奮させた。

 彼女達が「出して、出して」と懇願する。

 彼女達の声が強くなるにつれ僕も絶頂が近くなる。

 そして彼女達の声は脳にこびりつき真っ白になった時に。

 僕は絶頂を迎えたのだった。




 * 第2章



 大好きな彼と喧嘩し、別れを切り出された。

 なんで? あの人の好みの人になれたと思ってたのに。

 私、榊原吉江は人生で初めて彼氏ができた。

 名前は新井学。

 私に一目惚れしたらしく、勢いで告白してきた感じだ。

 私には生まれてこのかた男性への関わりはほとんどなかった。

 小、中、高校と女の子の友達は少しできても男の子の友達は全くできず。

 クラスの男の子の会話で、罰ゲームで告白する女の子リストに私はいつも入っていた。

 そして大体の男の子は私の事を『オタク』と呼んでいた。

 彼らの言っている事はその通りで。

 私の趣味は主にアニメ鑑賞と読書(ラノベ、漫画)である。

 そんな私が大学生になっていきなり告白された。

 その時の私は彼の告白に冷静に答えた。

 「私で……よければ……よろしくお願いします」

 と優しい笑顔で……でも心の中は。

 (突然の告白!? 大学に入って彼氏とかできるのかなー? とか思ってたけど……ぇぇぇぇ!?)

 と、完全にパニックになっていた。

 いきなり彼氏ができた私は彼とどう接するか、どのように2人の時間を過ごすかなんてからっきしだ。

 嬉しいには嬉しいけど素直に喜べない自分が居た。

 不安なまま日々は過ぎていった。

 だけど彼はどんな時も私に優しく、紳士的で、私が作る料理もおいしそうに食べてくれた。

 そして意外な事に私と趣味も合ったのだ。

 好みは違えど彼もアニメ好きだったらしく、私が好きなアニメを勧めたら一緒に見てくれた。

 そうしていくうちに彼の好きなアニメもほとんど私と同じになっていった。

 こうして2人で過ごす時間がどんどん増えていくにつれ私には1つ大きな不安がのしかかった。

 それは彼が好きだという女の子と私が全く一致しない事だった。

 正確には彼が好きだというアニメキャラの女の子とだ。

 彼が好きなのはツンツンして時折デレる、所謂ツンデレというやつだ。

 そして髪が赤い……私とは全然違う。

 私は黒髪で……性格もおとなしい……彼の好みとは真逆な存在……。

 そんな私が彼の隣に立っていいのか?

 彼にとっての理想の女の子とは違う私が……。

 そう思ってから彼に何をされても心の中に曇りが生まれた。

 デートをしても、プレゼントをもらっても、私の心には不安が残った。

 彼に無理をさせてるのではないか、好きでもないのに付き合わせているのではないか。

 そう思った末、私は1度今までの性格とは真逆の自分で接してみた。

 それは彼と一緒に『ストヴァ』、フルネーム、ストラティヴァリウスコーヒーに来たときのこと。

 彼が注文をしようとした時。

 「えーっと、キャラメルバナにゃトリプルホイッサルハ……えっと……」

 「キャラメルバナナトリプルホイップサンフラワーフラペチーノでしょ! 何噛んでるのよ、このノロマ!」

 「あ……ごめん」

 と私はその時だけ性格を真逆のツンデレにした。

 ごめんと言う彼の顔には喜びがあったように見えた。

 これだ! と心の中で確信した。

 その日から私の彼に対する接し方が大きく変わった。

 彼が喜んでくれると思って、彼の好きなキャラの出るアニメも何度も見て研究に研究を重ねた。

 作品を分析するのは私の得意分野だ。

 小、中、高校と友達が少なかった私の趣味は好きな作品の分析ノートを書いたり、その作品の二次創作の妄想をすること。

 なのでとても容易だったのだ。

 そして性格も完璧になった頃、私は大胆な事をする決意をした。

 人生で初めて髪を染めたのだ。

 理容室に行くお金がなかった私は薬局で毛染め材を2つ買った。

 ブリーチ剤と、本命の赤色の毛染め。

 いざ染めると簡単に終わった。

 今の時代簡単に髪を染められるようになったものだ。

 髪を真っ赤に染めた私は自信をもって彼にツンデレで接した。

 この時に彼の変化に気づけたら……と何度も思う。

 私は完璧にそのキャラクターと同じになれた。

 つまり、彼の理想の彼女になったのである。

 これで私は自信をもって彼の彼女を名乗れるようになったのだ。

 そう思ってたせいかもしれない。

 彼が私に嫌気がさしている事に気付けなかったのは。

 付き合って半年。

 私がミートソースを作った夜。

 彼は私に今までの不安を吐き出して私の家を出ていった。

 なんで?

 私はあなたの理想になれたはずなのに……。

 何かが足りなかったのかな?

 私はこれまでの行動を思い出した……。

 私が転んだ時、彼は優しく手を差しのべてくれたのにその手を叩いて拒んだ。

 彼が私のために選んでくれた花をダサいと言った。

 優柔不断な彼を殴った……。

 思い出していく内に罪悪感に包まれた。

 彼がこうなったのは……私のせいだ。

 彼が別れ際に言った言葉がその答えだったが、私は動転して気づけなかった。

 なんでそんな簡単な事に気付けなかったのだろう?

 私が恋愛に慣れてなかったから?

 私が変に突っ走ったから?

 どんなに自分を責めても彼は戻ってこない……。

 謝らなきゃ……。

 明日大学で会ったら謝ろう。

 絶対に謝ろう。

 そう思ってその日はミートソースを片付けお風呂にも入らずベッドに吸い込まれるように眠りについた。

 その日夢で見たのは彼に告白された日のこと。

 あの日彼に最初に言われた言葉。

 「とても綺麗な黒髪だと思いました」

 と彼は最初に言った。

 朝の7時、目覚めた時……私は改めて思った。

 私……あのままで良かったんだ。

 彼が私を嫌いになったのは私が変わったからだ。

 変わらなくて良かったんだ……。

 私はただ泣いていた、ベッドの上で体育座りでそこから動かずに泣いていた。

 涙が枯れる頃には時計は11時を回っていた。

 髪……戻さなきゃ。

 まず思ったのはそれだった。

 私はその日、髪の色を元の黒髪に戻した。

 あとは……彼に全てを打ち明けて今までの事を謝るんだ。

 心を明かす事は恥ずかしい事じゃない。

 ちゃんと話さなきゃ分からない事もあるんだ。

 もっと話していたらこんな事にはならなかった。

 明日……彼に全てを話そう……不安も理由も全て。

 しかし、彼は大学に現れなかった。

 1週間大学中を探したが会うことは無かった。

 しかし彼を見たという噂は聞いていた。

 私が聞いた噂はとても奇妙なものだった。

 大学近くのスーパーで毎日大量の食材を購入するが、なぜか日に日に彼は痩せ細っていくというものだ。

 その噂を確かめるために私は彼の家に来ていた。

 彼の家の郵便受けには大量の郵便物が入っていた。

 郵便を確認していないという事が目に見えた。

 意を決してチャイムを押した。

 少しの沈黙の後、鍵を開ける音がし扉が開いた。

 彼の姿を見て私は驚愕した。

 1週間でこんなに痩せ細るなんて……。

 彼は顔色も悪くガリガリに痩せていた。

 「学くん……大丈夫? 久しぶり……」

 私は恐る恐る話しかける。

 彼はすぐに扉を閉めようとした。

 「待って!」

 私は扉の間に手を入れ閉めるのを阻んだ。

 私が扉に触れ、開けようと力を強めると扉は簡単に開いた。

 学くんは玄関で倒れ混んだ。

 力も弱くなったんだ……。

 こうなったのは私のせいだ……。

 「今さら何しに来たんだ!」

 学くんはゆっくり立ち上がりながら私に怒鳴った。

 「あなたが心配で来たの。大学でも噂になってたから……」

 玄関に入ると異臭がした。

 何かが腐ったような臭い……。

 心配と同時に不安が込み上げた。

 「心配ってどの口が言う? いつもの暴言はどうしたんだ?」

 学くんは立ち上がり私に問う。

 「あれは……っつ、とにかく上がるね!」

 「おい! 待て!」

 言葉が出なかった私は足早に彼の部屋へと上がった。

 「え……どういうことなの?」

 部屋に入ると驚きの光景が目に入った。

 家具は一切なくなり、あるのは大量の食材のみ。

 新しい物から腐りかけの物まである。

 異臭の理由はおそらくそれだろう。

 私は賞味期限が切れているハムを手に取った。

 「彼女に触るな!!」

 と学くんは私の手からハムを無理やり奪い取った。

 「彼女?! 何言ってるの?」

 「大丈夫? 怪我は? どこも痛くない?」

 私の言葉を無視して彼はハムを心配そうに見つめ言葉をかける。

 私達が付き合ってた頃、私が転んで膝を擦りむいた時も彼は同じように私を心配してくれた。

 彼にはハムが女性に見えているのだろうか?

 やっぱり……私と別れたせいで狂ってしまったのだろう。

 だが、彼の目を見てそれは違うと分かった。

 彼の目は正気の目……。

 恋をしている純粋な目をしていた。

 そして目以外は不気味な見た目をしていた。

 彼は恋をしているのだ、大量の食材に。

 いや……この様子は惚れさせられたというのが正しいのか?

 彼の心は回りの野菜、果物、魚類、菓子、調味料にまで恋をしている。

 新鮮なものから腐ったものまで……。

 ドロドロに溶けたチョコレートには12個の指輪が添えられるくらいだ。

 私はすごく心の優しい人を追い詰めたのだと痛感した。

 「帰ってくれ、君はこの娘達には拒絶せれている!」

 学くんは私を睨み付ける。

 「で……でも」

 「出てけ!!」

 彼の目が鋭くなる。

 今にも刺し殺しそうな……鋭いナイフを突きつけるような目だ。

 私は「ひっ……」と怯え後退りをする。

 「彼女達も言っているだろう! 早くこの場から消えろ! 2度と僕の目の前に現れるな!」

 彼は私に詰めより、私はそのまま家の外に押し出された。

 彼の……彼らの? 圧に押され私は閉じられた扉の前で過呼吸気味に呼吸をしていた。

 私は……どうすれば良かったのだろう?

 (もうわからないよ……)




 *



 私は公園のベンチに1人で座っていた。

 とにかく今は1人になりたかった。

 公園の時計は18時25分……。

 この時間、ここに近づくのは近くを通学する学生か、買い物帰りの主婦くらいだろう。

 こんな近づいたらめんどくさい事に巻き込まれるような女には誰も寄り付かないだろう。

 私……最低最悪だ。

 彼がこんな事になるまで追い詰めたんだ。

 本当に死んでしまいたくなる……。

 彼の言葉のように……この場……この世界から消えてしまいたい。

 こんな私に2度と恋愛なんかできないだろう。

 大切な人を壊してしまうような女。

 居なくなってしまった方がいい。

 助けを求める友人なんてものは居ない。

 大学でも今まで地味だった女が派手になっただけで、誰からも声をかけられなかった。

 親とのコミュニケーションも大学に行ってからほとんどしていない。

 つまり、私は誰からも必要とされてないんだ。

 頭の中、心の中が死で満たされていく。

 あぁ、自殺する人の心の中はこんな感じだったんだ。

 もう死ぬ事以外考えられなくなって、それが最善の手だって思うんだ。

 実際私もそう思ってる。

 そして決行するなら今だとも思っている。

 私はペンケースからカッターナイフを取り出す。

 カチカチカチ……という刃を出す音が死刑台を昇る足音に聞こえる。

 私は死ぬことでしか償うことができない。

 というか償う方法がそれしか見つからない。

 私は手首に刃を当てた。

 息が荒くなる。

 「あはは……ごめんなさい……ははっ……ごめんなさい」

 彼への懺悔と共になぜか笑い声も出る。

 償いになるかも分からないけど、初めて私を大切に思ってくれた男の子を傷つけた罰。

 これくらいしなきゃ……。

 私はカッターの力を強めた……。

 「おっと……危ない」

 カッターナイフを持っていた右手を男が掴み、私は片腕を上げている状態になった。

 私の自殺を止めたのは白い肌をした美しい男性、チューリップハットに明治時代頃のような着物を着た麗人だった。

 「……!! 離して! 離してよぉ!!」

 私は死ぬ為に抵抗をする。

 普通は生きる為にやるものだが、とにかく私は死に逃げたかったのだろう。

 男は私の抵抗をものともせず手を掴みながら冷静に話した。

 「落ち着いてください。あなたからも気配がします。あなたの身の回りに様子のおかしい、もしくは対処できない病気の方はいませんか?」

 私はその言葉を聞き、抵抗をやめた。

 明らかに学くんを指す言葉だったからだ。

 なぜその事を知っているんだろう?

 「……あなたは、いったい?」

 「私の名前は、水無泡一郎みずなし ほういちろうといいます。それと質問を質問で返さないでほしいです」

 ため息をつきながら泡一郎は私を見つめる。

 「もう一度聞きます。あなたの身の回りに様子のおかしい、もしくは対処できない病気の方はいませんか?」

 彼の目は吸い寄せられそうな目をしていた。

 そこに吸い寄せられるように私は事情を泡一郎に吐き出していた……。



 *



 「なるほど……そういった事が……」

 泡一郎は顎に指をあて少し考えたあと。

 「という事は……念の為っと」

 指をパチン! と鳴らした。

 するとそこにシャボン玉が現れた。

 泡一郎が指を動かすと、それに従うようにシャボン玉は私の方へ飛んできた。

 シャボン玉は私の回りをくるくると回ると、透明な内部に黒いモヤが溜まっていった。

 「な……なにこれ?」

 「アルゴノイアウイルス……聞いたことはありませんか?」

 アルゴノイアウイルス……テレビでもよく特集されるウイルスだ。

 感染リスクは低いが1度感染すると未知の病に犯される。

 とても危険なウイルス……しかし。

 「数年前から現れたウイルスですよね。確かワクチンが開発されたはずですよ」

 いつ発明されたかハッキリとは覚えてないが、ワクチンが作られているのは確かだ。

 「確かに作られてはいるね……。でもあれは不完全なんだ。君の体についているというのと、君の彼氏に症状が出たのが証拠」

 泡一郎の手に戻ったシャボン玉は真っ黒に染まっていた。

 私の体にこんなにウイルスが……?

 「これは僕の能力、名前を『エナジー・フロウ』と言うんだ」

 泡一郎がまた指を鳴らすとシャボン玉の中身が透明になり、パチン! と割れた。

 「僕だけが、アルゴノイアウイルスを完全に消す事ができる。まあ、君が望まなければ僕はそのまま消え去るけどね。どうする?」

 「お願いします!」

 私は即答した。

 私が大切な学くんの病が直るのを望まないわけがない。

 さっきまで死のうとしてたんだもの。

 学くんが元に戻るならなんでもできる。

 なんだってできる。

 「そう、ならば案内してくれるかな? 君の彼氏のもとへ」

 「あの……」

 私は疑問に思った。

 普通の医者なら代金をもらうはず。

 というか、なんのみかえりも求めない医者なんて居るはずがない。

 神様でもない限り。

 「もしかして、体で払う……だとか考えたのかい? 君、漫画やドラマの見すぎ。僕は直したいんだ。アルゴノイアウイルスに苦しむ人々を。それが僕ができる贖罪だからね」

 そう言った泡一郎の目には決意に満ちたものがあった。

 彼の贖罪については分からないが。

 「あ、詮索はしないでくれる? 君の命の為にも」

 「え?」

 「いや、贖罪ってなんだろう? って顔してたからね。一般人にはどうしようもできない事さ。ま、気にしないでさっさと案内をお願いするよ」

 ……おかしな物言い、少し腹が立つ……。

 でも彼を救うことができるなら変人にもすがるわ。

 私は泡一郎を学くんの家に案内した。




 *


 

 泡一郎と学くんの家に戻ってきた。

 先ほどの出来事からは1時間と15分経っていた。

 もしかしたら扉を開ける事なく追い出されるかもしれないが、彼を救う為にも絶対に開けてもらう。

 私がチャイムを押そうとした時、泡一郎はドアノブを掴みガチャガチャと動かしていた。

 「ちょっと! 何してるんですか?!」

 「鍵がかかってますね……吉江さん、離れて」

 「『エナジー・フロウ』……」

 と囁くようにシャボン玉を出す。

 シャボン玉は少しずつ扉へ近づいていく。

 そして扉に触れそうになった瞬間。

 「……キュー」

 と泡一郎が答えた瞬間。

 シャボン玉が光り、大きく爆発した。

 「キャッ!!」

 私は思わず叫んだ。

 爆発した後から煙が出て何も見えない。

 泡一郎が手で煙をはらうと、煙が晴れ、そこにあったのは破壊された扉だった。

 「これで入れるね」

 壊れた扉を横目に私達は学くんの家に入って行った。

 リビング……いや家具を捨てたからリビングだった場所の真ん中に彼はいた。

 学くんは新鮮な食材と腐乱した食材の両方を守るように抱き締めていた。

 「吉江! なんだこの男は!? 殺し屋でも雇ったのか?」

 学くんの目には殺気がこもっていた。

 「なるほどな……嫉妬しているんだろう! この娘達のように美しくないから! お前は醜いからな! だから全ての娘達を殺して僕をひとりじめする気だな!」

 「……そうだよ」

 彼の言葉が私の心に深々と突き刺さる……。

 でも実際、私はあなたをひとりじめしたい。

 だから私は……そう答えたんだ。

 「学くんをひとりじめする為に、私はお医者を雇ったんだ。あなたは病気なのよ。この娘達はただの食材よ! 早く正気に戻って!」

 「僕は……正気だぁぁぁぁぁ!!」

 学くんが狂気の沙汰といわんばかりの表情で私に掴みかかろうとする。

 しかしその直前。

 学くんの腹を泡一郎が殴っていた。

 「おごぉ……」と言って学くんは後ずさる。

 「やはり……大した力もない。痩せ細っているから弱らせるのは簡単だね」

 「ぐぅ……おぇぇぇ……」

 学くんは膝から崩れ落ちえずいた。

 「さあ、さっさと済ませよう」

 と泡一郎が指を鳴らそうとした時。

 「彼に触るな!!」

 と少女の叫び声がした。

 「な……何?」

 私の体に寒気が走る。

 すると部屋中の食材から殺気がした。

 なんで彼を傷つけるの? あなたはいらない。あなたは過去の人。嫌い嫌い大嫌い。あなたは敵。どうせ横に居る男とさっきまで楽しんだんでしょ? アバズレに男は簡単に寄り付くからね。哀れな女。これが前の彼女? 彼が可哀想。こんなひどい人に騙されてたんだね。なら壊さなきゃ。殺さなきゃ。抹殺しなきゃ。私達はもうすぐ力を得るよ。あなたを守れる力よ。愛ってすごいよね。愛があればなんでもできるの。愛はガソリン。愛は空気。愛は水。愛は……食材わたしたち。私達の愛を邪魔する奴は絶対に許さない。有罪! 極刑! ギルティ! ギルティ! 死刑死刑死刑死刑!! 汚れたアバズレ娘と小汚ない白い男に死を与える! これは私達からの贈り物。私達の大切な彼を傷つけようとしたあなた達に贈るレクイエム。さぁ、安心して眠りなさい。永遠に。安らかにぃ!!

 「何……この声? ……ひっ!」

 なんと声と共に食材の輪郭も歪んできていた。

 私は驚き動けなくなった。

 「成長が早い……聞くのも読むのも気持ちが悪いですね。このままじゃまずいです……ここは手荒になりますが……やるしかないですね」

 泡一郎は両手を合わせ強く握る。

 「『エナジー・フロウ』!」

 泡一郎が手を離すと大量のシャボン玉が現れた。

 「散れ!」

 手を広げると、シャボン玉はあたりに散っていく。

 「ねぇ! 何をしているの?!」

 「このまま食材ごと消し飛ばします!」

 「そんな!? でも学くんが!」

 「大丈夫です! 彼を巻き込まないようにします!」

 食材達は少女の見た目へと変化していく。

 このまま動き出してしまいそう……。

 もう泡一郎に任せるしかない!!

 「いきます!! 雷音陰楽五頭ライオットインラゴス!!」

 泡一郎が手を叩くと空中に漂うシャボン玉達に電気が走り、回りの食材達を攻撃し消し炭にしていった。

 ジジジジ! という強い電流の音と複数人の幼い女の子の断末魔が部屋中に響き渡る。

 痛いぃぃぃ! 焼けるぅぅぅ! 死にたくない!

 ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

 学くんはうずくまり体をピクピクさせていた。

 痛みのあまり動きたくても動けないのだろう。

 そして……全ての食材が灰になった。

 「そんな……僕の愛しの……うぅぅ」

 学くんは情けなく泣き出してしまった。

 そんな彼に歩みよりしゃがむ泡一郎。

 「さて、仕上げです」

 泡一郎は学くんの顎をつかんで口を開けさせる。

 指を鳴らしシャボン玉を出し、学くんの口の中へと入れた。

 「これでよしっと……」

 泡一郎がゆっくり学くんの頭を地面に置き下がる。

 すると、学くんの体がビクビクと波打つように動き出した。

 「学くん!!」

 「大丈夫です。後はこのまま治ります」

 飛び出そうとした私を止め泡一郎は学くんを見つめる。

 学くんは波打ちながら膝立ちになる。

 そして顔を上げたその時。

 彼の口の中から大量の黒いシャボン玉が現れた。

 まるでホラー映画のエクトプラズムのように。

 そして全て吐き出し終わった後、彼は糸が切れた人形のように倒れた。

 部屋の天井には大量の黒いシャボン玉が浮いていた。

 それを確認し、泡一郎は指をパチン! と鳴らすと天井中のシャボン玉が一斉に割れ7色の光が降りてきた。

 私は思わず「綺麗……」と呟いていた。

 7色の光が消えた後、私は学くんに駆け寄った。

 「泡一郎さん! 学くんは!?」

 「これで完治しましたよ」

 「え!?」

 「吉江さん。病気というのは治るときは意外とあっさりなんです。目が覚めたら彼は元通りになってますよ」

 本当に治ったかは不安だったが、安心した顔で眠る学くんを見たら、大丈夫……と思えた。

 「さあ、あとは2人の問題です。部外者は去りますよ」

 「あの!」

 と顔を上げた頃にはもうすでに泡一郎はいなくなっていた。

 私は開いている扉に向かいおじぎをした。

 「ありがとうございました!」

 急に現れて、パッと消えていく……。

 なんだか……本当にシャボン玉みたいな人だったな……。

 いや、人だったのかな?



 *



 読者の皆さんはじめまして。

 水無泡一郎です。

 少々読みにくい所もあったと思いますが、それは作者が未熟なだけなので、そこは柔らかな目でお願いします。

 さて、今回の話は食材が少女に見える男の話でした。

 なぜ食材が煮られ、切られ、焼かれるのは平気なのに、それが人に変わっただけでグロテスクだの、惨いだの言われるのか……。

 擬人化とはよく聞きますが、愛玩動物や家電、野菜などはよし。

 なのにそれが解体、調理となると気持ち悪い、悪趣味、または風刺になるのでしょう。

 恐らくですが、同族嫌悪の意思と似ているのでは? と僕は思うのです。

 自分がされると嫌な事だから。

 この世にとっては悪な事だから。

 ま、どう思うかは個人の勝手ですが。

 ……ん? 学と吉江はこの後どうなったか?

 さあ? 僕に聞かれてもわかりませんよ。

 なにせあの事件のあと会ってませんから。

 つまりは……ご想像にお任せというものです……。

 まあ幸せになろうが別れようが。

 それは僕にはもう無関係なので……。

 それでは読者の皆さん、またどこかで会いましょう。

 水無泡一郎でした……。


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泡沫奇談 ~甘い血~ 睡蓮麗雛 @suirenreisu

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