エピローグ
夏休みも終わりを迎え、登校日がやってきた。
怠惰な日々に慣れきってしまった気怠い体を動かして学校に向かうと、校舎に近づくにつれて生徒の姿が多くなる。
そして、みんなは俺の存在に気づくと、遠巻きからチラチラと見たり近場の人とひそひそ声で話したりする。夏休み直前みたいに挨拶をかけてくる人は皆無だ。
──またこの殺伐とした雰囲気の生活に逆戻りか。
人気者になって自分の時間を奪われるあの生活も大変ではあったが、やっぱり人から向けられる感情は好意的であったほうが断然いい。
誰からも好かれるとまでは言わないから、せめて気兼ねなく会話できるようになれれば嬉しいんだけどな。
叶いそうにない願望に嘆きながらも、校門を抜けて昇降口に行き、下駄箱を開ける。
「…………」
俺は上履きを取り出そうとしたところで動きを止め、辺りを見回す。
廊下側にいた女子二人と、昇降口にいた男子は俺と目が合うと、そそくさと立ち去っていく。
それにしても、怪現象前はこんなに視線を集めていただろうか。
声をかければ怯えられるぐらいにはまだ不良の噂は残っているものの、先輩やリョウたちが接してくれるようになってだいぶ落ち着いたと思っていたが。
それが今は行く先々の全員が俺を見てくる。久々の学校で俺が過剰に反応しているだけか。
違和感を覚えつつも、教室に行く。
すると、室内に足を踏み入れた瞬間に、教室にいた全員の目が俺のほうに向く。
「な、なんだ。全員して俺のほうを見て……」
もしかして何か仕出かしたか俺……!?
頭の中で自分の行動を顧みていると、みんなは戸惑った様子でお互いに顔を見合わせる。
やがてその中から一人が歩み出てくる。学級委員長の
「
「え?」
「
「えっと、まずは落ち着いてくれ。話の流れが見えないんだけど」
「その……入学式に起こった
「────!?」
それが本心であることを示すように、この場にいる全員がきまりが悪そうな暗い表情だ。
なぜ真実が明るみになっているのか。またヒロインズプレイによる怪現象が起こって……。
「ネットの学校掲示板に、ある書き込みと音声がアップされたんだよ」
背後から声が聞こえてきて振り向くと、そこにはリョウと
俺が質問を重ねる前に、リョウは自分のスマホを操作して俺に渡してくる。
画面に映されていたのは
『マジでウケるよね。僕がちょっと被害者を演じただけでみんな騙されるんだから』
『あの正義漢のバカな新入生、
『僕の遊びを邪魔するからこんなことになるんだよ。めっちゃいい気味』
──と、犯罪自慢をするかのように事件の詳細について悠々と語っている。確かにこれを見れば俺の不良の噂に疑念を抱くのも頷ける。
「アップされたのは夏休みの終わり頃らしいな。オレも今日学校に来て初めて知ったんだ」
「
「わたしも
「そうか……」
これは本人に聞いてみるしかないな。
俺はリョウにスマホを返して、
「
***
学校の屋上で待っていると、スチール製の扉が開いて
俺は開口一番に言った。
「バカだろ、お前」
狡賢くて慎重なこいつがあんな決定的証拠を盗聴されるわけがない。つまり自演自作。あれだけべらべらと喋っていながら
「こんな所に人を呼びつけておいて、最初に出る言葉が悪態なんてとんでもないやつだね。小学生に戻って道徳を学び直したほうがいいんじゃないか」
「お前に言われたくない。それよりもあの書き込みと音声は何なんだ?」
「一体何のことを言ってるのか分からないね」
「すっとぼけんな。なんで懺悔みたいな真似したんだよ?」
「他人に同調しか脳のないバカどもにはあれぐらい分かりやすくしないと伝わらないからね」
「じゃなくて、あんなことしたらまた嫌われ者の生活に戻るぞ。お前はそれでいいのかよ」
怪現象で嫌というほど経験しているはずだ。しかもこの話が家庭にまで及べば余計に両親からの束縛が大きくなるかもしれないのに。
「何度も言ってるけど、僕は気にしてない。気弱な君と一緒にしないでもらえるかな」
「人が心配してやってるのに」
「余計なお世話だよ。君との遺恨を全部終わらせて関係を断ち切りたかったからやったことなのに、無駄な気を回されたら意味ないじゃないか」
「俺だけが助かっても寝覚めが悪いだろ」
「君、言ってることに一貫性がないよ。前は僕がのうのうと暮らしてることを嫌ってただろ」
「あの時とは状況が変わってるだろうが」
「そうだね。君が勘違いして僕たちの邪魔をしなければこんな事にはならなかったのにね」
「こいつぅ……」
まったく、ああ言えばこう言う。素直にケジメをつけたかったと言えばいいのに。
それは
「本人がああ言ってますし、実際に
「でもよぉ」
「大丈夫です。わたしが孤立させないよう計らうので」
「勝手に庇わないでくれないか。君を巻き込まないようにした僕の労力を無駄にする気かい」
「だってわたし、
「僕のどこを見たら寂しがり屋なんだよ。勘違いも甚だし……」
「あれぇ? わたしのことが忘れられなくて入学式の日に
「……っ、あれは中学の後輩をたまたま見かけたから声をかけただけで他意はない。君が過剰に反応したから話がややこしくなっただけで……」
「の割には、
「なんでそうなる!?」
「宿泊終わりに連絡先を交換してほしいって言ってきたしー、あと長文で謝罪もしてきたしー」
「
「
どうやら捻くれた
でも、こうやって軽口を叩け合える日がくるとは思ってもみなかったな。
口元を緩める俺を、
「とにかく! これで僕と
「はいはい。分かったよ」
二人の姿が扉の向こうに消えて、場に静けさが戻ったとき。
「素直じゃないねー」
ここまでずっと傍観者でいた先輩がそう軽い口調で言った。
「そうですね。本当に
「
「え、俺ですか?」
「うん。だってもし
「…………」
「ほら、素直じゃない」
やっぱり好きな人の前では本心を隠せないみたいだ。
なんだか認めるのが嫌で言葉に詰まっていると、先輩は何やら俺の目の前に歩み寄ってくる。
両腕を伸ばして俺の後頭部に手を触れさせて────そのまま自分の胸に引き寄せた。
顔面に柔らかい感触と温もりが伝わってきて頬が熱くなる。
「せ、先輩。いきなりなんで……?」
「なんか急にぎゅってしたくなっちゃった」
「人目がないにしても恥ずかしいですよ……」
「私にぎゅってされるのイヤ?」
「イヤじゃないですけど……」
「なら、いいの。……
優しい語調でそう言って、優しく俺の頭を撫でる。
その想いやりに溢れた言葉は、俺の心に届いて揺らす。これまで不当な扱いを受けてきた学校生活の記憶が頭の中によみがえり、走馬灯のように流れていく。
「……泣きそうになるので優しい言葉をかけるのはやめてください」
「泣いちゃおう。悲しみや
「制服が濡れますよ」
「気にしないで。前の時は私がいっぱい泣いて濡らしちゃったからね、お互い様だよ」
「…………」
先輩の体温を感じるたびに、じわじわと目頭が熱くなり、瞳が潤んでくる。声だけは我慢しようとしたが、完全には止められずに小さな嗚咽が口から漏れる。
少しも気にしていないようにカッコつけたかったのに、やっぱりダメだった。
今も、これまでも俺は先輩に甘えてばかりだ。
しばらくの間、俺は先輩の胸で泣き続けた。
やっと心が落ち着いた時には、激情は少しの羞恥に変わっていた。
俺はゆっくりと先輩の胸から顔を離す。
照れくさい感情のまま、深く抱いた気持ちを伝える。
「俺。先輩と出会えて本当に幸せです」
先輩と出会っていなければ、きっと俺は今でも孤独の毎日を過ごしていた。先輩がずっと傍で支えて、励まして、笑っていてくれたからこそ、今こうして明るく生きていける俺がいるんだ。
「うん。私も
惚れ直してしまいそうになるほど満面の笑みを浮かべる先輩。
これからも俺たちの関係は変わらない。お互いに支え合いながら一緒に歩んでいこう。
温かな場の余韻に浸るようにはにかみ合ったあと、先輩は照れ隠しするように息をつく。
「これから
「今でも結構してると思いますけど」
「もっとしたいの。だって
「普通に恥ずかしいだけです」
「年上彼女の身としては遠慮せずにべったりしてきてほしい」
「年下にだって彼氏としての威厳ってものがあるんです」
「片意地を張ってると後悔するよー。私、来年の頭には卒業しちゃうからね」
「う……悲しくなることを言わないでくださいよ」
「そうとは限らないよ。よりこの時間を大切にしようって思えるんだからね。それに近い将来には普段の生活の中でも一緒にいるようになるんだし」
「そ、それって……」
「あ、照れてる〜。一体何を思い浮かべたのかな〜」
「もうっ、からかわないでください!」
穏やかな会話の途中で、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴る。
「あ、もうそんな時間なんだ。でももっと
「その恋人を試すような質問はズルいですよ。俺は不良生じゃないですからサボりません」
「ふふっ、そうだね。じゃあ、イチャイチャタイムの続きはお昼にしよっか」
柔らかく微笑み、俺の手をぎゅっと握って引っ張ってくる。
「ほら、行こ。
「はい。先輩」
俺は返事をして、先輩と同じ足取りで歩き出した。
過ちの邂逅と、不器用の君 浅白深也 @asasiro
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