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お察しかと思いますが、生まれてこの方、人付き合いというものをまともにしたことがありません。
人の機敏に反応のできない私は、小学生の頃から学校という人間関係を学ぶ社会縮図に全く適応できていない、所謂はぐれものでした。
坂本くんというイレギュラーはあれど、高校生活においても、それは相も変わらず。
だから、なのでしょうか。
彼の行動が全く、理解できないのは。
「おはよう、倉橋さん」
いつもの変わらない朝の挨拶です。
坂本くんが鞄を大きく掲げて、自らの顔を隠していなければ。ドラマとかでよくある下手な尾行をする刑事のようです。
もはや質問をするのも面倒でした。私は、おはようございます、とだけ返します。その間も彼の顔は見えません。
……どうやら、また何か始まったらしいです。
☺︎
すぐに終わるかと思われた彼の奇行は、ところが一週間まるまる続きました。
彼の奇行は一貫して、私と顔を合わせないこと。
まず、朝の挨拶。
「おはよう、倉橋さん」
「……はい」
ひょっとこのお面を装着した不審者が、片手をあげていました。当然ですが、クラスメイトも無反応です。クラスに不審者がいることを受け入れています。
ええ、ええ。
これくらいは彼の前科があるので、さすがの私も動揺しません。しかし、彼の奇行は朝の一件だけでは収まりませんでした。
次に、英語の授業の読み合わせです。
「……、あの。坂本くん」
「なに?」
「それ、読み辛くありませんか」
「……いや、全然」
教科書と顔との距離、目測で5センチです。絶対見えないと思うのですが。
読み合わせの間、私は教科書の表紙に描かれた、ひょうきんな顔をした外国人に「What's up?」と問いかけ続けられることになりました。表現しがたい複雑な気分でした。
はたまた、教室のドアで鉢合わせした時。
「……」
「……」
床一面に散らばったプリント。
そして、向かい合う私と坂本くん。
私が教室のドアを開けた時、偶然向かいにいたらしい坂本くんとぶつかってしまい、反動で2歩後ろに後退しました。ぶつけた額を押さえつつ、すいませんと表をあげた瞬間です。
バサバサ! と勢いよく、私と坂本くんの間にプリントがぶち撒けられます。
何事かと狼狽えましたが、どうやら坂本くんが手に抱えていたプリントを手放し──唐突に両手で顔を覆ったせいらしい、と気づきました。
今、ガラ空きの彼の腹部にボディーブローをかましても許される気がしてきました。殴ってもいいでしょうか。
「どうした? ……あちゃー」
顔を覆い隠す坂本くんの後ろからひょっこりクラスメイトの男子が顔を出します。名前は確か……糸井くんです。坂本くんと談笑しているところを見かけたことがあります。
「ごめんね、倉橋さん。道塞いじゃって」
「……いえ」
散らばったプリントを拾う糸井くんに倣って、私も拾い集めます。落とした当の本人は、顔を覆い隠して直立していました。
なんなんでしょう、一体。ニュース番組でよく見かける、逮捕された犯人が警察署に連行される際のモノマネでしょうか。細かすぎて伝わらないと思うのですが。
「こいつのことは、気にしないで〜。急に将来の不安感に襲われて、人生に絶望してるだけだから」
「……それは、お気の毒に」
「日本社会って大変だよね〜」
糸井くんの無理のある言い訳を飲み込んで、私は頷いたのでした。
☺︎
一言で言いましょう。
坂本くんが、変です。
いくら人の機敏に鈍いからといっても、流石の私も察します。
どうやら、私は坂本くんに避けられているようです。
……いえ。だからと言って、どうということも無いですが。こんなことは、慣れたものです。
何せ、私は”背後霊”と呼ばれていた女ですから。
人から避けられることも、一度や二度ではありません。きっと私の行動や言動に思うところがあったのでしょう。
最初は、誰しも私に友好的に接してくれるのです。
けれど徐々に私が”つまらない人間”だと気づいて、離れていくのです。だから、彼らに罪は全くありません。気の利いたジョークが何一つ言えない私が悪いのです。
坂本くんも、そうだったということでしょう。
彼はいきなり奇行に走る困ったところがありますが、気さくで親しみやすく陽だまりの中で生きるのが似合うようなひとで、無口で愛想笑いもできない私と会話するより、優先すべきことが出来てきたに違いありません。
そもそも、席が隣同士にならなければ言葉を交わすこともなかったはずなのですから。本来あるべき姿な戻ったというだけです。
だというのに、何故でしょう。
胸の奥に何かつかえを感じるのです。小骨が喉に刺さったような。
……ああ。思い出しました。そうです。
キヨコです。
坂本くんがクラスメイトたちと会話している時、盗み聞きした会話の中で、坂本くん自身が言っていたではありませんか。何故今の今まで忘れていたのでしょうか。
私は、キヨコさんにそっくりだと。
それは、つまり。
☺︎
「──倉橋さんって、坂本と別れたん?」
「ちょ、急に何言ってんの早川!」
軽快に続いていたラリーが、早川さんの一言によって途切れました。
クラスの女子の中でも、長身でショートカットがよく似合うスポーツ少女、
それを拾い上げて、軽く投げたボールをアンダーで丹生さんに返しました。
「そもそも付き合ってないです」
「付き合ってなかったの!?」
綺麗に放物線を描いて、ボールは再び地面に落下します。ああ……我ながらいいパスだと思ったんですが……。
現在、体育の授業。
体育館内を天井から垂らされた大きなネットで半々にしきり、女子がバレーボールを、男子がバスケットボールをやっている真っ最中です。
パス練習のペアが組めずあぶれた私を、近くにいた早川さんが迎えてくれたのです。優しい人かと感謝していたのですが、察するに、先ほどの質問がしたくて私を誘い入れたようです。
「どこ情報ですか、それは。誤情報にも程があります」
「どこってー……クラスの女子は皆噂してるよ。坂本が振られたって」
「ちょっと、早川! ごめん、倉橋さん。この子、ゴシップに目がなくて」
「大丈夫です。お気遣いなく」
「なぁんだ。つまんないの〜。けどさ、少なくとも告白はされたんだよ……ねっ!」
ぽん、と早川さんからボールが回ってきます。
「されてないです」
「されてないの!? あっ、ごめん」
再び乱れたボールを早川さんが難なく拾い上げます。
「少なくとも坂本は、めっっちゃくちゃ好きだと思うけ、どっ!」
「──」
早川さんの言葉が飲み込めず、ボールをそのままキャッチしまいます。しばらくボールを見つめ、改めて問いかけました。
「誰が、誰を?」
「坂本が、倉橋さんを」
「……笑うところですか?」
「いや、ガチ」
「……」
丹生さんの方を向きます。
彼女も、あ〜と少し考えるようなそぶりをした後、頬を掻きました。
「それはあたしも同意、かな」
丹生さんまでもが、早川さんのとんでもない意見に同意してしまいました。今までの坂本くんとのやりとりを浮かべ、何度か検討してみますが、やはり揺るがない結論に至ります。
「それはないと思います、絶対に」
「ほ〜、その根拠は?」
「……」
無意識のうち、ボールを持つ手に力が入ります。
またです。胸の奥をいいようのないもやもやが掠めました。
「……私、昔の女にそっくりらしいので」
「えっ!? 坂本って彼女いたの?」
「はい。キヨコさんという方が」
私の答えを聞いた早川さんと丹生さんが、微妙な表情で顔を突き合わせています。
何かおかしな事を言ってしまったでしょうか……?
丹生さんがこちらの様子を伺うようにして、口を開きます。
「あの、倉橋さん……キヨコって多分、」
「まあまあ! 落ち着きな、丹生ぅ! あくまで倉橋さんがそういうならさ、ちょっと試そうや」
丹生さんの前にぬっと片手を出して、言葉を遮った早川さんがにっこり笑います。タレ目も相まって、ひと含みもふた含みもありそうで、身構えてしまいます。
「倉橋さん、こっちきて」
「?」
手招きされるがまま、早川さんのすぐそばまで寄ります。すると、彼女は私の腕に自分の腕を絡ませ、さらに密着してきます。
口元に手のひらを当てて、私の耳元へ──
「さっ、坂本ーーーーー!!」
突然の叫び声で、体育館の中にざわめきが起こります。
どうやらトラブルが起こったのはネットを挟んだ向こう側。バスケットボールをやっていた男子の方です。
先生が男子に囲まれた輪の中を割って入っていきます。その時、床に大の字で倒れ込む坂本くんの姿が隙間から見えました。その付近にはバスケットボールが転がっています。
……何故でしょう。嫌な予感が。
「どうしたんだ、坂本は!?」
「よそ見してて顔面にボール食らいました」
「おい、立てるか?」
「だ、大丈夫……です」
「ああ、頬が赤いな。一旦保健室行ったほうがいい」
ビクッと肩が震えます。
私はそそくさとその場を後にしようとしますが、早川さんの腕に阻まれます。早川さんのしたり顔を見た瞬間、確信しました。
「保健委員はいるか? 坂本を連れてってやれ」
「はーい! 保健委員、ここでーす!」
勝手に私の腕を持ち上げて、早川さんがひらひら振ります。何食わぬ顔で、です。
完全にハメられました。早川さんに。
隣の席の坂本くんが今日も私を笑わせてくる。 春永チセ @haruhare_09
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