華麗なる吸血姫アンジェリカ・ブライトと、とある平凡な少年の平凡で幸福な顛末

片月いち

華麗なる吸血姫アンジェリカ・ブライトと、とある平凡な少年の平凡で幸福な顛末

「ふふふ。いい月夜です」



 草木も寝静まるうし三つ時。大きな屋敷のテラスに出て、月を見上げる美しい女がいます。

 女の口元に見えるのは鋭くとがった妖しい牙。

 そう、それがわたくし。吸血鬼の姫――吸血姫きゅうけつきアンジェリカですわ。


 吸血鬼は生まれつき魔力や知能が高いため、他の魔族や魔物を率いる高貴な存在として知られています。

 今でこそ数を減らしましたが、その影響力は今も残っている。わたくしはそんな吸血鬼一族の末裔まつえいなのです。


 高貴なる一族であるわたくしたちは、人里から離れた山奥に自分たちの住む屋敷を建てました。石造りのお城ともいえるほど立派なお屋敷です。そこで、毎日あくせく働く人間たちを横目に、自由かつ快適な生活を営んでいました。

 まあ、人間ごときとでは生き物として格が違うのですわ。オーホッホッホッホ。


 ふと視線を移して振り返れば、私の少し後ろで片膝をついて待機している、給仕姿の女中がいます。

 彼女の名はマリアンヌ。この高貴なるお屋敷で、私以外に住むことを許された唯一の召使です。とても有能な女中で、わたくしの生活をいつもサポートしてくれますわ。

 そうそう、彼女は魔族の娘ですわ。か弱く、下賤げせんな人間などは不快なだけですもの。



「さて、マリアンヌ。とりあえずわたくしが眠っている間にあったことを教えてくださる?」



 まずは貴女の報告を聞かせてちょうだいな。華麗なる吸血姫にぴったりな、血みどろで陰鬱いんうつな、うっとりするほど暗い報告を……。



「あ、すみませんアンジェリカお嬢様。このあと1ヶ月お休みをいただきたいんですけど」

「なんでそれ今言うんですの?」



 マリアンヌはしらっとした顔で平然と言い放ちます。

 もう、せっかく格好よく決めポーズもかましましたのに。台無しじゃありませんか。

 あ、写真を撮っても構いませんわよ。額縁に入れて毎日あがめ奉りなさい。



「ちなみにどういった用ですの」

「いやあ、親戚の法要がありまして」

「あらそうなの。なら仕方ありませんわね」



 華麗なる吸血姫たるもの、召し使いにも器の広いところを見せないといけませんものね。

 これくらいは仕方ないでしょう。



「たしかウチのひいひいじいちゃんの奥さんの祖母の第4721回忌ですかね」

「それ、ホントに行かないといけません?」



 などと会話をしつつ、マリアンヌはすでに旅路の準備を済ませていました。

 四角い革鞄を片手に手を振ります。



「それじゃあ行ってきます。あ、おみやげ何がいいです?」

「え。……じゃ、じゃあイチゴ大福をお願いします。わたくし、あれ好きなの」

「はあい。それでは行ってきます。あ、お嬢様一人じゃなにも出来ないと思うので代役置いていきますから。安心してくださいね」



 うっさいですわ。確かにわたくしは家事は不得手ですが、留守番くらいできます。

 あれ? ここ、わたくしのお屋敷ですわよね? わたくしがあるじですわよね?



「……さて。代役とはいったいどなたかしら」



 ウチの女中は彼女ひとり。ひとりでお屋敷のいっさいを請け負っているので助かっていますが、あまりに有能すぎて代わりになれる者が今までいなかったのです。


 ……決してわたくしが役に立たない無能ということではありません。



「まったく、わたくしを子ども扱いして…………って、あら?」



 気がつくとわたくしの隣に別の誰かが、膝を突いて頭を下げています。この子がマリアンヌの言っていた代役かしら。

 見た感じ、幼い少年のように見えますが、吸血鬼や魔族といった種族は見た目で年齢を測れません。


 わたくしの視線に気づいたのか、子どもの肩がぴくりと動きます。

 そうしゆっくりと顔を上げて……、



「あ、アンジェリカお嬢様。マリアンヌ様から聞いておいででしょうが、ボクが代役の……」

「え? あなた……」



 わたくしはその子の正体に気づいてしまいます。

 ああ、マリアンヌ。なぜこんな子をわたくしの召し使いに選んだんですの。



「? どうしましたかお嬢様」

「な、なんで人間がいるんですのーーーーっ!?」



 これが、華麗なる吸血姫であるわたくしと、これから奇妙な縁を築くことになる平凡な人間の子どもとの、最初の出会いだったのですわ。







「で、なんで人間がここにいますの?」



 わたくしは当然の疑問を口にします。わたくしたち吸血鬼や魔族といった種族は、人間とは仲が悪いのです。なぜかは知りませんが、昔から仲が悪かったそうです。



「え、えっと。ボクはマリアンヌ様の代役にとあのお方から直々に命じられたのです」

「でしょうね。ちなみにそれはいつのことですの?」

「昨夜、マリアンヌ様が飲み屋でくだを巻いていた際、「あのババアはこれでも与えとけば十分だろ」と、そのへんを歩いていたボクを捕まえて……」

「あのクソアマ、帰ってきたらぶっ飛ばしてやりますわ」



 なんですかその適当な人選。というかよくもババア呼ばわりしましたわね? いくら私の方がマリアンヌより500歳くらい年上だからって……。


 おほん。そんなことはどうでもいいのです。

 今はこの子の処遇を考えましょう。とは言っても決まり決まってることではありますが。



「マリアンヌの代わりは結構です。とっとと家に帰りなさい」

「え、でも……」

「わたくしに人間の召使など不要です。子供は家でママに遊んでもらってればいーんですわ」



 というか勝手に人間をつれてきたのがやべーんですの。下手をすれば人間と吸血種との戦争になりかねません。親に気づかれる前にさっさと帰ってもらうのが賢明でしょう。



「ボクに親はいません。それどころか帰るあても。だからここに住まわせてほしいんです!」

「はあ!? ここは孤児院なんかじゃありませんのよ?」

「それでも、ボクはアンジェリカ様のお側にいさせてほしいんです!」



 なんと頑固なお子様でしょう。

 仕方ありませんわね、ここは吸血鬼モードでおどかしてやりましょう。


 わたくしは抑えていた魔力を表に出し、にょきにょきっと牙を伸ばします。

そうして出来る限り低い声で、



「図に乗るな人間。お前のような下等種族を、高貴なるわたくしの近くに置くはずがないでしょう?」



 ……ふう。これでこの子供もわかったでしょう。

 わたくしは孤高の吸血姫アンジェリカ。人間などが関わっていい存在ではありません。



「アンジェリカ様……」

「二度は言いませんわよ?」

「申し訳ありません。その、お召し物が……表裏でございます!」

「もっとはやく言いなさいなッ」



 最悪です。どうりで今日の服は肌触りが悪いと思ったら、裏返しのまま着ていました。マリアンヌの仕業に違いありません。



「はあ。とりあえず着替えてきます。……その、手伝ってくれるのでしょう?」

「……! はいっ」



 行く当てがないというのなら仕方ありません。多少不本意ではありますが、この子を側に置いておくとしましょう。

 ……決して、ひとりでは身支度もまともできないからではありません。



「ふう……」



 なにげなく窓の外へ視線を向けます。今宵は満月。マリアンヌが帰ってくるまで、月があと一周しなくてはなりません。

 本当にやっていけるかしら?







 とはいえ、いないものはいないので、何とかやっていくしかありません。この奇妙な子供との生活にも少しは慣れてきました。


 子供とはいえ長年仕えてきたマリアンヌが見繕った子供。普通の子よりさといところがありました。

 わたくしの言いつけはすぐに理解し、入ってはならない場所、やっておかなければいけないこと、そのほかわたくしの身の回りの世話を、すぐに覚えていきました。



「アンジェリカ様。朝の紅茶でございます」

「ん。いただきましょう」

「今日はオリジナルブレンドのコオロギと生カエルの茶でございまして……」

「朝からハード過ぎませんか?」



 ……ま、まあ少々クセの強い人間でしたが、わたくしに対する畏敬いけいの念はたしかなものがありました。


 またはこんなこともあり……、



「アンジェリカ様! 大変です、アンジェリカ様のパンツに付いたウンコの染みが取れません!」

「ウンコじゃねーですわ! そういう柄ですわ!!」

「え、……くんくんくん。本当だ! ウンコの臭いがしません!」

「嗅ぐんじゃねえええええええええええええ!!!!」



 ……そ、それなりに賑やかで愉快な日々でありました。


 ある時は、こんなこともありました。



「ハア、ハア、ハア…………」

「あ、アンジェリカ様! どうかしたのですか、お苦しそうで……」

「に、人間には、関係ありません。吸血鬼は、月に一度、どうしても血がすすりたくなる時がくるのです……」



 それは吸血種に課せられた呪いでしょうか。

 乾いて乾いて、飢えて、欲して。頭が狂いそうになるほど、血を求めてしまう時があるのです。

 血を求めるあまり人を襲うモンスターと化し、人間に討伐された吸血鬼も多数いました。



「で、ではボクの血を……」

「バカ言うんじゃありません。人間の、しかも子供の血をすするほど落ちていませんわ」

「でも、それではアンジェリカ様が……っ」



 弱って横たわるわたくしを、子供が心配そうに見つめてきます。

 ああ、そんな顔をするものではありません。思わず、本当に血をすすってしまいそうになるではありませんか。



「では……こうしましょう。もしあなたが大人になって、それでもまだわたくしに血をすすってほしいと思うなら、そのときはあなたの血をもらいましょう」

「アンジェリカ様……」

「ふん。舐めないでくださいな。わたくしは高貴なる吸血姫アンジェリカ。このようなうずき、すぐに抑えて見せますとも」



 顔を上げて、窓の向こうの空を眺めます。月は見えない。この子がやってきて半月ほど経ちました。

 もう半月でマリアンヌも帰ってきます。この子供とも別れの時がくるでしょう。


 それを少し惜しむ気持ちに気づきましたが、そっとフタをすることにしました。







 そして、マリアンヌが家を空けてから一か月後。彼女は大量のお土産を抱えて帰ってきました。

 仕方なく、わたくしみずから彼女を出迎えます。



「おかえりなさいマリアンヌ。どうやらしっかり楽しんだようね?」

「え? ああ、お嬢様ただいま帰りました。いやー、最近のライブはすげえっすね。もう毎日激リピで通いましたよ。私の推しのワーウルフのKYOキョー君が……」

「本当に楽しんでんじゃねーよ」



 何しに帰ったんですのこのクソアマ。法要がどうとか言っていたのは大嘘でしたわね。

 ……まあ、いろいろ言いたいことはありますが、まずは人間の子供の処遇を話さなくてはいけません。



「ではこの子を元の場所に戻してきなさいな。あなたが帰って来たのならもう不要でしょう?」



 そうです。いくら便利で、……多少クセが強くて、それなりに愛着も沸いたとしても、人と人外が共にいるべきではありません。


 人には人の、人外には人外の、それぞれ流れる時間があります。わたくしはこの子が成長し、やがて老いて皺だらけになっても、今と変わらない姿であり続けましょう。

 そんな存在と共にあるのは、この子の、人間の一生として不幸なものに違いありません。


 はっとした子供が口を開きます。



「アンジェリカ様……!」

「何を言っても無駄です。ここは人の住む領域ではない。……人には人の幸せがありましょう。今ならまだ間に合います」



 それが道理というものです。

 大丈夫。この子は聡い。言って聞かせればすぐにわかって……、



「無理です。今さら人間の生活になんか戻れません」

「なぜですの。別になんの問題も……」

「だってボクは…………、あなたを愛しているから!!」



 はあ!?

 何言ってやがりますのこの子は。


 混乱するわたくしをよそに、マリアンヌからの爆弾発言がありました。



「実はこの子、私が連れて来たんじゃないんですよ。この子が自分を連れて行ってほしいって。お嬢様に一目惚ひとめぼれしたって……」

「ひ、一目惚れって、あなた……」



 なんですか。そのしょーもない理由は。

 たしかにわたくしは、戯れに人に化けて人の町を散策したこともありましたが。

 まさか、そのときに……。



「お嬢様は言いました。ボクが大人になったら血を吸ってくれるって」

「いや、それは……」

「だから試してください。ボクが大人になって血を吸ってほしいと思っていられるかどうか、あなたのそばに置いてボクを試してみてください!」



 子供は真剣な眼差しでこちらを見つめてきます。

 ……これは、冗談で言っている雰囲気じゃありませんわね。



「……あなた、名前は?」

「え?」

「側に置いておく者ならば、名前くらい知らないといけないでしょう?」



 仕方がありません。自分で言い出した手前、なかったことにも出来ないでしょう。

この子供の行く末、見届けさせてもらいます。



「でも覚悟しておくことです。吸血鬼に名を握られた者は、もはやただの人間としては生きられない」

「もちろん、望むところです!」



 そうして子供が口を開きます。


 太陽のような明るい笑みを浮かべて告げられた、その名前は――







 ……結局、その子供とは長い月日を過ごしてしまいました。


 ほんの些細な気まぐれ、ちょっとした好奇心。あの時、彼を置いたのはきっとその程度の理由でしょう。

 ですが今となっては、その程度なんて軽々しい言葉で片付けられないほどの日々を積み重ねてきました。

 運命なんてものは毛ほども信じませんが、彼との出会いは、……まあ特別だったくらいは言ってもいいでしょう。


 子供だった彼も大人になりました。

 賭けの結果は……言うまでもありませんわね。彼の首筋にはわたくしの牙のあとが無数についています。

 彼は大人になってもわたくしへの想いを貫き通したのです。


 そうして何度も何度も月がめぐり、年月が過ぎていきました。彼はどんどんたくましく成長し、そしてどんどん老けていきました。

 彼の顔にはしわが増えていきました。病気がちになり、床にふせせることも多くなりました。それでも、少年のころと変わらない太陽のような笑顔は、ずっとそのままでした。


 ある日。彼が朝食の最中に倒れました。

 意識は朦朧もうろうとし、自分で起き上がることもできません。

 彼の身体をベッドに運びながら、その時がきたのだと知りました。



「申し訳ありません。アンジェリカお嬢様……」

「なにを。今さらでしょう?」

「お嬢様も、すっかり……成長、なさられて……」



 彼はぽつりぽつりと言葉を返しますが、やはり途切れ途切れになってしまいます。

 わたくしはその全てを聞き漏らさないよう、耳の神経を尖らせます。



「……いろいろなことがありました」

「そうですわね。あなたが来てから退屈しませんでした」

「紅茶の淹れ方を教えて下さったのはお嬢様でした。それから洗濯の仕方も……。ああ、あの時盗んだパンツは今も懐に……」

「今、ものすごく聞き捨てならないことを聞いたんですが」



 なんで今そんなことを言うんですの。

 というかそれ、ウンコの染みがとか言ってたやつではないですか。

 返しなさい。わたくしのお気に入りのひとつなのです。



「私は幸せでした。あなたの側に置いていただけて。あなたは私の太陽だった」

「……吸血鬼に太陽とは、不似合いではありませんこと?」

「いいえ。あなたは私を太陽のように笑うと言ってくれましたが、違うのです。あなたがそう笑ってくれたから、私も……」



 ゲホゲホと彼が咳き込みました。咳には血が混じっていました。

 彼が目を閉じます。そうしてかすれる声で、



「ああ。お嬢様……。今まで本当に――」



 ありがとうございました、と。


 その言葉を最後に、彼の身体は動かなくなりました。



 心臓の位置に手を当てますが鼓動は確認できません。

 首筋の噛み痕に手を当てる。いつもは脈打つはずのそれはすっかり静まり返っています。

 彼の身体から熱が引いていきます。彼の命が、いま尽きたのだとわかりました。


 私はそっと、両手の指を絡めて膝を突きました。



「……お嬢様」



 いつの間にか、後ろにマリアンヌが立っています。



「お嬢様。我々に神はいません」

「知っています。どうしてわたくしが神に祈る必要があるのですか」



 吸血鬼が神に何を祈るというのですか。

 神はわれらに救いを与えない。われらに関わった者に、神への道は開かれない。


 彼に導きの使いは現れない。



「わたくしは彼に祈っているのです。彼の魂が迷わないように」



 わたくしなどに関わってしまったばかりに、もはや人の輪に戻れないあの人に。


 どうか安らかに。どうか穏やかに。

 いずれわたくしの身体が朽ちたときに、地平の果てで会えますように……。

 わたくしの祈りが炎となって、あなたの魂を導いてくれるでしょう。


 ああ、あなたのせいでわたくしの魂はこんなにも燃え上がってしまった。



「いずれ、また会いましょう。――わが生涯しょうがいの夫、サン・ブライトよ」



 だってわたくしあなたを、

 こんなにも、愛しているのだから――!!





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