熟れた果実

翠 キョウ

花瓶

一目惚れだった。腰まで伸びた銀髪が靡く度に放たれる嫋やかさや、伏し目がちな瞳から覗く黄金色の瞳、時折みせる柔らかな笑み、全てが惹き込まれるような魅力を放っていた。

君の前では途端に言葉の紡ぎ方を忘れてしまったような声で、ようやく聞き出した君の好きな物。

『果実』と『花』。

無機物なりに精一杯生きようとする愛らしさが好きだと君は言った。

だから、週に一回だけ、君に手一杯の花束と籠に入れた果物をプレゼントする。会って話す為の口実として渡されるそれを、慈しむように見つめる君を見る度、この表情を自分だけで独占出来ればいいのにと願ってしまう。

週に一度の楽しみであったあの日、君の知り合い伝に『病気でしばらく休む』と言ったきり顔を出していないと知った。

聞くなり駆け出した。心配と無知な己への恥が、よりその足を加速させた。

やけに長く感じた君の家までの道程の違和感を心から無理矢理追い出すと同時に、えも言えぬ不安が首を擡げた。

行くなと警鐘を鳴らす本能を押さえつけ、チャイムを鳴らした。

君は、出ない。

鳴らした。

鳴らした。

鳴らした。

--君が出ることは、なかった。

不安と焦りで動転した体は、反射的にドアノブを捻った。

--ドアは、開いた。

弾かれるように君の家へ駆け込む。

君とお茶を楽しんだままの空間も、ここ数日使っていないようなキッチンも全て見ぬフリをして、君の部屋を目指す。

一際強く不自然さを放つ部屋の前で、立ち止まる。君の部屋に入ったことはなかったな、と現実逃避しかけた頭を振って、ドアを開ける。

途端に、噎せるような甘さが鼻を劈く。

どろりと溶けてしまいそうなほど熟れた果実、目を離した隙に花弁が全て落ちてしまいそうなほど開いた花。

死に際の無機物が最後の輝きをとばかりに放つその香りが、その空間の異常性を際立たせていた。

君は、部屋の真ん中で揺れていた。

乾ききった唇、閉じられることなく光を見なくなった瞳、異様に伸びた首、全てが抜け殻である証明をしていた。

それからはよく覚えてない。隣人が絶叫を聞いて警察を呼んだらしい。

誰から病欠と聞いたか、なんの花や果実を持っていったのかも、モヤがかかったように思い出せない。

--ただ一つ、腐りゆく草花の中で、腐らずに揺れる君は、とても蠱惑的で甘美に見えた事だけが、頭にこびり付いて忘れられない。

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熟れた果実 翠 キョウ @Midori_Kyou

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