笑み


 ◯


 夢とは随分と不思議なものである。体験している間は夢と気づかず、目が覚めれば「夢か…」と夢を自覚する。そして先程まで体験していた記憶は次の瞬間には忘れてしまう。しかし、悪夢ほど記憶に残り脳裏に焼きついて離れないものである。

 これはある男の夢のお話。


 ◯


 私はよく夢をみる。未来に希望を抱く方ではない、眠っている間に体験する方だ。

 何故かは知らないが本当によくみる。二日にいっぺんは確実にみる、酷い時には夜に夢をみて昼寝でまたみて、夜にもう一度である。

 タチが悪いのはその内容だ。酒池肉林に身を委ね、象やらキリンやらを引き連れた集団がパレードを開催し、私だけを悦ばせる為に幾人もの人が動いている。そして私の周辺では「キヨシ様万歳!」と私を讃える声が響いている。そんな夢ならいくら私でも許そう。なんなら二度と起きなくて良いとまで思うかも知れない。しかし、私のみる夢は尽く悪夢であった。

 一体いつからであったか、そんなことはもう忘れたが、悪夢漬けの生活が長く続いたせいで私にはある考えが浮かんでいた。「夢日記をつけてやろう」と。


 私は偉い。それもかなり偉いので、すでに手元には掌サイズの手帖と筆記具を用意した。

 これらは安く揃えるつもりであったが、ふと「もしかすると歴史に名を残す可能性がある夢日記ができるかも知れぬ」と得意の妄想が膨らみ手帖と万年筆だけで四千円弱の買い物をした。

 後悔先に立たずとはよく言ったものだが、実を言うと「買って後悔するなあ」と思いつつ買ったので後悔は先に立つということが証明された。この事は全人類に共有しなければならない。

 私は寝巻きに着替え布団に潜り込んだ。朝起きたら覚えている限り夢の体験を書き起こそうと誓い目を閉じた。

 さて、今日はどんな夢であろうか。


 ◯


 十月十日


 目が覚めたら森の中にいた。ひどく寒かった。

 周りを見渡すと、私からみた右側のはるか奥には木々に遮られてはいるが月が見えた。月は満ちており、そのおかげで私はあたりの状況を視認することができた。

 私を取り囲むようにして聳え立つ木はひどくヘンテコな形をしていた。根が地面から飛び出し自らに巻き付いている木もあれば、枝も葉も無くただそこに直立している木もあった。しかし一番目を引いたのは、屋久杉ほどの大木が何台もの車を飲み込み、進行形でズグズグと成長しているものだった。あの巨木のそばで眠っていたらと考えると恐ろしくなってきた。

 私は、ここにいても仕方がないと思い人里を探すことにした。

 二十分ほど歩き回った時であろうか、月は天高く上りいっそう辺りを照らし出している。

「パアアアアアアアアアア」

 と、クラクションのような音が聞こえた。

 鬱蒼と茂る木々の隙間に光が見えたと思うとその光は、ばきばきと木々を薙ぎ倒し近づいてきた。

 それは二両編成の小さな列車であった。私に構うことなく突撃してくる列車を間一髪で避け私は二両目の尻にしがみついた。耳元を折れた大木が掠めていく。

 なんとか車内に乗り込んだ私は疲れたので赤いシートに腰掛けた。思いの外シートはフカフカで心地が良かった。

 私がうつらうつらしていると急な浮遊感に起こされた。外を見れば列車は空を飛んでいるらしく、下の方には家屋の明かりがチラリとしている。

「まるで銀河鉄道ではないか」

 と私は呟いた。口を閉じると同時に車内アナウンスが流れた。

「ご乗車ありがとう御座います。この列車の次の停車駅はございません。ご乗車なさっているお客様に致しましては、このままごゆっくり宇宙旅行をお楽しみください」

 冗談じゃないと思った私はもう一度窓の外を見たが、車窓からはすでに家屋の明かりは見えず、代わりに日本列島がキラキラと星空のように輝いているのが見えた。

 そして私は永遠の宇宙に吸い込まれていった。


 ここまで書き終えた私は大きくため息をついた。嫌な夢だ。死ぬまで人に会えずふらふらと宇宙を彷徨うことを考えると鳥肌が立ってきた。

 こうして私の夢日記は最悪で且つ、日記的には良いスタートを切ったのだった。


 ◯


 十月十三日


 私は中学生になっていた。

 今思い出しても、あれはやはり私の母校であった。

 私は普通に授業を受け、大きな食堂でクラスメイトと給食を食べている時だった。突然場面が切り替わり、自宅近くのレンタルビデオ店に居た。そして「今泉先生から逃げなければ!」と強く思っていた。今泉先生とは私の中学時代の担任である。

 何故逃げなければいけないのか分からなかったがとりあえず店を出て無我夢中っで走った。今泉先生の姿は見えない。しかし安心したのも束の間、私はまたレンタルビデオ店に居て「逃げなければ!」と思っていた。

 先ほどと違うのは今泉先生が目の前に居て、鬼のような形相で私を追いかけてきたことだ。先生の手には何やら細い刃物が握られておりそれが医療用メスであるとすぐにわかった。

 私は店内を逃げ回りビデオの陳列棚を挟んでぐるぐるしていたりした。次の瞬間、先生は棚に体当たりして棚ごと私を押し倒した。

 先生は崩れたビデオの山を押し分け私を見つけると、手に持っていたメスで私を滅多刺しにした。

 私は恐怖で飛び起きた。


 私は手帖を閉じた。

 何故ゆえ担任から追われ、刺されなければいけないのか。勿論私に心当たりはない。

 正直ものすごく怖かった。私はホラー映画などは見れるのだが追われるタイプの映画は全くもってダメである。


 しかし、私は何かを忘れている。


 ◯


 十月十八日


 夢の体験記の前に記しておきたいことが一つ。それは最近悪夢を見る回数が減ったことだ。日記にして思い起こすことで減っているのかも知れない。


 不思議な夢だった。その夢は最初から最後まで第三者視点で私を見ていた。視点は私の上空、真上ではなくやや斜めからずっと私を見ていた。

 そして、驚いたことに夢に出てきた私は摩訶不思議なことをするわけでも、現実では絶対に出来得ない神業をするわけでもなく、ここ最近に実際に私が行なっていたことだったのだ。

 先月、書店へ出向き本を物色し値段を見ては顔を顰めている私。レンタルビデオ店に入り、紳士向けのビデオを選んでいる私。文具屋に入り少し高級な手帖と万年筆を手に取り、首を傾げながらレジに向かった後、大きく肩を落としトボトボ帰路につく私。あまつさえ、寝ながらも手足をばたつかせたかと思うと飛び起きて机に向かい何かを書き込んでいる私。その全てが鮮明に私の夢に流れ込んできた。

 それはまるでずっと誰かが私を見ていて、その記憶を私が見ているかのような感覚になった。

 今日の夢は悪夢というわけではなかった。しかし不思議な夢であった。


 ◯


 あれから夢を見ることは無くなった。しかし、今日久しぶりに夢を見た。最後に見た夢から実に十日経っている。

 この夢は悪夢ではなかった。

 そして今日の書き込みを最後にこの夢日記は終わらせる。今後二度と書き込むことはないだろうし、この手帖を開くこともないだろう。

 それでは始める。


 気がつくと私は暗闇の中にいた。周りには何もない。ただ暗い、いや真っ黒な箱の中なのかも知れない。そんな場所に私は居た。

 しばらくすると闇の中から女性が現れた。小柄で髪は腰の辺りまで伸びている。顔は見えないが私は彼女を知っているような気がした。

 彼女は私に近づいてきた。肩から足首まですっぽりとおさまる長いワンピースを身に纏っていた。彼女が私の肩に触れると闇が晴れ景色が現れた。

 そこは私の高校であった。彼女のワンピースは制服に変わっておりそれがすごく似合っていた。

 その高校で私たちは一日を過ごした。

 朝、気だるげな彼女は机にカバンを置き、それに顔をうずくめ私に聞く。

「一限ってなに?」

 私はその声に聞き覚えがあるような気がしたがそんなことはどうでも良かった。

「数学、新井先生だから起きてなよ。あの人怒ると長いから」

 彼女はカバンから顔をはなし私を見てきた。顔は見えなかった。黒く塗りつぶされているようだった。

 そんなことを思っていると朝のホームルームが始まりすぐに一限が始まった。案の定、彼女は寝ていた。起こそうとした時には新井先生の怒号は響きそこから長い説教が始まった。

 一限が終わると彼女は私を見つめた。やはり彼女の顔は見えなかった。彼女は見つめるだけで何も言ってこなかった。

 二限が始まる瞬間であった。

 私は目が覚めた。


 異常なまでの懐かしさを彼女に感じていた私は、どうにかまた会えないかと願い、もう一度眠りに落ちた。


 気がつくとそこは先ほどの続きの延長線上、放課後であった。

 私と彼女は教室で他愛のない話をしていた。それが私にはとても心地よく幸せだった。そしてその幸せが私には何年も彼女と過ごしていたのではないかと思うほど濃密なものであった。

 遠くのビルに身を落とす太陽は真っ赤に染め上がり、その光は教室と私と彼女を優しく包み込んだ。チャイムが鳴る。耳をすませば遠くでは吹奏楽部が個人練習をしているであろう混ざり合った音色が、グラウンドからは運動部の走り込みをしている掛け声が聞こえる。

 感傷に浸っている私に彼女は言った。

「少し行きたいところがあるんだ」

 私は彼女に引っ張られ普段は開放されていない屋上まで来た。


 鼓動が早くなるのを感じた、息がうまく出来なかった。

 蹲る私を尻目に彼女は言った。

「君が私を見たから、私は君に業を背負わせてしまった」

 そう言って彼女は私を無理やり屋上の端まで連れてきた。

「君がずっとこの日から苦しんでいたのは知ってた」

 私はあれほど見たかった彼女の顔を見ようと思えなかった。彼女が誰なのか分かってしまったから。

 彼女は続けた。

「いい?君は私のせいで重度のトラウマを負った。それは私の存在を思い出せなくするほどのトラウマ。だけど思い出せないポッカリと空いた君の心は無意識のうちに空いた穴を塞ごうとなにかを思い出そうとしていた。そしてそれを夢という形で追体験しようとしていた。だけど簡単にはいかなかった。極度の恐怖と不快感が邪魔をして、君は私を思い出すどころか悪夢を見るようになった。それが君が悪夢ばかりを見る理由」

 彼女は私のそばに座った。空は暗くなってきているが太陽の残り日は彼女の顔を赤く照らしていた。

「ああ…香月さん…」

「頑張ったね、やっと顔を見てくれた」

 彼女は私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。

 彼女は香月玲子。私の高校時代の一つ上の先輩であり部活動で個人的に教えてもらってから仲良くさせてもらっていた。

 彼女は三年前に亡くなっている。


 私は高校時代、いじめを受けていた。何度も死んでしまおうと思っていた。そんな時、香月さんは私の話を聞いてくれ、一緒に悩み落ち込み、私の代わりに怒ってくれた。私があの時死ななかったのは彼女のおかげであった。

 ある日、私は香月さんを探していた。いくら探しても見つからなかった。そして屋上へ続く階段まで来た。屋上へ続くドアの下に壊れた南京錠があった。私は胸騒ぎがして屋上へ登った。

 屋上に続くドアを開け、屋上を見渡した。その時にはすでに、香月さんはフェンスを離れ四階下の地面に向かって落ちていった。


 後から聞いた話では、彼女もいじめを受けていたらしい。

「それを知った私は自分を責めた。何故香月さんの負担を増やしてしまったのかと。そして、人が目の前で落ちていく恐怖を目の当たりにした私は、香月さんに関する記憶を脳の、心の奥底に沈めてしまった」

 私は自分のトラウマについてポツリと呟いた。

「うん。大体合ってる。でも、1番の理由はそれじゃ無い」

 意味がわからなかった。

「君、私が落ちていく時さ私の顔を見なかった?」

「何を言ってるんですか。顔なんて…」

 そこまで言い終えてから私は全てを思い出した。


 私は顔を見ている。

 

 全てを、全てを思い出した。

 香月さんはポツリと言った。

「君が来るのを待ってた」

 そのまま話し出した。

「あの日死ぬことは決めてたの。なんであの日なのかは覚えてない。でも死のうと決めてた。でも死ぬ直前、あることを思ったの。誰でもいいから不幸にしてやろうって。私だけなんでって思ってたから」

 最低だよね。と香月さんは言った。

「そう思ってる時、君が私を呼ぶ声が聞こえた。あ、君ならここまで来るなと思った。だから私はフェンスを超えて君が来るのを待ってた。その時の私は君のことを案じるほど余裕がなかった。ただ不条理に対しての憎しみだけがあった。少しすると君が来て君と目があったから、飛んでやった。満面の笑みで。怖かったでしょう、本当にごめんね」

 私は言った。

「謝らないでください」

 それよりも、私は香月さんに言わなければいけないことがある。

「香月さ…」

 香月さんはそれを拒んだ。

「大丈夫、分かってる。それが本当の理由であることも」

 そして続けて言った。

「そろそろ夜明けだ」


 私たちの背後からは、朝日が夜を押し上げ、東の空を淡い紺色に変えていた。

 香月さんは私の肩を掴んで言った。

「いいかい、君は今全てを思い出した。だから君に空いた穴はもう私を追い求める事はないだろう。だけどこれは夢の中だ。必ず夢は忘れる。少し難しいだろうが、簡単に言うと私との日々も、私の飛び降りも、私の笑みも全て夢での体験ということになる。それもみんなすっかり忘れてしまうが君はもう大丈夫だろう?」

 私は頷くほかなかった。

 本当はさよならなんて嫌だった。もう思い出せないなんて、そんな哀しいことないと思った。

 だけどもう抗えないんだと感じた。

 香月さんの体は透け始め存在を感じることも難しくなった。

 最後に香月さんは言った。

「一年の中で今日だけは特別な日なんだ。もしかしたら来年の今日、夢の中ですれ違うかもしれないね。君はきっと気づかないから私だけのお楽しみになるけれど」

 香月さんはうっすらと明るい、秋の朝に消えていった。

 そこで私は目を覚ました。目は赤く腫れ上がりなんとも言えぬ顔になっていた。

「嫌だ…」

 そんな言葉は意味をなさないことは分かっていたのに思わず口からこぼれ落ちた。


 これが今日見た夢の全てだ。

 まだうっすらと記憶があるが香月さんの顔は思い出せない。

 あの時私が伝えなければいけなかったこと、それももう思い出せない。

 

 ◯


 私はそこまで書くと手帖を閉じた。

 もうあの夢の記憶はほぼ無い。

 この手帖は燃やすことにする。二度と見ることがないように。

 私はフライパンの上に手帖を置き、換気扇を全開にした。


「そういえば」

 私は彼女が最後に言っていたことを思い出した。


「一年の中で今日だけは特別な日なんだ」


 私は手帖の最後のページに日付を書いた。


 十月二十八日


 どういう日なのかはわからない。

 もう、これで終わりなんだ。


 私は手帖に火をつけた。

 パチパチと燃える夢の紙片を私は眺めている。

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笑み(第一改訂版) 茜 彦太郎 @akane_sora

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