ある伯爵夫人の告白

@chest01

第1話

 陰鬱な地下室でむちが飛ぶ。

 肉を打つ音とともに悲鳴が響いた。

 繰り返し、何度も何度も。


 慣れとは本当に恐ろしいと思う。

 こんな異常な状況に、私はもう慣れきっているのだから。


「はあはあ…………まだ、お続けになられますか?」

「当然さ。楽しい夜は始まったばかりだ。それにイザベラ、趣味や嗜好しこうを互いに理解しあうのが夫婦というものだろう?」

 私の夫、フェルナンは口角を上げた。


 フェルナン・ブランシャール。

 彼は優れた手腕で領地を治める、若き伯爵。

 金髪に端正な顔立ち、男性美にあふれる引き締まった長身。


 性格はきわめて温和で社交的。

 篤志家とくしかで、無料の医院を開いたり、孤児院への多額の寄付も欠かさない。

 名領主、貴族のかがみと呼ばれ、それを過言だと言う者は逆に後ろ指をさされるだろう。


 けれど、そんな彼にも薄暗い部分があった。

 今まで不自然に何度も離婚しているのだ。


 つまり幾度となく結婚しているのだが、すぐに妻が出ていってしまう。

 そして元妻たちは揃って、その理由については固く口を閉ざしている。


 結婚して、私はその意味を知ることとなったのだけど──。


 なれそめは少し複雑だが、理想的でもあった。


 父が領地経営に失敗し、没落しかけていた我がフロッガー家に、兄の知人であった彼が現れた。

 まさに、白馬の騎士のごとく颯爽と。


 事情を聞いた彼は負債の多くを肩代わりしてくれたばかりか、経営術の指南により、うちの領地再建は約束されたものとなった。


 窮地を救ってくれた彼はしばらく我が家と交流したのち、私に求婚した。

 噂にたがわぬ、非の打ち所のない人物。

 そんな男性から結婚を申し込まれるなんて。


 もちろん応じた私は、家族や友人に祝福され、晴れて貧乏令嬢から伯爵夫人となった。


 彼に愛される毎日は、何もかもが輝いて見えた。

 夜会に出れば、周囲から向けられるのは羨望の眼差し。

 そんな幸せが続く、ある日のことだった。


「イザベラ、人とは日々、仮面をかぶって生きている。僕は誰からも好かれる善人という仮面を」

 大事な話がある、と呼ばれると、フェルナンはこんなことを言いながら屋敷の奥へと進んだ。


鬱憤うっぷんがたまってくると、窮屈に感じるそれを外し、思いきり本性をさらけ出したくなるときがあるんだ」

 分かってくれるね?


 彼だけが持つ秘密の鍵で地下室の扉が開かれる。


 フェルナンは壁にかけられた鞭を手に取った。

 そばには、今まで見たこともない、拘束具や黒い革製の衣装が置かれていた。


 断る、という選択肢は選べなかった。

 困窮した家を建て直してくれた恩があり、また、それが一種の負い目にもなったからだ。


 彼に促され、私はこうして、倒錯した世界へと足を踏み入れた。




 しかし。

 つくづく慣れとは恐ろしいと思う。

 この環境と行為に慣れて、今では心の底から楽しくなってきてさえいるのだから。


 しなった鞭が、地下室でうなり声をあげる。

「ほらっ!」

「ああっ!」


「ほら、もう1度!」

「く、くうぅ」


「それっ!」

「ひいっ!」


「これで、どうっ!」

「ああっ、いいよ──イザベラ!」


「イザベラ? 様をつけて呼びなさい!」

「は、はいぃ、イザベラ様!」


 完璧と評判の美男子フェルナン。

 そんな彼が鞭で打たれ、見下す目線でいたぶられるのが好きだなんて、いったい誰が思うだろう。

 こういった嗜好を彼は密やかに持っていたのだ。


 これまで離婚した方たちが、別れた理由を黙っているのもよく分かる。


 それにしても。

 夫を鞭で痛めつけるのが楽しい。

 一振り一振りに愛情を込めると、それに応えるように良い声で鳴いてくれる。


 め時の合図は一応決めてあるが、夢中になってしまうくらい楽しくて仕方がない。

 ああ、なんという愉悦だろう。

 私もすっかり感化され、何かに目覚めてしまったみたい。

 とても、公にはできないけれど。


 これも互いを理解しあったうえでの、たしかな愛の形。

 今日も私たちの夫婦仲は良好だ。

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