好きって、なに?
第12話
ドタバタしていた土曜日が終わって、週が明け、日常に戻った。
次に会う約束をしてから詩織とメッセージのやり取りはしていない。
詩織に話したいことはたくさんあるが、積もる話は詩織と会ったときに直接話そうと思っている。
詩織もそのつもりなのか、メッセージを送ってくることはない。
木曜日。
仕事が終わり、今日も咲良を学校に迎えに行った。
いつもは学校の近くにある駐車場の縁石に水沢あかりちゃんと座っているのだが、今日は咲良一人だった。
私は少し嫌な予感がした。初潮を体験したことで、それを周りに相談した咲良がいじめられたりしていないか、心配になったのだ。
私が車を停めると、咲良はトボトボと歩いてきて、助手席に乗った。
「ただいま」
「おかえり。咲良、今日は一人なんだね」
咲良は今にも泣きそうな声で「うん」と言った。
「何かあったの?」
私が尋ねた途端、咲良は堪えきれずに泣き出してしまった。
「あかりちゃん、失恋しちゃったの」
拭いきれない涙が咲良の太ももに落ち、呼吸もひぐひぐと荒くなっていく。
しばらくは思い切り泣かせてあげた方がいいと判断した私は、咲良に何も聞かず、車を走らせ家に帰った。
家に着くと咲良はソファーに腰掛けた。
私は箱ティッシュを持って来て、その隣に座った。
過呼吸気味だったのが落ち着いた咲良は、ティッシュで涙を拭いてから鼻をかんだ。
そして一度大きく息を吐いた後、「……あのね、お母さん」と話し始めた。
「今日、あかりちゃんが泣いたの。放課後、部活終わった後に」
私は咲良の頭を撫でながら「うん」と相槌を打つ。
「それで、『どうしたの?』って聞いたら、好きな女の子に恋人ができたんだって。あかりちゃんはそれが辛かったみたいで、今日は先に帰っちゃったの。『今は一人にして』って言って。ねえねえ、わたしはどうしたらいい? わたしも悲しくなっちゃって、あかりちゃんを慰めてあげられないんだ……」
私は咲良を抱き寄せた。
「辛かったね、咲良。咲良は偉いよ。そうやって他人のために涙を流せるところが、咲良のいいところだと私は思う。辛いときは少し距離を取ってあげるのも優しさだと思うから、咲良は無理しなくても大丈夫」
「……でも、あかりちゃん、一人にしてって言ってた。わたしのアドバイスが役に立たなかったからだよ、きっと」
「そんなことない。咲良が言ったことは間違いじゃないと思うよ。あかりちゃんは咲良に心配をかけないように、自分が落ち込んでるところを見せたくなかったんじゃないかな。あかりちゃんの中で整理がついたら、また咲良を頼りにしてくれるよ」
「大丈夫かな? わたし、あかりちゃんに嫌われてないかな?」
「心配ないよ。あかりちゃんは咲良のこと、好きでいてくれてるはずから」
私の言葉に、咲良は「あれ?」と言って首を傾げた。
「でも、あかりちゃんは柚ちゃんのことが好きなんだよ? わたしのことも好きなの? それって浮気?」
咲良は不思議そうな顔で、私を見つめる。
「うーん、『好き』にもいろんな種類があるからね」
「そうなの?」
「あかりちゃんが咲良のことを好きなのは、ぎゅーってしたいと思う『友達としての好き』で、あかりちゃんが柚ちゃんのことを好きなのは、チューしたいと思う『恋人としての好き』かな?」
「わたし、『好き』がよく分からなくなってきた……」
咲良は遠くを見ながら頭を抱える。
「私だって、『好き』の答えは分かってないよ」
私の言葉に、咲良は「え!」と驚いた顔をした。
「でも、お母さんはお父さんと結婚してるじゃん!」
「それはそうだけど……」
私が言い淀んでしまうのは、心に一つのしこりがあるからだ。
詩織とのファーストキス──
あのとき、詩織はどんな気持ちだったんだろう。「佳正とキスする練習」と言っていたが、本当は何か別の考えがあったのではないか。
私が感じた胸のドキドキは、詩織のことが本当は好きだったからなのではないか。
あの瞬間の私たちの気持ちは、ずっと分からないままだ。
それから詩織と何かあったわけではなく高校を卒業して、今も友達としての関係を続けている。
しかし、自分が言った「チューしたいと思う、恋人としての好き」という言葉を心の中で反芻して、疑問に思ってしまった。
大人の私でさえ、結婚していながら「好き」について分からないことがある。だから咲良も、無理はしなくていいと思った。
「咲良は咲良なりの好きを見つければいいのよ」
結局その結論に落ち着く。
人にはそれぞれ違った「好きの形」がある。
それは親子である私と咲良でも違うものなのだ。
「いつか見つかるかな?」
「きっと見つかるよ。焦らなくても、自分のペースで大丈夫。それに、もし見つからなくても気にすることはないから」
すると咲良は、「じゃあさ!」と言ってソファーから立ち上がった。
「明日、あかりちゃんに『友達として好きだよ』って言ってあげる!」
「うーん、それはちょっと……、言わなくてもいいかもね」
失恋したタイミングで誤解を生みそうなことを言ったら、あかりちゃんのメンタルが心配だ。それは親として止めておいた。
「なんか、『好き』って難しいね!」
好きという感情に苦戦しつつも、咲良の声色はずいぶんと明るくなった。
「話、聞いてくれてありがとう! 宿題してくる!」
咲良はカバンを肩にかけると、ドタバタと階段を上って自分の部屋に行ってしまった。
そんな咲良を見て微笑ましくなると同時に、ふと、私自身の「好き」について考えた。
単身赴任に出てから五年経った佳正の顔を、朧げに思い浮かべる。
──私って、佳正のこと、本当に好きなのかな?
そもそもなぜ私は、佳正と結婚したんだろうか。
なんとなく、昔のことを思い出してみる。
きっかけは、会社の先輩がセッティングしてくれた合コンだった。
その先輩曰く「藍川さんにどうしても会いたいと言っている人がいる」とのことで、私の他に女性社員を2人集めて開催された。
男3人、女3人の合コンで、私に会いたいと言っていたその人が、佳正だったというわけだ。
佳正を見るのは、佳正が高校を卒業して以来だった。
高校時代と変わらず、自信に満ちた爽やかな雰囲気をまとっており、すぐに佳正だと分かった。
同じ高校の先輩後輩。さらに、詩織という共通の知人がいたことで、高校時代は話したことが無かったものの、すっかり意気投合してしまった。
佳正は高校時代にかなりモテていたので、大学に行っても恋愛経験をたくさん積んだのだろう。
その合コンのときからボディータッチが激しかった。
初めてのデートから手を繋いで街を歩き、夜景が見えるレストランで食事をしたり、3回目のデートのときには映画館の暗闇の中でキスをされたりした。
そんな扱いをされたことがなかった私は、佳正の予測不能な行動にときめいてしまっていた。
実は、社会人になって佳正と付き合うまで、私は処女だったのだ。
学生の頃から女の子らしく見られるのが嫌いで、男性に媚びる生き方もしてこなかったために交際経験が無い。
そして特別可愛いわけでもなく、強いて言うなら少し肌が綺麗で若めに見られるくらいが取り柄の私が、なぜ佳正にそこまで気に入られたのか謎だった。
それでも、佳正にその理由を尋ねたとき「おれは美咲のこと、ずっと可愛いと思ってた」と言われて、過去のことなんてどうでもよくなった。
女の子らしい扱いを受けるのが嫌だという私の価値観すら、佳正のその一言によって破壊された。
佳正が恋愛に手馴れていて素敵に見えるのは、これまでたくさんの女性と遊んで経験を積んできたから。それは分かっていた。
本当は、恋愛経験の少ない私には、真面目な人が合っているのかもしれないという気持ちもあった。
それでもやっぱり、佳正は私のことを分かってくれている気がして、いつも佳正といると胸がときめいた。
私は喜んで佳正に全てを捧げた。私が実は初めてだと言っても、佳正はそんなことを気にせず優しくリードしてくれた。
そして、咲良がいると知ったのは、結婚する直前のことだった──
次の更新予定
純愛トライアングル 石花うめ @umimei_over
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