第5話 冒険

愛情は心の安らぎをもたらすが、自信と統制のバランスは難しい。特に子供には。10回近い「やり直し」を経て、わたしはルカの父親になることをあきらめた。


世界を救う試みは、すでに60回目を数えている。

今度こそ、今度こそわたしは新しい答えを見つけたと思う。


厳格過ぎても、甘やかし過ぎても駄目だ。

教師でも、父親でもない。

必要なのは──。


「仲間だ」


★ ★ ★


「わたしと一緒に旅をしないか?」


初めてルカと向き合った時、わたしはそう切り出した。

「君の力は、人を幸せにできる。それを、一緒に証明しよう」


ルカは目を見開いた。

おずおずと、でも期待に満ちた声で。

「……本当ですか?」


「ああ」

わたしは頷く。

「魔術師と弟子として。仲間として。一緒に旅をしながら、君の力の使い方を見つけていこう」


ルカの瞳が、初めて本当の意味で輝いた。

それは過去59回の人生で、一度も見たことのない表情だった。


「行きましょう!」


ルカの声には、迷いがなかった。

まるで、この瞬間を待っていたかのように。


最初の村は、日照り続きで作物が枯れかけていた。


「困っている人がいるね」

わたしはルカに目配せする。

「君の力で、何かできることは?」


ルカは少し考え、小さく頷いた。

丘の上に立ち、両手を広げる。

魔力が空へと昇っていく。


すると、乾いた大地に、優しい雨が降り始めた。

作物が、見る見るうちに生き返っていく。


「すごい……」

村人たちの驚きの声。

そして、感謝の言葉。

ルカは照れくさそう、うれしそうに笑う。


「ほら」

わたしはルカの肩を叩く。

「君の力は、人を幸せにできる」


ルカは力強くうなずいた。

もう惑うことはない。

世界を滅ぼす力は、ようやく正しい使命を得たのだった。


★ ★ ★


ルカの評判は、瞬く間に広がった。

困った村には、必ずわたしたちがいた。

病人を癒し、作物を育て、時には盗賊から村を守る。


ルカの表情は、日に日に明るくなっていく。

「先生! 次はどこへ行きましょう?」


「困ってる人を、助けに行こう」


わたしはようやく、安堵していた。

これだ。

これを、求めていた。


自分の魔力は人を幸せにできる。

その証明ができれば、ルカは決して魔王にはならない──。


わたしは心から、そう信じていた。

あの日までは。


それは、ある村での出来事だった。

干ばつに苦しむ村人たちを救うため、ルカは雨を降らせた。

しかし──


「水が多すぎる!」

「このままじゃ洪水に!」

「化け物め、わざとやったな!」


ルカは必死に雨を止めようとする。

しかし混乱と焦りで、魔力の制御が効かない。


「落ち着け」

わたしはルカの肩に手を置く。

「ゆっくりやれば大丈夫」


しばらくして、雨は収まった。

失敗はときにあるものだ。村も、洪水というほどの被害はない。多少畑の土は流れたようだが、真面目に働けばすぐに元通りになる。

だが村人たちは、そうは考えなかったようだ。


「きっと、最初から狙ってたんだ」

「あっちの村は豊作にしたっていうのに、俺たちは……」

「どうせなら、向こうの畑をダメにすりゃよかったのに!」


わたしたちは逃げるように、村を後にした。

その夜、野営の火を囲みながら、わたしたちは沈んだ気持ちを吐き出しあった。


「先生」

ルカが静かに呟く。

「僕は、一生懸命やったのに」


「ああ」

「なのに、どうして……」


ルカの問いに、わたしは答えられなかった。

これが世界の理不尽さ。

人の心の醜さ。

それを、どう説明すればいいのだろう。


「うまくいかないことは、誰にでもある。おまえにも、村の人にも」

わたしは精一杯の慰めを口にした。

「きっと、心の底では感謝していたんだ。それをうまく表現できなくて……」

「向こうの村が、ダメになればいいって言ってたね」


ルカがぽつりとつぶやいた。

「どうして自分が不幸になると、ほかの人も不幸にしたくなるの?」


わたしは今度こそ、言葉を失った。

ルカは焚火を見つめている。

その瞳の奥に、見慣れたなにかがかすめた。


「みんな不幸になれば、仲良くできるのかな」


嫌な予感が、胸を満たした。


それからも、わたしたちは旅を続けた。

ルカは相変わらず、困っている人々を助けている。しかしその表情は少しずつ、硬くなっていった。


ある村では、病気を治した子供の親から「頭の回転が悪くなった」と金を要求された。

またある村では、魔力で守った村人たちに、家畜の被害を防げなかったこと責められた。


理不尽が重なるたびに、ルカの目は暗く、冷たく沈んでいくようだった。


「先生」

ある夜、ルカが問いかけてきた。

「なぜ、人は貪欲なんでしょう?」


わたしは答えに窮した。

正解のない問いかけだ。わたし自身が、それを探している。ルカは緩やかに首を振る。


「幸せにしてあげても、もっと求めてくる。感謝の言葉は、次の要求の前置きでしかない」

いつからだろう? ルカの声が、こんなに冷たく響くようになったのは。

「本当に、人を助ける意味はあるのでしょうか」

確かに聞き覚えのある声で、ルカが他人のように言った。


翌日、わたしたちは新しい村にたどり着いた。

人々は領主の圧政に苦しんでいるそうだ。


「助けてあげましょう」

宿を求めた村人の話を聞いて、ルカは今までと同じように言った。だがその目には、かつての優しさがない。


その日の夜、ルカは領主を惨殺した。


「これで、あなたたちは自由です」

惨劇を前におびえる村人に、ルカはそう告げた。鳥肌が立つような冷酷さで。


「でも、きっとまた誰かが同じことを繰り返す。人の欲望は、終わりがないから」


わたしは背筋が凍った。この声を、知っている。

凍り付いた世界に響く、血の臭いのする声だ。

わたしはルカを連れて、村を飛び出した。


それからルカは、人々を責めるようになった。


困っている村を見つければ、確かに救いの手を差し伸べる。

だが、その後には必ず──。


「苦しみは繰り返す。決して、終わらない」


ルカの中で、何かが歪んでいく。わたしはもう、それをただ見ているしかなかった。


「先生」

ある日、ルカが言い出した。

「気づいたんです」


「何を?」


「人を救っても、世界は良くならない」

ルカは遠くを見つめる。

「むしろ、救えば救うほど、世界の醜さが見えてくる」


「それは──」


「人々は弱い」

ルカの声が冷たく響く。

「だから導かれるべきなんです。そして、従わないのであれば」


雪が降り始めた。季節外れの雪だ。

わたしは思わず辺りを見回し、愕然とした。


ルカだ。

ルカが、やっているのだ。彼の魔力が、辺りの温度を徐々に下げていく。


世界を、凍てつかせていく。


「先生は、僕に人を幸せにする方法を教えてくれました。でも、本当に必要なのは」

ルカが振り返る。

その瞳は、もう氷のように冷たかった。


「永遠の安らぎ、ですよね?」


わたしは目眩を覚えた。

「永遠の安らぎ」

かつて、魔王が語ったのと同じ言葉だ。


雪は、次第に激しさを増していく。

人々が逃げようとする気配がある。

だが逃れる場所はない。わたしはそれを、知っている。


もう、何度も。


「人は愚かです」

ルカは淡々と語る。

「せっかく救ってあげても、また同じ過ちを繰り返す。だったら、いっそ全てを……」


「待て!」


わたしの声も、氷の結晶となって砕け散った。

もう、止められない。

こうして、また新しい魔王が生まれようとしている。


「先生も、分かっているはずです」

ルカは優しく微笑む。

まるで、わたしを諭すように。

「旅の間、ずっと、人の本質を見てきたでしょう?」


(そうだ)

わたしの心の中で、何かが共鳴する。

確かに、この60回の旅の中で、人の醜さを見てきた。

裏切りも、欲望も、打算も。


だからこそ、ルカの言葉が──

魔王の言葉が、いままでとは違う意味を帯びて聞こえる。


「では、先生」

ルカが手を差し伸べる。

「一緒に、世界に安らぎを──」


わたしは目を閉じた。

今度は、わたし自身が道を誤りそうになっている。


「……次だ」


60回目の人生も、また失敗に終わった。

いや、むしろ最悪の結末かもしれない。


なぜならこの世界に絶望しそうになったのは、ルカだけではなかったのだから。

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次の更新予定

2024年12月22日 09:00
2024年12月29日 09:00
2025年1月5日 09:00

世界を救う100の方法~魔術師、魔王の父となる~ クロコ @kuro_skeleton

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