ちょっとしたランデヴー
鹽夜亮
ちょっとしたランデヴー
「珍しいな、夜中に呼び出すの」
秋に冷え始めた山中の空き地に車を止めて、友人はそう言うと煙草を吹かした。真っ暗闇の中に、お互いの車のアイドリングの音だけが木霊している。
「走りたくなった。久しぶりに」
「おい、正気か?お前が走りたい時って大体死にてぇ時だろ」
それも事実だった。現実逃避としての『峠」は確かに私の中の一つの手段だった。ただ、今回は少し趣が違った。死にたいわけではない。あの高揚感を、欲している。
「今回は死にたいわけじゃねぇよ。なんかほら、あるだろ?アドレナリンが吹っ飛ぶあの感じ。アレが欲しくなったんだ」
馬鹿だなぁお前も、と友人は呟くと、気だるげに煙草を投げ捨てた。
「俺が前走るぞ。お前がそういうこと言う時なんざどこまで無茶するかわかったもんじゃねぇんだから」
「はいはい。ペースは任せる」
頷きを合図に、お互いがお互いの愛車に乗り込む。私たちは確かに車好きだが、俗にいう『走り屋』ではない。友人は昔そうだったが、私はそこに属したことはなかった。誰かと速さを競いたいわけじゃない。ただ、走りたいだけだ。その結果、私は『走り屋』という一つのコミュニティに属することはしなかった。友人はその界隈に一時期いたようだが、何かと面倒になって顔を出さなくなったらしい。
ウインドウ越しの目配せを合図に、友人の車がゆっくりと加速する。この空き地から『踏める』区間に至るまでは少しの猶予がある。私も友人に続いた。
ゆったりと、空き地から林道を下る。お目当ての峠との合流地点までくると、友人のハザードランプが点灯した。これは合図だ。特に決めたわけでもない、ただ私たちだけの間で通じる、ここら辺から『踏むぞ』の合図。
こちらもハザードで応えると、それを確かめたかのように友人の車は猛然と加速する。私もそれに続いて、ギアを二速に叩き込み、エンジンを咆哮させた。
お互い、もう速く走るための車に乗っているわけではない。ただ、楽しむことは十分にできる。パワーの不足を感じながらも、レッドゾーン付近で吠えたギアを上げる。友人の車と私の車に大したパワー差はない。下りならば、尚更のことだ。
ほんの100mほどの直線の先、前走車のブレーキランプが光る。フロントに寄った荷重で前傾姿勢になりながら、速度を殺してゆく。数瞬のあと、私もそれに続く。
四速から三速へ、そして二速へ。ヒールアンドトゥで吠えるエンジン音を心地よく感じながら、コーナーの入り口へ消えるテールライトを眺める。
これだ。この感じだ。コーナーに消えていくテールライト、その残光、残影を追う時こそ、私は最も高揚する。
脳裏で火花が散るように、何かが弾ける。瞳孔が開いていくのがわかる。フルブレーキングからのタックインを利用してコーナーに入ると、眼前のテールライトは右へ左と踊っていく。前走車のラインを、ブレーキングを、トレースするかのように峠を縫う。近づき、離れ、そしてまた近づくテールライトに、本能が歓喜の叫びを上げる。
この瞬間だ。この瞬間だけが、私を全て解放してくれる。
コーナーの入り口までは五角、しかしコーナー後半では前走車に分がある。それは性能の差でもあると同時に、本格的に『走っていた』友人の腕でもあるだろう。呼吸を合わせるかのように同じタイミングでアクセルを入れることができない。それをすれば、私の車のタイヤは、路面から剥がれるだろう。それが手に取るようにわかる。少しでもアクセルを入れられるよう、左足でブレーキを軽く突きながら、何とか追従する。
友人と私は、本当に危険な領域を知っている。そこに辿り着かないように、ギリギリの線を維持して、一つ二つとコーナーを抜けていく。
少し離れた車間に、脳が囁く。もっと踏め、と。もっとブレーキを遅らせろ、と。
まだいけるはずだ、と。
峠にはコーナーとも直線とも言えない、速度域が上がった時にのみ現れる曖昧な、いわば踏むにも踏めないパーシャルな区間がある。確かに友人は上手く、速い。だが、この区間だけは、この場所に手慣れている私の方が上手だった。
闇を切り裂くように逃げていくテールライトが、少しずつ近づく。ピッタリと張り付く前に、少しだけ車間を取る。これは、バトルではない。ランデヴーだからだ。
前走車の雰囲気が変わる。いつも通りだ。ここで追いついてくるならば、友人はここから全開になる。友人の車はフルブレーキング時に自動でハザードが点灯するが、それを今まで見なかったのは、彼がまだ余力を残していたからにすぎない。
狭い区間を抜け、この峠で一番長い全開区間へと至る。アクセルを底に叩きつけ、エンジンの咆哮と窓を過ぎる景色に身を任せる。この峠では四速を踏み切るほど速度は乗らない。否、四速を使うだけ、異様なのだ。スピードレンジが低く、狭い区間も多いここは、走り屋たちには目もつけられない場所だった。私と友人がここを走るのは、それが理由でもある。
永遠にも感じられた一瞬の全開区間も終わりに差し掛かり、前走車のブレーキランプとハザードが点灯する。待ち受けるヘアピンに向けて、友人の車は全身全霊の減速を開始した。ワンテンポ早く、私はフルブレーキングに入る。こうなると、同じタイミングでブレーキを踏めば、こちらはオーバースピードになることを知っている。
テールライトの、今まで以上に鋭いコーナーへのアプローチに血が沸騰する。ついていけない、これ以上は危険だ、という脳内の警告を無視して、私もそれに続く。左足ブレーキを使わなければ、ついていけないどころかそのままガードレールに突き刺さる速度域。自分の車の限界が、手に取るようにわかる。タイヤが悲鳴を上げるまさに一歩手前で、踏み止まっている。…
ヘアピンを抜けたあと、私はアクセルを緩めた。これ以上はついていけない。終わりだ。そして、十分だ。……
「お前さぁ…馬鹿だろやっぱ」
峠を下りて少し先にあるコンビニの駐車場で、遅れて到着した私に友人はそう言った。
「いや、ちゃんと退いたじゃん?あれ以上は無理よ、俺にもこいつにも」
こいつ、と言いながら愛車のボンネットをコンコンッと指で叩く。ブレーキもボンネットも、熱を持っているのが伝わってきた。
「あそこまでついてくるのがおかしいんだよ。そもそもお前の車もうそういうのじゃないだろ。前のロードスターならまだしも。俺のはアンダーパワーとはいえ、一応そういうことができる車だけどさ」
「走るのに車は何でもいい、軽だろうがなんだろうが走りたきゃ走れるって言ってたのは誰だっけ?」
おちゃらけた私の問いかけに、友人は苦笑した。
「それはそうだが、それとこれとは話がちげぇよ馬鹿。…まぁ無理までしてないのはわかるけどさ」
「だろ?ほら、理性残ってる」
「ソレでアレについてくる理性ねぇ…」
冷えた夜風に、脳内の熱が冷めていく。心地よかった。数分のランデヴーの熱は、引き波のように一瞬で全てを洗い流していく。
「ていうかお前左足ブレーキ使っただろ。そうじゃねぇとコーナー後半のあのペースにはついてこれねぇはずだし」
「バレた?」
「バレた?じゃねぇよだからお前に前走らせるのは絶対嫌なんだよ…見ててゾッとする時がある」
「数年前よりだいぶマシだろ」
「それはそう」
煙草を並んで吹かしながら、コーヒーを煽る。年甲斐もない、やんちゃなお子様の遊びだなと脳裏で自分が自分を嗤った。いやいや、これでも大人のマナーは守ってますよ、と自分に言い訳をしてみる。
「限界がわかってるのは知ってるから、止めはしねぇけど単走であんなペースで走るなよ。死ぬぞお前」
「わかってる。流石にそんな歳じゃねぇや」
「…お互いな」
「そ、お互い」
コーヒーが空になると、適当に手を振って友人とは別れた。ドロドロとした特徴的なエキゾーストノートが遠ざかっていく。
さて、ゆったり帰ろう。いつもより安全運転で、適当に夜風でも楽しみながら。
ちょっとしたランデヴー 鹽夜亮 @yuu1201
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