第3話

 その日の授業中も和奏は占い師のことで頭がいっぱいだった。元々の悩みは夜な夜なマンションの部屋に響く怪音だったのに、それを忘れさせるくらい占い師のことが気がかりだった。


 昼休みはお弁当をかき込み、妃那のLINEで送られてきたサイトにアクセスしてみた。黒い背景に占い館ミスティムーンとタイトルが浮かび上がる。仕事、恋愛、学業、どんな悩みでもご相談くださいと金文字で書かれているのが胡散臭い。占い師の紹介では紫色のフードを目深に被り、タロットカードを並べる姿があった。カードを示すダークレッドのマニキュアをした細く長い指からおそらく女性に違いない。金額の説明はどこを探しても見当たらない。実のところ、それが一番の不安要素だった。


 和奏の母は看護師で、夜勤も精力的にこなし、生活を支えている。いつも疲れて帰ってくる母の姿を見ると、スマートフォンの使用料とは別に月に三千円の小遣いをもらうのも申し訳ない気持ちだった。今は学業に専念しなさい、と母からアルバイトは禁じられている。時価いくらの占いにお金をかけて相談することなのだろうか。騒音としてマンションの管理会社に伝えた方が良いのではないか。


 放課後、和奏は重い足取りで妃那との待ち合わせのカフェに向かった。深見第一高校の最寄り駅、深見緑地駅周辺は小さなカフェが並び、学校帰りの高校生がよくたむろしている。小洒落たカフェル・ジャルダン・アリスのショーウィンドウの向こうに座る妃那の姿を見つけた。高校生にはやや背伸びした店で、クッションの良いソファも和奏には居心地悪く感じてしまう。


「お待たせ」

「大丈夫、私も今きたところ」

 妃那はクリームのたっぷり乗ったカフェオレを優雅な仕草で飲んでいる。何か注文すれば、とメニューを渡されたが和奏はセルフサービスの水で済ませることにした。ここのドリンクの値段は軒並みラーメン一杯分だ。自分のお小遣いではとても飲む気にはなれなかった。ミントが浮かぶ洒落たガラスのウォーターサーバーから水を注ぐ。蛇口にミントが詰まってうまく水が出なかった。グラスに半分ほど注いだところで諦めてテーブルに戻る。


「本当にあの店に行くの」

 和奏は不安げに訊ねる。妃那の気が変わってくれていたらいいのに、と願いながら。

「うん、面白そうでしょ。莉子がね、先輩と付き合えますかって聞いたら思い切って告白しなさいってお告げをもらったのよ。それで成功したの。学校でも当たるって評判なんだから」

 妃那は友人の恋愛が成就した話をいくつも教えてくれたが、和奏の悩みは部屋の異音という怪現象だ。頭痛を訴えているのに、胸に聴診器を当てられているような的外れな気分になる。


 妃那がカフェオレを飲み干し、席を立つ。

「さ、行きましょ。いいじゃない帰り道だし」

 妃那は興味本位、物見遊山のような気分なのだろう。それでも一応心配してくれているのだと思うと、和奏は無碍に断ることはできなかった。


 気乗りしないまま電車に乗り、マンション最寄り駅の一つ手前の深見北駅に到着する。深見北駅の東側は商店街のアーケード、西側は昭和風情のうらぶれた繁華街だ。占い館ミスティムーンは繁華街側に位置していた。

 改札を出るとサラリーマンや日雇い労働者たちがお気に入りの店を目指して歩いてゆく姿があった。時計を見れば午後六時、日はすっかり落ちて猥雑なネオンが灯り始める。


「やっぱりやめようよ」

 不安に駆られた和奏は妃那のカーディガンの裾を引っ張る。

「せっかくここまで来たのに、行ってみようよ」

 妃那はスマートフォンの地図アプリを確認しながら、ミスティムーンの入っている雑居ビルを探して歩き始める。焼き鳥屋にキャバクラ、チェーン展開の激安居酒屋の前を通り過ぎる。赤色の半被を着た客引きの男が物珍しそうに二人を値踏みしている。妃那はその視線を無視してデンタルクリニックの前で足を止めた。


「このビルのはずなんだけど」

 クリニックの脇に狭い階段が伸びている。薄暗い階段の先にミスティムーンの紫色の看板が出ていた。

「これ、絶対やばいよ」

 和奏は階段を上ろうとする妃那を引き留める。

「お店の雰囲気だけでも見てみようよ」

 妃那はこの状況を楽しんでいるようだ。和奏にはそんな度胸はない。しかし、強引な妃那に手を引かれてコンクリートの階段を恐る恐る上っていく。両側の壁はスプレーによる落書きで埋め尽くされている。よくよく見ると、インチキ占い師、サギ師、クソババア、と罵倒の文言が書かれていた。

 どう考えてもこの店にいるのは当たる占い師だと思えない。


 狭い踊り場の右手、黒く塗られたドアにオープンの文字の看板が掛かっている。

「開いてるみたい」

「でも、占いって予約がいるんじゃない」

 和奏はどうにかして引き返したかった。妃那が迷わずドアをノックする。和奏は妃那の背後に隠れるようにそわそわしながら待つ。


 突然ドアが内側に開き、そこにフードを被った女が立っていた。濃いダークレッドの口紅、黒に金ラメのショールを羽織り、紫色のドレス、首元にはラピスラズリの嵌め込まれた大ぶりの金のネックレスを下げている。和奏は呆気に取られ、身を固くした。

「ひゃっ」

 妃那も思わず悲鳴を漏らす。遅れて室内からエキゾチックなお香の匂いが漂ってきた。ダウンライトの部屋は不穏な雰囲気に包まれている。


「あなた、じゃないわね、あなた」

 占い師は腕をぴんと伸ばして和奏を指差す。人に指をさすのは失礼だと母から教わっていた。占い師の堂々たる仕草に和奏は思わず眉をしかめる。

「あ、私、今日塾があるのを忘れてた。ごめんね、和奏」

 妃那は苦笑いを浮かべ、脱兎のように階段を駆け下りてゆく。占い師は無言のままフードの奥からその様子を眺めていたが踵を返し、店内に戻っていく。そして振り向いて和奏をじっと見据える。


「冷やかしじゃないなら入りなさい」

 低めのハスキーボイスで命じられ、和奏は占い師の言葉に呪縛されたかのように恐る恐る薄暗い店内に足を踏み入れた。バタン、と背後で扉の閉まる音がして呼吸が一瞬止まる。もう逃げられない、一体どうなるのだろう。和奏は不安に血の気の引いた唇を噛みしめる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怨霊プリズン 神崎あきら @akatuki_kz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画