彼女の実家

リラックス夢土

第1話 彼女の実家

 俺には結婚を考えている彼女がいる。

 彼女の名前は弥生やよい


 弥生は俺と同じ会社に入った同期だった。

 彼女の存在に気付いたのは新入社員の歓迎会の時。


 先輩に酒を勧められて断りきれず俺は飲み過ぎてしまい気分が悪くなった。

 トイレに立ったのはいいがトイレの入り口付近で俺は気持ち悪くてうずくまる。


「大丈夫ですか?」


 その時、心配そうに俺に声をかけてくれたのが弥生だった。

 見た目はメガネをかけていて地味なスーツ姿。

 どう見ても田舎から出て来て都会の会社に就職したんだろうと思えるような女だ。


 別に弥生に一目惚れなんかしたわけじゃない。

 だが気分の悪い俺の背中を擦ってくれたりハンカチを貸してくれたり水を持って来てくれた彼女の優しさがなぜか身に染みた。


 当時、俺は同じ大学に通っていた彼女と別れたばかりだったのだ。

 別れた理由は彼女は大学のある地元で就職したのに俺は都会を就職先に選んだから。


 就職先を探す時に俺はその彼女に自分と同じ都会に就職して都会暮らしが慣れたら結婚しようと話した。

 しかし彼女は「実家から通える範囲に就職したい」と自分の希望を曲げることはなく俺より先に就職先を決めてしまった。


 俺に残された選択肢は二つ。

 彼女と共に地元で就職するか都会の会社に就職するか。


 だが俺は国際的な仕事も視野に入れていたので地元よりも将来性のある都会の会社を選んだ。

 その結果、お互いに「遠距離恋愛」は無理と判断し別れた。


 後悔が無かったと言えば嘘になる。

 その彼女とは高校生からの付き合いで7年も交際していたのだから。


 でも今の俺には仕事があると思っていたからこの時の先輩からのお酒を断ることなく自分の好印象を先輩たちに持ってもらいたいと思い飲んだ。

 そして同じ新入社員に介抱されるという恥を晒してしまった。


「悪いけど先輩たちには内緒にしてくれる?」


 良い気分で飲んでいる先輩たちに迷惑をかけたくない俺は弥生にそう頼んだ。


「はい」


 弥生は嫌な顔せず先輩たちに内緒で介抱してくれた。

 そしてその場は弥生が介抱してくれたおかげで先輩たちに俺が飲み過ぎた事実を隠すことができた。


 その感謝を伝えたくて後日弥生を食事に誘った。

 歓迎会の時は俺が気分が悪かったせいでまともに話ができなかったが彼女と話してみて自分と趣味や価値観の合う女性だと気付いた。


 そして俺が思った通り彼女は都会から離れた所から来たと教えてくれたのだがなぜか彼女は自分の出身地の名前を具体的には言わなかった。

 彼女にも何か事情があるのかもと俺も深く訊くことはしなかったがそれから何度か彼女と食事と話をして俺は自覚する。


 弥生に恋をしている自分に。


 そうなるとすぐに弥生を自分のモノにしたくなった。

 告白すると弥生は付き合うのにひとつだけ条件をつけてきた。


 それは弥生の家族には会わないことというものだ。

 自分の出身地すら言わない弥生には何か生い立ちに秘密があるのかもしれない。


 しかし既に弥生に惚れ込んでいた俺は弥生が何者でもかまわないと思った。

 家庭環境に問題のある家庭なんて腐るほど存在する。


 むしろ弥生が隠したい家族なら家族に会わなくても俺と付き合うのには支障にはならない。

 俺だって実家は遠いからすぐに弥生を自分の親に会わせることはないだろうし。


 その条件を承諾して俺と弥生の交際はスタートした。

 弥生はいろいろ気配りもできる女性で俺は弥生に支えられながら仕事も頑張った。


 それから8年が過ぎ俺は30歳を迎える。

 職場では仕事が認められ既に管理職になっていた。


 だからこれを機に弥生にプロポーズをしようと思った。

 自分を支え続けてくれた弥生とこれからも一緒にいたい。


 機会を見つけてプロポーズをしようと考えていた時にいつものように弥生が俺の家に来て二人になる。

 そしていつもと同じく俺と弥生は「都市伝説」の動画を二人で見ていた。


 俺と弥生の共通の趣味は「都市伝説」が好きなところだ。 

 今もそのお気に入りの「都市伝説」に関する動画が流れている。


 プロポーズをするには少しムードがないかもしれないが自然体でプロポーズをしたかった俺は弥生にこの場でプロポーズをしようと決めた。


「あ、あの、弥生。話があるんだけど…」


「なに?」


「俺と結婚して欲しい」


 俺は用意していた指輪の入った小箱を渡してそう伝える。

 弥生はきっと俺のプロポーズを受けて喜んでくれるという確信が俺にはあった。


 だが弥生の表情が曇る。

 その表情に俺は焦った。


「もしかして俺とは結婚したくない?」


 弥生は首を横に振る。


「違うの。私もあなたと結婚したいけど私は結婚する時は家を継がなくてはならないから実家に戻らなければならないの」


「え?」


 まさか弥生が跡取り娘だとは思わなかった。


 ああ、そうか。だから彼女は家庭のことや俺を自分の家族に紹介したくなかったのか。


 俺が弥生と交際している時に弥生の両親に会えばきっと弥生の両親は俺を婿養子にして自分たちの稼業を継がせたがると弥生は思ったに違いない。

 弥生には今の仕事を頑張りたいと出逢った頃から言っていたから弥生は俺の負担になりたくないとあの条件を出したのだろう。


 だが俺の心は決まっていた。

 確かに今の会社で管理職にまでなった俺は今の仕事にやりがいを感じている。


 しかしここまで俺が頑張れたのは弥生のおかげだ。

 弥生の実家がどうしても跡取りが必要な実家なら転職してもかまわないと思った。


 大学の時に付き合っていた彼女よりも俺は仕事を取った。

 もしすぐにその後に弥生に出逢えなければ俺は社会に潰されていたと思う。


 ここでまた弥生ではなく仕事を取ったら俺は後悔する。


「それなら俺は今の会社を辞めて弥生と結婚して婿養子になるよ。弥生の実家に住んで弥生と一緒に弥生の家の稼業を手伝うよ」


「え? 本当にそれでいいの? わ、私の実家って遠いからそう簡単にここへは戻れないかもよ?」


「かまわないさ。弥生の実家がどんな田舎でも外国でも俺は弥生について行くよ」


 俺がそう言うと弥生は涙を流して俺に抱き付いてきた。


「ありがとう。私はあなたと結婚するわ。でも私から父に話してあなたが今の会社を続けられるようにお願いしてみるわ!」


「分かった。でも無理そうなら俺は今の会社を辞めるから気にしないで、弥生」


「う、うん。本当にありがとう」


 弥生は俺のプロポーズを受けてくれた。

 俺はそれに満足しながらこれからのことについても考える。


 もし弥生の言う通りに弥生の両親が今の会社勤めを許してくれても弥生の実家から会社まで通勤の時間がどのくらいかかるか分からない。

 なにしろ未だに弥生の実家がどこか分からないのだから。


 新幹線通勤などになったら課長とはいえ俺の給料では無理だ。

 やはり転職を覚悟した方がいいだろう。


 でも弥生が傍にいてくれるだけで俺はどこに行っても頑張れる。


 だがその他諸々のことは置いておいてまずは弥生の両親に結婚の挨拶をしなくてはならない。

 それに両親に挨拶に行けば弥生の実家がどこか判明するし。


「弥生。君のご両親に挨拶に行きたいんだけどいつが都合がいいかな?」


 すると弥生は自分の腕時計で時間を確認した。


「ちょうど今からなら実家に行けるわ。明日から連休だし挨拶だけなら今から行って帰って来れるわ」


「え? 今からかい?」


 時間はもう夜遅い。

 電車は終電も近い時間だ。


「いや、こんな夜中に行ったらご両親は怒るんじゃないか? それに新幹線ももう終電だろ?」


「お願い。私のことを信じてついて来て欲しいの」


 弥生はいつになく真剣な表情だ。

 俺は弥生の気迫に呑み込まれて頷いた。


 とりあえずスーツ姿に着替えて手荷物は貴重品だけを持った。

 本当はご両親に渡すお菓子の手土産も欲しいところだがもうお店は閉店しているだろう。


 俺は弥生に連れられて最寄り駅から電車に乗る。

 この電車は終電のひとつ前だ。

 こんな時間に出発して果たして遠くの田舎までどうやって行くのか。


 弥生のことは信頼しているが俺には弥生の実家がどこにあるのか見当がつかない。


「弥生。どこの駅で降りるんだ?」


「降りる駅になったら教えるから」


 そのまま弥生は黙ってしまう。

 仕方なく俺は弥生が「降りる」というまで弥生と一緒にその電車に乗り続けた。


 乗客はどんどん降りて行きいつの間にか車両には俺と弥生だけが残される。


 終電のひとつ前なのになんでこんなに人がいないんだ?


 不思議に思ったところで電車が駅に停車した。


「ここで降りるわ」


「え? あ、ああ…」


 俺は弥生に手を繋がれてその駅のホームに降りた。

 そこは見たこともない何もない田舎の駅のホームみたいだった。


 こんなところ都内近郊にあったか?


 不審に思った俺が駅名を確かめようと駅名の看板を見るとそこには「きさらぎ駅」と書いてある。


「は? きさらぎ…駅……」


 俺は自分が夢でも見ているのかと思った。

 すると俺と手を繋いでいる弥生の笑う声が聞こえる。


「あなたは昔から「きさらぎ駅」の都市伝説が好きで一度はきさらぎ駅に来たいって言ってたでしょ? 夢が叶って良かったわね」


「は? え? ほ、ほんとにきさらぎ駅…なのか?」


 激しく動揺する俺はパニック寸前だ。

 すると俺を落ち着かせるように弥生は俺の身体を抱き締める。


「そうよ。本物の「きさらぎ駅」よ。私はこの「きさらぎ駅」がある世界の人間なの。訳があってあなたの世界に行って暮らしてたんだけどね。さあ、私の実家に行って両親に挨拶しましょ?」


「あ、ああ、そうだ。結婚の報告を……」


 弥生のおかげで俺はなぜここまで来たかを思い出す。


 そうだ。弥生のご両親に会って弥生との結婚を認めてもらわねばならない。

 それにしても弥生が「きさらぎ駅」のある世界の人間とは……


「どうしたの?」


「ああ、ごめん。なんだか混乱してて……」


「まあ、気持ちは分かるわ。都市伝説では「きさらぎ駅」に行くことがメインの話が多くて私みたいに「きさらぎ駅」から来た人の話ってあまりないのよね。なんで「きさらぎ駅」のある世界にも自分たちと同じような人間が住んでると思わないのかしらね?」


「いや! 普通は思わないだろ? 弥生」


「どうして? もしこちらの世界を異世界と呼ぶなら私から見たらあなたの世界が異世界よ。何か違いあるの? それとも異世界人とは結婚できない?」


「…っ!」


 弥生の言葉はその通りだ。

 それに弥生が異世界人でも関係ない。


 弥生は弥生だ。


「弥生と結婚する意志は変わらないよ。ただ、ちょっと、いや、すごく驚いただけだ。確かに弥生の実家は遠いかもな」


 新幹線通勤などという考えは生温い考えだった。


「じゃあ、私の実家に行きましょう」


 きさらぎ駅を出ると車が一台停まっていた。

 運転手らしき男が声をかけてくる。


「弥生お嬢様。お迎えにあがりました」


「弥生…お嬢様?」


 運転手の言葉を聞いて俺は弥生を見る。


「あなたに内緒にしていてごめんなさい。私はこの世界の公爵令嬢なの」


「…公爵…令嬢……って、じゃあ、弥生と結婚したら俺は……?」


「未来の公爵様ね」


 俺の頭は完全に真っ白になった。






「桜木部長。おはようございます」


「おはよう」


 俺は自分に挨拶してきた部下に挨拶を返す。

 そして部長室に入り仕事の準備をする。


 弥生が「きさらぎ駅」のある異世界の公爵令嬢と知ってから既に20年が経った。

 あの後少しの騒ぎはあったが俺は無事に弥生と結婚した。


 そして弥生は自分の父親にかけあい俺が転職しないで今の会社で働けるように話をつけてくれて今の部長としての俺の地位がある。


 いや、地位だけでいうなら異世界での俺の地位の方が高いだろう。

 なんといってもあちらの世界では「サクラギ公爵」なのだから。


 弥生は公爵夫人として今日も社交をしているだろう。

 弥生との間には息子が二人いる。とりあえず異世界人であっても子供ができたことにホッとしたのは事実だ。

 公爵家の血筋を絶やすわけにはいかないのだから。


 あちらの世界には王侯貴族が存在するがけしてこちらの世界と比べて文化や生活水準が低いわけではない。

 

 俺は仕事用のパソコンとプライベートのパソコンの両方を起動させる。

 まだ就業時間前だからプライベートでネットを見てもいいだろう。


 そこには俺の好きな「都市伝説」に関する動画がアップされている。

 もちろん「きさらぎ駅」についての話も。


「俺が真実をネットに投稿しても誰も信じないだろうな。毎日「きさらぎ駅」から通勤してますなんてさ」


 年齢を重ねても自分が異世界人になっても俺の趣味は変わらない。

 そして大好きな趣味だからこそ分かる。


 「都市伝説」は嘘か本当か分からない伝説だからこそ面白いのだと。


 そこで就業時間になり俺は仕事モードに自分を切り替えた。


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