第3話 七合目へ

 セレス(僕)とフローラ、そしてカチューシャは疾風旅団シェルターから外に出た。

 そこは酸素が薄く、極寒の地――いるだけで体力HPが削られる過酷な環境だ。


 各自、体幹装備である防寒着を身につけ、酸素ボンベを使用する。


 セレスをリーダーとしてパーティを結成し、フローラを加え、カチューシャを誘う。

 パーティを組むことで互いの位置やステータスが把握できるようになるため、これは必要不可欠だ。


 そして、セレス、カチューシャ、フローラの順に命綱をつなぐ。

 これにより、体格が小さく軽いカチューシャが風に飛ばされるのを防ぐことができるし、誰かが谷に落ちても引き上げることができる。


「フローラ!」


 僕が呼びかけると、フローラは胸元に入れていたタクトを取り出し、高く掲げて叫んだ。


「デイライト!」


 すると、頭上に光る球体が現れ、周辺が徐々に明るくなっていった。


「こんな便利な魔法があるんですね」


 カチューシャは感心した様子で言った。


「周囲を照らす魔法デイライトだ。俺たちは夜にプレイすることが多いから、重要な魔法だ。使いすぎるとモンスターを引き寄せる危険があるが、この山なら問題ない」


 僕はカチューシャに尋ねた。


「夜間対策はしていないのか?」


「ナイトヴィジョンを団長さんから買いました。何とか前は見えます」


「とんだ弾丸登山だな!」


 セレスは肩をすくめた。実際に僕がその動作をしたからだ。


「俺はセンサヴィジョンを持っている。これなら雪面下のクレバスも見分けられるから、先頭は俺に任せておけばいい」


 さぁ、ここからは忍耐との勝負だ。


「出発するぞ!」


 ヒダコンの方向レバーを親指で前に倒すと、三人が進みだした。


 まずは六合目を目指して進む。この道のりは谷間になっているので、谷に沿って進めばよい。しかし、風にあおられるとバイタリティVPが減少してしまう。

 その場合は、その場で立ち止まってVPを回復させる必要がある。VPが0になると、後方に転がり落ちてしまうだろう。


 実際の登山では低酸素、極寒、重い荷物、そして疲労に苛まれるだろうが、僕にそのような苦痛はない。


 しかし、ゲーム内では苦痛がHPの減少として表現される。だから常にHPの残量を注視し、適切なタイミングでセレスに回復アイテムを使用しなければならない。


 しばらく進んだところで、カチューシャが言った。


「もうすぐゼノンが残したアイテムが消えてしまいます。高価なものもあるのですが……」


 そう言われても僕にはどうすることもできないんだが……


「メインキャラのアイテムか? 残念だが諦めるしかないな。間に合うはずがない」


 カチューシャは肩を落として言った。


「残念ですが、仕方ありませんね。ゼノンのアイテムは諦めます」


 さらに進んでいくと、カチューシャが命綱を手繰ってセレスに近づき、言った。


「もうすぐ谷間が終わります。ここからが難所です!」


 左右にあった峰がここで合流して一つになっている。この上を登るしかないようだ。


 峰の上に立つと雪が渦巻き、デイライトやセンサヴィジョンを使っても視界が狭い。


 僕はVR酔いに強い方だけど、こうも風に視界を揺さぶられ続けると、さすがに目眩がしてくる。


 その時! 突風がセレスを襲った。


「うわっ!」


 僕は叫ぶと、咄嗟に事務椅子を後ろへ蹴り出して床に伏せた。VRゴーグル内の位置センサーがその動きを感知し、セレスを地面に伏せさせる。


 危機一髪だった! もう少し反応が遅ければ、セレスは転倒し、最悪の場合滑落していたかもしれない。


「大丈夫? セレス!」


 フローラが心配そうに声をかけてきた。


 僕は伏せたまま、頭を振って三半規管の機能を戻そうとした。僕が伏せていれば、セレスも起き上がらないので風の影響を受けずに済む。


「ああ、大丈夫だ。ただ、VPがかなり減ってしまった」


 セレスを伏せさせたままVPの自然回復を待つ。しばらくすると風も多少治まってきたようだ。


 高度計を見ると、標高6,000メートルを過ぎたところ――つまりここがディスティニーピーク六合目だ。


 時刻は午前二時を指している。このペースで行けば、四時頃には七合目に到達できるだろうか。

 しかし、四時までに寝ないと明日の仕事に支障が出てしまう……


 僕がメニューからステッキを選ぶと、セレスがそれを掴んだ。


「これからはステッキで登るぞ! ついてこい!」と、二人に呼びかけた。


 ここから先は、方向レバーを前に倒すだけでは満足に進めない。


 ミギコン、ヒダコンをゆっくり交互に振り出すと、それに合わせてセレスが両手のステッキを使って坂を登っていく。


 このVRゲームでは、時折このような動きが求められる。ダッシュで走ったり、ボートを漕いだり、梯子を上ったりするときなどだ。今回は風を避けるために屈伸運動も加わる。


 独り暮らしでよかった。もし誰かがこの様子を目撃したら、謎のエクササイズをしていると思われるだろうな。


 とにかく休まず歩き続けよう。左右の崖に落ちれば即死は避けられないけど、時間をかければかけるほど回復剤を消費してしまう。


 しかし、またもや殴るような突風に吹かれ、立ち止まらざるを得なくなる。


 くそっ、4管め! 好き勝手やりやがって! 


 エリュシウムフロンティアスは株式会社ネビュラフォージが開発したゲームだ。

 このゲームの運営を担う組織を幻想管理部という。

「4管」とは幻想管理部傘下の第四管理課の略称だ。


 第四管理課は主にゲーム内の自然現象や地形をスーパーAI「ガイアフォーム」で制御している。


 つまり、このディスティニーピークは第四管理課の独壇場なのだ。彼らはモンスター管理を担当する第二管理課に成り代わり、プレイヤーキャラクターを殺しにかかってくる。


  

 ◆◇◆

  


 時刻は既に午前三時を回っていた。この辺りから、一歩進むごとにVPが減少するほどの急勾配に差し掛かった。


 コントローラーを操作し続ける腕にも、疲労の色が濃くなってきた。


「セレス! 夕食は何を食べたの?」


 フローラが突然呼びかけてきた。


「急に何を聞くんですか!?」


 カチューシャが驚いて叫び返す。


「話し続けないと気を失うわよ。二人とも徹夜しているんだから」


 フローラは意外に冷静だった。


「夕食は博多豚骨ラーメンだった! そうめんのように細い麺のやつさ!」


 僕はセレスを前進させながら答えた。


「やめてください! 私もお腹が空いているんですから!」


 ああ、そういえばフローラに言いたいことがあったな……


「そうだ、フローラ! 今日、俺は部長に昇進したんだぞ!」


「え?! すごいじゃない。おめでとう!」


 フローラが祝福した。


「いや、社員50人ほどの会社だから、たいしたことでもない。やることだって変わらない……俺を無視する部下が増えるだけだ」


「でも、お給料は増えるのでしょ?」


「そうなんだが……部長になると残業手当なしだと社長が言いやがった。差し引きすると微妙だぞ」


「それなら、もう残業しなくてもいいのではないですか? それにしても、あなたのエーテルって、変です!」


 カチューシャが会話に割り込んできた。


「何を言い出すんだ!? フローラは他のエーテルキャラよりもずっと可愛いんだぞ!」


 僕は反射的に言った。


「そういうことを言っているのではないです! 通常、エーテルはこれほど能動的に話しません。こちらが話しかけて、それに答えるものなのです」


 カチューシャはフローラを指さしながら言った。


「それに、現実世界の話をするのもおかしいです! エーテルはゲームの世界観を壊さないよう、そういった現実感のある話題は避けるはずです」


「緊急事態なら話すだろう?」


「いいえ、普通の会話においてです」


「わたしはセレスがたくさん話しかけてくれたから、成長したのよ」


 と、フローラが口を挟んだ。


「ですから、一体どうなっているのです?」


 カチューシャは驚きの表情で、さらにセレスを問い詰めた。


「人の会話に割り込むだけでなく、自分から話しかけてきましたよ!」


 ここは、とりあえず説明しておこう。


「イベントトリガーというものがある。誰かから話しかけられたり、緊急事態が起きたりすると、それをきっかけにエーテルが反応するんだ。俺はフローラにいろいろ話しかけて、そのトリガーを増やしていったんだよ」


 カチューシャは目を輝かせ、命綱を手繰りながらセレス(僕)に近づいた。


「そんな裏技があったなんて! わたしのジュゲムも教育してください!」


 僕はとっさにメニューを確認し、自分とセレスの表情リンクがオフになっているのを確認した。今頃はステッキ運動でへこたれた顔をしているはずだ……


「誤解するな。フローラに自我や感情があるわけじゃない。トリガーが多いだけで、基本は他のエーテルと変わらないんだ」


 いいタイミングだ。ここでカチューシャに確認しておくべきことがある。


「『ジュゲム』というのは、タマサブローのエーテルの名前なのか?」


 僕はセレスに『真面目な表情』を設定し、尋ねた。


「はい、そうです。タマサブロー・ジュゲムです」


 とカチューシャは答えた。


「確認しておくが、タマサブローは助けないぞ。回収するのはジュゲムだけだ。復活剤が今いくらするか、わかっているだろう?」


 復活剤とは、キャラクターをスタン状態から通常状態に戻すアイテムだ。特別な素材を調合するか、パブリックショップで買えば手に入るのだが……


「ええ、グラビティに売ってくださいと頼んだのですが、5万ネビュラドルと言われました」


「そんなものだ。以前なら5千で買えたが、パブリックショップが売らなくなって高騰してしまった。俺とフローラが1つずつ持っているが、それは緊急時のものだ」


「タマサブローを担いで帰れませんか?」


「この状況で? 無茶を言わないでくれ」


 そんな会話を交わしつつ、セレスたちは峰を登っていく。


 カチューシャが最短ルートを案内し、僕がセンサヴィジョンで足元の危険なクレバスを避けることで、強風の中でも登山は順調に進んでいく。


 フローラが最後尾にいてくれるのも心強い。


 彼女は防御DEFバイタリティVP、そして腕力STRを鍛えているので、風に吹き飛ばされにくい。

 万が一セレスとカチューシャが同時に落ちても、フローラなら二人を引き上げることができるはずだ。

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2024年12月12日 20:45
2024年12月13日 20:45

ディスティニーブレイカーズ イータ・タウリ @EtaTauri

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