「虚空に舞う約束と思い出」

 闇オークションが始まるよりも遠い昔。地球で迷子になっていた異界人の少年ファンは若い画家に拾われていた。画家は煌を心から愛し、彼をモチーフにした絵を何枚も描いた。


 その絵が売れ始めると、同時期に画家を目指していた男が彼の才能と煌の存在を妬んだ。ある日煌を拐かした男はとある製薬会社に煌を売り込み、そこの娘と結婚して会社そのものを乗っ取った。煌は地下に幽閉され、特異な体質から様々な実験の被検体となってある日突然一切の動きを止めた。男は再度煌を起こそうとしたが、その甲斐もなく先日115歳で亡くなった。


 そして煌を探すため人間に紛れたオーレリアンは、煌とそっくりな天使がたくさん描かれた絵画に注目した。この絵画をたどって行けば、いつか煌に辿り着けるに違いない。そこで目をつけたのが、ヴァルクの絵画を収集していたメイキーだった、ということだった。


 オーレリアンと意識を取り戻した煌の話により、オークションの参加者たちは事情を把握したがすぐには信じることができそうにない話ばかりだった。


「私たちの寿命はあなた方と違いますので、それほど焦りはしませんでしたが随分と心配はしました」


 オーレリアンは煌と共に頭を下げた。百年の時を経て再会したとは思えないほど彼らはあっさりしていて、それが彼らの時間の感覚であることを物語っていた。


「そ、そう言えば8億ドルはどうなるんだ!?」


 焦ったメイキーが尋ねると、やはりオーレリアンはのんびり答える。


「心配しないでください。おそらくこの研究所には未公開の煌の検体が眠っているはずです。それらを考えると、8億ドルくらい訳ないでしょう?」


 参加者たちは一斉に宮津を見る。


「実は私も先日亡くなる直前の竹村から託されたばかりで、この施設全体のことはよく知らないんです」

「遺書にはなんて書いてあったんだ?」

「私の仕事は、煌を含めた美術品の処分だけです。それ以外の経営方針については、何も」

「それじゃあ何故オークションを託された?」

「少々、昔の縁です」


 メイキーを始め、オークションの参加者たちは宮津の素性に疑問を抱いた。年若い彼が115歳の老人と彼がどのような繋がりを持っていたのか、説明はなかった。


「元々誘拐されて監禁してきた者に支払うものも、本来はないと思うのだけどな。それでは、そろそろ帰ろうか」


 オーレリアンは煌の手をとった。


「少しだけ待って」


 煌はオーレリアンの手を払うと、宮津に駆け寄った。その瞳には、例の未発表の絵画にあった熱情が込められていた。


「よかった、本当によかった」


 宮津の瞳から大粒の涙がこぼれていた。二人は固く抱き合い、別れの時を惜しんでいるようだった。


「とうとう迎えが来てしまった。帰らないと」

「君は君のいるべき世界に帰った方がいい」

「でも、それではヴァルクが」


 その時、フレイム・エイブが叫んだ。


「そうだ、確かにこいつはヴァルク本人だ! 鮮明な肖像ではなかったが、雑誌に一度だけ掲載された写真と瓜二つだ」

「ヴァルクは筆名だ。アジア系の名前だと、どうしても箔がつかなかったんだ」


 宮津――かつてヴァルク・エンデバーと名乗った画家は煌の頭に触れる。


「私のことは気にするな。君と過ごした日々があれば、それでいい」


 抱き合う二人に、実業家の林玉慧が申し訳なさそうに話しかけた。


「感動的な場面に水を差すようで申し訳ないが……竹村氏が不老を手に入れられなくて、こちらが不老不死になったのは一体どういう訳だろうか?」

「それは簡単なことさ。僕らは愛し合った、奴は僕を愛しているわけではなかった、それだけさ」


 それを聞いて、不老不死の秘密を知った一同は顔を見合わせてため息をついた。それ以上のことを質問するのは、この少年への敬意を著しく損ねる行為であることであった。


「さあ、皆が待っています。こちらへ」


 オーレリアンに促され、煌はヴァルクから離れた。しかし、いつまでも名残惜しそうに彼を見つめ続けた。


「もしまたどこかで出会うことが出来たなら、今度は共に歩いて行けるよう願うよ」


 煌がそう言ったことを、メイキーは確かに聞いた気がした。


 そこから先の記憶は酷く曖昧であった。


「……あれ、今、一体誰と一緒にいたんだ?」

「急にぼんやりされて、どうなされましたか?」


 メイキーは付き人に肩を叩かれて、辺りを見回す。今日は先日のオークションで高額商品を落札した美術家として、懇親会に参加しに讃岐製薬の研究所へやってきたのであった。デザイナーや実業家、女優に美術品収集家など、参加者の顔ぶれから人脈を築くのにちょうどいいと参加を決めた、ような気がする。


「いや、確かここに天使がいたような気がするんだけど……」

「絵の見過ぎではないですか?」


 付き人は不思議そうにメイキーに話しかける。その付き人はメイキーの昔なじみの男であったが、先ほどまで一緒にいた人物ではない気がする。


「確かにいたんだよ、天使が……」


 誰に尋ねても、この研究所に来たのは懇親会のためだと言う。それから先日のオークションマスターが挨拶に来た。白い髭を蓄えた立派な老紳士であった。他に何か用事があったはずではないかとメイキーは尋ね回り、付き人に呆れられてしまった。


***


 それから、メイキーはすっかりヴァルク・エンデバーの作品に対して興味を失ってしまった。昔はもっと世間の評判も高かった気がするが、夜空に天使という構図はやはり陳腐であるとメイキーは思い直す。何故こんなものに現を抜かしていたのか、自分でも思い出すことができなかった。


 ついにはとうとう、所蔵していたヴァルクの絵画を庭に集めて燃やしてしまった。ヴァルクの絵は贋作や複製も多く出回っていて、そのことで庶民が親しむ絵と再評価されたために市場での価値も下がってしまった。今では誰も、見向きもしない。


「こんなもの、持っていても仕方がない」


 煌めく夜空を背景に微笑む天使が燃えていく。それを見て、メイキーは胸の奥がどうしようもなく締め付けられたような気がして、涙を流した。しかし、彼はそれを煙が目に染みたせいだとメイキーは気にも留めなかった。


〈了〉

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煌めく夜空と天使の肖像 秋犬 @Anoni

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