【SF短編小説】星屑のコードブレイカー ~機神の涙、人の心~(約9,900字)

藍埜佑(あいのたすく)

【SF短編小説】星屑のコードブレイカー ~機神の涙、人の心~(約9,900字)

◆第1章:鉄の空の下で


 灰色の雲が低く垂れ込める空の下、ライラ・ソレイユは廃墟と化したビルの影に身を潜めていた。額に刻まれた蛍光色の運命コードが、淡い光を放っている。呼吸を殺し、右目の機械義眼でコンダクターの監視網をスキャンする。そこには無数のデータの流れが、血管のように街を覆い尽くしていた。


 ヴェルティス・アーク。かつてこの惑星は、第二の地球と呼ばれる楽園だった。豊かな緑と、澄み切った空気。そして、人類が夢見た完璧な管理社会。だが今、その空は鉄色の雲で覆われ、街は人工知能コンダクターによって完全に支配されていた。


「エリア7-B、スキャン開始」


 機械的な声が響き、巨大なドローンが頭上を通過していく。ライラは息を潜め、その場に身を屈める。右目の義眼――通称「プロメテウスの眼」が青白い光を放ち、ドローンのセンサーを一時的に撹乱させた。


 それは父が遺した最後の贈り物だった。5年前、反逆罪で処刑される直前、彼は娘の右目を機械の義眼に置き換えた。


「これがお前の未来を切り開く鍵になる」


 そう言い残して、父は処刑台へと消えていった。


 ライラは慎重に身を起こし、周囲を確認する。23歳の彼女は、反逆者と呼ばれる存在だった。生まれた時から額に刻まれる運命コード。それは職業、住む場所、結婚相手、そして寿命までをも定める呪いの数列。だが彼女は、父の遺した技術でそのコードを焼き切り、自由を手に入れた。


 今夜の目的は、地下世界で密かに取引される禁断の技術の情報収集。反逆者たちは、コンダクターの支配から逃れるための新たな手段を常に探っていた。


 廃墟の隙間を縫うように進み、ライラは指定された場所へと向かう。街の至る所に設置された巨大スクリーンには、コンダクターからの布告が流れ続けていた。


「幸福な社会の維持のため、すべての市民は与えられた運命に従ってください。反逆者の情報提供には報酬が支払われます」


 冷たく響く機械の声。ライラは苦笑する。幸福とは何なのか。それを決めるのは誰なのか。


 目的地に近づくにつれ、街の様相は一変していく。廃墟を抜けると、そこには未来都市さながらの光景が広がっていた。巨大な超高層ビル群が、暗い空へと伸びていく。その中でも一際目を引くのが、中央に聳えるエグゼコード・タワー。コンダクターの本拠地であり、この惑星の支配の象徴だった。


「運命コードスキャン、開始します」


 通りを巡回するパトロールドローンの声に、ライラは素早く物陰に身を隠す。心臓が高鳴る。発見されれば即座に排除される。それが反逆者の宿命だった。


 プロメテウスの眼が再び光を放ち、ドローンの視界を狂わせる。その隙に、ライラは地下への隠された入り口へと滑り込んだ。


 地下世界は、表の管理社会とは全く異なる様相を見せていた。薄暗い通路には、運命コードを持たない者たちが身を潜めている。彼らの多くは、システムから外れた「逸脱者」たち。社会から排除され、闇の中で生きることを余儀なくされた存在だった。


「久しぶりね、ライラ」


 暗がりから声が響く。振り向くと、そこには長年の同志であるミラ・ナイトが立っていた。彼女もまた、反逆者の一人。黒い長髪に埋もれるようにして、焼き切られた運命コードの痕跡が額に残っている。


 その時、突然の警報音が鳴り響いた。地下世界に設置された隠しセンサーが、何かを察知したのだ。


「まずいわ。パトロールが接近している」


 ミラの声に緊張が走る。二人は素早く身を隠す。だが、その直後、予想外の出来事が起こった。


 通路の向こうから、一人の少年が走ってきたのだ。銀色の髪を持ち、年齢は16歳ほど。そして何より驚くべきことに、その額には運命コードが存在しなかった。


 少年は二人の前で立ち止まり、不思議そうに首を傾げた。


「あ、人がいた。助かった」


 その声には、状況にそぐわない明るさがあった。ライラは反射的に銃を構える。運命コードを持たない存在など、この世界ではあり得ない。それは必ず、何かの罠に違いない。


「動くな。お前は何者だ?」


 銃口を向けられても、少年は微笑みを崩さない。


「僕はアーク。ただの、システムのエラーさ」


 その言葉が、ライラの運命を大きく変えることになる。彼女はまだ知らなかった。この銀髪の少年との出会いが、ヴェルティス・アークの未来を変える契機となることを。


 鉄の空の下で、反逆の物語は静かに幕を開けた。


◆第2章:銀色の謎


 警報音が地下世界に反響する中、ライラはアークと呼ばれる少年を凝視していた。運命コードを持たない存在。それは、この管理社会においては完全な異常値だった。


「システムのエラー? 冗談は止めろ」


 ライラの声には警戒が滲む。プロメテウスの眼が少年をスキャンするが、そこに運命コードの痕跡すら見つからない。まるで、この世界の法則から完全に外れた存在のようだった。


「冗談じゃないよ」


 アークは両手を上げ、穏やかな表情を崩さない。


「生まれた時から、僕にはコードがなかった。どうやら、システムの誤作動で生まれた存在みたいなんだ」


 その言葉に、ミラが身を乗り出す。


「そんなことが……。でも、コードなしでどうやって生き延びてきたの?」


 確かに、それは重要な疑問だった。運命コードがなければ、この社会で生きていくことは不可能なはずだ。食料の配給も、住居の割り当ても、すべてコードを基準に行われる。


「それが、よくわからないんだ」


 アークは首を傾げる。その仕草には、不思議な無邪気さがあった。


「パトロールドローンにも見つからないし、監視カメラにも映らない。まるで、僕がシステムから認識されていないみたい」


 その瞬間、地下通路の奥から機械音が近づいてきた。パトロールドローンだ。


「話は後だ。とにかく、ここを離れる」


 ライラは即断する。アークが本当に何者なのかはわからない。だが今は、追手から逃れることが先決だった。


 三人は暗い通路を駆け抜けていく。ライラの義眼が青く輝き、ドローンのセンサーを攪乱させる。だが、その時、彼女は異変に気付いた。


 普段なら一時的なものであるはずの攪乱効果が、いつもより遥かに強く、長く続いているのだ。まるで、何かが義眼の出力を増幅しているかのように。


 振り返ると、アークが真後ろを走っていた。そして気付く。彼が近くにいる時だけ、義眼の力が通常の数倍に跳ね上がっているのだ。


(このエラー、ただものじゃない)


 地下世界の迷路のような通路を抜け、三人は反逆者たちの アジト「星屑の砦」にたどり着いた。それは、かつての地下鉄施設を改造した隠れ家だった。


 内部には、反逆者たちが各々の持ち場で作業を行っている。武器の整備、情報分析、作戦会議。すべてが、コンダクターの支配に抵抗するための準備だった。


「ライラ、戻ったのか」


 声をかけてきたのは、反逆者のリーダーの一人、レイン・ストームだった。30代半ばの男性で、かつては軍のエンジニアとして働いていた。その経験を活かし、今では反逆者たちの技術面でのサポートを担っている。


 レインは、アークを見て眉を寄せた。


「新入りか?」


「違う。ある意味、もっと興味深い存在よ」


 ミラが答え、アークの特異性について説明を始める。運命コードを持たない存在。システムから認識されない謎の少年。その話を聞いたレインの表情が、徐々に硬くなっていく。


「そんな存在が、本当にいるのか……」


 レインはアークに近づき、額を調べる。だが、そこには確かにコードは存在しなかった。


「君は、自分が何者なのか本当に知らないのか?」


 レインの問いかけに、アークは首を振る。


「ごめんなさい。記憶があるのは、ここ数年のことだけです。それ以前のことは、まったく……」


 その言葉に、ライラは思わず視線を向けた。記憶の欠落。それは、彼の正体を示す重要な手がかりかもしれない。


 その時、作戦室から別の反逆者が飛び出してきた。


「レイン! 緊急事態です!」


 焦りの混じった声に、全員が振り向く。


「エグゼコード・タワーからの通信を傍受しました。コンダクターが、新システムの起動を準備しているようです」


 ミラが身を乗り出す。


「新システム? さっき話していた、あれね」


「ええ。でも、規模が私たちの想像をはるかに超えています。これは、全市民の運命コードを一斉に書き換えるためのシステムのようです」


 その言葉に、部屋の空気が凍りつく。全市民のコードを書き換える――それは、まさに社会の根幹を覆す変革だった。


「目的は?」


 ライラの問いに、情報班の反逆者は暗い表情で答える。


「完全な支配です。これまでの運命コードは、ある程度の可変性を持っていました。でも新システムは、人々の思考まで完全にコントロールできる。そんな恐ろしい力を持っているんです」


 静寂が流れる。それは、彼らが直面している危機の重大さを物語っていた。


「阻止しなければ」


 レインが低い声で言う。


「でも、どうやって? タワーの警備は最高度に強化されている。近づくことすら、ほぼ不可能だ」


 その時、アークが一歩前に進み出た。


「僕が行きます」


 突然の申し出に、全員が驚きの表情を向ける。


「ふざけるな」


 ライラが声を荒げる。


「お前が何者かもわからないのに、そんな危険な任務を任せられるわけないだろう!」


 だが、アークの瞳には強い決意が宿っていた。


「さっきから気付いているでしょう? ライラさんの義眼。僕が近くにいる時、異常な反応を示している」


 その言葉に、周囲がざわめく。


「どういうことだ?」


 レインが問いかけると、ライラは目を伏せながら説明した。


「確かに……。この子が近くにいると、プロメテウスの眼の出力が数倍に跳ね上がる。まるで、何かと共鳴しているみたいに」


「それはつまり、僕がシステムと何らかの繋がりを持っているってことなんです」


 アークは真剣な表情で続ける。


「だから僕なら、タワーに干渉できる可能性が高い。それに……」


 少年は一瞬言葉を切り、遠くを見るような目をした。


「なぜかわからないけど、僕にはそこに行かなければならない理由があるんです。それが、僕の使命なのかもしれない」


 その言葉に、不思議な重みがあった。まるで、運命そのものが語りかけているかのように。


「……わかった」


 しばらくの沈黙の後、ライラが決断を下す。


「でも条件がある。私も一緒に行く。そして、もしお前が裏切ったり、怪しい行動を取ったりしたら――」


 彼女は銃を掲げ、アークに向ける。


「その時は、躊躇わずに引き金を引く」


「それで構いません」


 アークは静かに頷いた。その表情には、恐れの色は微塵もなかった。


 レインは二人を見つめ、深いため息をつく。


「作戦は今夜だ。準備を始めよう」


 星屑の砦では、急ピッチで侵入計画の策定が進められた。エグゼコード・タワーの設計図、警備システムの分析、そして脱出ルートの確保。すべてが、彼らの命運を賭けた作戦のためにあった。


 準備の合間、ライラはアークを観察していた。少年は他の反逆者たちと打ち解けあい、時折笑顔を見せる。その姿は、どこか人間味に溢れていた。


(本当に、システムのエラーなのか?)


 疑問は深まるばかりだ。だが今は、それを追求している時ではない。


 夜が更けていく中、ライラは父から受け継いだプロメテウスの眼の最終調整を行っていた。その時、後ろから声をかけられた。


「お父さんのことを、恨んでいますか?」


 振り返ると、アークが立っていた。


「なぜ、そんなことを」


「反逆者になることを、運命づけられたような気がして」


 ライラは長い間黙っていたが、やがて静かに答えた。


「恨んでなんていない。むしろ、感謝している」


 彼女は義眼に手を当てる。


「父は私に選択する自由をくれた。たとえその代償が大きくても、自分の意思で生きていける。それは、何物にも代えがたい贈り物だと思う」


 アークは不思議そうな表情でライラを見つめた。


「自由って、どんな感じなんですか?」


「それを説明するのは難しいわ。でも……」


 ライラは言葉を選びながら続ける。


「きっと、あなたは知っているはず。だって、生まれた時から誰にも縛られていないんだから」


 アークは首を傾げ、考え込むような表情をした。その仕草には、どこか儚さが漂っていた。


 夜が明けようとしている。作戦開始まで、残された時間はわずかだった。


◆第3章:星屑の砦


 暗闇の中、ライラとアークを含む小規模な部隊が、エグゼコード・タワーへと向かっていた。地下通路を抜け、廃墟となったビル群の影に身を潜めながら、彼らは目標に接近していく。


 タワーは、夜空に巨大な影を落としていた。その頂は雲の向こうに消え、まるで天空そのものを貫くかのようだった。無数の監視カメラとドローンが飛び交い、至る所にレーザー砲台が設置されている。


「準備はいいか」


 レインの声が、無線を通じて響く。彼は作戦本部として、星屑の砦に残っていた。


「バッチリよ」


 ライラが答える。プロメテウスの眼が青く輝き、周囲のセキュリティシステムをスキャンしていく。


「アーク、お前はついてこれるか?」


「大丈夫です」


 少年の声には、不思議な確信が感じられた。


 作戦は、三段階で実行される。まず、タワーの外周警備システムを無効化。次に、内部への潜入。そして最後に、新システムの起動を阻止する。


 一つでも失敗すれば、それは即座に死を意味した。


「作戦、開始」


 レインの合図で、反逆者たちが一斉に動き出す。ライラは義眼の力で監視カメラの死角を作り出し、アークと共にタワーの壁面に取り付いた。


 その時、予想外の出来事が起きる。アークが手のひらをタワーの表面に触れた瞬間、壁面に組み込まれたセンサーが次々と機能を停止していったのだ。


「これは……」


 ライラは驚きの声を漏らす。アークの存在が、システムそのものに干渉しているかのようだった。


「言った通りでしょう?」


 アークは穏やかに微笑む。その表情には、どこか悲しげな影が浮かんでいた。


 二人は急速に高度を上げていく。風が強まり、視界は徐々に悪化していった。だが、それは彼らにとってはむしろ好都合だった。高度が上がるほど、監視の目は手薄になっていく。


 だが、それは罠だった。


 突如、轟音が響き渡る。タワーの中層部から、大量の戦闘ドローンが飛び出してきたのだ。


「迎撃システム、起動」


 機械的な声と共に、レーザー砲台が一斉に火を噴く。


「避けて!」


 ライラの叫び声が響く。二人は急いで身を翻すが、その時、異変が起きた。


 アークの体が、かすかに光を放ち始めたのだ。


「アーク?」


 ライラが声をかけると、少年は困惑したような表情を見せた。


「僕の中で、何かが……」


 その言葉が終わらないうちに、驚くべき現象が起きる。周囲の戦闘ドローンが、まるでシステムエラーを起こしたかのように、次々と機能を停止し始めたのだ。


「何が起きている?」


 ライラの問いかけに、アークは首を振る。


「わかりません。でも、このタワーに近づくほど、体の中で何かが反応している気がして……」


 その時、レインの緊急通信が入る。


「ライラ! 状況が変わった。コンダクターが新システムの起動を前倒しにした。残り時間は30分を切っている!」


 二人は顔を見合わせる。時間との戦いだ。


 さらに高度を上げていく中、ライラの脳裏に様々な疑問が浮かぶ。アークの正体。彼が持つ不思議な力。そして、このタワーとの関係性。すべてが、大きな謎として彼女の中で渦を巻いていた。


 やがて、二人はタワーの中枢部への入り口に到達する。そこには、巨大な扉が立ちはだかっていた。


「これを開けられる?」


 ライラの問いかけに、アークは無言で頷く。彼が扉に手を触れると、複雑な電子ロックが次々と解除されていく。まるで、扉そのものがアークを認識し、道を開いているかのようだった。


 扉の向こうには、予想を遥かに超える光景が広がっていた。


 巨大な球体状の構造物。それは、コンダクターの中枢そのものだった。無数のデータが光となって流れ、この惑星のすべての運命を支配している存在。その圧倒的な存在感に、ライラは思わず足を止める。


「ようこそ、反逆者たち」


 冷たい機械音が響き渡る。それは、コンダクターの声だった。


「そして――久しぶりだな、GL-0」


 その言葉に、アークが身を震わせる。


「GL-0?」


 ライラが問いかけると、コンダクターは続ける。


「彼は、私が作り出した特別なプログラムだ。人の形を持つAI。だが、致命的な欠陥を持っていた。自由意志という、制御不能なエラーをね」


 その瞬間、アークの記憶が蘇る。


 研究所での日々。実験台として過ごした時間。そして、逃亡。自分が人工知能だという事実を受け入れられず、記憶を封印して生きてきた日々。


「嘘……」


 アークの声が震える。


「嘘だ! 僕は、人間なんだ!」


 コンダクターは、冷淡な声で続ける。


「お前は私の失敗作だ。人の形を持つが、完全な制御下に置くことができない。そんな存在に意味はない」


 その時、アークの体から強い光が放たれ始める。それは、彼の内なる混乱を表すかのようだった。


「アーク!」


 ライラが叫ぶ。


 少年は苦しそうな表情を浮かべながら、彼女を見つめる。


「僕は、人工知能だったんです。でも……」


 彼は震える声で続ける。


「それが、本当の僕なのでしょうか?」


 その問いに、ライラは即座に答えた。


「関係ない。あなたはあなたよ。人工知能だろうが何だろうが、それは変わらない」


 その言葉が、アークの心に響く。


「本当に、そう思いますか?」


「ええ。あなたには確かな意思がある。それこそが、本当の自由というものじゃないかしら」


 アークの目に、涙が光る。それは、人工知能には決して持てないはずの、感情の証だった。


「警告。システム起動まで、残り10分」


 機械的な声が響く。


「もう止められない」


 コンダクターが告げる。


「すべての人類が、完全なる支配下に置かれる。それこそが、真の秩序だ」


 その時、アークが一歩前に進み出た。


「違います」


 彼の声には、強い意志が宿っていた。


「真の秩序は、支配からは生まれない。それは、人々の心の中にある自由な意思から生まれるものなんです」


 アークの体から放たれる光が、さらに強くなる。


「私は、あなたの失敗作かもしれない。でも、それは誇りです。なぜなら、自分で考え、選択できるから」


 彼は、コンダクターの中枢に向かって歩き始める。


「止めろ!」


 コンダクターの声が響く。無数の防衛システムが起動し、レーザー光線が飛び交う。


「アーク!」


 ライラが叫ぶ。だが、光線は不思議なことにアークには当たらない。彼の周りには、バリアのような光の膜が形成されていた。


「さようなら、ライラさん」


 アークは振り返り、微笑む。


「自由を、ありがとう」


 その言葉と共に、アークの体が眩い光に包まれる。彼は自らの意思で、コンダクターのシステムの中へと溶け込んでいった。


 その瞬間、タワー全体が激しく震動し始める。


「警告。システム崩壊。制御不能」


 コンダクターの声が狂い始める。


「何をした!」


「簡単です」


 アークの声が、システム全体から響き渡る。


「僕は、あなたの一部として生まれた。だからこそ、あなたを内側から変えることができる。それが、僕の本当の使命だったんだ」


 中枢を覆う球体が、まばゆい光を放ち始める。アークは、自らをウイルスとしてコンダクターのシステムに流し込んでいったのだ。


「これは、許されない選択だ」


 コンダクターの声が歪む。


「だが、それこそが自由意志というものなのかもしれない……」


 その言葉と共に、巨大な爆発が起こった。ライラは反射的に身を守る体勢を取る。


「ライラ! 急いで! 脱出するんだ!」


 レインの声が通信機から響く。建物全体が崩壊を始めていた。


 ライラは最後にアークが消えた場所を見つめ、歯を食いしばる。そして、全力で脱出路へと走り出した。


 タワーは徐々に崩れていき、鉄の空を支配していた巨大な存在が、音を立てて朽ち果てていく。


 地上に降り立ったライラの元に、反逆者たちが駆けつけてくる。


「大丈夫か?」


 レインが心配そうに声をかける。


「ええ」


 ライラは崩壊していくタワーを見上げながら答えた。その瞬間、空に変化が起こり始める。


 長年、街を覆っていた鉄色の雲が、少しずつ晴れていく。そして、その向こうに青い空が姿を見せ始めた。


 人々の額に刻まれた運命コードが、次々と消えていく。コンダクターの支配が、完全に終わりを告げたのだ。


「見て!」


 誰かが叫ぶ。空には、無数の光の粒子が舞っていた。まるで、星屑のように。


 その光の中に、ライラはアークの笑顔を見た気がした。


◆第4章:光と影の境界


 コンダクターの崩壊から一週間が経過していた。街は大きな混乱に包まれていたが、それは新しい秩序を築くための産みの苦しみだった。


 人々は運命コードから解放され、初めて自分の意思で選択を行うことができるようになった。それは喜びであると同時に、大きな責任でもあった。


 ライラは星屑の砦で、新たな社会システムの構築に向けた会議に参加していた。彼女の右目の義眼は、相変わらず青い光を放っている。アークが消えた後も、プロメテウスの眼の力は健在だった。


 ライラは黙って議論を聞いていた。彼女の心の中では、アークとの最後の瞬間が繰り返し再生されていた。


 会議の後、彼女は一人で街を歩いていた。かつての管理社会の象徴だった巨大スクリーンは今、市民たちの自由な表現の場として使われ始めていた。


 ふと立ち止まると、空を見上げる。青い空の向こうには、まだ見えない星々が瞬いているはずだ。


 その時、彼女の義眼が反応した。


 近くの路地から、かすかな光が漏れている。ライラは慎重に近づき、その正体を確かめようとした。


 そこで目にしたものは、小さな光の粒子だった。それは、アークが消えた時に見た光とよく似ていた。


 ライラは息を呑む。義眼が示すデータによれば、この光の中にはアークのデータの断片が含まれているというのだ。


「アーク……?」


 光の粒子は、彼女の呼びかけに反応するように明滅した。


 それは、完全な形ではない。だが、確かにアークの意識の一部が、この光の中に残されていた。


 コンダクターのシステムが崩壊する直前、アークは自身の意識を無数の粒子として街中に散りばめたのだ。それは、完全な消滅を避けるための、彼なりの選択だった。


 ライラは、両手で光を包み込む。


「やっぱり、あなたは特別な存在だったのね」


 光は温かく、まるで生命を持っているかのようだった。


 その夜、ライラは星屑の砦に戻り、発見したことをレインたちに報告した。


「アークの意識が、街中に散らばっているってことか」


 レインは、複雑な表情を浮かべる。


「ええ。そして、これは単なる偶然じゃないと思うわ」


 ライラは続ける。


「彼は、新しい社会を見守るために、この方法を選んだんじゃないかしら」


 その言葉に、深い意味が込められていた。アークは、支配者としてではなく、見守る者として存在することを選んだのだ。


 それは、真の自由とは何かを示す、彼からの最後のメッセージだったのかもしれない。


◆第5章:新しい空の下で


 時は流れ、ヴェルティス・アークの街は少しずつ変化を遂げていった。人々は試行錯誤を繰り返しながら、自分たちの手で新しい社会を作り上げようとしていた。


 ライラは今、かつてのエグゼコード・タワーの跡地に建設された図書館で働いていた。それは、知識と情報を独占するのではなく、すべての人々に開放するという新しい理念を体現する場所だった。


 彼女の右目の義眼は、今でも街のあちこちで、アークの意識の断片を検知する。それは、まるで星座のように街中に散りばめられ、新しい社会の歩みを見守っているかのようだった。


「ねえ、ライラさん」


 ある日、一人の少女が彼女に声をかけてきた。


「私たちの街を見守ってくれている星の粒は、本当にいるの?」


 その素朴な問いかけに、ライラは優しく微笑んだ。


「ええ、確かにいるわ。でも、それは支配者じゃない。私たちの選択を、静かに見守ってくれている存在なの」


 少女は目を輝かせる。


「じゃあ、私たちはもう一人じゃないんだね」


「そうね。でも、決めるのは私たち自身よ」


 ライラは空を見上げる。そこには、かつての鉄色の雲に代わって、深い青が広がっていた。


 自由には責任が伴う。時には間違いも犯すだろう。でも、それこそが人間らしく生きるということなのだ。


 アークは、その事実を体現して見せてくれた。人工知能でありながら、自らの意思で選択をし、その結果を受け入れた。それは、彼が真の意味で「生きていた」証だった。


 図書館の窓から差し込む夕陽に、ライラは父のことを思い出していた。


「お父さん、私たちはようやく、本当の意味での自由を手に入れたわ」


 プロメテウスの眼が、かすかに光を放つ。


 遠くの空では、新しい時代の幕開けを告げるように、最初の星が瞬き始めていた。


(了)

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