高橋 文子(たかはし ふみこ)

テレビを付けたままバッグを探す。

今日はいつもの手さげカバンではなく、

黒地の皮バックを出す。バックには葡萄と蔦が描かれている、漆の装飾が施された30万のバックにケータイや手帳を入れていく。

銀行の紙封筒に入った下ろしたばかり現金も忘れずに入れた事を確認する。

鍵、ジャム、それからケータイをしまう。

少ない貯金での生活は余裕があるわけではないが、高価な物を身に持つことは心の余裕やゆとりに繋がる。

支払いの日であってもバックを持っている自分をイメージし、さらに褒められた自分をイメージすると高揚感が湧いてくる。

私のお気に入り、今で言うところの推しは気づいてくれるだろうか。


意識の外から耳にアナウンサーの声が入ってくる。テレビでは、物騒なニュースばかりが流れている。


民家のすぐ隣の田んぼで見たかった水死体。

病院で窒息死した男。

ハロウィンで見つかった身元不明の手。

真夏の花火大会で凍死者が出る。


今の世の中は、私が知っている日本じゃないみたいだ。そう思いながら、出かけるついでにゴミを出す準備をする。アパートに一人暮らしなのにゴミは意外と出る。

ゴミ袋には生ゴミから溜まっていた惣菜のケースや、すぐにダメにしてしまった花が入っている。

居間のゴミ箱を袋にひっくり返しゴミ袋を縛るまえに使っていない生理用品を開ける。

ナプキン本体はゴミ袋の中央に入れ分からないようにし、ゴミ袋の側面へパッケージが見えるよう配置して縛る。


生理は40代半ばで来なくなった。

旦那が亡くなり娘が七歳の頃から1人で育ててきた、娘が独り立ちし数年後に結婚し1年で離婚。

男の為に東京へ引っ越した娘に対するストレスだと最初は思っていたが、違った。

人生の時間を私は失ったのだと強烈に言われている気がした。

生理用品を買っているのは、

50代になってしまった中での、この喪失感への抵抗と推しへ見せることが理由だ。

私は終わっていないと。


いつものように耳を澄まし壁にあてる。

先ほど起床したであろう音は聞いている、いつも通りならじきに出る頃だ。

隣の部屋が騒がしくなった音を聞き、こちらも出られる様に身構える。

コツは少し先に出ることだ、玄関を出てゆっくりと扉を閉めていく。

丁度カギをかける前に横の部屋から推しが出てきた。


「おはよう、蓮くん」


なるべく、柔らかい笑顔を心がけて話しかける。


「あっ、おはようございます。早いですね。」


少し驚いた様に眠そうな目を開き、挨拶を返してくれる。

彼は身長があり細いが肩幅はわりとしっかりしているので、横に並ぶと存在感がある気がする。

顔は芸能人ほどではないが整っている、推しだという事もありちょっぴりサービスして上の下かな。

バッグをしっかり見せながら用意したものを取り出す。


「一人暮らしたいへんでしょう?しっかり食べなきゃダメよ、よかったら食べてね」


差し出したジャムを戸惑いながらも、受け取ってくれた。


「ぁ、ありがとうございます、大学に遅刻しちゃうのでこれで」


会釈すると彼は急いで階段をおりっていった。

すこし元気がなかった気もする。最近、家に彼女が来ていないのでもしかしたら別れたのかもしれない。

遠ざかっていく背中を見つめて考えた。


お昼過ぎまで介護施設で事務作業に勤しんだ。今の若い子は不思議ちゃんばかりで困る

勤務時間については、よく喋るのに報連相が出来てない。

今回は長い目で見てあげようと思っていたのに、どうして報告しないのか聞くと上司には話しただとか言い訳が先に出てくる始末。

一度、男性ばかりに色目を使って報告しても仕方がないと諭したが何も答えられていなかったし、人手不足とはいえ人事はもう少し検討するべきだと思う。

もちろん、そんなことは心の内で抑えたのだが、

この前、遠回しに伝えた時には人手不足の一点張りだった。もうこの施設をなんとか運営させるのにも疲れてきてしまった、そんな事ばかり考えてしまう。


遅くなったお昼は職場近くのカフェへ行った。昔の知り合いがオープンしたお店だけど正直いってしょぼかったというのが感想だった。対して考えずに趣味で始めたんだろうというのが透けて見えて笑ってしまった。苦労しても儲かるわけじゃないだろうに何が楽しいんだろうと同情してしまった。


夕方には支払いのため宝飾店へ行き、今日はいつもより早めに帰る。3時間少しで帰ることにしたのは最近スタッフの対応が良くないからだレベルが下がったなも自分の中で店のランクを一つ下げる。


もう日が落ちるのが早くなった、街灯の少ない道を歩いていく。昔は畑が多かった道も住宅が増えた、遠目には灯りが連なって見える。遅くまでやっている店が増えて若者が遊んでいるそうだ、貴重な不自由ない時間を費やしている。それは誰かの時間で過ごしている自覚は無いんだろう。街灯もない横断歩道に差し掛かる、家はこの先の角を曲がればすぐだ。

ケータイがなり、メールが届いたことを知らせる。

少しだけ娘の顔が頭をよぎり、歩きながらケータイを開く。長い文言に内容はアンケートと勧誘で開いたことを後悔する。顔を上げた時横断歩道の真ん中で自分の半身がライトに強烈に包まれていることに気づくと同時に視界が回る。


次に戻ってきたら感覚は手元にあったケータイがなくなっていることだった。

ケータイを探そうと体を起こそうとし全身が痺れた様な感覚と、はたき落とされたかと思う衝撃的な痛み。

思わず身体が硬直し、うめき声が出る。


「すみませんっ…マジか…大丈夫ですか?」


上擦った声が近づいてくる?のと同時に聞き覚えのある声な気がした。


「あっ…ほんとすみません、すぐ…すぐ警察あの、あの救急車…救急車よびます」


目が少しづつ慣れてくるにつれて近づいてくる顔が見えてきた。そこで自分が跳ねられたのだと分かった。


「くそっ、なんで…なにやって、ああぁ…」


声の主はかなり動揺している様子でケータイをおぼつかない様子で出そうとしたり頭を抱えたり繰り返している。

そこで、相手が蓮くんだと気づいた。


「蓮くん?」


聞くとすぐに



「はい…そう、そうです」


私の推しは今まで見たことのない青ざめた表情で絶望的な顔をしていた。

表情は青ざめているが、顔は赤く耳まで高揚している。そこでやっているのだと理解した。


「すぐ、救急車呼びますので少しまっ」


それをを聞き終える前に話を遮る。


「だめよ!蓮くん終わっちゃうでしょ」


今、弱っている彼を助けられるのは私だけだと痛む体を起こし彼の肩を掴む。


「私に任せて、大丈夫よ。蓮くんは助けてあげるから!」


そこからは、痛みと衝動であまり覚えていないが何とか彼を説得し家へ帰る様にと言い車を発進させた。


やった!彼は私に絶対に返せない恩をつくった!

私は、アパートの壁越しに彼の喘ぎ声を聞いた時と同じくらいの高揚を感じいた。

後は彼とは関係ない出来事として処理するだけ。

先ほどから衝撃と痛みで頭が回っていない気がするが、そんな事はどうでもいい。

早くことを終えて彼との今後について話したい!

その時暗がりの道で、奥から車のライトが猛スピードで近づいてくるのに気がついた。

今日は、ついている。


二つのライトが速度を増して近づいてくる。おあつらえ向きに車は爆音が漏れ出している。この位置なら茂みと暗闇でほぼ私の存在には気づかないだろう。

保険証は持っていたから病院にいっても大丈夫。救急車って別に保険証要らないんだったかしら?あー頭が痛い。余計なことは考えたくない。

ここ数年で出したことのない速さで地面を蹴り黒いバンパーの前に跳んだ。






「っあっ……だっうぅぐぅ…ごぉぽっぽっ」


変な声と口から温かい液体がゴボゴボと溢れる。何を言っているかはわからないが、車のドアが空きコートをきたサングラスの男が飛び出す。そして、すぐに車へと戻った。

数秒が男が車についていたドライブレコーダーを無理やり外しているのがフロントガラス越しに見える。

男は又ドアから降り、道横の雑木林の茂みへと握っていたものを投げ捨てこちらに近づいてくる。

そういえば先日、娘の香から昔飼っていた犬の話をされた。…どんな内容だったっ…け…け

そうい…えば……ば

意識が消えかかり思考が定まらない。

蓮くん帰れた…かな……?





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