山田 達也(やまだ たつや)

最悪の気分だった

かれこれ30分以上便器を見ている。さっきまで食べていた唐揚げだった物が便器に浮いているのを見ているから最悪の気分だという訳では無い。

「うぅあ‥」

変な声が出るが、どうでも良い。

飲み過ぎたことで、もう胃液しか出せないが今の最悪な心境とは関係ない。


元々、成り行きでの関係だったわけでいつでも切り出せる様に準備していた。

だが結果的に振られてこのザマかぁ、

久々に大学生のように飲んでしまった。

多分アレがよく無かった。

香は最近、犬の画像をよく見せてきてた。

リコーダーみたいな、頭がくらくらして思い出せない。そうだコリーとかなんとか世界一頭が良い犬だとか、昔飼ってた死んじまった事とか言ってた気がする。

正直飼いたいなんて言われたらと思うと、

収入の事とか香の仕事がどうだの行った気がする。

「っくしょー、おぐぉ‥」

グシャグシャの顔は今ので悪化した、胃液と唾液で口からしたが気持ち悪い。居酒屋のうるさい会話も今は遠く聞こえる。


靴?


ふと気づいた、隣の個室に誰かいる。

視界の端に赤色がちらついたのだ。

トイレには、個室が2つあった。俺は手前に駆け込んだはず、いつ入ってきたんだ?

だが間違いなくいる、左側の個室との間には壁があるがその下には5センチほどの隙間がある。そこから靴の先が2つ見えている。

色は赤で、てかっている。なんだこれハイヒールか?

てかここは男子トイレだよな、酔っている俺はそこでようやく違和感に気づく。


靴の先?

つま先の部分が見えているわけだ、

しかも2つ両足分。つまり、隣の個室からこっちに身体を向けている。

人が吐いてるのが面白いとでも、つーか男子トイレだぞ、いや…本当にいつ入ってきたんだ?

俺は気持ち悪さと恐怖で息を止めてしまった。

一度止めたら、もう一度息を吸うタイミングがわからなくなった。その間も、隙間から覗く2つの真っ赤なつま先は微動だにしない。

何かを足だと見間違えているんじゃ、鼓動がバクバクと耳の中で脈打つのを感じる。

よだれまみれな顔はいつのまにか脂汗で口から上もぐっしょりと湿っていた。

鼻で少しづつ呼吸をする。だが、上手くできない呼吸がすぐ苦しくなって息をまた止める。

楽になりたい、安心したい、勘違いだと納得したい。

俺は冷たく汚いトイレの床に両手をつけてゆっくりと顔を下げる。隙間に近づくにつれて赤がより視界に広がってゆく。

形がわかり始める、それがやっぱりハイヒールだと分かり一瞬動きが止まる。

だがもう呼吸が持たない、さらに床へ顔を近づける。


「っはぁ、はぁ、はあ」


息をあらく吸い、トイレの嫌な匂いが鼻につく。目に入ってきたのは、確かにハイヒールだったが靴だけだった。隙間から除いた先には自分の鼻先に向く2つのハイヒールが床に並んでいるだけ。

少し安堵し、床に自分の顔がつきそうだった事に気づく。

遅れてもう一つ気づく。

自分の顔に影がかかっている。

目の前のハイヒールは上の照明を反射しててかっている。なのに自分の真上にある照明を感じない。何かが自分と照明の間にあって自分に影を落としている。

床に這いつくばったまま、止められずゆっくりと首を捻っていく。目で限界まで上に向きながら、視界の端に何も映らないことを祈りながらゆっくりと。







ゆっくりと。








目が合った。


隣の個室から覗き込む様に顔に影を落とている女の顔。陰になっていても分かる、顔は酷く腫れ、荒れていて、腫れぼったいまぶたの間にある黒目と視線が合う。


翌日、急性アルコール中毒で運ばれたと病院のベッドで聞かされた。

さらに次の日に、今光や音に過敏になっているのは、後遺症だとか医者言っていたが関係ない。

後遺症でベッドと床の間にハイヒールが見えるようになるかよ、上が見れない。

ずっと自分の足元と手元ばかりを見ている俺を見て医者は、明日はカウンセリングだとか抜かしいたがもうダメだろう。今日はもうずっと影を感じている。手元を見ても足元を見ても俺に今直接光が当たっていない。

俺に話しかけていた医者が鳴りっぱなしの俺のスマホを手渡してきた。着信履歴には会社と離れて住む親からがほとんど、その中に香からの着信もあることに気づく。

咄嗟に藁にもすがる思いで電話をかけようとしたが電源が落ちた。2日も充電していなかったんだ当然だ、だが最悪だった。

消えた画面には俺の顔が映る、そして俺の上にいる女の顔も。

呼吸ができなくなり苦しがる俺を見て、医者が慌て出す。

何も言葉が出ない、息も出来ない。

看護師が血相変えて何人もかけてくる。

4人がかりで看護師と医者たちは、ぎこちなく暴れる俺をベッドに仰向けに寝かせようとしてくる。

駄目だと思った時には俺はベッドに押さえつけられ、目が合った。

人生最後に見たのは満面の笑みだった。

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