第3話 君と結びし、祈りは絶えず

「この女は神の力を盗んだ異端だ!彼女の治癒は本当に神聖なものなのか?」


祭司の鋭い声が、広場に集まった群衆の心をさらに揺さぶった。


険しい目つきで鳳華を指差し、その声はなおも続けられる。


「雪蓮が枯れたのは、神の怒りだ!彼女は禁忌を犯し、雪神龍の加護を汚したのだ。もし雪神龍が本当に存在するのなら、この女を生け贄として捧げ、神の力を乞うべきだ!」


群衆はざわめき始めた。


「でも……彼女があの赤ちゃんを助けたのは事実だろ?」


「だけど、あれ以来、雪蓮が一輪も咲いていないのはどういうことだ?」


「もしかして……あの治癒の力が原因じゃないか?」


不安と疑念が渦を巻き、人々の間には恐怖が広がっていった。

「王国の恵みは雪蓮の力に支えられている。」


「それが枯れたのは、彼女のせいだとしたら……?」


「神の怒りを静めなければ、我々の国は滅びてしまうかもしれない!」


そんな声が響き渡る中、祭司は一歩前に出て、民衆に向かって高らかに宣言した。
「彼女を生け贄とし、真の神の力を我々の手に取り戻そうではないか!」


数日前――


「聞いたか?雪蓮の花が次々に枯れているそうだ。」


「ええ……しかも、王女様が治癒の力を使った後かららしい。」


「治癒された者は感謝しているが、あれが神聖な力なのかどうか……。」

そんな噂が、国中で囁かれ始めていた。最初は静かなものであったが、日を追うごとに不安は広がり、次第に怒りの色を帯びていった。


さらに、一部の者たちは山へ入り、雪蓮を無秩序に採り尽くすようになった。

「やめて!こんな乱暴なことをすれば、雪蓮が絶えてしまうわ!」


鳳華は小さく息を呑むと、声を張り上げた。彼女の足元には、無残に引き抜かれた雪蓮の残骸が広がっている。


しかし、山の斜面で雪蓮を摘み取っていた男たちは振り返りもせず、手を止めなかった。


「神聖な花だが、もう枯れる前に使い切るしかない!」


「治療に必要だ、いや、富のために持ち帰るんだ!」

雪山は混乱に包まれ、人々は雪蓮を奪い合うように袋へ詰め込んでいた。鳳華はその中へ飛び込み、必死に叫ぶ。


「お願い、聞いて!雪蓮はただの薬草じゃない!こんな風に乱獲すれば、自然も国も滅びるわ!」


その訴えに、一人の男が振り返り、冷笑を浮かべた。


「黙れ!お前が治療に使ったんじゃないか!」


「花が枯れたのも、お前が無駄に使い切ったせいだ!」

鳳華は一瞬言葉を失ったが、それでもなお必死に訴えた。


「違う!私は……誰かを救うために――」

胸には、焦りと悔しさが混じり合っていた。どうして、言葉が彼らに届かないのか――。


だが、その反論も最後まで言い切ることはできなかった。
彼女の声をかき消すように、後ろから新たな声が響いた。

「雪神龍が本当にいるなら、この花を捧げれば応えてくれるだろう!」


「いや、もっと良い。雪神龍を直接呼び出して願いを叶えてもらおう!」

こうして人々は鳳華を無視し、雪蓮を奪い合いながら、さらに山奥へ進んでいった。


誰もが一心に、雪神龍を見つけようと躍起になり、自分たちの願いを届けようとした。

「敵国を滅ぼす力を授けてくれ!」


「この国に富と繁栄を!」


「すべてを支配する力を与えたまえ!」


青龍はそのざわめきを静かに聞きながらも、鳳華のそばを離れることはなかった。


騒ぎはますます大きくなり、どこにも不穏な空気が漂い始めている。

「鳳華、お前は信じているかもしれないが――人間は、そう簡単には変わらない。」


その言葉に、鳳華は一瞬だけ動きを止めた。薬草を調合していた手をそっと膝の上に置き、青龍に向き直る。


「……それでも。」


彼女の声は柔らかく、けれど芯のある強さを帯びていた。


「それでも、私は信じたいのよ。」



その瞳に宿る揺るぎない意志に、青龍は小さく息を吐きながら呟く。

「信じる、か……お前らしいな。」

彼の声はどこか無力さと暖かさが混じっていたが、それを察した彼女はただ穏やかに微笑んだ。


现在――


「神に捧げよ!彼女を焼き、その魂を清めるのだ!」

祭司の叫びが広場に響き渡ると、群衆の声が一斉にそれに応えた。興奮と狂気に駆られた人々の声が混じり合い、熱を帯びていく。


鳳華は粗末な木製の祭壇に縛り付けられていた。手足を太い縄で縛られ、風に吹かれた白い髪が頬にかかる。彼女の顔は血の気を失っていたが、その目は澄み、微塵の怯えも見せなかった。


「……私を焼いても、何も変わらないわ。」

鳳華は低く呟いた。しかし、その静かな言葉は怒号と喧噪の中で完全にかき消されていた。


薪はすでに積み上げられ、火打石を構えた手が震えている。燃え上がる炎の熱が彼女の裾を照らし始めた。


「雪神龍よ!」

一人の男が叫ぶ。

「この犠牲を受け入れたまえ!」


風が鳳華の髪を乱し、頬を冷たく叩いている。彼女は声を出すことなく、ただ静かに前を見据えていた。


その瞬間、鈍い轟音が空気を裂き、王都全体に響き渡った。
──青龍が怒りを爆発させたのだ。


「敵を討て、地を支配せよ……そんな願いばかりか!」


青龍の咆哮は雷鳴のように轟き、空に渦巻く雲が王都を覆い尽くした。次の瞬間、凍てつく風が人々を襲い、吹き荒れる雪が視界を奪っていく。

広場にいる者たちは恐怖に立ち尽くした。燃え上がろうとした祭壇の薪が一瞬で凍りつき、氷の塊と化した。


「お前たちの祈りはどこへ行った!」


青龍の声が轟くたび、地面は震え、空気は凍りついた。


「その花を摘み、この地を滅ぼす……愚か者ども!わしを呼び起こす資格などない!」



鳳華は冷たい空気の中、祭壇に縛られたまま、静かに目を閉じた。その唇がかすかに動く。


「青龍……お願い。もう……やめて……」


青龍はその声に気づき、怒りに燃える瞳が一瞬だけ揺らいだ。次の瞬間、彼の巨大な姿は青白い光に包まれ、徐々に縮んでいく。

人形の姿となった彼は、すぐに鳳華のもとへ駆け寄った。


彼女の体には焼けた跡や凍りついた傷が無数に刻まれており、血の気を失った顔は痛々しいほど蒼白だった。

だが、その目にはかすかな光が宿っていた。


「鳳華!」


青龍はその小さな身体をそっと抱き起こし、震える手を額に当てた。


「お前を……こんな姿に追い込んだのは奴らの欲望だ……!」

鳳華は薄く笑みを浮かべながら、弱々しく彼の手を握り返した。


「怒らないで……青龍……あなたが怒ると、あの時助けた赤ちゃんが……また死んでしまうかもしれないよ?」


青龍は振り返り、角に凍りついた母親と赤子の姿が目に入った。氷の中で恐怖に怯えるその表情を見て、彼は唇を噛み締めた。



「……黙っていろ。」


低くそう呟くと、再び鳳華に向き直る。だがその目には、怒りと無力感が交錯していた。


「まずは、お前を治療する。」


鳳華は首を振り、震える声で言った。


「いいの。彼らは愚かだけど……まだ祈りを取り戻せると思うの。」


「お前は……本気で言っているのか?」
青龍の声には微かな戸惑いが混じっていた。

「うん。だからね、お願い。」
鳳華は微笑みを浮かべながら続けた。


「私のことは後回しでいいから、みんなを助けてあげて。」


青龍の瞳に再び怒りの炎が灯る。


「なぜだ?こんな愚かな人間たちを、どうして救おうとする?」


声が震える。


「わしは言っただろう。人間という生き物は、力の前でいつも自分を見失うものだ。その力が伴う代償を、誰が背負うのか――考えようともしないまま。お前をここまで傷つけた連中だぞ!」


「……知ってる。」
鳳華は静かに答えた。
「でも、私は……それでも、みんなが救われてほしいの。」


青龍は目を閉じ、唇を噛み締めた。そして低い声で呟いた。


「無理だ。わしの力は……先ほどの凍結で大半を使い果たした。お前を救うのが精一杯だ。どうしてもと言うなら……あの赤子を救うことくらいしかできない。」


鳳華は懐から傷ついた雪蓮の最後の一輪を取り出し、そっと握り締めた。


「これは最後の雪蓮だね……私は、私の命、私の力、私の記憶をすべてあなたに託す。みんなを救ってあげて。」


青龍は驚き、声を荒げた。


「やめろ、鳳華!」


「いいの。」


鳳華は微笑みながら続けた。
「私の命で、みんなが救われるなら、それで十分。」


彼女は雪蓮に最後の力を注ぎ、青龍に静かに言った。


「お願い……彼らを、助けてあげて……。」


雪蓮が眩しい光を放ち、広場全体を包み込む。光が消えた後、凍りついた人々の姿は次第に解け、温かさを取り戻していった。母親が抱く赤子の小さな泣き声が、静寂の中に響く。


だが、鳳華の身体は力を失い、青龍の腕の中で静かに息を引き取った。


青龍は彼女を抱きしめ、唇を震わせながら呟いた。


「……なぜだ、鳳華……お前がそこまで……」

彼女は最後の力を振り絞り、彼の頬をそっと撫でた。


「ごめんね……泣かないで……青龍……私は、幸せだったよ……」


雪蓮の光が辺りを照らす中、民衆はその場にひれ伏した。


瞳には涙が浮かび、震える声で祈りを捧げる。


「どうか、許しを……」


雪蓮の輝きが心の中の欲望を溶かし、最初の純粋な祈りを取り戻させた。


しかし、同時に気づいてしまう。


自分たちの欲望が、最も大切な存在を奪ってしまったのだ、と――。


失われた彼女を永遠に忘れないように、人々はこの国を「雪華国」と名付けた。


青龍は鳳華の静かな遺体を抱き、かつて雪蓮が美しく咲き誇った洞窟へと歩みを進めた。
その背中には、かつての栄光と共に深い悲しみが滲んでいた。


洞窟の奥に辿り着いた青龍は、雪蓮の根元にそっと彼女を横たえ、その手を最後に撫でる。

「お前の祈りだけが、わしにとっての希望だった。」


低い声で呟くと、長い尾を雪蓮に巻きつけ、ゆっくりと目を閉じた。


「わしは力を閉じる……もう、二度と人間には目覚めぬ。」


雪蓮の輝きは徐々に弱まり、洞窟全体が静寂に包まれる。


風は止み、青龍の姿もまた、雪蓮と共に消え去った。



──それから百年が過ぎた。


赤子の力強い啼き声が、眠り続けていた雪山に響き渡る。


その声は、青龍の心に眠る希望を呼び覚ますようだった。

微かに意識が揺れ動く中、彼はその声に戸惑いを覚える。


「また新しい神女か……いや、この声は……」



雪の果て

千歳の歌よ

夢に聞く

君と結びし

祈りは絶えず


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青龍と鳳華 栗パン @kuripumpkin

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