第2話 消える家猫

同棲中の男女が住むアパートの一室で飼われている、一匹の雉猫。男はその猫が度々家の中から消えていると感じることがある。

「どこかに隠れているときはなんとなく、この辺かあの辺って気配を感じるものだろ?たまにそれが、全くなくなるんだよ。この部屋のどこにもいない、気配が無いって感じるんだ」

うちの猫はどこかへ消えている。どこへ?


ある日雉猫が毛玉を吐いて、彼女が大慌てで男を洗面所から呼び出す。

「見てリョウちゃんっ!トラスケ、毛玉吐いてる!これ!これ!」

彼女は初めて毛玉を見たわけではない。

だが、その吐瀉物は二人とも見たことがないものだった。


白い毛玉。室内飼いの雉猫が飲み込んでいるはずのない毛色だった。

男はそれを見た瞬間に血の気が引き、慌てふためき何かの病気ではと焦る彼女に合わせて動物病院へ行く準備をさせた。

男はその毛玉を見て、猫がどこへ消えているのかわかった。


浮気相手の女の家で、白い猫を飼っていたからだ。


「ねーリョウちゃーん。キジ太しらないー?」

「んー?」

ドアを開けると愛佳はもうそこにはおらず、リビングの方を探しに戻っていた。

「俺の部屋にはいないよー」

「えぇ~。どこ行ったんだろぉ……」

キジ太、愛佳がそう名付けたあの拾い猫はよく姿をくらませる。室内飼いだから部屋のどこかにいるはずなのだが、一度いなくなると自分から出てくるまでどこを探しても見つからない。

本当に、どこかに消えているとしか思えないほど、影も形も気配も無くなる。

「みてこれ」

「うん?なにこれ、フルーツキャップ?」

「リョウちゃんのお母さんがくれたマンゴーあったでしょ!あれの!」

伸縮性のある保護材を伸び縮みさせて弄ぶ愛佳。察するに、あのキジ猫に着せて遊ぶつもりだったのだろう。

「ごめん、俺ちょっと出てくる。帰り遅くなるかも」

「お仕事?なんか最近いそがしいね」

「うん。前言ってた新事業がさ、このままだとどうやっても期日にスタートできないってあちこち応援頼まれてて。しばらくこんな感じになる」

「いいよ。がんばってね。キジ太と待ってる」

「……行ってきます」

「いってらっしゃい」



「経験ない?どこ探しても猫が見つからなくて、この家にいないんじゃないかって思うこと」

「ふふっ、あるある。うちの子もしょっちゅうだよ。大抵は白い毛布に紛れてるとか、普段いないキャットタワーに登ってたりとかだけど」

「いや、そういうレベルじゃなくてさ。もう完全に、この家の中のどこにもいないって感覚」

「えぇ?うーん……そこまでのはないかな。なんていうか、視線というか、温度感というか、生き物の気配みたいなのはあって、その場所を探してたらいつか見つかる気はしてるから」

「だよな……」

「………………なに、怖いの?」

「っはあ?」

「なんか不安そうな顔してた」

「いや別に、不思議だなあとは思うけど、怖くはないよ、そんなこと」

「ふーん…………」


「ま、いいけど。さっさと別れてよね。その猫ちゃんとも、バカ女とも」



部屋で一人になりたい。そう思う時間が増えた。

愛佳と付き合った頃は仕事以外の全部の時間を共にしたいとまで思っていたのに、今はもう、鬱陶しいとしか思わなくなった。

彼女になにか原因があるわけじゃない。ただ、あいつと出会ってから俺は少しずつ変わってしまった。能天気に笑ってとぼけた事を言う子より、静かに佇んで時々微笑みかけるような女に心を惹かれるようになった……それだけのことだ。

だから気が引ける。

愛佳とは結構長い付き合いになった。どうにかして傷つけないよう別れたい、それくらいの恩情がまだ残っている。できるなら時々会えるくらいの円満な別れ方をしたいものだが、一体どうすればいいのやら……


「リョウちゃーーん!!たいへん!たいへんーーーー!」


愛佳のうるさい声に心がかき乱される。

大きなため息をついてベッドから起きあがり、どたどたと床を鳴らしながら駆けつけた。

「なに?大変って、どうしたの?」

「これ、これ!キジ太が吐いたの!」

「いやどいてよ。見えないって」

「これ!なんかやばいよ!」

「え?………………あ」


リビングの焦げ茶色のカーペットの上に毛玉が吐き出されていた。

キジ猫が吐いたものだろう。隣で毛づくろいをしている。


だがその毛玉は白い。

真っ白な、白猫の毛でできた毛玉だった。


「なんかの病気かも……!どうしよ、病院?ネコって何科に見てもらえばいいの?リョウちゃぁーん……っ」

「……猫は、動物病院だよ。引き取った時検査してもらったとこあるじゃん。そこに連れてこう」

「あっ、そっか!キジ太おいで、病院いこうねーっ」

愛佳は無邪気にキジ猫を追いかけていたが、俺は手伝わなかった。

その毛の色に見覚えがあったから。

なぜそれがここにあるのかわからなかったから。

起きるはずのないことに、戦慄していたから。




浮気相手が白猫を飼っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

猫は怖くないでしょ 龍田乃々介 @Nonosuke_Tatsuta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ