死者の思い出

畝澄ヒナ

死者の思い出

高校三年生の夏、僕は教室でぼんやりと窓の外を眺めていた。


目にかかった前髪、少し傷の入ったメガネ、性格が滲み出るたれ目、僕の見た目は完全に陰キャだ。だけど、クラスで浮くこともなく無事に過ごしている。その理由はたったひとつ。


「なあ、あの噂知ってるか?」


「深夜にラジオから死者の声が聞こえてくるんだろ」


「何それ、面白そうじゃん、な、和臣」


今話している男子三人はクラスカースト上位、つまり一軍の奴らだ。噂好きの難波陸人なんばりくと、生徒会長の鳥越海とりごえかい、お調子者の山川美空やまかわみそら。僕、真鍋和臣まなべかずおみはこのグループにひっそりと所属している。


「おい、和臣、聞いてんのかよ」


「え? あ、ごめん、何だっけ」


坊主頭で八重歯が印象的な陸人は僕の名前を強く呼び、睨みつけた。


「本当に、いつも和臣は何を考えているのかわからないな」


校則を守った短髪に黒縁メガネ、いつもクールな海は呆れ顔で僕を見つめている。


「何でもいいじゃん、それより噂、聞かせてよ」


海より少し長めの茶髪で、女子と間違われるほど綺麗な顔立ちの美空は、僕のことなんか興味ないみたいだ。


美空の言葉で陸人は話し始めた。


「和臣もちゃんと聞いとけよ?」




丑三つ時、ラジオを特定のチャンネルに合わせると死者の声が聞こえてくる。正確にはチャンネルに合わせた人に関係する死者の思い出が聞けるという。噂好きの陸人がネットで仕入れた情報らしい。


「誰かラジオ持ってる?」


美空が興味津々で質問する。


「俺の家にあるが、本当にやるのか?」


海はホラー系が苦手だ、なのに毎回付き合わされている。


「大丈夫、一人でやれなんて言ってねえよ」


そういう問題ではない気がするけど、陸人はやる気満々のようだ。


僕はもちろんやりたくない。こんなことに首を突っ込むとろくなことにならないから。


「和臣もやるだろ?」


当然の誘いだった。仲間はずれにしないのはありがたいのだけど、大体が僕のやりたくないことなのだ。


陸人は僕が返事をするまで絶対に目を逸らさない、だから早く答えないと。


「今日やるの?」


「もちろん」


「ごめん、今日は用事があって……」


陸人の目が明らかに変わった。


「ふーん、やりたくないのか」


「そ、そうじゃなくて」


「いいよ、俺たちだけでやるから」


陸人のこういうところはどうしても慣れない。そもそも本当の友達かどうかも怪しいけど。


「陸人、しょうがないじゃないか、用事なんだから」


こういう時はいつも海が助けてくれる。美空は黙って事が終わるのを待っていることが多い。


「わかったよ、でも、今日やりたいから、三人でやるぞ」


結局こうなる。まあ、望んでた結果なんだけど。




放課後になり僕は足早に学校を出た。学校で言った通り、今日は用事がある。


「夏に山登りはきついな」


山の上にある墓地に墓参りに行くのだ。僕の母とあともう一人。


「母さん、僕は元気でやってるよ。学校も、それなりに楽しいし」


母に近況報告をして、墓を掃除した。本当は毎年父と来ていたけど、今日は仕事で一緒に来られなかった。


もう一人、墓参りをしなければならない人物がいる。


「朝日、もう一年だね。ごめんね」


島波朝日しまなみあさひ、僕の幼馴染だ。幼稚園の頃からずっと二人で遊んでいて、将来は結婚しようね、なんて言い合った仲だ。今になっては恥ずかしいけど、高校生になってからも本気で考えていた。


そんな朝日が、一年前に自殺した。


理由はわかっている、でも認めたくなかった。朝日は僕のせいで死んだようなものだ。


「恨んでるよね、ちゃんとあの三人にも償わせるよ」


遺書はなかった。ただ学校の屋上に靴だけを残して、僕の目の前で飛び降りた。今でも鮮明に覚えている。




「和くんもそういうこと考えてたんだ」


「違う! 僕は何も知らなかったんだ、ただ呼んでこいって」


「嘘だよ、じゃあ何で止めないの? 私のことどうでもよかったの?」


「それは……」


朝日は靴を脱いで言った。


「忘れないから、いつか迎えに行くね」


憎しみの言葉を笑顔で吐きながら、朝日はゆっくりと後ろに倒れて落ちていった。




朝日に会いたい、そして謝りたい。そんなことしてももう遅いけど、償いにはなるのかな。


墓参りを終え、僕は家に帰った。


「ただいま」


「おかえり、ご飯できてるぞ」


今僕は祖父と暮らしている。父は仕事の都合で単身赴任中だ。


「おじいちゃん」


「何だ」


祖父は口数が少なく、いつも怖い顔をしている。だけどとても優しいのを僕は知っている。


「ラジオってあったっけ」


「居間の押し入れの中だ、それがどうした」


「ちょっと借りてもいい?」


僕がそういうと、祖父は少し不思議そうな顔をした。


「いいが、何をする気だ」


「ちょっと試したいことがあって」


「勝手にしろ、もう使わんから好きにしたらいい」


そうぶっきらぼうに言った祖父は書斎に行ってしまった。


夕飯を食べ、僕はラジオを持って自分の部屋に向かった。やることはただひとつ、噂を確かめる。噂が本当なら、母の声だって聞けるかもしれない。


母は、僕は物心つく前に亡くなってしまった。顔も声も思い出せない。父に聞くと、「美人だ」「かわいい声だ」と褒め言葉しか出てこないから参考にならない。だから自分で確かめる。




丑三つ時と言われる午前二時。僕は特定のチャンネルに合わせた。


砂嵐が聞こえる、やっぱり噂はただの噂なのか。


「ねえ、この子の名前、私決めてたの。和也さん」


いきなり聞こえてきた声は知らない女の人だった。僕の父の名前を呼んでいる。


「どんな名前? 深雪が決めた名前ならきっと素敵なんだろう」


父の声も聞こえてきた、呼んだのは母の名前だった。


これは間違いなく母の思い出だ。会話の内容から察するに、僕を出産した時だろうか。


「和也さんの名前を取って、和臣。和也さんみたいに優しい人になってほしいの」


「いい名前だね、ちょっと恥ずかしいけど」


二人は笑いながら楽しそうに話していた。しばらくすると音声が途切れ、また砂嵐に戻ってしまった。


時計を見ると午前二時半、思い出は三十分しか聞けないようだ。きっと陸人たちもいい思い出を聞いているだろう。




翌日、学校に着いた僕はいつもと違う光景を目にした。


陸人たちが来ていない。僕が来る頃には絶対に集まって話をしているはずなのに、今日はその姿が見えない。ホームルーム開始のチャイムが鳴っても、三人は来なかった。


「今日は皆さんに大事なお知らせがあります」


先生の第一声は僕の不安を増幅させた。


「昨日、難波君、鳥越君、山川君が家からいなくなったと、ご両親から連絡が入りました。皆さん、何か知っていることがあればすぐに先生に知らせてください」


僕の嫌な予感は見事的中して、絶望感が押し寄せてきた。ラジオだ、あの噂を試したせいで三人はいなくなったんだ。でもどうしてだろう、この噂に怖い要素は何もなかったはずだ。連れ去られる、呪われるなんて書かれてはいなかった。それに、三人同時にいなくなるなんて、どう考えてもおかしい。


僕はこの日以来ラジオを聞かなかった。何かの間違いであってほしい、きっと何食わぬ顔で登校してくるはずだ。そう願ったけど、一週間経っても三人は見つからなかった。


嫌な予感はまだ続いている。何かが引っかかる。僕にはまだやらないといけないことがある気がする。




陸人たちがいなくなって一ヶ月が経った。死体どころか、目撃情報すらない。僕はもう、我慢できなくなった。


見当はついている。僕も償わないといけないようだ。


家に帰ってすぐにラジオを用意した。夕飯を済ませて、目的の時刻までただぼーっとしていた。


午前二時、特定のチャンネルに合わせる。数秒の砂嵐の後、聞き慣れた声が部屋に響き出した。


「やめて、何でこんなことするの、離してよ」


「いいじゃん、彼氏がいるわけでもないんでしょ?」


朝日と陸人の会話だ。この時、陸人は朝日をマットに押し倒して、朝日の服を脱がそうとしていた。


「そうそう、せっかくいい身体してんだし」


それに便乗して美空も朝日の身体を舐め回すように見ていた。


誰もいない体育倉庫で、男子三人が女子一人を襲っていた。僕は見張り役としてただそこに立っていただけだった。


「仕方ない、俺も手伝うか」


いつもクールな海でさえ、この状況を楽しんでいた。


「和くん、助けて」


朝日のか細い声が聞こえる。あの時の光景が目に浮かぶ。朝日の、必死に抵抗する姿が、泣き顔が、僕を罪悪感で包んでいく。


「ごめん、ごめんね」


あの時僕は見て見ぬ振りをした。自分が孤立するのが怖くて、朝日のことなんて頭になかった。泣きながらラジオの声に耳をすませる。


午前二時半、ラジオはぷつりと切れ、砂嵐が流れ出した。


これが朝日の思い出なんて、あまりにも酷すぎる。どれだけ後悔しても遅いのはわかっていて、取り返しのつかないことになってしまったのも事実だ。僕は朝日の最後の言葉を思い出した。


「忘れないから、いつか迎えに行くね」


その言葉の通りに、陸人たちを連れていっちゃったんだよね、朝日。ごめんね、僕が守ってあげるべきだったのに、自分のことしか考えてなかった。恨んでるんだよね。


砂嵐が流れるラジオを目の前に、僕は泣くことしかできなかった。


「和くん」


声がして、僕はラジオのほうを向いた。だけどラジオからは砂嵐しか聞こえない。


「うしろ」


その言葉とともに、誰かに肩を掴まれた。


「あ、朝日、なの?」


僕は振り返らず、声の主に話しかける。


「迎えにきたよ」


笑いながら話すその声は、間違いなく朝日の声だった。


「ごめんね、こうなるのは当然だよね」


僕も笑いながら会話を続ける。こんな状況で笑っていられるのは、きっと相手が朝日だからだ。


「行こう」


僕を引く力がどんどん強くなっていく。多分、朝日の顔を見てしまったら連れていかれるのだろう。


「ひとつだけ、お願いを聞いてくれるかな」


僕の最後の抵抗、朝日は何も言わない。


「陸人たちは返してあげて、僕がずっと一緒にいてあげるから、ね?」


そう言うと同時に僕は後ろを向いた。


「わかった」


そこには涙を流す朝日がいて、僕を抱きしめていた。


僕たちはもう、永遠に離れることはないだろう。

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死者の思い出 畝澄ヒナ @hina_hosumi

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