三話

 日の暮れた街角の酒場――仕事を終えた多くの客が上機嫌で酒を飲んでいる中に、テーブル席で向かい合って座るヴァレリウスとセオニの姿があった。


 ペトロスに紹介された後、ヴァレリウスはやんわりと断ろうとしたのだが、強引に話を進められてしまい、セオニも断らなかったため、三日後の今日、ここで会う約束を交わしてしまったのだった。まったく乗り気でないヴァレリウスだったが、それを破るのはさすがに失礼と思い、渋々この席に着き、現在に至る。


 向かいのセオニはくつろいだ様子で注文したエールを飲んでいる。それにしてもとヴァレリウスは思う。ペトロスは彼の恋人作りのことは言わず、ただ同じ不死者同士で飲みにでも行ったらどうだとしか言わなかった。いきなり恋人にどうだとは言いづらいからだろうが、それでも初対面の男女二人だけで会うというのは、どことなくお見合い的な意味にも取れてしまう。それを感じないほど彼女は鈍感ではないだろう。となると、彼女はそういう期待を持って来たのだろうか。だとしたら申し訳ないと思い、ヴァレリウスはおもむろに口を開いた。


「なあ、一つ聞いていいか?」


「何?」


 エールのコップを置くと、セオニはヴァレリウスに視線をやる。


「何で俺と飲もうと思ったんだ? 知り合いでもないのに」


 これにセオニは長い黒髪を肩にかけてから答えた。


「別に知り合いじゃなくたって、飲んでから知り合ったっていいじゃない」


「まあ、そりゃそうだが……俺と知り合いになったところで、何も楽しいことなんかないと思うが」


「楽しいことはなくてもお酒は飲めるわ。これで楽しめばいい」


 そう言ってセオニはエールを一口飲む。


「セオニさん、あんた、知らない男と二人きりで会ってるのを咎める人とかいないのか?」


「セオニでいいわよ。……恋人ってこと? そういうのは久しくいないわね」


 聞いたヴァレリウスは思わず表情を曇らせる。


「もしそういう相手を求めてるなら、俺より他の――」


「え? 違う違う。私、そんなつもりで来てないから」


 笑いながら言うセオニをヴァレリウスは瞬きをして見る。


「違う? そ、それならいいが……」


「もう恋愛はいいかなって。過去に何人も付き合って、結婚した人もいたけど、皆先に死んじゃったわ。わかってたことだけどね」


 不死者に運命付けられた別離――セオニは遠い目をしながら続ける。


「その結婚した相手との間に子供も生まれたんだけどね。十五歳の時に流行り病で亡くしたの。あの時は本当に辛かった……もう、あんな苦しみ感じたくなかったし、繰り返し悲しむことに疲れちゃったのよ。だから恋人も恋愛も、私は人生から捨てることにしたの」


 軽い口調で話してはいるものの、浮かべた薄い笑みには積み重なった痛みや悲しみが滲み出ているようにも見えた。


「セオニは、何年生きてるんだ?」


「五百年ぐらいよ。途中で数えるのをやめちゃったから、大体だけどね」


「そうか。長く生きてるんだな……」


「あなたは? どれぐらいなの?」


 聞かれてヴァレリウスはしばし考えてから言った。


「……俺も、似たようなものだ」


「そう。じゃああなたもいろいろ経験してきたんでしょうね」


「俺はあんたほど、恋愛経験豊富じゃないけどね」


「そうなの? 顔は悪くないし、女受けしそうに思えるけど」


「声をかけても、不死者と知ると去って行く者がほとんどだ。セオニもそういう相手はいただろう?」


「どうだったかしら。あまり記憶にないわね……。やっぱり、恋人が男か女かで変わるのかな。女心としては、自分だけが老いて行くことに耐えられないものがあるのかもしれないわね。一方で男は自分の容姿なんてそんなに気にしないのかも」


「なるほどね。俺も女に生まれてたら、恋人探しも苦労しなかったってことか」


「ってことは、今は恋人はいないの?」


「作ろうと努力をしてる最中だ」


 これにセオニはからかうような丸い目を向けた。


「もしかして、私と約束したのって、それが目的だった?」


「いや、それはペトロスが勝手にしたことで、俺はそもそも――」


「期待させてたならごめんなさい。私は今後一切、恋人を作る気はないから。他の人を当たってね」


 にこりと笑うとセオニはエールをぐいっと飲み干し、遠くの給仕にもう一杯と注文した。自分が言うべき言葉を逆に言われて、ヴァレリウスは何だかモヤモヤした気分にさせられたが、笑顔でおかわりのエールを受け取るセオニを見てると、胸には小さな疑問が浮かんだ。


「……どうかしたの?」


 一口飲み終えたセオニは自分を見つめるヴァレリウスに気付いて聞いた。


「あんたは、人生を楽しんでそうだな」


「何それ? どういう意味なの?」


「俺はこの人生に嫌気が差してるんだ。同じことの繰り返しで辛いばかり……楽しみもなければ目標もない。いや、目標はあるにはあるが、まったく届きそうにない」


「その目標って、恋人を作ること?」


「ちが……ああ、まあ、それも含まれるかもな」


「何なの? はっきり教えてよ」


 ヴァレリウスはセオニをいちべつすると、言い淀みながらも言った。


「俺の目標は……この世を去ることだ」


 瞠目したセオニが首をかしげつつ聞く。


「死ぬってこと? でも不死者の私達じゃ無理じゃない」


「ああ。だからこれまで研究が進むのを待つだけだったんだが、ある言い伝えを見つけたんだ――」


 ヴァレリウスは古書店で読んだ伝承をセオニに教えた。聞いたセオニは眉をひそめると、笑い混じりに言った。


「じゃあ、恋人を作ろうとしてるのは、そのために? 本気なの?」


「信じるなんて馬鹿だと思ってるんだろう? ペトロスも同じだった。でも真偽がわからない以上、死ねる可能性は残されてるんだ。試してみるべきだと思ったんだよ」


 椅子の背もたれに寄りかかり、セオニはエールをごくっと飲む。


「あなた、私を殺人犯にしようとしてたの? 怖いこと考えるわね」


「誤解だ。俺は同じ不死者を恋人にするつもりなんてはなからない」


「でも不死者じゃない人は恋人にして、殺してもらいたいんでしょう? あなたのエゴで誰かが殺人犯になるなんて、ひどい話だわ」


「それには反論できない……だがそれでも、俺は早くこの世を去りたいんだ」


「どうしてそんなに絶望してるの? 不死者は普通の人より悲しみや苦痛が多いけど、幸せがまったくないわけじゃないわ」


「なら逆に聞きたい。あんたは永遠に続く日常に幸せを感じてるのか? そこにむなしさや不安を覚えないのか?」


 セオニはコップを置くと、一息吐いてから口を開いた。


「いつも幸せを感じるなんて普通の人でもいないわよ。不死者は特に孤独だから、ふとした瞬間にむなしさを覚えたり、不安に襲われることは私もあるわ」


「だけどあんたは笑ってる。俺は酒を飲んでも笑えないよ」


「やあねえ、まるで私が酒好きみたいに言わないでよ。まあ嫌いじゃないけどね。……私はこの瞬間を楽しもうとしてるだけよ。今だけは負の感情を忘れてね」


「感情を忘れるなんて、一体どうやったらできるんだ?」


「多分、死ぬことしか考えてない今のあなたじゃ無理でしょうね。忘れるためのきっかけがないんだから」


「きっかけ?」


「私も昔……まだ恋愛をしてた頃、辛さが重なって何もかもどうでもよくなった時期があったの。自分が生きてることに何の意味があるんだって。だからあなたの気持ちは少し理解できるわ」


「そこから、どうやって笑えるようになった?」


「ある出会いからよ。そこで私は他人のために生きられることを知ったの」


「どういうことだ?」


 微笑んだセオニは続ける。


「数十年前、偶然通りかかった道で、大人に混じって子供達が募金活動をしてたの。大きな声を出して、それは真剣だった。見ればそこは孤児院だったわ。存在は知ってたけど、今まで意識したことなんてなかったから、子供達の純粋な表情を見て、同情なのか、母性なのか、そんな感じの気持ちが湧き上がってきたの。当時の私は本当に沈んでて、自分で自分を追い詰めたような状態だったから、誰かに助けを求める子供達に自分を重ねてたのかもしれない」


「募金をしたのか?」


「ええ。小額をね。それでも子供達は笑顔を見せてありがとうって言ってくれてね。それが妙に心に響いて嬉しかったの。なぜ生きてるのかわからないのに、感謝されてる自分がいる――たったそれだけで、心が救われたような感覚があったの」


「それが、きっかけか」


 セオニは頷く。


「こんな私でも、誰かの役に立てるんだと知ったら、翌日にはその孤児院へ向かってたわ。昼間は普通に仕事をして、夕方から夜に孤児院でボランティアとして働くことになったの。身体的には大変になったけど、そんなことも気にならないぐらい、子供達の笑顔は私を満たしてくれたわ」


「今も続けてるのか?」


「孤児院で働くことはなくなったけど、その代わりに引き取り手のいなかった子を預かって、家で一緒に暮らすことをしてる」


「へえ、そりゃまた大変そうだな」


「そうでもないわ。十四、五歳の子ばっかりだから、何でも自分でやれちゃうし。育った環境のせいでちょっと乱暴な子もいたりするけど、そういう子をしつけるのは確かに大変かもね。でも基本、皆心根の優しい子達よ。独り立ちした後も、たまに私に会いに来てくれたりしてね」


「まるであんたの本当の子供みたいだな」


「あの子達がそう思ってくれてたら、私は嬉しいけど。……私は、あの子達に救われたの。必要としてくれて、ここにいる意味を与えてくれた。だから私はこの先もあの子達のために生きようと思ってる。自分のためじゃなくてね」


「それが、他人のために生きる、か」


 微笑んだセオニは黒髪を耳にかけながらエールを飲む。


「あなたはどう? 昔の私みたいに、自分のことしか見てないんじゃない? それで心の迷宮をさまよってたりしない?」


「迷宮ね……俺のは複雑過ぎて、もう抜け出せそうにないよ」


「早い諦めね。もっともがきようがあるでしょう。友達とか、親しい人はいる?」


「ペトロス以外には、誰も……」


「人付き合い、苦手なほうなの?」


「どうだろうな。そんなことをしてた記憶は、もう遥か昔に消えてしまったな。仕事場の人間とも、必要最低限の会話しかしてないし」


「人間嫌いとか?」


「嫌いなわけじゃない。ただ、何となく、他人とは距離を開けておきたいんだ」


「もしかして、潔癖症?」


「それも違う」


 うーんと唸り、セオニはヴァレリウスを見つめる。


「まずは迷宮から抜ける努力――その一歩を踏み出さないと始まらないわね」


「もういいんだ。死ぬまで抜け出せないってわかってるから」


「だから諦めちゃ駄目よ。私みたいにガラッと変われる時が来るかもしれないんだから。……そうね。まずは人助けとかして他人と関わってみたら?」


 ヴァレリウスは思わず眉をひそめる。


「人助け? 俺は英雄って柄じゃない」


「何も事故現場で命を救ったりする必要はないわ。転んだ子供に手を差し伸べたり、重そうなバケツの水を代わりに運んであげたり、私みたいに募金するのだっていい。些細なことだけど、全部人助けよ。そうして感謝されれば、あなたの心にも光が差して抜け道が見えてくるかもしれない」


「俺も、他人のために生きてみろと?」


「勧めてるわけじゃないわ。それはあなた次第。でも人助けして悪いことはないでしょう? それどころか、その優しさに気付いた女性があなたに惚れて声をかけてくるかも」


 この言葉にヴァレリウスはハッと反応する。


「女性が……なるほど。そういうきっかけにもなり得るな」


「ちょっと、そっちで納得するの? まったく……まあ、やってみる気になっただけでもいいか。とにかく、あなたはもっと他人と関わるべきよ。それで自分の視界を、生きる世界を広げるの。そこで忙しくしてれば、いずれ死にたいことなんて忘れちゃうわ」


「そうなるといいが……」


 セオニがエールを飲むのを見ながら、ヴァレリウスも自分のエールをゴクリと飲む――そうは言ったものの、彼は死への渇望が消えないことをわかっていた。自分が不死者である限り、死の望みを忘れることなど絶対にできないのだ。エールをあおりながら生き甲斐を見つけたセオニを見て少し羨ましくも感じるが、自分も何か生き甲斐を持つ日が来るのだろうかと、想像の日々を思い描いてみようとしたが、現実がそれを邪魔する。やはり彼は死だけを望む。


 仕方なく来たこの場だったが、決して無駄な時間でもなかった。女性の気を引くために人助けという行動を起こす発想はなく、言い伝えと同様、試してみてもいいかもと思えた。それだけでも今日はよかったと言い聞かせ、コップの底に残るエールを一気に飲み干すヴァレリウスだった。

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死にたい男は愛を探す 柏木椎菜 @shiina_kswg

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