第3話 LAND(ランド)〜愛する土地で暮らしたい〜

 ある日のこと、ヤギの赤ちゃんを見に、知り合いのお家へ遊びに行きました。


 ヤギの赤ちゃんが大好きな夫は、抱き上げ、じょりじょりと頬ずりをして、ご機嫌です。

 人間の赤ちゃんより、ヤギの赤ちゃんが好きなのでは!? と思うくらいの熱狂ぶりです。


 でも本当に、ヤギの赤ちゃんって可愛いですよ。

 めええ〜って、腕の中で鳴いたりするともう、デレっとしてしまいます。


 そこのご主人は、広い土地を所有している農場主さんで、牛やヤギを放牧しています。

 とはいえ、雇用人などを抱えているわけではなく、夫婦二人で維持しています。

 

 丘の上に建てた自宅の窓からは、点々と牛がのんびり歩き回る緑一面の牧草地が見えますが、それは全部、このご夫婦の所有地なのです。


 本当に絵に描いたような美しさなのですが、ご主人いわく、もともとは岩だらけ、頑丈なオークの木がたくさん育っている、この地域の典型的な土地だったそう。


 大きなブルドーザーを運転して自ら土地を切り拓き、それこそ木を1本1本、根っこから引き倒し、岩を動かして、現在の牧草地を作ったのだとか。


 すでに七十代のご夫婦ですが、今でも二人で四輪バギーに乗って(!)自分の土地を見て回り、倒木があれば移動させ、トゲのあるブラックベリーの茂みを少しずつ取り除いたりして、まだまだ土地に手を入れているのだとか。


 目に美しい、緑の丘陵がこうして人の手で作り出されたものと知って、とても驚いたのを覚えています。


 こうした丘に点在する小さな池も、牛達の飲み水になるようにと、人工的に作られている池がほとんどだそうです。


 この景色は、自らの手で作り出したもの。

 そう思えば、家のリビングルームから見渡す緑一面の景色は、私が見る以上に、キラキラと輝いているに違いありません。


 この地域の人々から感じる、自分が暮らす土地への強い愛着。それは自らの手でこの土地を作り上げてきた、という自負も大きいのかもしれないな、と思いました。


***


 一方、我が家はこの辺りでは珍しい、ワンルームの一戸建てです。

 夫いわく、家(ハウス)というより、キャビン(小屋)だと。

 狩猟小屋(ハンティングキャビン)のようなイメージでしょうか。


 水は井戸水、ガスはなし、電気がメインです。

 下水道はないので、浄化槽を使用しています。


 あ、でも蛇口をひねれば水もお湯も出ますし、トイレだってちゃんと水洗です!


 時々、テレビで「こんなところにどうやって住むんだろう」というような、すごい大自然の中で暮らす人を見ますが、電気さえ確保できればなんとか暮らせるのかもしれません。


 我が家はそこまでではありませんが、都会に比べれば、かなりのシンプルライフと言えるでしょう。


 家庭菜園を楽しんだり、ニワトリやヤギを飼う人もご近所にいますが、そこまで行けば、ほぼ自給自足に近く暮らせるかも……!?

 秋の狩猟シーズンには、庭の木にシカを吊るしている家もありますよ。


 遠い首都で何か大事件が起こっても、田舎の人は普段どおりの暮らしを淡々としていたりして。


 正直、これだけ暮らし方が違うと、大都会の人と田舎の人では相当、価値観が違ってくるのではと思います。


 さて、そんな田舎を心から愛する人々にとっては、愛する土地での暮らしがそれこそ一生続く……ように見えるのですが、ある時点で愛する土地での暮らしを終える決断をする場合もあります。


 週末によく開かれるエステート・オークション。


 それは、時には家と土地も含めて、一切合切を現地で売り払うオークションです。

 人気は高く、トラックを運転して乗りつける人々で賑わいます。

 皆さん、野原のようなところにトラックを停めまして、買ったものはどんどんトラックの荷台に積んで持ち帰るのです。


 オークションの場所は、オーナーの所有する家。

 たいていは庭に長テーブルを出して、キッチン用品や衣類雑貨などの小物を並べ、地面に敷いたブルーシートの上に、テーブルやいす、ソファなどの各種家具を並べます。


 ガレージには工具類や日曜大工で使える木材や、冷蔵庫やレンジなどの電気製品が置いてあります。


 場合によっては、家の中も開放して、各部屋に置いている家具をそのままオークションにかけたり、反対に家は締め切って、庭とガレージだけで品物を売りさばくことも。


 長テーブルにずらっと並んだ大きな段ボール箱。

 その中にはタオルばかりが詰まっていたり、靴下がいっぱい入っていたり、パッチワークキルトの材料があれこれ入っていたり。

 かと思うと、まったく関係のないものが混ざっていたりと、どこか福袋的な面白さがあります。


 そんなわけで、掘り出し物を見つけようとする人々で毎回賑わっていますよ。


 普段なら見ることができない、よそのお宅の生活ぶりが垣間見える面白さもあるしで、確かに楽しいのですが、ちょっと悲しい感じもあるのです。


 それは、こうして一切合切売る人々の多くが、例えば配偶者と死別して、自分はシニアホームに入るとか、高齢になって田舎暮らしが続けられなくなって、やむなく便利な町中へと引っ越すとか……そんな事情を聞くことが多いから。


 木を切って薪を作る。

 大雨の度にガタガタになる、未舗装の私道をトラクターで整地する。

 買い物や病院へ行くために、片道三十分かけて運転して町に出かける。(田舎の三十分は結構走りがいがあります)


 それができなくなったら。

 年をとって、自分で土地を管理することができなくなったら。

 たとえ愛着のある土地であっても、これからどうするのか、考える時がやってきます。


***


 夏の間はブラックベリーが茂り、草地にはマダニがたくさん潜んでいるので森の中には入れません。

 オークの葉が落ち、やぶが枯れた冬は、絶好の森歩きシーズンになります。


 薪ストーブで使う、乾いた小枝を拾いながら、私は冬枯れの森を歩くのが大好きです。


 そんな私の秘密のスポットを最後にご案内しましょう。


 それは、敷地の真ん中を走る小道トレイルを外れて、ガサガサ歩いていった先にあります(秘密の場所ですから、説明もざっくりです)。


 不自然に曲がり、まるで膝をついた仔牛のような形のオークの木。

 我が家の前のオーナーに、ネイティブアメリカンの人々が森歩きの目印用に成形した木だと教わりました。


 本当かどうかは、わかりません。

 夫などは半信半疑です。


 でも、森の中には他にも二箇所ほど、また別の形に曲げられた木がありまして、それも目印の木なのだそうです。


「いや、君は信じているけど、偶然でしょう? たまたまそんな形に曲がっただけじゃない?」

「でも、昔の話だよ? それに、この土地で、私がネイティブアメリカンの矢じりを見つけたじゃない」


 ネイティブアメリカンの矢じりだと言ったのは、夫の方なのです。

 矢じりが落ちているなら、矢じりの持ち主だって、この森を駆け回っていたはずですよね?


 まあ、郷土史家でもない私には、本当かどうか確定することはできません。

 でも、昔々、この森を自由自在に移動して生活していた人々がいる、と想像するのはそれだけでロマンがあり、自分が暮らすこの土地が特別なものだ、と感じられる瞬間でもあるのです。


 そんなわけで、私は森の中で不思議な形の木に寄りかかり、しばし空想にふけります。

 そこが、私の秘密の場所。

 特別な時間を過ごす、特別な場所なのです。


 夫はどうでしょう。

 きっと彼にも、特別な場所がある気がします———。


***


 森に神様はいるのかな。

 いたら、ぜひお祈りをしますので、よろしくお計らいください。


『森の木々がすくすくと育ちますように』

『森の動物達が健やかでありますように』


 そうだ。

 二人の人間(夫と私)が元気でいられることも、お願いしなくちゃね。


『まだまだ二人で、コヨーテの啼く夜を、楽しめますように———』


 今日も敷地のあちこちを歩いて。

 森の中で過ごそう。


 体を鍛えて、まだまだ田舎暮らしを楽しまなくちゃね。

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コヨーテの啼く夜に 櫻井金貨 @sakuraikinka

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