08


 ワイパーがこすれる音を耳にして、私はくすぐられるような体の震えを覚えていた。


 ガラスを舐めるだけの高い音が不快感を生み出そうとしてくる。鳥肌をなぞるような音が降りかかる雪を他所に退けていくので、それらをどれだけ嫌に思ったとしても止まることはない。身震いをする身体を抱きしめるようにしながら、私はぬるいだけの空調に身を染めていた。


 乾いた空気が目の前にあった。ぬるめではあるものの、少し強めに感じる暖房の空気に、私は拠り所を求めるように抱きしめる力が強くなっていく。そう感じたのは私が風邪をひいているからかもしれないし、もしかしたら彼も寒く感じてしまうほどに風の勢いがよかったのかもしれない。いつの間にか冷えていた手先を温めるようにしながら、こらえきれない席を何度も繰り返した。


「大丈夫?」と彼はそう言った。私の咳と重なるように吐き出されたそれを耳で拾うことができなくて、私は聞き取ることができていなかった。


「何が?」と咳交じりに彼に聞いてみると、竹下は苦笑しながら「寒くないかなって」と改めて言葉に吐き出していた。


「寒い、かも」


「そっか」


 そう返答して運転しながら、彼は器用に空調の設定をいじっていく。アクセルを踏み込んで道を進みながら操作することに、私は少々の不安を抱いたけれど、そうして覗いた前の景色には車の影はひとつもなく、世界に私たちだけがいるような、そんな感覚を覚えてしまうくらいの寂しさがあった。


「これでどう?」と彼は聞いてきた。正直、彼が操作をして数秒もたっていないのでよくわからなかったけれど、私はそれに、大丈夫、と返してみた。私の言葉に彼は頷いて笑う。私のことなんて気にしなければいいのに、と口から出そうになったけれど、今さらでしかないことに私は苦笑を浮かべそうになった。


 視界は黒と白に支配されていた。前の窓から覗くことのできる世界には、どこまでも暗さが漂っている。それを振り払うように車のライトがあたりを照らしているけれど、それでも暗い世界は暗い世界のままで、少し削られたように見えるアスファルトの跡と雪の影が視界に入って目に差してくる。私はそんな世界のモノクロ加減に彩を求めるようにして携帯を開くことにした。……開いてすぐに、ちかちかとする眩しさに閉じてしまった。


「もうそろそろ年が明けるねぇ」と竹下は言った。


「サユは実家に帰るの?」と続けて彼は言葉を吐いていた。


「……わかんない」


 実家に帰ったところで、何かやるべきことがあるわけでもないし、孤独ではない環境に入り浸るだけで、それ以上の進歩も発展も存在しないような気がする。


 きっと、家族は私をいつものように出迎えてくれるだろう。でも、そうさせるのは少しばかり申し訳ないような気もするし、帰る理由というものが見つからない。


「そっか」と竹下は苦笑しながらそう言った。反応に困った、というような雰囲気があった。


 そうであるのならば、最初から聞かなければよかったのに、と思ってしまう。ほかの人との会話であるならばまだしも、私との会話で何かしらが生み出されることは特にないのだから。


「それじゃあ、年末は特に予定はないってこと?」


 彼は確かにそう言った。その言葉に、嫌味なのか、という少しばかり被害妄想気味な感情も抱いた。


「まあ、そうだね」


「そっか」


「……竹下くんは?」


 会話、というからにはキャッチボールをしなければいけない。そんな気持ちで、拾い返すように彼にも質問をぶつけてみる。


「実家帰っても、特にやることはないしなぁ」


 お年玉をもらいに行くのも悪くはないんだけどね、と彼は苦笑をした。続けて「この歳でお年玉をもらうというのも変だけども」と言っていた。


「確かに」と思ったままを口に出した。


 お年玉に対しての肯定、というよりも、実家に帰ったところで何もやることはない、という意味で頷いていた。


 結局は、面倒が勝ってしまうのだろう。私も彼も。


 それでも彼は私とは異なって、人に対しての親切をせずにはいられない質なのだから、よくわからなくなる。実家に帰って両親に顔を見せれば、それも親切だろうし、迷惑ということはないだろう。嬉しいという気持ちにもつながるかもしれない。


 そう言いたい気持ちを、自分の心の中に落とし込んだ。結局のところ、私も実家には帰らないのだから、彼にそんな言葉をぶつける権利を見出すことができなかった。


 そんな話をしている間に、目の前の暗さがだんだんと明るくなる視界。そろそろつきそうな頃合いの中で。


「それなら、一緒に年越しでもしようか」と竹下は言う。


 シフトレバーをRのところに入れて、ピー、ピー、と電子音が車の中で響いていく。


 まるで、何事もなかったかのように。当然のように。


 そんな風に吐き出した彼の言葉を、私は冗談だと思って「それもいいね」と適当に返していた。


 だって、冗談だと思ったから。

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二つの朝 @Hisagi1037

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