私の中の、仲良しの輪

縁代まと

私の中の、仲良しの輪

 私は新しくできたレストランでランチを楽しんでいた。

 こだわりの食材が売りの店だけれど、正直言って味はいまいちだ。

 でも盛り付けが綺麗で写真映えしたので八十点といったところかな。


 しかしその評価はすぐに覆ることになる。

 ハンバーグを口に入れた時、ガリッとなにかを噛んだのだ。


「なにこれ……?」


 軟骨が残っていたなんて可愛いものじゃない。

 歯が痛むのを感じながら吐き出すと、白い皿の上に転がったのは汚れた小さな指輪だった。

 ちゃんとした作りのものではなく粗雑さがあり、大人の指には明らかに大きいそれは子供用のおもちゃの指輪であることが一目でわかる。


 異物の混入に直前まで怒りを感じていた私は、その指輪を見た瞬間に目を丸くするはめになった。

 ――あの指輪だ。


 忌々しいあいつがずっと大事そうに握り締めていた安っぽいおもちゃの指輪。

 怒りが引っ込むくらい驚いて心臓が脈打ったけれど、次に胸の奥から湧き上がってきたのは明らかな苛立ちだった。


「まだ恨んでるの? 死んでも目障りな奴ね」


 子供の頃にいじめていたあいつの顔を思い返す。

 根暗で人の顔色ばかり窺う姿が嫌いだった。ああやって弱い子アピールをして助けてもらって甘い蜜を吸う虫に見えたのかもしれない。

 そんな奴がずっと大事にしていた指輪が、幼馴染の男から貰ったものだと知った時のことは今でも鮮明に思い出せる。


 生意気だ、思い知らせてやりたいと心底思った。


 だから暇さえあればわざと傷つきそうな言葉をかけたし、目立たない場所を小突いて泣かせたこともある。その時は少しだけすっきりした。

 そんなある日、あいつの指輪を隠して言ってやったの。

 裏山に埋めてあげた、と。


 あいつはそれを探しにいって……結果、滑落して死んでしまった。


 当時は青くなったけれど、それも数日のこと。

 目障りなあいつがいなくなった学校生活はとても素晴らしいものだった。

 あの時ほどの安堵感と満足感は未だに感じたことがない。もちろん罪悪感なんて湧くはずもなかった。だってドジを踏んで死んだのはあいつのせいなんだから。


 それなのに、今になってあの時の指輪が現れた。

 本当は裏山に埋めずに用水路に投げ捨てたはずだけれど、巡り巡ってこんな形で私のもとへ戻ってきたことに――ぞっとするより先に、私はその指輪を摘まみ上げていた。


「今度は本当に埋めてやるわよ」


 場所はあの裏山でいいかな。

 あの世に送ってやればあいつも満足するでしょ。


 そう決めて店を後にし、母校の近くにある裏山へと足を向ける。

 ほんのちょっと違和感は感じた。なんで余所行きの服で山なんて登ってるんだろうって。でもまるで憑りつかれたように足は止まらず、ついにあいつの滑落現場に辿り着く。


 途中で買った百均のスコップで土を掘り、そこへ指輪を叩きつけてやる。

 はい終わり。これで終わり。

 そう自然と笑みが浮かぶ。


 そんな笑みを形作る口の中に、地面にぶつかった指輪が跳ね上がって飛び込んだ。


「んぐ……!?」


 穴の底に石があったからだ。

 驚いた拍子に指輪を飲み込んでしまう。喉の奥から土と鉄の味がした。

 私は反射的に涙目になりながら吐いたものの、結局指輪は出てこなかった。


     ***


「食事中、誤っておもちゃの指輪を飲み込んでしまったんです」


 病院で診察を受けながら私は経緯を説明する。

 誤飲と聞いて医師はすぐにレントゲンを撮ってくれたけれど――


早宮はやみやさん。誤飲ということですが……これをご覧ください」


 ――そこにはなにも写っていなかった。


 飲んだのが確かなら胃カメラで確認してくれるそうだけれど、出てくるのを待つ手もあると言われて迷う。たしかに飲んだのにレントゲンに写っていないことで自信をなくしてしまった。

 大ごとにするほうが恥ずかしい、そんな気さえする。


 結局私は見間違いだったことにし、一旦様子を見ると告げて病院を後にした。


 しかしそれからだ。

 それから夜になると、あいつが部屋に現れて床を這い回っている。


 ざりざり、ざりざり、と聞こえる耳障りな音はあいつのささくれて毛羽立った指が床に敷いた絨毯に擦れる音だ。

 そんなものを毎夜聞かされちゃ眠れない。


(あいつ……今頃になって私を恨んで化けて出たわけ?)


 霊体になって調子に乗っているに違いないわ。

 今ならなんでもできるって思ってしまったんだろう。ムカついて仕方なかった。

 胸が重いのもきっとそのせいだ。


 死んでもあいつはあいつのまま。なにもできないくせに「かわいそうだね」って言われるためだけにこの世にしがみついている。

 そんなあいつを今度こそ完全に消すために色んな場所でお祓いを受けた。


 ――それでも効果がなかった。


 夜になると必ず現れる。

 どの部屋で寝ていても現れる。

 音は耳栓をしていても聞こえるし、大音量で音楽を鳴らしていても聞こえる。


 電気をつけていても見えるから気持ち悪い。

 どのみち現れるなら見えづらいほうがマシだから電気を消してアイマスクをしているけれど、音ばっかりはどうしようもないので何週間も悩まされ続けていた。


 そしてついに床を這っていたあいつが私の上に乗り、ざりざりと引っ掻くようになった。

 触られている感触がある。

 本当にそこにいるみたいなのに、体重は感じない。

 あいつが毎晩這い回って掻くから寝室の床は傷んでいた。つまり実際に触れてはいるわけだ。


「この……っ殴る根性もないくせに!」


 そう怒鳴るとあいつは一瞬びくりと体を震わせ、私の体に手をついたまま消える。

 勝った。

 やっぱりあいつなんかに負けるはずがない。

 そう勝ち誇った気持ちになったけれど、それは次の夜までのことだった。結局あいつはまた部屋に現れてざりざりと床を鳴らしながら這い始めたからだ。


 忌々しい。


     ***


 こうなったら身内のことは身内に解決してもらおうと考え、あいつの家族を探すことにした。

 事件後に引っ越してしまったけれど、私と仲が良いと思っていた担任の教師が連絡先を教えてくれたのを思い出し、実家の押し入れにしまっておいた古い私物を漁る。

 ダンボール箱に色んな雑貨と一緒に突っ込まれた紙きれを見つけ、その住所を訪れることにした。


 なんでこんなの取っておいたんだろ、と思ったけれど、そうだ。

 その頃は担任の教師のことが「ちょっといいな」と思っていて、彼の手書きの文字だったから捨てずに取っておいたんだ。こんなところで役立つとは思ってなかった。


 あいつの家族が住んでいるのは隣県で、電車で二時間ほど進んだところにあった。

 しかし。


「こ、ここ?」


 辿り着いた先にあったのは空き地。

 しかも雑草が生えて相当の年月が経っている。

 呆然としているといかにも噂が好きそうなおばさんが声をかけてきた。なんでもあいつの家族は何年も前に『事件』を起こして亡くなったという。


「その、事件って……」

「ここだけの話だけどね、全員首吊ったんよ。首」

「首吊り!?」

「そ。飼ってたペットまで」


 全員が首を吊るまで、母も父も弟も祖父も全員やつれた様子だったという。

 おばさんは「ドラマみたいなことしてもうたわ」とご機嫌な様子で去っていった。訳ありげな私に物騒な話をできたのが嬉しかったらしい。


 家族に押し付ける案はこれでなくなった。

 あいつに友達はいない。だからもう――いや、まだいるじゃないの。


「幼馴染……」


 あいつに指輪をあげた張本人。

 そいつに頼んで成仏するように言ってもらえば、あいつも納得して消えるんじゃない?

 きっとそうだ。それに幼馴染だってあいつが気持ち悪い幽霊になっていると知れば助けてくれるでしょ。


 希望を見出した私は急いで地元にとんぼ返りし、あいつの幼馴染について探ることにした。


     ***


 あいつの幼馴染の名前は小久保謙太おくぼけんた

 一歳年上のいわゆる『お隣さん』で、幼い頃からあいつとは仲良くしていたらしい。

 それなのにあいつの性格をどうにかできなかったのは……まあ、小久保も程度の低い男だったのね。


 小学生の頃に小久保から貰ったおもちゃの指輪を、あいつは高校になるまで持ち続けていた。

 これを微笑ましいだなんて誰が思うもんか。

 執念が垣間見えて気味が悪い。ワンチャンあるとでも思っていたんだろう。


 小久保はあいつの死後、何度か裏山を訪れていたようだった。

 墓参りしてたって話も噂で聞いたけど直接見たことはない。だって私は墓参りなんか行かなかったから。


 今どこにいるのか。

 地元からは離れてしまったのか。

 仲のいい先輩経由で話を聞くと、先輩はとんでもないことを言った。


「小久保? あー、小久保……これ言っていいのかなぁ。あいつ、去年の暮れに死んだんだよなぁ」

「え!? それってもしかして首吊りとか……」

「違う違う。他殺――かな? 犯人はまだ捕まってないってさ」


 先輩の話では小久保は就寝中に何者かに襲われ、自宅の寝室で死んでいたらしい。


 そしてそれは変死だった。

 すべての指がなくなっていたんだそうだ。

 その指は未だに見つかっていない……と言われているけれど、俺らが他人だから耳に入っていないだけかもなぁと先輩は笑っていた。


 変だ。

 あいつの周りにいた人間がみんな死んでる。


「……」


 その晩もざりざりと音が聞こえた。

 もしかして……もしかして、あいつが今頃私のところに化けて出たのは、それまで数年かけて家族や小久保のもとにも出ていたからなんだろうか。

 家族はノイローゼになって自殺。

 そして小久保は。


「……クソが。あいつ狂ってんの?」


 最初はどういうつもりだったかはわからないけど、結局周りを死に追いやってるわけだ。

 根暗らしいわね。

 でも憐み待ちだった時よりは自分で行動できているから、狂ったほうが良かったんじゃないの。褒めてくれる人はもういないから、私が褒めといてあげるわ。


 ――ざりざりという音はまだ聞こえている。

 アイマスクで閉ざした真っ暗な空間に響いている。

 私は負けないわよ。あんたが消えるまで粘ってやる。

 なんなら私が未練を断ち切ってやる。


「未練?」


 思わず口に出た。

 あいつは……ずっと床を触って回っていた。その手つきは掻くようなもの。

 もう少し力強い動きになれば、それは地面を掘っているように見える。そう、床じゃない。あいつはずっと地面の上を這い回ってなにかを探していたんだ。


 それは指輪だ。

 そして、それが未練だ。


「……」


 初めて冷や汗が流れた。

 だって、だって今その指輪があるのは――私の中だ。


 これは声には出さなかったのに、床を這っていたあいつの動きがぴたりと止まってこちらを見ている気配が伝わってきた。

 声は一言も発さない。

 こんな時まで察してちゃんなんだ。

 でも、今の私にあいつを怒鳴りつける余裕はなかった。飛び起きてアイマスクを毟り取り、喉の奥に指を突っ込んで吐き戻す。


 指輪は出てこなかった。

 でも勘違いなんかじゃない。絶対に私の中にある。飲み下した瞬間の土と鉄の味が頭の中に蘇った。

 飲んだ時の硬い感触。食道を擦って落ちていく感触。

 ざりざりと胃に向かって落ちていく。

 落ちきってしまえば、その瞬間に苦しさも消えた、そんな記憶。


「……どういうこと?」


 あの時はここまで感じなかった。一瞬のことだったから。

 でも飲んだ感触がこんなにも鮮明に残っている。こんな記憶、いったいいつ……と考えたところで不意に思い出した。

 あいつに指輪を裏山に隠したと言う直前、私は無くなった指輪を必死に探すあいつの姿を窓から見ていた。凄く嫌な気分だった。


 あいつは高校に入学してしばらく経った頃、ある小説を教室に持ってきていた。

 私も好きな小説だったから声をかけたのだけれど、それと同時に小説を机にしまって教室を出ていったのだ。仲良くしてあげようと思ったのに。


 な。

 仲良くしたかったのに。


 その後も避け続けられた。友達は陽キャが苦手なんじゃない? なんて言ってたけれど、もしそれが本当なら私の知ったこっちゃない。

 じゃあ苦手だからって最初に好意を台無しにしたのは、あいつだ。

 あいつが悪い。


 それからあいつのやる事なす事がすべて悪く見えた。


 私は突っぱねたくせに、そんな奴とは仲良くするんだ?

 そっか、かわいそうに思われると楽だからそんな振る舞いなんだ。

 私が渡したプリントで指を切って心配されたのもわざとなんでしょ。これ見よがしに保健室なんか行っちゃってさ。絆創膏だって二日も貼ってる必要ないじゃない。


 私が困らせてる時だけ、私を見る。

 そんなに縋った目をするくらいなら――最初から。

 あの日から私と仲良くすればよかったのに。


 そんなあいつが毎日大切にしている指輪が憎かった。


 だから、そう、あの日、私は指輪を本当に埋めたんだ。

 けど気持ちが収まらなかった。

 もしあいつがこれを見つけたら、私に向けたこともないような嬉しそうな顔で抱き締めるんでしょ。


 だから掘り返して――飲み込んだ。

 絶対に見つからない場所に隠してやろうと思った。


「そんな……」


 あの日飲み込んだ指輪がどうなったのかはわからない。体調を崩すことはなかったし、トイレは確認もせず流した。確認なんかしたくなかった。

 私の一部になって消えちゃえばいいと思ったから。


 そんな記憶に蓋をして生きてきたけれど……あいつのせいで思い出してしまった。

 忌々しい。

 ああああ、忌々しい。


 あいつは床から私の足の上に這い上がり、また指を這わせ始めた。

 私が怒鳴らないから逃げもしない。

 そのままゆっくり、ゆっくりと上がってくる。

 そして、腹の上で止まった。肋骨のない柔らかな部分。そこにざらざらの指を這わせる。


 ――違う。掘っている。


 力が入ってなくて、ゆっくりで、撫でているような動きで。

 それなのに振り解けない。

 指輪は私の中にある。

 指輪を贈った小久保は指をすべて持っていかれた。指輪を探してのことなら、あいつはそこまでしてでも指輪を取り戻そうと必死なんだ。


 そして、あいつは。


 私の腹を掘りながら、嬉しそうに微笑んだ。


 ああ。

 こっちを見てなんかいやしない。


 その顔は、私に向けてほしかったのに。


     ***


「周りで嫌な事件ばっか起こるんだよなぁ」


 そう愚痴を言うと後輩の大本おおもとが「厄年っすかー?」と笑って返した。

 厄年は二年前に終わってるっつーの。

 こいつはガキの頃からの後輩で中高と一緒だったが、その頃からちっとも変わらない。


「お前も覚えてないか? 高校の頃に山で死んだ奴がいたし、その家族も首吊っただろ、しかも全員」

「うひゃ。その頃はずーっとゲームしてたんであんまし……」

「今もだろ。そんで同級生も変死しててよ、あと」


 その同級生について訊ねにきた女も死んだ。


 そいつとも先輩後輩の仲で、たまにつるんでいたので連絡がきたんだ。

 でも死に様がちょっと正気の沙汰じゃなかったらしい。

 そう言うと大本は「そういうのって伏せられるモンじゃないんすね」と物珍しそうにしていた。


「最初に見つけたのが大家連れたお隣さんだったんだと。で、野次馬もいたから見ちまった奴が沢山いてな」

「あー、それで噂になって口止めも効かなくなったわけですか。で、どんな死に様だったんです?」


 後輩は――早宮美羽はやみやみわは腹部を素手で掘られたような状態で死んでたそうだ。


 しかも一思いにやったわけじゃない。

 少しずつ、少しずつ衣服を擦り切れさせ肌を傷つけ、肉を掻き分けて、まさに掘っていったわけだ。腹部に残った細かな傷の多さがそれを物語っていたらしい。

 そう伝えると後輩はまた情けない声を出した。


 小久保のことを訊ねにきた時も鬼気迫る様子だったし、一体なにがあったのか。

 すると大本が「呪われてたとか、幽霊とかっすかね?」と言い出した。アホか。


「そんな非科学的なこと……」

「でもそう思っちゃうくらいコエーっすよ」

「そこは否定しねぇけど」


 山で死んだ奴はあまり知らない。

 でも早宮と『仲良し』だと言われてた気がする。

 小久保はその仲良しさんの幼馴染だったかな。そんなに話をする機会はなかったけど、事件の後はよく落ち込んでいるのを見かけた。そんでもって首吊った一家。


 ――全員繋がってんのか。


 そう思うとぞわりとした。

 もし幽霊がいるなら、そいつは……人の繋がりを辿って現れてる気がする。

 そう考えて再び悪寒を感じた瞬間、大本が「もし幽霊なら」とさっき俺が考えていたのと似たことを口にした。


 しかしその先はまったく違っていた。


「そこまでするような奴が、未練がなくなったり復讐を遂げたからって素直に消えるんですかね?」

「……お前、俺を怖がらせようとしてんだろ」

「バレましたか」


 にししと笑う大本の頭をはたいて立ち上がる。

 コンビニに酒を買いにきただけなのに無駄に長話をしちまった。さっさと帰って飲み直そう。

 俺を慌てて追おうとしていた大本が足を止めたのか、後ろからじゃりっと地面を踏み締める音がした。なにか忘れモンか?

 そう問おうと振り返るより先に、大本が言った。


「なんだこれ? 落とし物?」


 その声になぜか急かされるような気分になりながら振り返ると、大本は街灯に照らされた場所で足を止めている。


 その手には、汚れたおもちゃの指輪がのっていた。

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