大木くんは指でつまめるほど小さくて可愛くて、弱い
雪村勝久
第1話 9月18日
平べったい1日に、なにか意味はあるのかな。
私は今日も学校へ行って、ただ友達とどうでもいい話をして、勉強して、ご飯を食べて、午後の授業が終わったら歩いて帰るだけ。
帰宅部だから、大会やコンクールもない。高校2年生だから、大学受験もまだ先。今のところ、私にとってのイベントは中間テストと期末テストしかない。
今日は中間テストのための勉強をして、カフェに行こうという話を友達とした。でも、なにかが起こったわけじゃない。中間テストは1ヶ月後だし、カフェに行くのは期間限定メニューが発売される2週間後だから。
考えることも、勉強する目的も、友達と話す内容も、ぜんぶ未来のことばっかり。
なにも起きない、起伏のない、あるかどうかもわからない未来のための、平べったいペラペラの1日。
私はそんな1日には、なんの価値もないと思う。
価値がない1日を過ごすのは嫌だ。
私の人生そのものに、価値がないと認めてしまうような気がするから。
だから、私は最近ペットを飼い始めた。
そうすれば少なくとも、「ペットのお世話をした」という出来事は起きているから。
食事をするとか眠るとか、ただ自分の体の中で完結してしまうことだけじゃなく、私以外の誰かに関わることができる。それはきっと、価値のあることだと思うから。
ただの自己満足でしかないんだけどね。
ペットの名前は、『大木くん』にした。
指でつまめるほど小さい生き物に、大木なんて名前をつけたら皮肉っぽくて面白いかなって。
あと、ペットの名前に苗字をつけるのが珍しいと思ったから。
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学校からの帰り道をぼうっと歩いていると、いつの間にか家の玄関前に立っていた。
鍵を開けて中に入ると、ほんのりと何かが腐ったようなにおいがした。
私の最近のルーティーンは、学校から家についたら真っ先に、入念に手を洗うこと。
ハンドソープで、爪の間や指の付け根、手首まで入念に。大木くんに変なばい菌がついたら可哀想だもんね。
それが終わったら、2階にある私の部屋へ。階段を上る時は、壁や手すりに触れないように。
最初はちょっと大変だったけど、3日くらいで慣れた。
「ただいま、大木くん」
部屋の扉を開けて、勉強机の上に置いてある虫かごに声をかけると、大木くんが横目で私を見た。
まだうちに来たばかりだから、緊張してるみたい。
「どう? 少しは慣れた?」
聞いてみたけど、大木くんは不機嫌そうにうつむくだけ。
たぶん、虫かごに入れられたのが気に入らないんだと思う。
でも、大木くんが悪いよね。最初は大きなケージを用意してあげたのに、格子の隙間から逃げようとしたんだもん。
「今度逃げ出そうとしたら、おしおきだよ? なんてね」
虫かごの透明な壁を、つんつんしながら言う。
すると、大木くんは頭を抱えて、震えながらうずくまっちゃった。
一昨日、大木くんがケージから逃げようとした時、慌てて頭の毛を掴んで捕まえちゃったんだよね。毛が何本か抜けちゃって、ちょっとかわいそうだったな。
結構痛かったのか、おしっこ漏らしちゃってたし。もうやらないようにしなきゃ。
「あ! 大木くん、ちゃんとうんちできたんだ。えらいね」
ふと見ると、大木くんのために新聞紙で用意したトイレに、茶色いうんちがある。
よかった。大木くん、しばらくうんちをしてなかったから心配してたんだよね。
「だからか~。ちょっと臭うと思ったんだ。いい子いい子」
褒めてあげると、大木くんは顔を真っ赤にした。
見た目はちょっとブサイクだけど、こういう反応をされるとちょっと可愛いって思えるかも。
さてと。ずっと構ってあげたい気持ちはあるけど、そろそろ明日の宿題をやらなきゃ。夕飯時にまた、大木くんの相手をしてあげよう。
食べちゃ駄目なものは特になかったはずだから、私のご飯の余りを食べさせてあげればいいかな。
「それじゃあ、私は勉強するから。邪魔しないでね、大木くん」
「邪魔したら……こうだぞっ! がぅっ!」
大木くんの前で、ライオンみたいに噛みつく動きをしてみせる。
冗談のつもりだったんだけど、大木くんは腰を抜かしちゃったみたい。おしっこも漏らしちゃったのか、昨日雑巾で作ってあげた腰巻きに黄色いシミができた。
「あらら、ごめんね。怖かったよね」
大木くんの頭を撫でてあげながら、汚れちゃった腰巻きをもらう。
大木くんはちょっと嫌がったけど、引っ張るとすぐに腰巻きを離してくれた。
「これ、もう捨てちゃうね。これくらい、また雑巾で作れるし」
「それより……大木くん。もしかして本当に、私が大木くんのこと食べちゃうって思った?」
聞いてみると、大木くんがびくっと震えた。やっぱり、そう思ってるみたい。
「大丈夫。私は大木くんのこと、食べたりしないよ」
当たり前のことだけど、ちゃんと言葉にして言ってあげないと。
大木くんは、私の大切なペット。
私の人生に、価値を与えてくれる子。
だから、大事に育ててあげたい。それに、
「大木くんを殺す日は3ヶ月後の12月23日って、もう決めてあるから。だから安心してね、大木くん」
大木くんは指でつまめるほど小さくて可愛くて、弱い 雪村勝久 @yukimura_katsuhisa
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