悲しみには丼を

小烏 つむぎ

悲しみには丼を

 バタン!

わたしは力一杯ドアを閉めた。 


 隣近所となりきんじょへの迷惑? 


 そんなこと知ったこっちゃないわ! わたしは今それどころじゃないし、アパートの両隣りょうどなりはどうせこの時間はまだ留守。たぶん、だけど。


 ドアに背中をけてズルズルと崩れ落ちた。スカートがたくしあがって、土間どまの冷たさをじかに太ももに感じる。


 それがなに?


 どうせ独り暮らしのこの部屋。スカートがまくれようが誰も見ちゃいないわ。我慢に我慢を重ねた涙と嗚咽おえつが、こぼれ落ちる。一歩進めば廊下ろうかだけど、その一歩が出ないのよ。わたしは置いてあるサンダルをつぶすようにがりかまちに突っ伏した。


 悔しい! 悔しい!


 あの企画はわたしが発案したもの。確かに吉田さんには何度も相談はしたけど、あのアイデアはわたしの物なのに。なんでいつの間に彼がチームリーダーになってるの? おかしいじゃない。

 

 そりゃネームバリューがあるのは向こうだけど。でも、でも……。


 わたしは恥ずかしげもなくわあわあと声を上げて泣いた。吉田さんに対するうらみ、企画を取りもどせないくやしさ、そしてそれを言いだせない自分のふがいなさ。顔の下のふかふかのスリッパが涙でぐっしょりれた頃、アパートの外でふいに救急車のサイレンが聞こえた。


 ふっと我に返って、救急車のサイレンの音を追う。


 サイレトはひとつ向こうの大通りを西からやって来ているようだった。そのまま通り過ぎると思ったが、「曲がります」という男性のアナウンスとともにわたしの住むアパートのほうにやってきた。

 

 え? こっちに来る? 


 このアパートは東西に長い三階建てだ。多少広いが1DKなのでほとんどが独身者。救急車のお世話になるような高齢者や幼児はいないはず。


 そう思っているうちに、サイレンはすぐ近くで止まった。


 なに? ここなの?

 

 わたしは急いで立ち上がり正面のドアを開けて、ベランダの窓に駆け寄った。サイレンを止めた救急車が赤色灯せきしょくとうだけ回して反対側の階段下に止まっていた。ベランダから顔だけ出すようにのぞいていると、救急車の後ろのドアが開いてガタンとストレッチャーが引き出され慌ただしく入口のドアを通り抜けた。


 何があったんだろう?


 ベランダでそう呟いたそのタイミングでぐうぅとお腹が鳴って、こんなにくやしくて悲しくてもお腹はすくんだなとおかしいような気持ちになった。わたしはもう泣いてはいなかった。


 さてお腹はすいたが、今から料理をする気力はない。でもレトルトやレンチンな気分でもないのだ。とりあえず炊飯器すいはんきに残っていた白米を茶碗によそった。


 さて、この上に何を乗せようか。


 引き出しにツナ缶があったので、汁を小鉢に移してツナだけをごはんの上に乗せてみた。空腹な身には汁がいい匂いに思えて、一口すすってみたら案外美味しい。そのまま全部飲み干してしまった。ちょっと一息ついた気がした。

 

 さて、白米とツナか。少しさみしい。あ、確か親が送ってくれた箱に韓国海苔かんこくのりがあったはず。


 最近母は韓国料理にっているらしく、たまに届く食料の差し入れの荷物にちょいちょい韓国食材が混ざっている。ごはんと炒めるだけのビビンバの素とか、肉と炒めるチャプチェの素とか、湯を注ぐだけのサムゲタン風スープとか。


 今回は韓国海苔のフレークが入っていた。いったいこれはどんな時に食べたらいいのかと思っていたが、まさに今じゃないだろうか。


 早速袋を開けて、ツナの上にガサガサとたっぷり乗せてみた。


 うーむ。胡麻油のいい匂い。海苔は真っ黒でつやつやしていて、そこにクリーム色の小さなゴマの粒が見え隠れするのはちょっとオシャレかもしれない。


 一口食べてみる。


 うんうん、カリ寄りのシャリっとした海苔が美味しい。韓国海苔、いい仕事しているわ。でももう少し歯ごたえが欲しいよね。何かをしっかり噛んでる実感が欲しい。


 わたしは今度は冷蔵庫を開けた。開けたついでに冷えたビールも出しておく。冷蔵庫には探し回るほどの中身はないが、奥に天かすを見つけた。これは先月同僚の水奈みなちゃんたちとタコパこと、たこやきパーティーをしたときの残りだ。賞味期限しょうみきげんを確認して大丈夫なようなので、海苔で真っ黒になっている茶碗に入れてみた。


 乾いた軽い音をたてて、海苔で黒かった茶碗がクリーム色の粒で埋め尽くされた。天かすのいくつかが勢いあまってテーブルにこぼれる。それを拾って口に入れると、ほのかなイカの香りとともに先日のタコパの思い出が浮かんだ。


 同期どうき水奈みなちゃんと一年先輩の裕子ゆうこさん。腹を割って話せる数少ない同僚。お土産のクラフトビールの飲み比べをしながらのタコ焼き、楽しかったな。タコだけじゃなくて、「これも海のモンだ」って竹輪ちくわも入れたっけ。


 そんなことを思い出しつつ、天かすを乗せた韓国海苔の丼を混ぜていたら、またお腹が鳴った。スプーンで大きくすくって、はむっと頬張る。


 ちょっとだけ水分を吸った韓国海苔はご飯の熱で胡麻油の香りが際立っている。一方でまだカリカリの天かすをくだく感じがいい。食べてるって実感がする。ツナの旨味もごはんが受け止めて、全部が口の中で上手くまとまってる気がする。


 だれ? こんないいレシピ考えたの。美味しいじゃん。


 ビールのことも忘れて、思わずがっつくように食べきってしまった。空腹が落ち着くと少し前まで大泣きしていた事がたいしたことではないような気持ちになれた。まだ残る苦い気持ちも、ビールで流してしまおう。


 わたしはまだ若い。きっとまたチャンスは回って来る。今回よりもっといい企画を作ることも出来るはず。負け惜しみはもちろんある。でも今度は相談する相手をしっかり見極める。


 明日気分転換に何か楽しい映画を観に行こう。うん、そうしよう。


 すっかり忘れていた救急車が、またけたたましいサイレンを鳴らしてアパートから遠ざかって行った。


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