酒呑童子は大江山に散る

ちはやれいめい

酒呑童子は大江山に散る

 酒呑童子は、仲間の鬼と徒党を組んでいました。

 酒呑童子と腹心の茨木童子。鬼となりはてたとはいえ、もともとは人間です。

 けれど人々は鬼を恐れ、姿を見れば石を投げる。

 だから酒呑童子は京の都の程近く、大江山と呼ばれる山に隠れ家をつくり、気の合うものたちと住んでいました。


 受け入れてくれる人がいない空虚さを、同じ仲間と分かち合うことでうめました。


 仲間と共に騒ぐのは純粋に楽しかった、けれどそれも長くは続きませんでした。


 源頼光という名のある武家の男が、部下を引き連れ、酒呑童子の隠れ家を訪れたのです。


 源頼光はこのために用意したとっておきの美酒だという酒のとっくりを見せ、こうきりだしました。


「人と妖怪といえど、きちんと腹をわって話せばわかりあえると思うのです。どうでしょう、酒呑童子。私と酒を酌み交わしませんか」


 ここで断り放り出す選択をしたとすれば、全面対決となるでしょう。大切な仲間を人間の敵として刈られたくはない。


 そう思い、酒呑童子は頼光の申し出を受け入れました。


 麓の村を見下ろせる見晴らしのいい庵の座敷で、酒呑童子は頼光と向き合います。


「そなたたちがこれ以上人間に危害を加えず、人里に降りなければ、天皇様もつつがなく国を治めることができるでしょう。民も安心して暮らせる。それが守られるなら、我々もここを侵略はしない」


 武装した部下を何人も連れてきているのに、話し合うために来たというのに最初は警戒しましたが、頼光はとっくりの酒を自分の猪口に注ぎ、口をつけます。


 座敷の外で待つそれぞれの部下も、頭の話し合いだからと手出しも口出しもしてきません。

 酒呑童子は信用していいと、思いました。


「それがお前たちからの条件か。おれたちも人の心がわからないわけではない。それが本当であれば、お前たちの話を聞いてもいいだろう。おれの仲間には手を出さないでくれ」


 酒呑童子とて、仲間の命を危険にさらすつもりはありません。

 笑顔で語る頼光の話を聞きながら、頼光が用意した酒を陶器の猪口についであおります。

 けれどーー


「ぐ……な、ん……これ、は」


 酒をのんだとたん、異変が起こりました。めまいとしびれ、体に力が入らなくなり、目の前がゆらぐ。

 酒呑童子は猪口を取り落とし、空になった猪口は床を転がります。

 それを頼光が踏みつけ、パリ、と音を立て砕けました。


 見上げれば、頼光は先程の笑顔とは一転、殺意や悪意のにじむ表情で口許を歪め、刀を抜きました。


「かかったな。それは八幡大菩薩はちまんだいぼさつからたまわりし、神便鬼毒酒じんべんきどくしゅ。鬼の力を奪い、人間には活力を与える特別な酒。……皆の者、今のうちにこやつを討つぞ!」


「は! 頼光様のお心のままに!」


 酒呑童子の部下たちも異変に気付き乗り込んできます。


「酒呑様! くそ、よくも騙しやがったな、騙し討ちとは、名の通った源家として恥ずかしくないのか!」


 交渉は決裂、仲間と源頼光一行は互いに武器をとり、緊迫した空気がただよいます。

 酒呑童子はうめきのたうち、砕け散った猪口の欠片が視界に入ります。息苦しさもおさまらず、目に涙が滲みました。


「鬼に、横道などないのに」


「はっ。騙される方が悪いのさ。わたしたちは騙し騙され、生き残った者が正義となる、そういうところで生きている」


 頼光が、鼻で笑い、酒呑童子の喉元に冷たい金属が当てられます。


 酒呑童子たち鬼は、一度交わした約束は必ず守ります。

 こんな形で一方的に破られても、二度と人間には危害を加えないと約束したから、源頼光とその部下を殺すなどできるはずもありませんでした。

 

(ああ、俺はなんと愚かだったのだろう。

なぜ、源頼光を信じてしまったのだろう。仲間には手出ししないと、約束したのに)



「酒呑様、ここは我らが守り抜きます。どうか貴方様だけでも逃げてください!」


「馬鹿な、ことを、おれに、仲間を……見捨てろと言うのか」


「私は貴方に生きてほしい。茨木いばらき、どうか酒呑様を連れて逃げてくれ!」


「ああ、任せろ! 酒呑様、逃げるのではなく退却するんだ。砦などまたいつでも作れるだろ!」


 若い鬼に呼ばれた茨木童子いばらきどうじは、酒呑童子と頼光の間に割ってはいり、一対の刀をふるいます。


 馬のたてがみのような紅の髪と血のような赤の瞳は、命を懸けても酒呑童子を守るという志がありありとうかがえました。

 酒呑童子と同じ生まれと境遇ということもあり、とりわけ互いへの信頼が厚かったのです。


 四天王、と異名を持つ頼光の部下たちも鬼退治に来るだけあり、武術の腕前はかなりのものです。

 戦いに長けた鬼たちも押されぎみでした。


 茨木童子の刀が片方弾きとばされ、宙を舞う。

 酒呑童子の仲間の中でも飛び抜けて力の強い茨木童子は、大岩をも持ち上げる力があるのです。


 左腕を切り裂かれ、それでも残った右腕で酒呑童子を抱き起こし、窓から飛びました。


「くそ、逃げたぞ、お前ら追え! 酒呑童子を殺せーーーー!!」


 源頼光の怒声が谷間に響き渡りました。



 宙に投げ出された二人は窓のした、崖を落ちていきます。

 真下には河。うまくすれば、生き延びられるでしょう。

 満月の映る水面に、二人の影は吸い込まれていきました。



 



 茨木童子は飛び込んだ川の河原に流れ着いていました。


 意識を取り戻したときには空が白みはじめていました。

 急いで体を起こして、あたりをみまわします。昨夜源頼光一行からの襲撃されたことを思い出し、青ざめました。


「ここは……そうだ。酒呑様、酒呑様は無事か!?」


 酒呑童子は毒を飲まされて体が痺れていたので、泳ぐことはできなかったでしょう。

 自分は泳ぐことができたけれど、酒呑童子は……。


 いいや、もしかしたら自分とは違う岸に流れ着いたのかもしれない。

 悪い予感を振り払い、かすかな望みにかけ、茨木童子は川に飛び込もうとしました。

 

 けれど背後に人の気配が近づき、振り返るとそこには源頼光と、連れていた四天王がいました。


「お前、茨木童子と言ったか? 酒呑童子をどこに逃がした」


 彼らがここに来たということは、拠点にいた仲間たちは皆、殺されたのでしょう。

 源頼光の表情は険しく、酒呑童子を討ち取るまでは引いてくれそうにありません。お上から命令された、それだけで酒呑童子の仲間たちを皆殺しにしたのですから。

 かしらである酒呑童子を生きて逃すなんてことはないと、悟りました。


 茨木童子は、迷うまでもなく答えました。


「騙されたな、愚かな源氏のいぬ。お前らが毒酒を飲ませたのは、おれの部下の茨木だ! やつは今ごろ川の底だろうよ。それを知らずに酒天童子一行を討っただなんて、お笑い草だな。ハハハハハハ!!」


「な、なんだと!?」


 源頼光たちは顔色を変えました。

 茨木童子は源頼光たちを見下し、なおも笑い続けます。


「酒天童子はこのおれ。今お前たちの前でピンピンしているおれだよ。替え玉の茨木をおれだと思うなど。尊い方から特別な酒を下賜かしされたというご身分のわりに、目は節穴だったというわけだな」


「な、な、なんだと!? 何が鬼に横道は無いだ! 畜生に堕ちた分際で我らをたばかりおって! つな季武すえたけ金時きんとき貞光さだみつ行くぞ! こやつを討ち取って、人の世に平穏をもたらすのだ!」


「はい、頼光様!」


 源頼光は刀を抜きました。部下たちもめいめい武器をかまえます。

 茨木童子は川からあがったばかりで着物は濡れ、思うように身動きがとりにくい状態です。


 季武が弓を引き、放たれた矢がほほを掠めます。

 金時、貞光と武士たちは一斉に斬りかかってきます。 


 刀を抜いて応戦、茨木童子は全力で抵抗しましたが、神便鬼毒酒で人間以上の力を得た武士たちを相手に……長くは持ちませんでした。


 綱が背後から迫り、飛び退こうとしますが目の前には金時と貞光が立ちふさがっています。

 避けることはかなわず、刀は深々と茨木童子の腹を貫きました。

 赤い血がしたたり、膝がその場に崩れ落ちます。


「酒呑童子、覚悟を決めよ」


 正面に立った源頼光は大きく刀を振りかぶり、それが、茨木童子の瞳が映した世界の終わりでした。




 むくろは捨て置かれ、落とされた酒呑童子・・・・の首は桐箱に納められ

 源頼光は無事酒呑童子一行を全滅させ、京に凱旋がいせんを果たしたのです。



 命を賭して酒呑童子を守り抜いた茨木童子は、殺されてもなお、魂だけは生き続けていました。


 酒呑童子が無事であるかどうか確かめられなかった。それだけが心残りでした。

 無事なら、酒呑童子は茨木童子を探しに来るでしょう。彼は仲間を見捨てたりしない。そういう男です。


 この辺りに戻ってきたら、源頼光たちに見つかってしまう。


 ここに来てはいけない、酒呑童子は生きなければならない、酒呑童子に生きてほしい。

 茨木童子は魂だけになっても、酒呑童子の身の安全だけをひたすら願っていました。

 実の兄のように慕っていた人。鬼と化した自分を嫌わず側においてくれた恩人。 


 己を忘れても、無念の魂たちを取り込んでも、奥底にある願いはただひとつ……酒呑童子が無事であること。


 別の場所に流れ着いた酒呑童子は、生き延びていました。

 源頼光一行は酒呑童子とその一味を屠った英雄と、あちこちでうたわれている。


 酒呑童子は茨木童子が自分をかばい、身代わりとなったことに気づきました。

 彼の想いを汲むべきだったのでしょうが、自分一人だけが生き残ってのうのうと生きるなんて受け入れられません。


 酒呑童子は刀を取り、源頼光一行に挑みました。茨木童子の心を汲んで、名乗ります。


「我は茨木童子。酒呑様の仇、討たせてもらう!」


 もう神便鬼毒酒を持っていないとはいえ、五対一でかなうはずもなく。

 腕を切り落とされ、渡辺綱の前に散った。

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