第2話 後編 一撃 新国王の誕生

 天蓋付きベッドを死角にした隠し通路を見付けたアクレシア王女は、日中籠の中の鳥であったが、夜は自由に部屋の外へ飛び出した。アクレシア王女は母国で夜目が利くように訓練を受けたが、月明かりが入らない王城はさすがに苦戦した。それでも城の見取り図と隠し通路が合っているかどうか確かめた。


 ある夜、アクレシア王女がいつものように王城を歩いていると、後ろから声を掛けられた。

「アクレシア王女殿下、エイドスです」

 エイドスはイリニ王国の間者である。エイドスはアクレシア王女殿下の初探索から見守っていたが、今は伝えなければならない事があり声を掛けたと言う。この廊下は見回りが通るのでと近くの空き部屋に入った。


「アクレシア王女殿下、ボアネルジェス将軍が殺されました」

 ボアネルジェス将軍は、先王の異母弟でエドミール国王の叔父にあたる。そして王位継承権を持つ王族である。クラヴィス王国の全軍隊を統括しており、ブルハン宰相と敵対関係にある。


 東ユピテル王国とクラヴィス王国は軍事同盟を結んでおり、二国間の親密な関係を周辺諸国にアピールするため、ボアネルジェス将軍が東ユピテル王国に国賓として招かれた。

「その道中で暗殺集団に襲われ、同行していた側近が裏切り、将軍の背後から切り付けたそうです」

(すげ替え候補者第一位が暗殺されるなんて、なんてこと)


 グチュル帝国は領土拡大のため西へ侵攻をしていたが、西への玄関口と言われる東ユピテル王国から激しい抵抗を受けて手をこまねいていた。グチュル帝国は、クラヴィス王国が東ユピテル王国の西隣りに位置することから、軍事同盟を破棄し、経済支援と武器の提供をしないように求めていた。


 だが、クラヴィス王国はそれを断り続けていた。その頃ブルハンは宰相の補佐官であった。グチュル帝国側は、彼を真の野心家だと知ると、補佐官から宰相になれるように支援した。


「ボアネルジェス将軍の御子息ソフォクレス様は捕縛され、地下牢に繋がれました」

(このままだとソフォクレス様は国家反逆罪で処刑されるわ。彼はすげ替え候補者第二位なのよ。まずいわ)

「彼がどこへ入牢されたか場所がわかるかしら?」

「調査します。それからもう一つ厄介なお知らせがあります。ソフォクレス様が処刑される前日、グチュル帝国の外務副大臣と高官、大使がお忍びで王城に来ます」

「お忍びで? ブルハン宰相とその周囲を諜報してください。情報を入手したならば、私と父上に報せてください」

「かしこまりました。バシレオス国王陛下に鳥を飛ばします」

 

 夜陰が広がった。今夜ソフォクレスを助けなければ、明日処刑される。アクレシア王女はエイドスと一緒に隠し通路を使い地下牢へ出た。地下牢の出入口は、物々しい雰囲気になっている。ソフォクレスを奪還するために反ブルハン派が襲撃するという情報があったので、複数の兵士が警戒しているのだ。


 牢の前には二人の兵士がいた。牢の中から鞭打つ音と男性の呻き声が聞こえてくる。二人の兵士が中を見ながら話していた。

「ギュリー様は、手足を鎖で繋がれている男を鞭でいたぶるのがお好きなようだ」

「仲間のアジトを吐かせるためだそうだが、顔を見てみろよ。楽しそうだぜ」

「ブルハン宰相に逆らう者は皆殺しだ。ブルハン宰相はこの国を良くしようとしているのよ。お前みたいにただ高位貴族に生まれただけで能無しなくせに、民から窃取して無駄飯を貪る者が優位に立つ世の中ではなく、身分関係がない能力主義がこの国を救うのよ」


 アクレシア王女とエイドスは、二人の兵士を倒し牢へ入った。

「あら、仮面で顔を隠しているけど、あなたアクレシアね。どうやって地下牢へ来たの?」

 アクレシア王女は答えなかった。ソフォクレスのシャツやズボンは鞭で破れて血がにじんでいた。ソフォクレスは俯いたまま動かなかった。

(気絶するまで痛めつけたようね)

 アクレシア王女はギュリーを怒りに満ちた目で睨んだ。ギュリーはそれを見て嬉しそうに微笑んだ。


「この国はもうじき生まれ変わるの。ブルハン様がグチュル帝国と同盟を結び、あんたのような王族やこいつのような高位貴族が平民になるのよ」

「その同盟でこの国の民はグチュル帝国皇帝陛下と貴族に支配されるのね。この国が亡くなるのよ。ギュリー、それが望みなの?」

「この国が嫌いだから平気よ。私を売り飛ばした両親も嫌いだし、私を買った爵位持ちの商家の主人一家もそこの使用人達も嫌い。子供の私を散々こき使った挙句、流行り病に罹ったら奥様が路地裏に捨て来るように命じたのよ。それで男性使用人の肩に担がれていたところをブルハン様に買われて教育を受けさせてくれた。ブルハン様は私の恩人なのよ。ブルハン様はグチュル帝国の下、クラヴィス国の太守になられるわ。邪魔しないでね」

 ギュリーは腰に差した短剣で、アクレシア王女に切りかかったが華麗に躱された。


「ブルハン宰相はクラヴィス王国を売るのね。この国の主権が無くなる。民の尊厳が失われる。それが隣国の民のことであっても悲しいわ」

「あんた、エドミールに嫌われているくせにクラヴィス王国を心配するの? それより自分の心配しなさいよ。今ここであんたを殺すからね」


 アクレシア王女がギュリーに構っている間、エイドスは鎖を外し、ソフォクレスを背負い、牢を出た。それを見届けたアクレシア王女は、ギュリーの腹に拳を一発入れて、一気にケリをつけた。ギュリーは牢でうつぶせに倒れたままであった。

「ギュリー、ブルハンに殺される前に逃げなさい」

 

 次の日の朝、ギュリーではなく、別の侍女が来た。その日の夜中に隠し通路を使いアクレシア王女の私室に来たエイドスに、ギュリーは地下牢に押し入った反ブルハン派と兵士に踏みつぶされ切り付けられて亡くなったと知らされた。

「そう、逃げて欲しかったわね。それで、ソフォクレス様の容態はいかがかしら?」

「仲間内に医者がいまして診ていただいていますが、傷が化膿しています」

 アクレシア王女は、エイドスに塗り薬を渡した。

「ソフォクレス様にお渡しして。そして、彼がこれからどうしたいのかお聞きしたいわ」


 王城の大広間において、エドミール国王陛下はグチュル帝国の外務副大臣や高官、ニヤゾフ大使を招き、晩餐会を主催した。クラヴィス王国側は、アクレシア王女とセビルとベイザ、ブルハン宰相と彼の派閥の貴族が出席した。皆はエドミール国王の挨拶を傾聴した。


「我が国は東ユピテル王国の軍事同盟を破棄し、新たにグチュル帝国と軍事同盟を結んだ。この同盟によって我が国の軍事力が強化され、民の命と財産が守られる。

 そして、この同盟を始まりとして、グチュル帝国との貿易を活発にし、我が国の経済を発展させることで合意した。その合意の証として、アクレシアをグチュル帝国ニヤゾフ大使に下賜する」


 アクレシア王女は寝耳に水だったので、エドミール国王陛下に怒りの抗議をした。

「エドミール国王陛下、私はイリニ王国の王女であって、あなたの物ではありません。この場でお取り消しをお願いします」

「私は貴様を妻にと望んだことはない。イリニ王国に無理やり押し付けられただけだ。だから私に所有権がある。つべこべ言わずに明日ニヤゾフ大使のもとへ行け!」

「エドミール国王陛下、イリニ王国との軍事同盟をどのようにお考えですか?」

「そんなもの、破棄だ。我がクラヴィス王国はグチュル帝国の軍事力を手に入れたのだぞ。そのうちイリニ王国を滅ぼしてやる」

「なんてことを……」

 アクレシア王女は両手を頬に当て青ざめた。


 グチュル帝国の外務副大臣や高官、ニヤゾフ大使は、エドミール国王の言葉に怪訝な面持ちで互いを見遣った。ブルハン宰相はエドミール国王に黙れと顔を向けたが、人の気持ちを推し量ることができない国王である。


 大広間の天井へ向かって、給仕が爆竹を投げ爆発音が響いた。大広間の方々から大量の煙幕が広がり、煙はシャンデリアの明かりを遮り、給仕は柱にかけていた燭台の灯りを消した。グチュル帝国の外務副大臣と高官は立ち上がり身を寄せた。


「衛兵、賊だ。早く捕まえろ! エドミール国王陛下と国賓の身の安全を図れ!」

 ブルハン宰相の指示が響いた後、血が周囲に飛び散った。顔に付いたものを指でなぞったニヤゾフ大使が悲鳴を上げた。


 アクレシア王女は、エドミール国王の鼻に薬を湿らせたハンカチを当て気絶させた。招待客達は恐怖のあまり、煙が充満した中を我先にと出入口に向かった。大広間の煙が霧散し、大広間に残っていたのは、外務副大臣と高官、ニヤゾフ大使、倒れているエドミール国王、その隣に立つアクレシア王女、血を流して倒れているブルハン宰相であった。


 ソフォクレスの剣には血糊が付いていた。ソフォクレス、反ブルハン派の者達と、外務副大臣、高官、ニヤゾフ大使は対峙した。

「これは、君達が起こしたクーデターだ。だがグチュル帝国は君達が作った政府を認めない。認めて欲しければ、エドミール国王陛下が結んだ軍事同盟を継承することだ」

「断る。継承はしない」

 ソフォクレスは力強く言った。


「ふー。若造、国家間が結んだ同盟を簡単に無効にできるか! 君達はクラヴィス王国側にある条約を良く読まなければならない。それに同じ条約をグチュル帝国皇帝陛下がお持ちであることも忘れないでいただきたい。私達を傷つけてみろ、グチュル帝国皇帝陛下が君達を許さないであろう」

 外務副大臣や高官、ニヤゾフ大使は去って行った。


 イリニ王国バシレオス国王は、グチュル帝国皇帝に渡るはずだった同盟の書面を手にしていた。そこにはエドミール国王のサインがしてあった。


 グチュル帝国海軍の帆船は季節外れの嵐に会い、浅瀬に乗り上げてしまった。船底に穴が開いたため、小舟で島に渡った。その島は船に物資と水を補給する基地で、多くの船が避難しており、やっと見つけた宿でグチュル帝国の高官四人は休み、部屋で食事を摂った。四人は代わる代わる寝て番をするはずだったが、ぐっすりと眠ってしまった。そこで書面を掏り取られてしまったのである。


 補給基地には、イリニ王国の名前を伏せて経営している宿や補給所があり、島民の中にはグチュル帝国を脅威に思っている人々がいた。


「グチュル帝国に無事着いて、筒を開け書面が無くて驚いただろうな。書面のない同盟は締結していると証明できないだろう。この同盟はクラヴィス王国側に不利なものであった。民を兵に捧げよか…… 東ユピテル王国を挟み撃ちにしようとしたのだろうな。東ユピテル王国、クラヴィス王国が滅んでしまったらイリニ王国は成す術がない」


 バシレオス国王はもう一つの書簡を手に取った。

「クラヴィス新国王ソフォクレスが…… アクレシアを妻にしたいだと…… 王妃! アクレシアの嫁ぎ先が決まったぞ!」

 バシレオス国王は扉を勢いよく開けて、王妃の元へ走った。

「アクレシア、幸せになって」

 アクレシア王女の母である王妃は、娘の無事を知り涙しながら願った。そんな王妃が愛しくて、バシレオス国王は抱き寄せた。


 エドミール元国王は貴族牢に収監された後、毒配を賜り世間には病気で崩御なされたと報せた。セビルは女児を産み、ベイザとともにニヤゾフ大使の妾となった。今はグチュル帝国に住んでいる。


 クラヴィス王国が落ち着きを取り戻し始め、アクレシア王女の帰国が近付いた。

「前の部屋よりも広くなったのに、すぐ離れるのね。とても悲しい気分だわ」

 アクレシア王女は、所狭しと花が飾られた部屋を見回した。部屋にある花は執務の合間に、アクレシア王女に会いに来ていたソフォクレス国王から贈られた。それも毎日である。

 アクレシア王女は、ソフォクレス国王と会って話す度に、教養の高さと真摯に政に取り組む姿勢に好感を持っていた。歳が近いのもいい。


 アクレシア王女は侍女に勧められるまま庭園を散歩していた。庭園の美しい花に負けない美丈夫なソフォクレス国王が、赤薔薇の花束を抱えて待っていた。いつの間にか侍女も近衛兵もいなくなっていた。


 ブラウンにオリーブ色が混じったような巻き毛が風にふんわりと揺れる。ヘイゼルの瞳は真っ直ぐにアクレシア王女を見つめている。ソフォクレス国王はアクレシアの前に来て、片足で跪き、薔薇の花束を差し出した手が微かに震えていた。

「私はあなたに一目ぼれをしました。私と結婚してください」


 クーデター時、力強く凛と立つアクレシア王女が忘れられず、側にいて欲しいとプロポーズした。

「ソフォクレス国王陛下、結婚をお受けします。今の私は最高に幸せだわ」

アクレシアは、ぱっと明るい笑顔になって薔薇の花束を受け取った。


 ソフォクレス国王とアクレシア王妃は、クラヴィス王国の繁栄を築いた。

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国王(あたま)をすげ替えろ 鶴水紫雲 @noibara3

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