国王(あたま)をすげ替えろ
鶴水紫雲
第1話 前編 国王(あたま)すげ替えろ
イリニ王国のアクレシア王女は、窓を開け放ち、そよ風で揺れる木の葉を見ながら朝食を摂っていた。
給仕をする侍女がいないので、自らポットを手に取り果実水をタンブラーに注いだ。彼女は朝、昼、晩の食事を一人でいただいていたので慣れた手つきである。
一羽の小鳥が部屋に入って来て、テーブルの上にちょこんと乗りパンを強請った。アクレシア王女がパンを少しちぎり、小鳥の前に置くと啄んだ。
小鳥は満腹になったのか、顔を上げアクレシア王女の目を見据えた。
「アクレシア、クラヴィス国王のすげ替えはまだか?」
低い男性の声が王女の頭に響いて来る。
「まだよ。父上、私がこの国へ嫁いで来てから三ヶ月しか経っていないのよ。急かされても困るわ」
「クラヴィス王国のブルハン宰相は、イリニ王国と国交を断絶、不可侵条約を反故にし、共通の敵国であるグチュル帝国と和議を結び国交を樹立し、軍事同盟まで結ぼうとしているのだぞ。あの愚王になってから、両国の存続危機が目の前に迫っているのだ。焦らぬ方がおかしいではないか」
「今は間者に調べてもらっています。もうしばらくお待ちください。どのような作戦を立てるかはその内容を入念に確認してからにしとうございますわ」
ドアがノックされ、アクレシア王女の断りもなく開けられた。小鳥はそれに驚いたかのように窓から飛び出て行った。
「また、小鳥に餌をあげていたのですか?」
「そうよ」
「まあ、小鳥だからいいのですが、あれが鳩でしたら遠慮なく射殺されていたでしょうね」
侍女が外を睨みながら言った。
アクレシア王女は常に監視されている。この侍女も監視役の一人だ。名前はギュリー。年齢はアクレシア王女より二歳年下で十六歳。貴族の御令嬢らしいが、貴族としてのマナーや言葉遣い、所作が身についていないことから、ギュリーが平民であるとアクレシア王女は思っている。
アクレシア王女の部屋は王城の突き当りの二階にあり、近衛兵二名が部屋の外に立っており、また弓を持った近衛兵が日中は三十分毎に、夜は一時間毎に庭を巡回している。アクレシア王女の部屋の窓が開いていると、弓に矢を掛け待機し、伝書鳩が飛んで来ようものならば射殺し手紙を奪おうとしている。
「私って何? クラヴィス王国エドミール国王陛下の王妃ではないの? これは軟禁だわ」
結婚式が終わり、このような状況に置かれたアクレシア王女は呆れたように笑った。今後己がどのような状況に置かれるだろうか? 悪いことばかり浮かんで良いことは一つも浮かばない。悪いことの一つに、アクレシア王女と共に来た侍女達がスパイ容疑を掛けられ投獄される。
これは何としても避けねばならない。アクレシア王女は、侍女達を一人残らずイリニ王国へ帰した。
アクレシア王女に侍女がいないことを好都合と思ったブルハン宰相は、侍女を一人付けた。その侍女がギュリーである。
「ギュリー、用事があるのでしょう? 何かしら?」
「国王陛下がお呼びです」
「エドミール国王陛下は、私をどのようなご用件でお呼びなのかしら?」
「知りません。朝食は済みましたか? 済んだらご用意をなさってください」
ギュリーは、ぶっきらぼうに答えて窓を閉めた。
ギュリーを前に、近衛兵二人を後ろに従えて、アクレシア王女が回廊を歩いていると、斜め右方向に二人の男性が立っていて、こちらを見ていることに気付いた。一人の男性は、老齢でクラヴィス王国宰相ブルハンである。その隣にいる五十代半ばの男性をアクレシア王女は知らない。
だが、男性は頭にターバンを巻き、丈の長い前開きのカフタン着て、ゆったりとしたズボンを足首の辺りで細めていた。
(あの人はグチュル帝国の高官のようね)
アクレシア王女の姿が見えなくなると、ブルハン宰相とグチュル帝国の高官は話し始めた。
「あれがイリニ王国アクレシア王女殿下ですかな?」
「左様です。ニヤゾフ様」
「噂通りの美人ですな。小麦色の肌に、レモン色のシュールコーが良く似合う」
「あのような顔立ちは、グチュル帝国でも美人と言われるのですか?」
「ええ、美人と言われますね。彫りが深く、見つめられたら竦みそうな目力。鼻筋が通り、丁度よい厚さの唇。知性を感じさせる美人です」
「あのような知的美人は、ニヤゾフ様の好みですか?」
ふふとニヤゾフは笑った。
「男は皆美人が好きでしょう。ブルハン様もお好きなはずだ。アクレシア王女殿下のような知的美人は、見かけだけでなく中身も伴っているでしょうから、社会的地位の高さを示す伴侶として、手に入れることを望むでしょう」
「我が君エドミール国王陛下はそうではないようです。グチュル帝国から贈られた美女を溺愛していますよ」
「それは良かった。贈った甲斐があったというものです」
エドミール国王の部屋の前に着くと近衛兵がドアをノックした。
「アクレシア王妃陛下がいらっしゃいました」
「そ奴は王妃ではない。居候だ」
(正妃が居候? この国では妻を居候扱いするのかしら? 殴っちゃいたいわ)
近衛兵二人が両扉を開けた。アクレシア王女は一人で部屋に入った。テーブルの上にワインが入った銀製の水差しとゴブレットが置いてあった。
ソファの真ん中にエドミール国王が座り、両脇に若い女性が二人侍り、国王にしな垂れかかっていた。二人の女性はアクレシア王女を見下して薄ら笑った。
二人の女性はベールを被っておらず、一人は巻き毛、もう一人はストレートで、長い髪が金の糸のように輝いていた。二人ともブルーダイヤのような瞳を持ち、雪のように肌が白く、長袖で丈の長いカフタンを着て、その下に着ている白い衣服の襟は普通よりもU字が広く、柔らかくなまめかしい胸元が見えていた。頬が薔薇色で、ぽってりとした厚みの唇には色気が感じられる。
(さすが、グチュル帝国の贈呈品。私の目から見ても極上品だとわかるわ)
グチュル帝国は自国の女性を贈呈品にしたりはしない。それは自国の女性を、奴隷とすることを禁じているからだ。彼女達はグチュル帝国外の人間だ。攫われたか、買われたかどちらかであろう。娼婦となって使い捨てにされるより、国王の妾となれた彼女達はとても運が良いのだろう。
「エドミール国王陛下、お久しぶりでございます」
アクレシア王女は、左手でシュールコーを持ち上げ、右手を胸に当て、片足を後ろに引き、体を上下させる礼をした。目は三人を見据えたままだ。当然エドミール国王と睨み合う。
「貴様をなぜ余の前に呼んだかわかるか?」
「貴様だなんて、私の名前をお忘れになりましたの?」
「貴様は罪を犯した。名前何て呼ばれなくて当然だろう」
「罪? 一体何事?」
「貴様は、昨日の茶会でカメリアに毒を持ったであろう。カメリアは夕食前に急に苦しみだして、今も寝ているぞ。医官に診てもらったら、毒を盛られていると言っておったわ」
「毒? 私が? なぜ初対面の側室に毒を盛らねばなりませんの? 私に動機などありませんわ」
「動機はある。貴様は余に愛されず、カメリアに嫉妬したのだ」
「私がエドミール国王陛下を愛していると思っていらっしゃるのですね?」
「当たり前だ。余は魅力溢れた男だからな。世界中の女が余の虜になるのだ。そんな余に無視された貴様は、カメリアが憎くてたまらなかったのだ」
「あらそうですか? それでカメリア様の容態はいかがですか?」
「今もカメリアは生死を彷徨っているぞ」
「エドミール国王陛下、茶会でお茶を入れてくれたのは王城の侍女ですわ。茶葉やお菓子、食器を用意したのも王城側です。知り合いがいないこの王城で、一人ぼっちの私がどうやって、カメリア様に毒を盛ることができるのでしょうか?」
「王城の使用人らを買収したのであろう?」
「私にそんなお金はありません」
「貧乏姫が、口減らしのために嫁がされたのだろう」
二人の妾がクスクスと笑った。
ドアがノックされ、近衛兵の声が響いた。
「エドミール国王陛下、カメリア様がお部屋前にいらっしゃっておられます」
「カメリアが?」
「はい、今すぐ陛下にお会いしたいとのことです。いかがなされますか」
「カメリア様、遠慮なさらずにお入りくださいな」
アクレシア王女が許可を出した。
近衛兵が両扉を開けると、アクレシア王女がいたので、カメリアは少々驚きながらも入室した。カメリアの姿を見たエドミール国王と妾二人は言葉を失っていた。
カメリアはエドミール国王に挨拶をしてから、里帰りの許可を願い出た。
「カメリア、体は何ともないか?」
「はい、何ともありませんが?」
「カメリア、昨日の茶会で毒を盛られて苦しんでいると聞いたが?」
「茶会に関係なく、使用人に毎日盛られていますね。毒を…… アクレシア王妃陛下はそれを見兼ねて、昨日の茶会で解毒薬をくださいましたの。おかげで生き延びていますわ」
カメリアは二人の妾を見た。妾達は目を細め、しらばっくれた顔でカメリアを見返す。妾達の悪意ある顔はエドミール国王には見えない。彼女達の美しさはその本人が持つ害悪も隠すのだろう。
「アクレシア王妃殿下、エドミール国王陛下の愛妾をご紹介させていただきますわ」
巻き毛の女性がセビル、エドミール国王のお子を懐妊している。ストレートの女性がベイザ。
「セビル様、ベイザ様の後見人はブルハン宰相です。セビル様、ベイザ様は近々側室になられます」
「まあ、そうなの。エドミール国王陛下、新しいご家族が増えますわね。おめでとうございます。セビル様、ご懐妊おめでとう。ご自愛くださいね」
この言葉の何が気に食わなかったのだろうか? エドミール国王はゴブレットを、アクレシア王女に向かって投げつけた。
ワインの赤い雫が宙を舞い、ゴブレットはアクレシア王女の肩を掠めてベールとシュールコーにかかった。アクレシア王女に当たらなかったゴブレットは、背後に飛んで行き床に落ち残りのワインをぶちまけた。アクレシア王女はぶつからないように避けたのである。
「二人とも出ていけ! アクレシアは部屋から一歩も出るな! カメリア、お前は二度と王城に戻って来なくていい。顔も見たくない」
ブルハン宰相は一年前、セビルとベイザをエドミール国王の妾にした。それまで寵愛を得ていた正妃は、体調を崩し急死した。正妃がいなくなれば、寵愛された側室が正妃へと格上げされるのだが、エドミール国王は正妃を置かないままであった。
クラヴィス王国では、いくら寵愛が深い妾であろうといきなり正妃になれない。妾はまず側室に格上げされ、寵愛を継続して受け男児を産んでからである。
エドミール国王には子供が一人もいないので、二人のどちらかが懐妊すれば二人を側室に、男児を産めばその者を正妃にしようと決めていた。
このままではブルハン宰相の権力が強くなる。それを阻止したい忠臣達はエドミール国王に政略結婚をさせた。エドミール国王は正妃となったアクレシア王女が邪魔だった。
だが、同盟国の王女を暗殺できるわけがない。ならばアクレシア王女に側妃毒殺の罪を擦り付けて離縁しようとしたが失敗した。
(エドミールはさぞかし、悔しがっているでしょうね)
部屋のドアがノックされ、木箱を持ったギュリーが入って来た。
「アクレシア王妃陛下、カメリア様から贈り物が届いております」
ギュリーはテーブルの上に箱を置いた。
「開けてください。中を確かめます」
「まあ、エドミール国王陛下の側室を疑うの?」
テーブルの傍に座っていたアクレシア王女は立ち上がり、木箱の蓋を開けた。贈り物はベールであった。アクレシア王女がベールの上に置いてあった手紙を手に取って開くとギュリーが覗き込んだ。
美しいベールを恩人に贈ります。
アクレシア王女は、ベールを手に取り広げた。白いレース地の縁に小さな青い花模様が織り込まれていた。ギュリーはベールを見たが興味を示さず、木箱に細工がないか調べた。結果はただの木箱であった。
ベールの縁の小さな青い花がデイジーならば、花言葉は『協力』である。
外から施錠され、扉前に近衛兵が立つ夜の部屋で、アクレシア王女は木箱の細工を解き底を開いた。
そして、木箱に隠された紙を広げた。王城の見取り図と隠し通路が記してあった。
(カメリア様、ありがとう)
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