道の上の苺

まことに小さな集団が歴史の表舞台に立とうとしていた。

さて、教会関係者にとって聖主教歴1021年当時の『魔女アデルの家』ほど小さく取るに足りない集団はなかっただろう。

アデルは23歳と若く、未来の断片を観る予知能力がある程度の凡庸な魔女で、教会との軋轢を恐れて東の国境近くの森でひっそり暮らす人畜無害の存在。

一番弟子のマルティンは21歳。魔法的な才覚にはあまり恵まれなかったことを言い訳にあまり真面目に修行していないお調子者で臆病者。

二番弟子のエミリーは16歳。幼い頃に親によってロリコン貴族に売られ、その後離縁されて追い出された壮絶な過去がある泣き虫の甘えん坊。

三番弟子のレイノルドは15歳。教会の勇者候補者だったが無能者の烙印を押され、聖職者の性のはけ口要員として飼われていたところをアデルに救われて弟子となったあまり感情を顕にしない少年。

辛い経験をしたはぐれ者たちが寄り集まって支え合いながら生活する小さな共同体それが『魔女アデルの家』だった。
そんな東の森で自給自足の生活をし、時折近くの街で薬草を売って生計を立てつつ慎ましく生活していた『魔女アデルの家』の幸せな暮らしは教会によって奪われる。

「東の魔女、アデル! 教会の決定に則り、火刑に処す! 7年前! この魔女は、ヘルトリングの地に勇者レイノルドが覚醒するとの予知を得た! そして自らが討伐される事態を恐れ、おぞましくも幼き勇者を攫い、洗脳を試みた。以降、かの勇者に捧げられるはずだった栄光を7年も蹂躙し、魔に染め上げようとした、恐るべき魔女である!」

アデルの教育によって勇者としての力を覚醒させたレイノルドを教会に取り戻すため、魔女アデルを罠に嵌めて捕らえ、火刑に処すという最悪の方法で。

事態を知った弟子たちが駆けつけた時にはすでに刑は執行された後だった。

教会は知らなかった。

凡庸な魔女アデルが実は人を育てる天才であったことを。
「うちの弟子が天才すぎて困っちゃう♡」

一番弟子のマルティンはまだ本気を出していなかったことを。
「この7年で、僕は炎魔法と、時空を操る魔法を会得した」

二番弟子のエミリーは師匠の敵を殺すことに一切の躊躇いを感じない冷徹な一面があることを。
「今のうちに、彼を殺ってしまいましょう」

そして三番弟子のレイノルドが師匠を崇拝レベルで尊敬し愛していたことを。教会がかつて彼にした所業のすべてを覚えていることを。
「絶対に許さない。僕のかけがえのない存在を踏みにじった虫けらを。虫けらだからと見逃していたのが過ちだった。おまえだけは逃がすものか。何度殺したって足りない」

最愛の師匠であり姉である存在を奪われた弟子たちはそれぞれに行動を起こし始める。

中でも最強の勇者として覚醒していたレイナルドは闇堕ちしてさながら魔王と化し、天変地異を引き起こし、教会上層部を悉く粛清し、人々を弾圧し、もはや手の付けようのない恐怖の象徴として破壊と暴虐の限りを尽くす。

この物語の主人公は、あるいは処刑された東の魔女アデルかもしれない。
とにもかくにも我々は一人のおっちょこちょいで善良で思い込みが激しくていつも苺のいい匂いを漂わせている愛すべき魔女について知らねばなるまい。

これは家族の愛の物語。苺をこよなく愛する師匠を巡る弟子たちによる世界を巻き込んだ壮大な姉弟喧嘩または世直しあるいは逃走劇。はたまた盛大な勘違いとすれ違い。
彼らは、道の上に1粒の苺が落ちていたら、それだけを目指して進んでいくことだろう。

……と、ここまでが前置きであり、物語そのものは東の魔女の処刑の7年後から始まる。






……さて、ここまでの説明を読んだら、どシリアスな重い復讐劇だと思うじゃん? でも、作者はあのなろう系最強の勘違いコメディの大御所たる中村颯希先生なので……はい。まあ、そういうことです。
あえてネタバレはしないけど、中村民向けにはこう言おう。
「安心しろ。いつも通りだ」

そして中村作品に初めて接する新規読者向けには、とりあえず訓練された中村民を自認する私から一言だけ忠告。
「電車や人目のあるところでは読むな」






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