追憶(仮題)

七雪涼

#1

 鮮やかなだいだい色に染まる校庭に、校舎がその形のままに黒い影を落としている。


 黄昏たそがれの中で物思いにふけるなんて、柄にもない――自嘲じちょうするようにぼんやりと考えながら、人っ子ひとりいない一面の橙を眺める。


 するとそこに、白く小さな何かが舞い落ちてくるのが見えた。

 かすかに吹く風に揺られながら、ひらり、はらり――


 そうして橙の地に足を降ろしたそれに向かって、わたしは誘われたように歩みを進める。


 近づいて拾い上げてみれば、それはよく知られた形の――つまりは最も単純な形状の――紙ヒコーキだった。

 折り畳まれた機体の谷からは、何かを書き付けたのか黒い線が幾重いくえにも伸びている。


 その中身をあらためる前に、さてこの子はどこから降りてきたのか――振り返って見上げてみる。

 すると、校舎の屋上にたたずむ人影が見える。

 さすがにこの距離では顔がよく見えないけれど、服装から男子生徒であることはわかる。


 わたしと目が合った――かどうかはわからないけれど――男子生徒は、きまりが悪そうに顔を背けた。


 その様子を見届けてから、改めてわたしは手元の紙ヒコーキに意識を向ける。

 いまどき高校生にもなって校舎の屋上から紙ヒコーキを飛ばしてメッセージを伝えようなんて、古風というか気取り屋というか――そんなことを思いながら、機体を開いて中を見る。


 そこに描かれていたのは、文字ではなく絵だった。

 犬ともキツネともつかない小動物の、可愛らしくデフォルメされたイラスト。


 それを見たわたしは……胸をくような懐かしさを覚えた。


 もう一度見上げてみれば、屋上にはまだ例の人影が残っている。

 わたしに見つかったことで逃げるように立ち去る、ということはしなかったらしい。

 ……あるいはだれかに見つけてほしかったのかもしれないけれど。


 このままわたしが屋上に向かえば、彼と会うことができるだろう。

 あの男子生徒とは仲良くなれる気がする――紙ヒコーキがもたらしたそんな予感を胸にいだき、わたしは校舎の屋上へと向かう足を進めた。


 目的地へと向かう道すがら、そういえば、と思い至る。

 一般生徒に屋上への立ち入りが許可されている学校というのも珍しい、と。

 ……まあ、あの男子生徒が生徒である保証はどこにもないし、彼が許されて立ち入っているのかもわからないのだけれど。


 さて、屋上へと続く階段をのぼったわたしは、その先にあった扉のノブをひねって押してみる。

 すんなりとその扉は開き、その向こう側からさっきまで校庭を染めていたのと同じ橙色の光が差し込んでくる。


 そこに足を踏み入れたわたしの目に真っ先に映ったのは、一面の緑――


 几帳面きちょうめんに並べられた花壇が、無機質なコンクリートの床に道をつくっている。

 その花壇には植物が所狭しと植えられていて……


 ……なるほど、屋上緑化というやつだ。

 ならば先ほどの彼は、さしずめ園芸部員といったところか。


 そんな屋上の庭の一角に、果たしてくだんの男子生徒の姿はあった。

 庭への侵入者の存在にはとっくに気づいていたのだろう彼は、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


「もしかしなくても、さっき僕の紙ヒコーキを拾ってくれた人だよね」


 わたしの顔と、手元の紙ヒコーキ――だったはずの折り畳まれた紙――を見比べながら、彼はそんな風に声をかけてきた。

 ――それにしても、拾ってってことは、やっぱり見つけてほしいと思ってたのかな。


「そうだけど……放課後の校舎の屋上から紙ヒコーキを飛ばすなんて、時間に取り残されたようなことしてるね?」


 いきなりこんな砕けた話し方ができるのは、彼のネクタイの色を見て、わたしたちが同じ学年だということを知っているから。

 彼の第一声の口調も、きっと同じ理由だ。

 この高校の制服は、男子のネクタイ、女子のリボンが学年ごとに色分けされていて、だれがどの学年に属しているかは一目ひとめでわかる。


「べつに暇を持て余してこんなことをしてるってわけじゃないんだ。ここに来る日には一日一回だけ、そうだな……おまじない、みたいなものかな」


 どことなく寂しそうな笑みを浮かべて、彼がそんなことを言う。

 おまじない、だなんてまた情緒たっぷりな言葉が当たり前のように紡がれるものだから、なんだか可笑おかしい。


「一日一回、って……そんなに何度も屋上に来てるの?」

「ああ。もちろん無断で立ち入ってるわけじゃなくて、部活動なんだけどね。見てのとおり、この校舎の屋上には庭があって、管理は園芸部に任されてる」


 そして、彼がその園芸部員として活動をしている、そのためにこうして屋上に立ち入っている……ここまでは予想どおりだ。


 けれども。


「じゃあ、今日ここにいるのも部活のため?」

「そうだよ」

「それにしては、ほかに部活をしてる人を見かけないんだけど……」


 そう言ったわたしを、きょとんとした顔で見つめる彼。

 何を当たり前のことを言ってるんだ、と言わんばかりに。


「そりゃあ、ほとんどの部活はあっちの校舎とかグラウンドでやってるだろうからね」


 口調までそんな感じだ。

 なんだか、少しムッとした気持ちになる。


「あっちの校舎って?」

「文化部のための教室とか、運動部の部室とかがまとまってるほうの校舎だよ。……もしかして、知らないの?」


 ここにきてようやく、わたしという生徒に対して違和感を覚えたらしい。


「わたし、今日転校してきたばっかりだから」

「……そうだったのか。どうりで見かけない顔だと思った」


 いまさらそんなことに思い至ったのか。

 確かにこの高校の生徒数は一学年だけで見ても多いとはいえ、同級生に対して無関心が過ぎないだろうか。


「うちは文化部も運動部も充実してるんだけど、それは学校全体の方針がそうなってるからでね。文化部のための教室……たとえば音楽室とか美術室とかが、授業で使うのとは別にあって、そういうのがこことは別の校舎にまとまってるんだ。部室とか、運動部が使う体育館とかグラウンドもね」


 親切丁寧に、そう教えてくれる。

 なるほど確かに、これだけ多くの生徒をようしているのはそんな学校の方針があってのものなのかもしれないし、ここの生徒からは一般的な高校生と比べてずいぶん活気だった印象を受ける。


 ……もっとも、その特徴はいまわたしの目の前にいる男子生徒には当てはまらないのだけれど。


「でも、あなたの活動場所はここなんだね」

「まあ、メインの活動拠点がこの庭だからね。園芸部は教室のあるほうの校舎で活動する貴重な部活動のひとつだよ」

「なんだか寂しい話だね。みんな別の校舎に集まって部活をしてる間に、こっちの校舎に残って活動しなきゃだなんて」

「……まあ、にぎやかなのはあんまり得意じゃなくてね。こういう空気の中で、ひとり静かに活動するってほうがしょうに合ってるんだ」


 ああ、また――自分が迷子であることを受けれているかのような寂しそうな笑みを浮かべて、彼が言う。

 その顔を見ていると、なんだかいたたまれない気持ちになって、わたしは――


「……ところで、この紙ヒコーキだけど」

「ああ、そういえば。それを拾ってここに来てくれたんだったね」

「……おまじない、って言ってたけど」

「うん……その紙ヒコーキにはちょっとしたメッセージを込めていてね。……それを伝えたい子が、いるんだ」

「……ずいぶんと遠まわしな告白だね?」

「そういうんじゃないんだ……たぶん。ただ……小さい頃に仲の良かった女の子がいてね。なにかの偶然で、その子にメッセージが伝わればいいなと思って」

「その子に直接会って伝えられないの?」

「会えるものなら会いたいんだけどね……ずいぶん昔に別れてから、いまどこにいるのかもわからないんだ。彼女の顔も名前も、いまはもうはっきりと思い出せない」

「……そんな子に、それでも伝えたいことって?」

「ただひとつだけ、会いたいってこと。……花と動物が好きな、優しい女の子でね。当時いろいろあってふさぎがちだった僕は、彼女と過ごす時間に救われてたんだ。でも……彼女と別れてからは、色を失ったような時間が続いてる気がして……彼女が好きだった花とか動物をよすがに、なんとか毎日をやり過ごしてるんだ」

「……もしかして、それで園芸部に?」

「うん、彼女にまつわる想い出を、少しでも多く僕の中にとどめておきたくてね。その紙ヒコーキに込めたメッセージもそのひとつで、おまじない――別の言い方をすれば、なんだよ。あの頃の僕を救ってくれていた君に、もう一度会いたいって、それだけを祈り続けてるんだ――」


 彼のそんな話を聞いて、私が抱いたのはとても単純な感想。


 ――ばかな人だなあ。


 だってそうだろう、想い出の片隅でかくれんぼしているたった一人の女の子にとらわれて、いつまでも箱庭の中で足踏みを続けているなんて、青春の浪費だ。


 結局そのあとは、二人で取り留めのない話をして、それから彼は部活に戻ると言い、わたしは一人、屋上の庭を後にした。


 わたしの思うところを彼に伝えることはしなかった。

 今の彼にそれを伝えるのは、きっとわたしのひとりよがりなお節介になってしまうから。


 けれどもやっぱり、彼を箱庭から解き放つためのカギは、きっとわたしだけが持っていて。


 その錠を開けるひとつ目の言葉として、彼にはこう伝えるべきだったのだ――




 ――

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追憶(仮題) 七雪涼 @7yuki_ryo

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