第13話 賞与様に捧げる賛歌

 12月ももう後半だ。

 土曜日の夜、いつものメンバーはそれぞれ用事があるそうで、久しぶりの家飲みである。


 佐藤頼子31歳。独身。

 地方にある小さな会社のしがない事務員だが、今年も賞与が支給された。

 

 地元の大学に進学し、地元の企業に勤めて10年近く。

 バリバリ稼ぐ人からみたら鼻で笑うかもしれないが、まとまったお金が年末に手に入るのはうれしい。

 大人のクリスマスプレゼントではないだろうか。


 奮発して購入した大吟醸を「ひや」で飲みながら、よくテレビでおいしいものを食べたたり飲んだりするときに言う、「ん~おいしい!」の「ん~」の言い方を練習していた。


 はたから見れば何ともバカバカしい練習だと思われるであろう、だが頼子は真剣だった。

 真剣に酔っていた。


 お高い大吟醸はいい。

 とにかく口に入れたときに感じる香りがいい。「フルーツのような」と表現されることが多いが頼子にとっては酒の匂いだ。

 酒はいい匂いなんだから例えなくたっていいじゃないか。

 酒は酒。

 大変美味しゅうございます。


「ん~~~っ!」


 美味しいを表現する呻き? 感嘆詞? とにかくそれを一口飲んで声にしてみるがどうも満足するように響かない。

 どうやったら伝わる、この美味しさ。


「頼子、お母さん先に寝るけど、あんたもいい加減寝なさいね」


 頼子の奇行を全く気にすることなく母親がそう頼子に言って寝室へと去っていく。

 父親はすでに就寝済みだ。若いころから明け方に起きて読書をする習慣があるため夜は早い。読書の後はウォーキングと非常に健康的だ。

(我が父ながらアクティブだよねえ)

 娘は宵っ張りの朝寝坊が常だというのに。


「んっ!」


 語尾を伸ばさずに短くしてみたが、やはりしっくりこない、気がした。


「んーっ!」


 そんなことを繰り返していたらお猪口が空になってしまった。

 大事に飲みたいのに、どうして上手にやれないのか、と凹みかけてはっと我に返る。


「美味しいのは誰の目に見ても確か! わざわざ私が美味しさを伝えなくても別に問題はないし!」


 よし練習終わり。

 本番は来週のいつメンでの忘年会だ。美味しい創作料理の店に行くからそこでお披露目会だ。

 

 何でだろう、いつもより酔いが回るのがはやい気がする。

 酔っている自覚があるのはまだ安全ゾーンだと自分に言い聞かせて、手酌で大瓶からお猪口へとおかわりを注ぎかけてふと、手を止めた。


「何かアテが欲しいかもしれない」


 スナック菓子や柿の種だったらあるけれど、やっぱり日本酒には――


「――和食、かー」


 立ち上がり引き寄せられるように冷蔵庫の扉を開ける。

 あるのは白菜ときゅうりの浅漬けか。それも悪くはない。

 扉を閉めて続けて開けるのは、引き出しになっている野菜室だ。

 明日買い物に行くと母が言っていた。中身は寂しい。


「茄子か。まあ茄子、うん、とろとろ茄子……」


 残っていた茄子二本を取り出して台所の上に置き、頼子はピーラーを手に取った。

 二本とも縞々模様に皮をむき、菜箸でぶすぶすと何か所か突き刺す。そして水洗い。

 水が滴っている状態で一本ずつラップでくるっと包んでそのまま電子レンジへ放り込んで、スイッチオン。


「レンチンスタート! ってチンってしないけどね~」


 小さいボウル皿にめんつゆ適量に水適量を注ぎそこにごま油ひとたらしとチューブのすりおろししょうがを入れて混ぜる。


「実家暮らしが料理ができないなんて固定観念をぶっ壊せ♪」


 加熱が終わった茄子を電子レンジから取り出して流しへと投げ込んだ。

 優しく落とすつもりだったのに熱すぎた。


「あっつ! 火傷するわ!」


 菜箸を使うとか、せめて布巾でつつんで取り出すとかそういう発想がない頼子である。

 文句を口にしつつ、流しの上に転がった茄子にラップを取り除かずに上から蛇口から水道水を直にかける。

 別に変色したっていいし。食べるのは自分だし。


「んふふ~ん♪ ってド熱いわ!」


 ラップから取り出し、柔らかくなった茄子を手で割くが、猛烈に熱い。

 思わずめんつゆで作ったつゆに丸ごとぼとんと落としてしまった。

 

「うわ……、まあ、いいか。このまま箸で割るか」


 もう一個の茄子もラップから取り出してつゆの中にダイブだ。

 自分の箸を取り出し茄子を割いていく。


「ううぅ、結構むず……! ……うあぁもう!」


 決めた。

 そのまま食べよう。

 

 あっさり諦めてテーブルへと茄子の煮びたし風? をテーブルへと運んで四合瓶とお猪口の横に並べる。

 へたすら取っていない茄子の見た目は正直「ねーな」と思わんでもないが、胃袋に入ればみな同じだ。

(ってのはちょっと横暴かも?)

 瓶からお猪口にそうっと純米大吟醸を注いでため息一つ。

(……これ、SNSにアップしたら炎上するかもな……)

 ディストピア居酒屋とか名付けとけば――いや、駄目だ。コレは一人で、頼子の心の中だけにしまっておくべき思い出の1ページだ。

 別名『食べちゃって全部なかったことにする』


「再び、かんぱーい!」

 

 誰にでもなく、敢えて言うなら大吟醸の酒瓶にお猪口で軽く触れほんのちょっぴり口に含んでゆっくりと喉に落とす。

 やっぱり美味しい!


「んーっ!」


 お、今のはちょっとよかったんじゃないか? と自画自賛しつつ、箸で茄子を掴み上げた。

 がぶりと噛みつけば、茄子の中が思いのほか熱を持っていて叫びそうになったが何とか耐えて、はふはふと空気を含ませながらも何とか一口飲みこんだ。


「……熱すぎ! 死ぬかと思った!」


 31歳会社員が自宅で茄子が熱すぎ死とか笑えない。死んでまで笑いを取りたくはないけど、もうちょっと笑っても不謹慎にはならない感じなのを求めたい。

 かぶり付いた残骸に、息を吹きかけて十分冷ましてから再挑戦。

 熱い! けど叫ぶほどじゃない。ゆっくりと咀嚼して十分ジューシートロトロを味わってからゆっくりと飲み込んだ。


「んんっ! 美味しい! 見た目はアレだけど、ちょっと食べにくいけど、十分美味しい! 見た目はアレだけど」


 大事なことなんで二度言う。美味しいのも見た目がよくないのも事実。

 見た目のマイナスからの美味しさはギャップで却って好印象になるのかも? なったらいいな。


「これだけ美味しい物が作れるんだからいつでも嫁に――っていうか嫁がこんな料理出してきたらテーブルひっくりかえされるかもな……」


 言っていて推定夫のDV具合にドン引きする。自分の想像に自分でドン引きってどうなんだこれ。

 でもいいや、酒は美味しいし、適当に作った茄子も美味しい。

 旬じゃない茄子だってこんだけ美味しく食べられるならそれだけで幸せ。


「四合って少ないなぁ。次は一升買いかなぁ。夏のボーナス様が待ち遠しいって、待って!」


 クリスマスは――スルーだ。全力でスルー。なかったことにする。クリスマスキャンセルのお知らせ。

 今年度のクリスマスは誠に残念ながらキャンセルすることになりました。

 だって、ケーキは大量生産の作り置きがほとんどという話だし、サンタはいない。この世にはいない。

 だからなかったことになった。決定した。


 が、次に控えているのは正月!

 新しい年! めでたい! めでたい時には!


「日本人と言えば鏡開き! いや、樽でとは言わない!」


 興奮しながら頼子はテーブルに両手を叩きつけ、ごくりと喉を鳴らした。

 いいんじゃないか、めでたき新年、やっちゃっても!?


「一升瓶! 年明けと共に開けちゃってもいいんじゃないの!?」


 立ち上がって声高々に宣言すれば気分が高揚する。

 頼子は完全に酔っぱらっている。

 

「頼子よ……」


 突然呼びかけられてはっと我に返り、声がしたダイニングと廊下を繋ぐ引き戸を見ればそこからこちらを除く一人の男の顔が――


「って、うわ! お父さん! 何!?」

「……トイレに起きた」

「ああ……」


 一瞬不審者かと思ったが父だった。一家の大黒柱に悲鳴を上げるわけにはいかない。慌てて悲鳴は飲み込んだ。

 多少生活費を入れているとはいえ、今の頼子は寄生虫に近い存在であることは紛れもない事実。


「鏡開きは1月11日だ。新年じゃない」

「あ、はい」


 言われてみれば、そうだった、気がする。


「新年に神様に捧げた鏡餅を食べる日であって、酒樽を割って飲みかわすのはまた別の儀式」

「つまり、元旦に樽を木槌で割って飲んでもよい、と?」

「……自分の結婚式まで取っておくべきだと思うぞ、父さんは」

「うぐっ!」


 まさか、こんな背後から撃たれるようなことが起こるなんて誰が想像しただろうか。

 頼子はその場に崩れ落ちる様に床に膝をついた。


「それができるなら……!」

「正月ぐらい昼から飲んでも多めに見るから、クリスマスは街コンでも行ってこい」

「……か、会社なら、セクハラって言えるのに!」

「誰も言えないだろうから、言いたくもないことを言ってるんだ」

「そ、そもそも最近の結婚式で鏡割りなんてしないし!」

「寝る」


 言いたいことだけ言って寝室へと戻っていく父の背中を睨みつけて頼子は誓った。

(くそぉ、不謹慎だと言われようとも、お父さんの葬式で鏡割してやる!)

 へたりこんだまま心に誓い、頼子はよじ登るように椅子へと戻る。

(そもそも、時代錯誤だっつーの、会社の若い子に嫌われるんじゃないの?)

 胸中で文句を付けながらもお猪口に手を伸ばしかけ、その手を止めた。

 駄目だ。今のこの気分で吞んだら美味しくない酒になる。

 残った茄子を箸で掴みがぶっと噛みつく。まだ熱い。熱いがとろっとしていておいしい。


「マイクロ波め、いい仕事しやがって……!」


 この何とも言えない気持ちはどこに向ければいいのだろう。

 とりあえず電子レンジの仕事ぶりを褒めながら、茄子を平らげていく。


「……美味しい。……うぐぐ、父めー! 絶対に許さん!」


 父への怒りをたぎらせながら、今日も夜は更けていく。

 茄子は美味しいし、お酒は美味しいから、そのうち怒りも溶けて消えると思われる。


 「絶対に許さねえええええ!」





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 来年はボーナスが貰える職場にいられたらいいな&ボーナス貰えるほど業績があがるといいなと願いを込めて!

 頼子「鏡開きオフとか企画したら、人集まるのかな? クリスマス鏡割りとかあり? 父も騙せて一石二鳥?」

 

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三十路女は楽しく飲みたい 古杜あこ @ago_t

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