第27話 はじめてのダンス

 今日という日を、どれだけ待ち望んでいたことか。


 ジュールはレオリールに連れられ、年に一度、王都で一番大きなダンスホールで開催される舞踏会に参加していた。

 

 この日は建国記念日で、身なりを整えれば誰でも参加できることになっていた。貴族に限らず事業家などの金持ちや、玉の輿を狙った平民の娘も気張って参加している。


(今日こそ、ダンスの申し込みをするぞ!)


 そう意気込むものの、一段と華やかなドレスを着飾る令嬢の姿に尻込みしてしまい、一歩が踏み出せずにいた。


「まだ踊らないのか?」


 新たな曲が始まる。これで三曲目だ。もう三回も、機会を逃している。


「そういうレオリール兄様は、踊らないんですか?」

「私はあまり、ダンスが好きではない」


 その返事に、ほっとしてしまうのはなぜだろう。


 先ほどからジュールは、レオリールに注がれる視線を四方八方から感じていた。声をかけるタイミングを見計らっているようだ。そして同時に、牽制し合っている。


 自分がレオリールのそばを離れたら、令嬢たちが押し寄せてくるのでは。そう思うと、ダンスどころではないというのが正直なところだ。


(僕は何しに来たんだろう。あんなにダンスを楽しみにしていたはずなのに)


 行動も起こせずに、もじもじしているようでは、いつまで経っても大人の仲間入りなどできない。イザ出陣だと、ジュールが奮起したときだった。


「あの、お久しぶりです」


 背後から、躊躇いがちに話かけられる。振り返ると、ジェシカが立っていた。彼女とは帽子騒動以来会っておらず、気まずい空気が漂う。


「こ、こんばんは、ジェ──」

「ごめんなさい、ジュール。私、反省したの。レオリール様に言われたこと、そのとおりだなと思って。高飛車で、嫌な女だったわ。本当に、ごめんなさい」


 ジュールの言葉を遮り、ジェシカは謝罪を口にした。風邪など引かなかったかと心配もされる。


「僕は大丈夫だったから。そんな顔しないで、笑っていてよ」


 ジェシカは眉尻を下げ、今にも泣き出しそうだ。


「ええ、ありがとう。レオリール様、その節は突然押しかけ、また無礼な振る舞いをしてしまいました。お許しください」


 ジェシカはジュールの傍らに立つレオリールにも、頭を下げた。


「わかったのならもういい。これからも、素敵な淑女を心がけなさい」

「はい! ねえジュール、私と踊ってもらえないかしら」

「へ……僕と⁉」


 てっきりレオリールを誘うものだと思っていたジュールは、素っ頓狂な声を上げる。


「仲直りのダンスよ」


 口角を上げ上品に微笑まれ、ジュールの頬に朱がさす。ちらりとレオリールに視線を向けると、いっておいでというように頷かれる。


「こちらこそ、踊っていただけますか」


 手を差し出すと、ジェシカの手がふわりと乗せられた。ジュールは緊張をひた隠し、ダンスの輪に向かう。


(どうしよう、どきどきが収まらないよ)


 ダンスの上級者たちに囲まれる中、ジュールはジェシカに視線で合図を送る。そして曲に合わせ、一歩を踏み出した。


(あれ? なんだか違和感があるような……)


 ジェシカとのテンポが、微妙にズレている気がした。ダンスはこの日のために、オスマンから猛特訓を受けたばかりだ。自分でも上達したという自覚があるだけに、焦りが生じた。


(おかしいな……どうして? 緊張のせいかな)


 修正を試みるも、どうしてもリズムが合わない。自分のリードが悪いのだろうか。

 ジェシカに視線を向けると、眉尻を下げ困り顔だった。


 しっかりしなければ──


 そう思えば思うほど、足運びがぎこちなくなってしまう。練習では、こんなことはなかったのに。


 それでも彼女の足を踏むことなく、なんとか一曲を踊りきった。もう背中は汗で湿っていて、疲労困憊ひろうこんぱいだ。念願だったダンスだというのに、楽しいと思えなかった。


「ごめん、ジェシカ。僕、ダンスが下手で」

「そんなこと……私こそごめんなさい。うまく合わせることができなくて」


 ジェシカは気にしないでと優しく微笑む。

そして「たくさん踊るうちに、上達するわ」と励まされ、やはり自分のリードが下手だったのだと悟る。端から見ていた人たちにも、わかってしまっただろう。レオリールの目には、無様に映ったに違いない。


 ジュールは情けなさで顔を強ばらせる。レオリールの元に向かう足も、沼地を歩いているように重く感じた。


「ダンスは楽しめたか」


 酷評の言葉を予想していたが、レオリールの声音は、ジュールを労うようなやわらかなものだった。


「え……と、それどころではなかったです。失敗しないように踊ることが精一杯で、リードもできませんでした」


 ジェシカに恥ずかしい思いをさせてしまったと項垂れる。けれどレオリールは、「よく頑張っていた」と頭を撫でてくれた。


(なんだろう、この手の感触……)


 ふわりと乗せられた手から伝わってきた、くすぐったいような、懐かしような温かさ。


「ところでジェシカ、その靴は新しいものだったのか?」


 平坦な声で、レオリールが問う。

 なぜそのような質問をするのだろう。意図がわからず、ジュールはレオリールを見つめる。


「いいえ、履き慣れたお気に入りの靴ですけれど……どうかしまして?」


 ジェシカも不思議顔で、首を傾げた。


「いや、なんでもないよ。素敵な靴だ」


 レオリールの褒め言葉に、ジェシカは舞い上がったようだ。「ありがとうございます」と声音は高くなり、「ジュールはレオリール様の踊っているところ、見たことあるの?」と口早に問われる。ないと答えると、ジェシカの目がぎらりと光ったような気がした。


「レオリール様、ジュールにダンスのお手本を見せてあげてはいかがです? 彼が気に病んでいるようで心配で──。ねえ、ジュールからもお願いしてみたら?」


 勉強になると思うと、やけに押してくる。

 ジュール自身、レオリールが踊る姿を見てみたい気持ちはあった。嘸や格好いいに違いない。


 けれど、誰と踊るの?


「レオリール兄様、ぜひお手本をお願いします」

「仕方ない、よく見ておくように」


 あっさりと承諾したレオリールに、なぜかジュールは落胆してしまった。


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2025年1月11日 10:33
2025年1月12日 10:09
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孤高の公爵、箱入り息子に求婚される 美月九音 @ku-9

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