第2話 17

「……失礼。あなたがなにを仰ってるか、私には理解できかねるのですが……」


 目の前のレイナに応えながらも、俺は背後のリーズンに視線を向ける。


「……悪役令嬢、ですか?

 悪役と言うからには、レイナ様は我が主――エルディオン大公家の姫たるシャルロット様を侮辱していると捉えますが、よろしいですね?」


「い、いや――レイナ様っ!!」


 俺の言葉に、リーズンは今度こそ青ざめた。


 いかにノーデンス侯爵家がシルベルト皇子の外戚で、しかも枢密院議会筆頭という力ある家であろうとも、所詮は臣下でしかない。


 一方、レイナが愚弄した姫様は皇弟の嫡子であり、皇太子位が皇帝陛下の意向であえて空位となっている現在、皇位継承順位はお館様の二位に次いで三位を与えられている、れっきとした皇族なんだ。


 いかにレイナがノーデンス家の後ろ盾を受けているとしても――彼ら風の言い方をするなら、たかが元平民。


 ……そう彼女は元平民で、貴族としても侯爵家令嬢でしかないんだ。


 決して姫様を声高に愚弄して良い立場ではない。


「――グレイ殿と話をするだけと仰っていたではないですか!!」


 と、リーズンは慌ててレイナを留めようとしたのだが……


「――なぜ、そこでシャルロット様のお家の話になるの?」


 レイナはリーズンの制止も聞かず、俺に一歩踏み出してそう首を傾げた。


「アタシはグレイくんとシャルロット様の話をしているのよ?」


 上目遣いで俺を見上げながら、レイナは本当に意味がわかっていないのか、不思議そうな表情だ。


「貴族にとって御家は切っても切り離せないものです。

 ――リーズン殿、彼女は本当に学園の編入試験を受けたのですか?」


 ノーデンス家の力で無試験で編入をねじ込んだんじゃないかとさえ考え、俺はリーズン殿に訊ねた。


「――は、はい! それはもう間違いなく! 学園長に確認して頂いても結構です!」


 俺に睨まれて、リーズンはもはや蒼白な顔でコクコクとうなずく。


 だというのに、編入試験の設問にも出てくる礼儀や作法、暗黙の了解についてまるっきり無視してるのは、いったいなんなんだ?


 ……いや、皇帝陛下すら小僧なんて呼ぶ学園長に、権力による強制が効くとは思えない。


 むしろノーデンス家は試験問題を派閥の教師から入手して、レイナに答えを丸暗記させたって考えた方が、まだ自然か?


 そんな事を考えたのが隙となったのかもしれない。


「――グレイくん! アタシはあなたが心配なだけなの!」


 そう言いながら、レイナは俺に抱きついて来やがった。


「――――ッ!?」


 驚愕するものの、俺の力で彼女を振り解くと怪我をさせてしまう恐れがある。


 どうしたものかと躊躇している間にも、レイナは俺の背に両手を回して訴えるように続けた。


「あなたはサイベルト皇子達に勝てる力があるのでしょう?

 シャルロット様はあなたのその力を利用しているだけなのよ!」


 横手でゴキリと骨を鳴らす音がした。


 視線だけを向けると、ライを背後に庇いつつ、リィナ姉が笑顔で後ろ手を組んでいるのが見えた。


 恐らく背後に隠して拳を鳴らしたんだろう。


 レイナの発言に、きっとリィナ姉はブチギレる寸前だ。


 俺の視線に気づいたリィナ姉は両手を前に組み直し、指信号を送ってくる。


 ――れ、と……


 後ろ手で『アホか』と返し、俺は抱きついたままのレイナを見下ろす。


「――それはどなたから聞いた話ですか?」


 今日、編入してきたばかりのレイナが、一月前のサイベルトとの決闘を見ていたわけがない。


 当然、彼女に吹き込んだものがいるはずだ。


「みんな言ってる! 新興のエルディオンに――公国ができるまでは廃れ切ってた旧都に、グレイくんみたいな若いのに強い人がいるはずがないって!」


 ……みんな、ね……


 俺は取り巻きどもに視線を向けたが、連中は俺の視線に気づくことなくレイナの言葉に同意してうなずいている。


 だが、続けられたレイナの言葉には、連中も驚いたようだ。


「――きっとグレイくんは裏社会の組織で育てられた暗殺者なんでしょ?

 悪役令嬢が暗殺者を雇ってるのは定番だもんね」


「…………はあ? こいつ、なに言ってんの?」


 思わず素で呟いてしまう。


「――わかってる! 自分からは暗殺者なんて言えないよね……

 でもね、グレイくん、聞いて?

 ……あなたは冷たい世界で生きて来たから、シャルロット様に初めて人みたいに扱われて、勘違いしちゃうのはわかる……

 けど、それってあなたを従える為の洗脳の手段なんだよ!」


 その妄想は、彼女の中で真実として捉えられているようで、俺は薄ら寒ささえ覚えた。


「……だから、そんなあなたを解放する為に、アタシはグレイくんとお話しに来たのよ!」


 それこそ洗脳でもされているかのような、激しい思い込みだ。


「――あなたはただ、『助けて』と言うだけで良いの! そうしたら、アタシは聖女として、全力であなたをシャルロット様から救い出してみせる!」


 謳うような台詞は、まるで小説か舞台のもののようで……


 ……俺を助ける、だと?


 その一言に俺は、レイナに感じていた不気味さを忘れ、怒りが込み上げてきた。


 ……だから助けを求めろ、と?


「――見当違いもイイとこだ……」


「え?」


 俺の押し殺した呟きに、レイナが再び不思議そうな表情を浮かべる。


 その顔に俺は思わず哄笑をあげた。


 ……本当にわからないらしい。


 突然笑い出した俺に、レイナはたじろぎ身を離す。


 だから、俺は身を屈めて彼女に顔を寄せて言ってやる。


「……助けを求められないと助けられないとは、聖女ってのはずいぶんと薄情なんだな?」


 突然口調を変えたからか、レイナは目を見開きながらさらに一歩を退く。


「――例えば、だ」


 俺は退いたレイナを追って一歩を踏み出す。


「貧民街の裏路地に、生きてるかどうかもわからない子供が――それも左手以外すべてが欠けたガキが打ち捨てられてたら……おまえは『助けて欲しいか?』と訊くのか?」


「そ、それは――衛士の人を呼んで保護してもらうわ!」


「――ハッ! それがアンタの言う助けなのか!?

 あの方は――シャルロット・エルディオンは、有無を言わせず抱き締めて、城に連れ帰ったぞ!」


 レイナの目が見開かれる。


「まさか……」


「そして、あの方はこうして自由になる身体までくれた!

 ――洗脳? あの方にされるならそれだって良いさ!

 そもそもあの方に拾われてなければ、俺は生きてさえいないんだからな!」


 思いの丈を吐き出し、俺はさらにレイナに畳み掛ける。


「……てめえごときが聖女だっていうなら、ウチの姫様は女神様だろうさ!」


 ここに来て、俺は完全にブチギレていた。


 俺の剣幕にリーズンや取り巻きどもは気圧され、レイナは顔を青くする。


「――ア、アタシだって……そういう場面に出くわしたら、きっと……」


 それでもなおも言い募ろうとするレイナに、俺の怒りはさらに燃え上がった。


「なら、てめえの従者はリーズン殿貴族なんかじゃなく、俺と同じ平民だろうさ!

 同じ場面に出くわしたら? そもそもてめえ、貧民街がどんなトコかわかってんのか!?」


 抱きつかれた事でわかった。


 元平民とはいえ、肉付きの良いレイナはそれなりの――食うに困らない生活を送れるような家庭に育ったはずだ。


 背に回された手はマメすらなかったから、畑仕事どころか水汲みにすら縁のない生活だったんだと推測できる。


 そんな娘が貧民街に踏み込んだなら、五〇メートルも進まないうちに身ぐるみ剥がされて拐われることだろう。


 ――姫様は本当に別格なんだ。


 あの方は俺と出会った時点で中級攻性魔法を喚起できていたし、すぐそばにはおかみさんが付き従っていた。


 そんな万全な体制で、貧民街にある闇市に魔道研究の為の素材購入に訪れていたんだ。


「あた……アタシ……アタシは――」


「はっきり言ってやる。

 ――てめえは姫様の側近の俺の力が欲しかっただけだ!

 俺を助ける? 言葉を飾って誤魔化すんじゃねえよ!

 単に姫様が羨ましかっただけだろうがっ!」


 レイナは絶句して――


「――ひどいっ!!」


 それから両手で顔を覆って泣き崩れた。


「レイナ様っ!」


 弾かれたように取り巻きどもがレイナに駆け寄る。


 リーズンもまた俺に礼を取って、レイナを助け起こし。


「――グ、グレイ殿。今日はここまでに。後日、改めてお部屋に謝罪に伺います」


 手短にそう告げると、レイナやその取り巻きを引きずるようにして、この場を去っていった。


「……てことは、またあいつの相手をしなきゃなんねえのか!?」


 しかも今度は姫様のフリをして!


「……グレイ、おつかれ……」


 ライが俺を慰めるように肩を叩く。


「なんというか……強烈な人達だったね……」


 そう言って苦笑するライに、俺は深々とうなずいて同意した。


「……あれをもう一回かよぉ……」

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姫様の身代わりで貴族学園に通う事になった従者の俺が、大英雄に担ぎ上げられるまで ~悪辣公女の婚約者候補殲滅計画~ 前森コウセイ @fuji_aki1010

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