第2話 16

「――グレイくん、すごいですね!」


 と、レイナは現れるなり、俺に向かってそう言い放った。


「――あっ……」


 その所為でライの集中が途切れ、宙図していた魔芒陣が霧散する。


「あぁ、クソ! いまの惜しかったぞ!」


 思わず俺はうめいて、ライの肩を叩く。


 すっかり魔道を取り戻したライは、魔術を扱った感覚から下級なら攻性魔法すら使えるようになったんだ。


 本人にやる気があるのも大きな要因なのだろうが、ライは乾いていた鉢植えに水を与えたかのように、教えれば教えるほどに俺やリィナ姉の魔動技術を吸収していき、いまや才能という大輪の花を咲かせている。


 だから、俺とリィナ姉はさらに一段回、鍛錬を引き上げた。


 本来ならばニ年になり、魔道士課程を専攻するようになって学ぶ事になる、中級魔法を教える事にしたんだ。


 その必須技術が、精霊を用いての魔芒陣の宙図。


 下級のように魔道を精霊と繋ぐだけではなく、ことばを唄に、手運びや足さばきの動作を舞いとして、精霊を励起させ定められた陣図――魔芒陣を描かせるのが、中級魔法の最初の関門だ。


 今、ライに出している課題は、中級魔法の中でも比較的習得しやすい結界魔法――大気を集めて盾とする<風盾エア・シールド>で、何度かの挑戦の末、ようやく魔芒陣の宙図がうまく行きそうだったんだ。


 ――それを……


 俺はライから視線をレイナに移す。


 ヤツはクラスの第二皇子派とりまきの男女数名に、侍従姿の青年を連れてやってきていた。


 侍従はノーデンス侯爵家の家紋が入ったカフスをしているから、御家の使用人というところか。


 なんの用か知らんが、目がついてるなら大事な鍛錬の真っ最中だった事くらいわかるだろうに。それを邪魔しやがって。


 ……とはいえ、相手はノーデンス侯爵家の養女であり、俺はエルディオン大公家に仕えているとはいえ、使用人でありただ平民にすぎない。


「……失礼ですが、友人の大事な稽古の最中なのです。邪魔しないで頂けますか?」


 不機嫌さを押し隠し、俺は慇懃に礼をもってそう告げた。


「――ちょっと! レイナ様がわざわざ出向いてあげたのに、その言葉はなに!?」


「侯爵令嬢のレイナ様がわざわざ貴様ごときの為に起こしくださったんだぞ!?」


 途端、取り巻きどもが激昂して声を張り上げる。


 えらい心酔っぷりだ。


 ……こいつら、レイナと出会ってまだ半日足らずだよな?


 それでここまで入れ込むものなのか?


 ――あの女はとにかく人に取り入るのがうまいの。


 姫様の言葉が思い起こされるが、それにしたって極端すぎるように思える。


 よもやレイナは、伝説に謳われる異能――魅了の魔眼でも持っているのだろうか?


 そんな事さえ考えたのだが……


 ――いや、これは……


 取り巻きどもは俺を罵りながら、レイナの背後でたたずむ従者に時折、チラチラと視線を向けている。


「ああ、なるほど……」


 そういうことか。


 タネが割れてしまえばなんて事はない。


 取り巻きどもは――きっと親や御家なりにきつく言い含められているんだろう――レイナに心酔しているのではなく、ノーデンス侯爵家に取り入ろうと必死だっただけだ。


 姫様はレイナが人に取り入るのが巧いと、まるでなにかしらの異能でも使っているかのように警戒していたが……


 そもそも姫様はレイナと出会う事が稀で、出会う事があっても第二皇子派閥の彼女にはなるべく関わらないようにしていたと言っていたから、きっと気づけなかったんだろう。


 いや、少なくとも大魔道たる姫様が警戒する以上、レイナには本当になにかしらの異能があるのかもしれないが――少なくとも、人に取り入るのが巧いというのは、それじゃないように思える。


 俺の推測だと、レイナは人に取り入るのが巧いのではない。


 恐らくはそう見えるよう――第二皇子派閥が聖女としての彼女の信奉者を増やすべく動いた結果、姫様にはそう見えたという事なんだろう。


 なにせ姫様の耳目となる従者までもが取り込まれていたんだ。


 姫様にとってはさぞかし不思議な事態に思えただろう。


 俺はこっそり溜息を吐く。


 以前の姫様の従者も、きっとこんな風に取り巻き達に罵られ――


「みんな、グレイくんの事をひどく言わないで」


 と、レイナが慈愛に満ちた表情で取り巻き達に声をかける。


「――しかしレイナ様!」


 取り巻き達が不満げに俺を睨んだ。


「アタシが突然来たのが悪かったの。

 そうよね。貴族なら……さきぶれ? とかを出すべきだったのよね。アタシ、まだそういうのよくわからなくて……」


 そう言って憂い顔を見せるレイナに、取り巻き達が慌て出す。


「レ、レイナ様は貴族になったばかりなのですから、仕方ありませんよ!」


「そうです。そもそも平民や従者にそこまでへりくだる必要はないのです!」


「みんながアタシの為を思ってくれているのはわかるけれど、アタシはそういう身分で態度を変えるのってよくないと思うわ……」


 ……なんだコレ?


 俺は一体、なにを見せられてるんだ?


 いや、やりたい事は理解できるんだが、レイナは自己陶酔が激しすぎやしないか?


 取り巻きや従者連れて押しかけておいて、身分がどうこうとか…… 


「はぁ……」


 思わず溜息が漏れた。


 身分を盾に配下が強硬に出て、その主がたしなめる事で相手に恩を被せる。


 ……要するにコイツらがやりたいのは、もっとも単純な洗脳の手法だ。


 なにも知らない者なら、これでレイナに救われたと――そこまで思わないにしても、多少はレイナに気を許すんだろう。


 だが、俺には通じない。


 なんせ俺はすでに使からな。


 入学当初のシャルロットは、ふたりの皇子の派閥に挟まれ、それ故に中立派からも距離を置かれていた。


 単に姫様の命令オーダーをこなすだけなら、そのままでも良かったのだが、敬愛するお館様からのお願いオーダーは、姫様の人脈コネを増やす事だ。


 没落が決定してる第二、第三皇子の派閥はともかく、事が成った暁には力を持つ事になる中立派の信頼は勝ち取っておきたかった。


 だから、わかりやすくクラスで横暴に振る舞っていた第三皇子サイベルト派のダッグス達と派手めに対立して見せたんだ。


 思惑通りクラスの中立派は、表立っては表明していないもののシャルロット派と言っても差し支えない状態になっている。


 そんな手段を使った俺に、まさか同じ手をしかけてくるとはね……


 しかも身内だけの自作自演で、だ。


 エリュディオンの使用人を――師匠やおかみさんの教育をナメてるとしか思えない。


 こんなのエルディオンウチでは、見習いにだって通じないだろう。


「あ~、ひょっとしてみなさん、平民の俺を見下す為に、わざわざこんなトコまでいらっしゃったんですか?」


 途端、なおも憂いを口にするレイナと、それを慰めようと取り繕う取り巻き達の表情が固まった。


 無表情を貫いていたノーデンス家侍従の目元も、わずかに動いたのを見逃さない。


「グ、グレイくん? アタシはそんなつもりは――」


「――だって、そうでしょう? 大勢で押しかけて、平民なんだから話を聞けって騒ぎ立てて……」


 俺は取り巻きどもを見回す。


「貴方達わかってます? 私は今、姫様のご指示で御学友の稽古をつけているところなんです。

 それを邪魔するという事は、姫様に――ひいてはエルディオン大公家に弓引くという事なんですが……」


「――へ、平民がノーデンス侯爵家に逆らうというのか!?」


 取り巻きの男が叫ぶ。


「そうよ! 仕えている御家の名を使って、偉そうに!」


 別の取り巻きもまた言い募るが、その言葉、そのままおまえらに返したいぞ。


「グレイくん、自分を大きく見せる為に人の名前を使うのって、アタシはよくないと思うわ」


 そしてレイナまでもが、そんな事を言い出す。


 いや、おまえ、今現在進行形で引き取られたノーデンス侯爵家の名前を使って、俺を従わせようとしてるじゃないか。


「……どの口が……」


 それでも口の中だけで呟き、やつらに不平を聞かせなかった自分を褒めてやりたい。


 ともかくこいつらじゃ話にならん。


 俺はノーデンス家侍従に視線を向ける。


「……この方達は、先程からエルディオン公女専属侍従たる私を侮辱し続けているわけですが、これはノーデンス侯爵家の総意と取ってよろしいでしょうか?」


 そう告げてやれば、ノーデンス家侍従の無表情な顔が今度こそ引きつった。


「い、いや……」


 言い訳でも考えているのか、ヤツの目が宙をさまよう。


 だが、俺は反論を許さずにさらに畳み掛けた。


「当家はお館様も姫様も、使用人を家族とお呼びくださって、それはそれは大切にしてくださっております。

 そんな私を平民と悪しざまに罵っている彼らを止めもしないのですから、少なくとも貴方は――ええと、名前はなんと仰るのですか?」


「……サ、サムス・リーズンです」


 学園入学に際して、貴族名鑑で主流派閥家の家名は暗記したから、サムス当人の事は知らないが、リーズン家の事は覚えている。


 ノーデンス家門の陪臣――男爵家だ。


 使用人をしているという事は、嫡男ではなく――次男か三男だろうか。


「――リーズン殿。少なくとも貴方は、彼らと同意見だったと認識してよろしいですね?

 貴方の名前も含めて、姫様に報告させて頂きます」


「お、お待ち下さい! わ、私はただ、使用人として主人の会話に口を出すべきではないと考えたのです。

 け、決してグレイ殿を、大公家を軽んじているわけではなく――」


「おやおや、男爵家出身のあなたが貴族の礼儀も弁えてないのですか?

 ――他家の使用人を批判するという事の意味すら理解していない、と?」


 どうせ平民だから、なにを言っても泣き寝入りすると思ったんだろう。


 だが、こちとら姫様に拾われてからずっと、師匠やおかみさんに鍛えられ、姫様と共に貴族の作法を学んできたんだ。


 ぶっちゃけそこらのぼんぼん貴族――目の前の取り巻き連中より、礼儀作法については熟知しているつもりだ。


「……済まなかった。後ほど正式な謝罪文を送らせて頂く……」


「――リーズンさん!?」


 頭を下げたリーズンに、取り巻きどもがうろたえた。


「――黙れ! 君達もグレイ殿に謝罪するんだ!」


「し、しかし――」


 と、そこで――


「……可哀想……」


 レイナは胸の前で両手を組みながら、瞳を潤ませながらそんな事を言い出した。


「きっと悪役令嬢のシャルロット様に洗脳されてるから、グレイくんはそんな風に言いたくもない事を口にしてるのね……」


「…………は?」


 思わず漏れた疑問符が、裏庭に妙に大きく響いた。


 ……コイツはナニを言ってるんだ?


 俺が洗脳されてる?

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