第2話 15

 姫様が語る聖女レイナは、先程見せられた映像――アニメというらしいが――の主人公に酷似しているように思えた。


 いつの間にか第二皇子シルベルト殿下と親密になり、気づけば殿下の側近が護衛に侍るようになっていたのだとか。


 そして、なぜか学園内に、レイナへの嫉妬心から姫様が彼女に嫌がらせをしているという噂が流れるようになった。


「レイナと初めて出会った段階で、こっちはもう十回はやり直ししてたのよ?

 あのシルベルト腹黒に特別な感情なんて抱くわけないでしょうに……」


 サイベルトがシルベルト殿下の策略によって学園を去った直後という事もあって、姫様は殿下から距離を置いていたのだという。


「アレと婚約となった場合、エルディオン公国はノーデンス侯爵家に乗っ取られる事になるわ。

 まずお父様が不慮の事故に遭い、代理当主としてノーデンス候の弟が着くの」


「は? なんでそんな事に――」


「陛下の他にお父様には兄弟はいないわ。そして、お母様のご実家はすでに断絶。

 ――この段階で、跡継ぎのあたくしはシルベルトの婚約者になっているから、大公家を継げなくてね……」


 大公位は皇室預かりとなり、姫様とシルベルト殿下に二人目の皇子が生まれたら、大公位を与える事になったのだという。


 そして、それまではシルベルト殿下の後見である、ノーデンス侯爵家が公国の管理運営を行う事になったのだそうだ。


「……そんなの、あの陛下がお許しになったのですか?」


「そもそもその段階で、陛下は病の床に着かれているのよ」


「――はぁ?」


 学園への入学の際に、俺は姫様の身代わりとして陛下に謁見する機会を得ているから面識がある。


 線の細いお館様と違って、陛下は五十歳目前とは思えないくらい、逞しい体格をしたお方だった。


 どちらかと言えば、エルディオン騎士団長と兄弟と言われた方が納得できるような――武人のような風貌をしていたんだ。


 そんなお方が病?


「シルベルトは、サイベルトが廃された精神的ショックからだって言ってたわね」


 そんな言葉、まるで信じていないというように、姫様は肩を竦めて哂う。


「十中八九、お父様は暗殺。陛下も毒でも盛られてたんじゃないかって、あたくしは考えてるわ。

 ……シルベルトとノーデンス家、どっちが主体だったのかまでは、今となってはわからないけどね。

 ――ま、そんな経験を何度かしてたから、あたくしはレイナと出会った段階ではもう、シルベルトと婚約する気なんてサラサラなかったのよ」


 だから学園では、なるべくシルベルト殿下とは接触しないように心がけていたのだと、姫様は語る。


「なのに、いつの間にかあたくしとシルベルトがお似合いとかいう、ふざけた噂がどこからか流れ始めてね」


 どんなに否定しても、事情があって隠してるんだろうと取り合ってもらえなかったらしい。


「あたくしよりレイナの方が、よっぽどシルベルトにべったりだったのに、なぜそんな話になるのか、本当に不気味だったわ。

 ……そうして、噂が噂を呼んで婚約内定なんて話まで出始めた頃にね――」


 姫様がレイナを裏で虐げているという噂が流れ始めたのだという。


「……それって、むしろ姫様が嫉妬したという話をでっち上げる為に、あえて姫様と殿下の噂が流されてますよね?」


「ええ。そう気づいた時には遅かったわ」


「遅かったって……そもそも姫様、噂の出処を探らなかったんですか?」


 それは何事にも慎重な姫様らしくないように思う。


「……探ったわ。けど、そもそも探らせてたヤツが裏切ってたのよ!」


 瞬間、俺は手にしていたティーポットを握り潰していた。


「……姫様、そいつの名前を……」


 姫様が情報収集に使っていたという事は、姫様に同行した使用人だろう。


 主を裏切るなんて、エルディオン大公家の使用人にはふさわしくない。


 いくらいまはまだなにもしていなくても、いずれ裏切る可能性があるという事だ。


 師匠に連絡して、なにかしらの理由をつけて解雇してもらおう。


 興奮する俺に、しかし姫様は首を振る。


「――グレイ、落ち着きなさい。

 あいつはエルディオンウチの使用人じゃないわ。

 陛下があたくしの為に付けてくれた侍従だったのよ」


 と、姫様は、お茶で手を濡らした俺にハンカチを差し出しながら自嘲する。


「陛下に長く仕えた侍従の子だからと信頼していたのだけれど、どうやらアレもいつの間にか聖女サマの信徒にされてたみたいでね……

 あたくしが投獄されるきっかけになった場では、アレはレイナの隣に立って、ドヤ顔で捏造証拠を披露してたわ」


「城から使用人は連れて来なかったのですか?」


 そう尋ねると、姫様はやはり自嘲気味に笑って首を振った。


「他家にナメられないよう、従者も一流であるべきだって陛下が仰ってね……」


 お館様は皇弟だが、エルディオン大公家はいわば新興家だ。


 臣籍降下なさった際に公国に籍を移したお館様の側近はともかく、家人の――特に使用人の多くは、城下から雇用した庶民ばかりなんだ。


 だから、陛下は可愛がっている姫様の為に、宮廷の使用人を付けたという事なのだろう。


 それが陛下のお気遣いだとわかっているから、姫様は断ることもできず――そんな、誰一人味方のいない状況を、姫様はずっと繰り返してきたのかと思うと、俺は叫びだしそうなほどの怒りを覚えた。


 ……なぜ、そこに俺がいないのかと。


 と、学園長が納得したように手に拳を下ろした。


「そうか! 姪を溺愛してる皇帝アイツにしては、自分の配下をそばに置こうとしないのを不思議に思ってたんだけど、って事か」


「ええ。今回はグレイが身代わりになってくれたから、そこまではしなかったのね」


 姫様のその言葉に、俺は気づく。


「――姫様が俺を身代わりにしたのって、それもあって?」


「そうね。身代わりと知ってたら、陛下も無茶な人事はなさらないでしょうし」


 その思惑通り、現在のシャルロット・エルディオンの従者はグレイとリィナ姉のふたりだけだ。


「本当ならあたくしは城に引き籠もったまま、あんたに卒業まで頑張ってもらうつもりだったのだけど……

 レイナが出てくるなら、そうも言ってられないわ」


 わずかな対処の遅れが致命的になりかねないのだと、姫様は溜息を吐く。


「……これまでの経験からわかってるのは、あの女はとにかく人に取り入るのがうまいの。

 たぶん、近々あんたにも接触してくると思うわ」


「え? でもさっき姫様、俺を睨んでたって……」


 敵視している者に取り入ろうとするだろうか?


「バカね。シャルロットにじゃなく、グレイ、あんた本人に、よ!」


「――はぁ!?」


 果たして、姫様のその言葉は現実のものとなる。





 ……それも当日の放課後に、だ。


 いつものように寮の裏庭で、ライに稽古を付けていたら、ヤツはやってきたんだ。


「――グレイくん、すごいですね!」


 きらっきらに目を輝かせ、鼻にかかった甘ったるい声でそう告げながら――

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