天蓋の賢者

@Rkid-3

越境

0.

「──っ」

 怒号飛び交う夜空の下、男はボロボロになった足をぼんやりと眺める。凍らせて無理やり止血した足は、もはや動く気配すら見せない。それはつぶれた両腕も同じだった。だが、自分の行く先の察しがついてなお、男にあったのは恐怖ではなかった。郷愁、未練。目を閉じると瞼の裏に映る家族の顔。か細いため息が男の口からもれる。最期に、と男が顔を上げる──。

「あ──」

 綺麗な流星だった。数多の星が輝く中、それは他の輝きを否定し、ただ、大海をかけていく。流星の輝きが増し、男の意識が薄れる。その瞬前、あたりは白に包まれた。

 天を覆う星空のもと、万に近い輝きは、たった一つの光によって姿を消した。


1.

「随分と早いご出立ですね」

「──ええ、まあ」

「このあたりは店の開く時間は遅いもんですから。こんなに早く出られても空いている場所は少ないですよ。朝早いとはいえ夏なんですから、いま出られるのはお勧めしませんよ」

「ありがとうございます。ちょっと急ぎで」

 宿の主人からの忠告を背に受けながら宿を去ったのが約二時間前。すでに体中は汗に濡れていた。素直に従っておけばよかったかと少し後悔をする。目に垂れてくる汗をぬぐいながら山道を進む。蝉のなく声が自分をせかしているようで、思わず歩みが速くなる。スマホを手に取り地図アプリを確認すると、目的地まであと数分といったところまで来ていた。山間部に位置するとある村。村が有する山の中に、その神社はある。

 目的地に近づくにつれて、道が道でなくなっていく。すでに人の寄り付くべきでない領域であることをいやでも肌で感じ取ることができた。先ほどまでの暑気は寒気へと一変し、全身が粟立つ。山が管理されていたころの名残であろう階段を進んだ先に、それは現れた。

 まるで真夜中であるような静かな暗闇の中、小さな木造の建築物がひとつ。その遥手前に、神社本殿に不釣り合いな、巨大な石造りの鳥居がそびえたっている。

 ためらいながらも鳥居のほうへと一歩踏み出す。一歩、また一歩。ついに鳥居を超える。

「──っ、はっ、?」

 途端、心臓が跳ね上がり、足から力が抜ける。視界は白く、脳はちかちかと点滅するよう。まずい。そう思うも手遅れ。次の瞬間には、世界は遠くに消えていった。


2.

「──は、か──。」

 耳鳴りがしている。重い瞼をわずかに開けると、自分の胸に、誰かが手のひらを当てている。そこから暖かい、何かが自分の体に流れ込んでいるのを感じる。この手の主を見ようにも、それがかなわないほどに、この体は疲れ切っていた。耳元でささやく声が聞こえる。とてもか細く、小さな声で、

「君を、君たちを、信じているよ」


3.

 頭に響くような風の音と、凍るような寒さに目を覚ます。あまりにもひりひりと痛むため、体を起こし両手を見やると、その手のひらは真っ赤に染まっていた。ふと視線を上げる。

「──は?」

 一面の白。積もった雪に埋もれた自身の両足。ありえない。だってさっきまで自分は、

「俺、は、」

 何を、していた。どこにいた?なぜ?キリがなく湧き続ける疑問に頭がぐらぐらする。自分が眠る前のことさえ思い出せない。そもそもここは──?

「くそ。だめだ。いったい何が」

 ざく。突如、何かが雪を踏み、近づいてくる音がした。そこには獣が一匹。真っ白の毛皮に混じる赤黒。前足には、鋭い爪が四つ。むき出しになった牙からは、よだれが垂れている。その緑眼には、おびえる獲物が映っていた。

「うそだろ…!」

 寒さに固まった体を無理やり動かす。獣に背を向けて走り出そうと振り向く。オオカミは群れになって狩りをする。効率よく獲物を仕留めるために数が必要なことを、彼らは本能レベルで理解しているからだ。それはもちろん、自分を囲んでいる獣も同じである。

「──ぁ」

 自分の周囲を取り巻く獣四匹に、「終わった」とそう思った。やつらの口元が、獲物の絶望を感じとってか、にたりと嗤うようにゆがむ。このまま何もわからないまま喰われるのか。獣が四匹、にじり寄る。飛び掛かるタイミングを測るためか、こちらを決して視界から外さない。途端、一匹が吠える。それを合図に、三匹が同時にこちらへと駆け出し跳躍する。迫る牙がこちらの肩をとらえる──

 反射。動くはずのない肉体が、獣の突進をかいくぐり、群れの包囲網の外へと逃れる。

「ふざ、けんな!」

 理不尽に湧いてきた怒りを動力に、その場から駆け出す。木々を躱し、迫る足音からがむしゃらに逃げるも、一向に遠くならない背後からの音に焦燥感が高まる。

 突如、右足に裂かれるような激痛が走った。

「痛っつ──!」

 激痛にその場で倒れこむ。右足をみると、履いているパンツごと裂かれた肌が見えた。傷口からあふれる血液が、雪を赤く汚している。

 やられた。手をついて立ち上がろうとするが、右足はまるで自分のものではないように力が入らない。獣はそれを見てか、ゆっくりと近づいてくる。

「動けよ!この──」

 ぐにゃり、と視界がゆがむ。身体が暖かく、心地よい熱に強烈な眠気を覚える。薄れゆく視界の端で迫りくる獣が突然、おもちゃのように倒れていくのが見えた。

4.

「───、────」

「──」

 ぱちり、と目が覚める。高い天井に木目が見える。探るように右手を動かすと、シーツの柔らかい感触がした。

「!!──────!」

 甲高い声に意識が本格的に覚醒する。状況を確認するために身体を起こすと、

「──!」

「いで!」

 ごちん、と額のぶつかる音がした。ぶつかった額をさすりながら前を見ると、十歳前後であろう少年が、同じく額をさすっていた。

「ご、ごめん」

「──!?」

「なんだって?」

 少年はなにやらこちらを指さし、頬を膨らませながら怒っているようだ。言葉が聞き取れず、聞き返すも俺の体の上からどいたと思ったらすぐさまどこかへ駆けて行ってしまった。

「いったい何が…っつ──」

 足に力を入れると、激痛が襲ってくる。その痛みに、直前の記憶が戻ってくる。

「助かったのか?」

 眼前に迫る狼の牙に、思い出すだけでも吐きそうになる獣臭。完全に諦めていただけに、自分が生きていることが信じられない。ぞっとするようなフラッシュバックに身を震わせていると、一人の男が、小箱を片手にやってきた。

「───?」

「えっと…」

 中年というには若々しいともいえる男性は、小箱から何やら時計のようなものを取り出して、こちらに語り掛けてくる。しかし、その言葉を理解することができなかった。生憎と自分はマルチリンガルではなく、母語である日本語以外にかろうじて理解できる言語は英語しかない。彼らの話す言葉はそのどちらにも当てはまらなかった。

「すみません、あなたたちの言葉を、理解することが、難しいです」

「───、──?」

 何とかジェスチャーで伝えようとするも、そう上手くいかない。それに、小耳にもも挟んだことのない言語に困惑がさらに深まる。どうしたものかと悩んでいると、のそり、と大男がやってきた。顎下まで伸びる無精髭に太い眉。動物の毛皮で作ったであろう上着を身に着けている。いかにも狩人といった風貌をした男だった。男の後ろからは、先の少年がちらりとこちらを覗いている。

 大男はこちらを一瞥すると、俺の足の様子を確認していた男に一言かける。何やら二人で話し込んだ後、男と少年は、大男を残して去ってしまった。二人になった部屋に、緊張が走る。大男はこちらを静かに見下ろしている。息の詰まるような沈黙は、大男の言葉によって破られた。

「イーガス」

「?──名前?」

「──ああ」

「あんた今、日本語を──」

「──少し、な」

 男、イーガスは仏頂面で再び黙り込む。不幸中の幸いだろうか。自分の理解できない言語を話す人間たちの中に放り込まれたと思ったら、日本語を理解可能な人間がその中にいた。少し、とは言うがその少しが今は何よりも心強い。

 その後しばらく、イーガスと互いへの質疑応答が交わされた。自分の置かれている状況の整理、確認を踏まえ、慎重に言葉を交わす。時折通じない部分はあったものの、身振り手振りで何とかごまかす。日も暮れた後、食事が運ばれてきたところで対話は終了となった。去り際にイーガスは動物の骨で作られたペンのような筆記道具と、羊皮紙を置いていった。これを使って現状を整理しろとのことらしい。

 現状の整理。まずここは「オルトバ」と呼ばれる国に属する小さな村である。先の男は「アナグネーシス」といい、この村一人の医師である。俺に治療を施してくれたらしい。その負傷の元凶である獣は「トクス」という害獣で、その爪と牙には体内由来の毒素が付着している。全身に毒が回る前に解毒が間に合ったそう。感謝を言いそびれてしまったため、明日には何とかして伝えようと思う。

 次に今後。怪我が治るまではとりあえずこの家に滞在するが、それ以降の処遇は村の長とこれから決めるとイーガスは話した。

「ここまではいい。問題は──」

 自分のこめかみをペン先でつつく。自分の身に起こったこと、今後について。それらを整理して把握できても不安は胸の中にへばりついている。何故か。

「──記憶が、ない」

 イーガスに自身の素性についての質問をされた際、答えられたのは、日本人であることと、自分の名前が「風間遥疾」であること。それだけだった。記憶を呼び起こそうと頭の中を探ると、所々が欠落していることが分かった。。土台なしには推理も思考もあったもんじゃない。

 ため息をつき、紙とペンをランタンの隣に置く。真っ暗な天井を眺めるも、暗闇は記憶の穴を埋めてはくれない。何故ここにいるのか。自分の元の生活に戻れるのか。いや、そもそもここは──。考えていてはキリがないと、逃げるように瞼を閉じる。無意味な思考は霧散し、無が身体を包み込むのに、時間はかからなかった。

 

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