3・遭遇
それと、ほぼ同時刻──同じフロアにて。
『えー、でもまだ納期まで時間ありますよねぇ?』
受話口から届いたクライアントの気怠げな声に、緒形は頬を引きつらせながらも「ええ、そうですね」と返していた。
「ですが、近々新しいキャンペーンを行うと社長さんから伺っておりますし、そのあたりの告知をどうするのかも踏まえて、今月は早めにご相談させていただければと──」
『だったら来週以降にしてもらえません? 私、今週は忙しくて』
「……かしこまりました、来週以降ですね」
絶対、月曜日の午前中に連絡をいれてやる、と緒形は心に決めて、手帳に書き記す。
『まあ、でも、キャンペーンっていっても、そんな大したものじゃないですよぉ。ママ……じゃなくて、社長もそう言ってましたし。そんな、今から気合いれなくても大丈夫ですって』
それじゃ、と通話はサクッと切られ、緒形は深く息をついた。
(なにが「大丈夫」だよ、ふざけんな)
その「ママ」こと社長が、校了寸前だった掲載内容にあれこれクレームをつけてきた結果が、先月の騒動に発展したのだ。
緒形としては、二度と同じことを繰り返したくない。そのため、今月はこうして早めにクライアントに連絡をしたわけだが、社長の実子である広報担当者は、どうもそのあたりのことがわかっていないようだ。
(これは、たしかに苦労するよな)
前担当者が胃薬を常備していたことを思い出したところで、再びスマートフォンが着信を伝えてきた。
てっきり取引先かと思いタップしかけた指先を、緒形はすんでのところで握りこんだ。
登録していない番号──だが、大いに見覚えがある。
緒形は、息をつめたまま、その番号を睨みつけた。
5秒……10秒……15秒が経過したところで、ようやく留守電機能が作動する。さらに数十秒ほど待ち、通話が切れたところで、重い気持ちのまま着信履歴を呼びだした。
案の定、発信者はあの男──緒形の元父親だ。
緒形は短く舌打ちすると、すぐさま着信拒否の設定をした。どうしてあの夜のうちにやっておかなかったのか。苦い思いがこみ上げる。
「ああ、くそ!」
敢えて声に出したのは、気分を一新したかったからだ。
今日は、このあとマネージャーとともに新規の取引先に出向くことになっている。イライラした気持ちを、いつまでも引きずっていたくはない。
気分転換も兼ねて、コンビニエンスストアで缶コーヒーでも買ってこよう──いや、せっかくだし、カフェでテイクアウトでもいいか。
そんなことを考えながらエレベーター前までやってきたところで、緒形はふと足を止めた。
(……三辺?)
そうだ、あの後ろ姿は三辺菜穂だ、間違いない。
時間帯からすると、話しこんでいる相手と昼食にでも行くのだろうか――そう考えたところで、緒形は目をみひらいた。
(あいつ……)
よくよく見ると、菜穂と会話をしているのは浜島だ。かつて、下世話な興味から菜穂に手を出そうとしていた男。
緒形のなかで、彼の印象はすこぶる悪い。わざわざデートを邪魔してやったくらいには腹立たしい人物だ。
そんな男と、彼女がなぜ?
答えを見つけだすよりも先に、緒形は足を踏み出していた。
普段ならば、絶対にこんなことはしない。相手がどんなにいけすかない人物であろうと他人の交友関係に口を出すのは野暮だし、なにより逆の立場なら絶対に踏み込んでほしくないからだ。
けれど、これは別だ。緒形のなかでは「別」なのだ。
「おつかれー」
とっておきの営業用スマイルとともに、緒形はふたりの間に割り込んだ。
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ロマンティックの欠片もない 水野 七緒 @a_mizuno
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