10 巡礼の始まり
瓦礫の片付けが落ち着いてきた頃、ジラーニィに異変があった。悪いものではなく、良い兆候だった。彼の足に刺さっていた呪いの黒い杭が一本抜け落ちたのだ。これにはベルクトもジラーニィ本人も目を丸くした。
「なんでだろう。あんなに引っ張ってもびくともしなかったのに」
「残りの三本はやはり抜けないな。何か条件があるのか?」
思いつく特筆すべき事柄といえば、ジラーニィが〈輝き〉を奪われて死にかけた事と、教皇の〈混沌〉を祓ってみせた事くらいだ。
呪いを完全に解くためには、あと三回は同じように危険な目に遭わなければならないのかと思うと、ベルクトは軽々に仮説を口する事ができなかった。
ジラーニィの存在は孤独に慣れていたはずのベルクトの心にするりと入り込み、あっという間に小さな居場所を作っていた。このまま二人で〈隠者の森〉に帰って、果実を集めたり〈苔背負い〉を狩ったりするような、穏やかな日々を過ごしたいと思う。
だがそれはベルクト個人の願望だ。ジラーニィは初めて会った時に『連れていって』と言った。ジラーニィには何か明確な目的がある。
「これ、いつか全部抜けるのかなぁ」
期待で上擦ったジラーニィの声を、ベルクトは無条件で肯定するしかなかった。それが彼の望みなら叶えてやりたい。その旅路で危険がふりかかるのなら、今度こそ守り抜いてみせよう。
「ああ。きっとお前は自由になれる。それまでは俺がお前の足になろう」
ベルクトの言葉に、ジラーニィはぽかんと小さな口を開けた。
「……そんな、いいの?」
やっとで絞り出された子供の声は震えていた。ベルクトは彼を安心させようと、鉤爪のついた両手で恭しくジラーニィの手を取って、ぎゅっと優しく握り込んだ。
「息を吹き返したお前がもう一度俺の名前を呼んでくれた時、本当に嬉しかったんだ」
「……でも、僕、何も」
「目的が言えないならそれでもいい。まずはお前の呪いを解く方法を探そう」
「言えないわけじゃないの!ただ、きっと信じて貰えないの……」
ジラーニィはしばし視線を彷徨わせた後、躊躇いがちに口を開いた。
「僕、〈王さま〉のところに帰らなくちゃいけないの」
「帰る?」
「自力で一歩も動けない僕が、無事に〈王さま〉が住む〈お城〉まで帰って来られたら、何でも一つお願いを聞いてくれる約束なの」
ベルクトは低く唸った。善人も悪人も〈輝き〉を求めるこの世界で、それはなんて過酷な勝負だろう。ベルクトは〈王〉や〈王城〉の実在を今更疑いはしないが、その約束が本物であるかは半信半疑だった。
「それは……そもそもお前に勝たせる気がない勝負だろう。約束を守ってくれる保証は無いぞ」
「それでも行かないと。〈王さま〉は僕の望みを知ってるの。僕は〈王さま〉のためにその願いを叶えないといけないの」
「〈王〉のために……?」
ベルクトが疑問で頭をいっぱいにしていると、庭の植木の陰から黒いフードを被った見窄らしい少女がバッと姿を現した。
「それって、〈
「イヴラクシア!いつから聞いてたの?」
「お前またそんな格好で……」
フードを外しながら木陰から歩み出たイヴラクシアは、〈ボーグ〉の敏腕ガイドらしい小生意気な顔でしししと笑った。
「だあって、信者の皆さんとお布施の話をするの疲れたんですもん!息抜きに街に出ようと思ったら、面白いお話が聞こえて来ましたので、つい?」
悪びれる様子のない聖女の態度に、ベルクトは呆れて深々と溜め息を吐いた。
「……それで、〈巡礼〉ってのは?」
「大昔、まだ〈王〉がお隠れになる前の時代の話です。人々が〈王〉に意見を申し立てたい時には、ここ聖堂都市〈ボーグ〉と、今は滅びた姉妹都市の〈レア〉、北の城塞都市〈トリグラフ〉にある三つの鐘楼を巡り、証を得る事によって、〈王城〉への入城が許されたのだそうで。過酷な長旅を成し遂げた強い意志のある者しか、〈王〉には謁見できなかった。その代わり、苦難を乗り越えた巡礼者の嘆願は、何でも叶えてもらえたそうですよ?」
「だが〈王城〉なんて今はどこにも無いぞ」
「〈王〉がお隠れになる際、〈王城〉に至る道も隠されたんだそうです。伝説によれば〈隠者の森〉を南に抜けた先に荘厳な城があったんですって!」
ベルクトが知る森の南は断崖絶壁の崖になっており、〈輝き〉一つ無い暗闇が木のウロのように大口を開けている。あるべきものがぽっかりと失われたその空間を見ると、ベルクトは酷く気分が悪くなるので、森の南には極力近づかないようにしていた。〈拝光教〉の伝説が本当なら、かつてあの場所に〈王城〉があったのだ。
「……〈王城〉探しにせよ、解呪法の調査にしろ、次の目的地は〈トリグラフ〉か」
ベルクトが行き先を決めると、ジラーニィは好奇心で目を輝かせた。
「それってどんなところ?」
「この世界で最大の軍事力を持つ城塞都市だ。これまで数多の獣を武力で退け、混沌から人々を守ってきた」
「ベルクトはそんな場所に行って平気なの?」
ジラーニィの心配事にはイヴラクシアがベルクトに代わってあっけらかんと答えた。
「大丈夫ですよ!トリグラフの人々は規律さえ守れば、人種も性別も、人か獣かも問われないそうですよ。戦いのために使えるものは何でも使う主義なんです。獣恐怖症の〈拝光教〉が幅を利かせている〈ボーグ〉より、むしろ過ごしやすいんじゃないですか?」
「そうだな」
ベルクトは腕を組んで〈トリグラフ〉の記憶を頭の奥から引っ張り出した。最後に赴いたのは二、三十年ほど前だ。イヴラクシアが言うように、騎士団の中には獣の戦士も混ざっていたし、〈輝き〉を取引している最中にも、市民らに気さくに話しかけられた思い出がある。そうだ、確かその時——
「すすめられた店で食ったシチューパイが美味かったな」
「しちゅうぱい。それって〈めぇめぇ亭〉の挽肉ステーキより美味しい?」
「どうだろう、順位づけは好みによりけりだと思うが、少なくとも一度は食べてみるべきだ。あとは店が今も残っているかだな」
「良いなぁジラーニィ様!食べたら感想聞かせてくださいね!」
再会を当たり前に約束したイヴラクシアに、ジラーニィはくすぐったそうに笑った。
「うん、約束するよ!イヴラクシアも聖女の役目は大変だと思うけれど、がんばってね」
「……ええ!家族は私が守りますとも!」
イヴラクシアから〈巡礼〉の話を聞いたその翌日、早い時間にベルクトたちは出発した。北の城塞都市〈トリグラフ〉までは、広大な丘陵地帯を越えていかなければならない。
イヴラクシアは今回の事件の謝礼と口止めを兼ねて、ベルクトに十分な報酬を支払った。現金や薬類も普通に嬉しかったが、特に〈トリグラフ〉を支配する〈白獅子騎士団〉団長への紹介状が一番有り難かった。ジラーニィの呪いの解呪条件は不明だが、もし伝説の巡礼通りに鐘楼に近づく必要があるのなら、騎士団に許しを貰うのが一番早いからだ。
小高い丘の上から見下ろす聖堂都市〈ボーグ〉は、きらきらと多種多様な〈輝き〉を内包しており、まるで星空の縮図のようだった。一際目立つ鐘楼の青い光が、人々が暮らす街を暗闇の世界に浮かび上がらせている。
かろん、かろん、と軽やかなまろい鐘の音が響く。その音色に背中を押され、ベルクトとジラーニィは〈トリグラフ〉を目指して、北に向かって歩き始めた。
一章 終
夜光の王 空野つづら @TZR0924ky
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