第50話 幸せを歩いていく(第2部エピローグ)
その後の経緯を知ったアリーセは、安心して胸をなでおろした。大変なことに巻き込まれてしまったとはいえ、スヴェンに重い処罰が下ってほしくはなかった。ノルマン領の開発なら、きっと彼の手腕を発揮できることだろう。
「本当によかった……」
「俺は少し不満だが、君はそう言うと思った」
エドゥアルトに見透かされていたことが、なんとなく嬉しくて顔を見合わせて笑ってしまう。
でも、ふとあることが気になった。よくよく考えると不思議なことだ。
「そういえば、エドゥアルトと陛下が助けに来てくれたのはどうして? どうやって異変に気づいたの?」
アリーセが尋ねると、エドゥアルトは「ああ、それは……」と急に忌々しそうに顔をしかめた。
「腹が立つから認めたくないが、ミカエル大神官のおかげだな」
「ミカエル様……?」
なぜここでミカエルの名前が出てくるのか分からない。ミカエルは処刑され、もうこの世にはいないはずなのに。
「大神官が捕えられていた牢で、床に刻まれたメッセージが見つかったんだ。『スヴェンは簒奪者、アリーセが狙われている』──と」
「そんなことが……?」
「スヴェン殿下は処刑前に大神官に会って君のことを質問したらしいから、そのときに奴がスヴェン殿下の計画に勘づいたんだろう。騎士や処刑人に言ったところで妄言とされ、まともに取り合ってもらえないか揉み消されるだけだろうから床に警告を残したんだろうな。死刑にされた腹いせなのか、君を助けようとしたのか……」
そうしてやっとメッセージが見つかり、フレデリクとエドゥアルトに報告が入った。フレデリクには思い当たることがあり、アリーセが危険かもしれないと判断してエドゥアルトと二人で駆けつけたのだという。
「いかにも怪しい廃教会があったからな。地下に続く階段もあって間違いないと思ったんだ。これも大神官の事件で勘が鍛えられたおかげかもな」
そう軽口を言ったあとで、エドゥアルトはアリーセを抱きしめた。
「君が無事で本当によかった……」
「エドゥアルトが助けに来てくれたからよ」
どちらからともなく唇を寄せ、互いの存在を確かめるように何度も口づける。
「……はあ、もうだめだ。一刻も早く結婚しよう」
何がだめなのかはよく分からないが、早く結婚したい気持ちは同じだ。
「ええ、私も早く『アリーセ・ブラント』になりたいわ」
そう伝えると、エドゥアルトはなぜかまた大きな溜め息をついた。
「どうして君はそうなんだ。可愛すぎて困る。何回キスしても足りない。今日結婚したい」
「え、エドゥアルト……」
「でも花嫁衣装は最高のものを用意してやりたいし、君の美しさを国中に見せびらかしたいから大勢招待しないといけないし、一流画家を呼んで君の姿を大きく描いてもらわないといけないし……一年、いや半年でいけるか……?」
「エドゥアルト、落ち着いてちょうだい」
暴走するエドゥアルトをなだめていると、彼が「あっ」と何かを思い出した。
「クソッ、そうだスヴェン殿下が学校づくりの責任者の任を君に譲りたいと言っていたんだ。こんなときにまたややこしいことを……」
エドゥアルトが悪態をつくが、それもアリーセが何と返事するかすでに分かっているからだ。
「君はきっと引き受けるんだろう?」
「ええ、ぜひやりたいわ」
「そうか……。君ならきっと立派な成果をあげられるはずだ。俺も全力で応援する」
「ありがとう、大好きよエドゥアルト」
アリーセがエドゥアルトの肩に頬を寄せると、彼の大きな手が優しく頭を撫でてくれた。
◇◇◇
──それから半年後。
エドゥアルトのエスコートでアリーセが馬車から降りる。
その目の前には『リンドブロム国立学校』という看板が掲げられた立派な門があり、その門の向こうでは大きな校舎が太陽の光を浴びて輝いていた。
数週間前に開校して以来、この学校には大勢の子供たちが通っている。早くも評判は上々で、平民の大人たちからも学校で学びたいという要望が届いていた。
「今日は君も歴史を教えに行くんだろう?」
「ええ、上手くできるか緊張するわ」
すでに何度か授業を行っているが、大勢の前に立って教えるのはまだ少し慣れない。深呼吸して気持ちを落ち着けていると、エドゥアルトがふっと笑みを漏らした。
「君なら大丈夫だ。そうだ、俺も授業を受けに行こうかな」
「冷やかしはやめてちょうだい」
「真面目に受けるつもりなのに。じゃあ、仕事が終わったら屋敷で特別授業をしてもらおうかな」
「その言い方はどうかと思うけど……。いいわ、帰ったあとはあなただけに授業をしてあげる」
「よし、仕事のやる気が出てきた。あとは結婚式の準備も進めないとな」
「ええ、そうね」
あとひと月後には、ついに待ちに待ったエドゥアルトとの結婚式だ。一生の思い出に残る日だから、そちらも抜かりなく準備したい。
「私、こんなに幸せでいいのかしら」
「いや、まだまだだ。俺がこれからもっと幸せにしてやる」
「エドゥアルト……」
「アリーセ様、みんな見てますよ!」
エドゥアルトと手を繋いだまま見つめ合っていると、すぐ横から注意の声が聞こえてきた。
「カイ……!」
「公爵様、学校の前でいちゃつかないでください。アリーセ様が揶揄われてしまいます」
「す、すまん……」
孤児院から学校に通っているカイに正論を言われてしまい、エドゥアルトがうなだれる。
「ほら、アリーセ様。一緒に行きましょう!」
「そ、そうね。遅れたら大変」
カイに手を引かれてアリーセが校門へと向かう。
「じゃあ行ってくるわね、エドゥアルト!」
「ああ、またあとで!」
カイ、それから他の生徒たちに囲まれて校舎へと急ぐアリーセを、エドゥアルトが満ち足りたように目を細めて見送る。
そんなエドゥアルトを振り返って見やりながら、アリーセは幸せに溢れた笑顔を浮かべたのだった。
──その後、アリーセが理事長を務める『リンドブロム国立学校』により、王都の平民の識字率と学力は飛躍的に向上した。さらにそれを受けて、王国内の各領でこの学校を手本にした平民学校が建てられることになった。
国王フレデリクは平民のための学校建設の発案者であるスヴェンと、その実現に尽力したアリーセを王国発展の功労者として表彰し、アリーセには女性には珍しく新設の伯爵位が与えられた。
アリーセの活躍はリンドブロム国立学校の卒業者だった平民出身の作家によって伝記にまとめられ、遥か後世まで読み継がれている──。
《完結》
家族に売られた侯爵令嬢は3つの愛に翻弄される 紫陽花 @ajisai_ajisai
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