第49話 雪解け

「……僕は、どうすれば──」


 今までずっと無意味な空回りをしていたのかと思うと、虚しさが込み上げてくる。何年もの歳月を無駄にして、取り返しのつかないことをしてしまった。過去を振り返ることはできても、やり直すことはできない。


 愕然とするスヴェンにフレデリクが近づいた。


「どうもしなくていい、スヴェン。私がお前に真実を話すべきだった。だが、意図せずとも私が関わっていることが明らかになり、お前に憎まれ軽蔑されるのを恐れてしまった。己の心を優先して選択を誤ってしまった。私が悪かったんだ。今さら許しを乞うこともできないが、本当にすまなかった。お前が望むなら玉座を退いてもいい。私よりお前のほうが上手くやれるだろうから」


 言葉を選びながら語るフレデリクに、スヴェンが俯いたまま返事する。


「……今さらそうされたところで無意味です」

「スヴェン……」

「すみません、まだ気持ちの整理がつきません。でも僕は王位簒奪という大罪を犯そうとしました。処刑でもなんでもお好きに──」

「馬鹿なことを。お前はまだ何も奪っていないではないか。これは兄弟喧嘩だ。私はお前を罰する気はない」

「お待ちください、陛下」


 スヴェンとの和解を望むフレデリクにエドゥアルトが待ったをかけた。


「陛下のお気持ちは理解できますが、俺は納得できません。アリーセを騙して利用し、女王の魂を埋め込むなんて……」


 エドゥアルトが勢いよくスヴェンの胸ぐらを掴む。


「早くアリーセを元に戻せ! もし彼女が戻らなかったら──!」

「そうだ……アリーセは……!」


 アリーセを心配するエドゥアルトとスヴェンに、ウルスラがゆっくりと歩み寄った。


「まったく心配性な男たちだな。彼女は大丈夫と言っただろう。今は少し体を借りているだけだ。私の仕事は終わったから、そろそろ還るべきところへ還るとしよう」

「仕事……?」

「可愛い子孫たちにお節介を焼くことだ。スヴェン、私の魂を解放してくれてありがとう。さて、そろそろ行くから誰かアリーセの体を支えてやってくれ。では、さらばだ」


 ウルスラの別れの言葉とともに、アリーセの体からまばゆい光が放たれ消えてゆく。力が抜けてがくんと倒れそうになったアリーセをエドゥアルトが支えた。


「アリーセ! 大丈夫か!?」

「……エドゥアルト……私、女王様が……」

「分かっている。もう何も心配いらないから休むんだ。疲れただろう」


 アリーセの瞳の色が戻ったことに安堵しながら、労わるように優しく抱きしめる。その温もりにアリーセも安心した笑みを見せ、すべてをエドゥアルトに委ねた。


「ええ、ごめんなさい。少しだけ休むわ──」



◇◇◇



 そしてアリーセが目を覚ますと、そこは公爵家のベッドの上だった。手に温かさを感じて見やれば、すぐ隣でエドゥアルトがアリーセの手を握ってくれていた。


「やっと目が覚めたか……よかった。丸一日眠ってたんだ」

「そんなに……? 心配かけてごめんなさい」

「君が謝ることなんてない。こうして無事に帰ってくれて本当によかった」


 握られていた手に口づけされ、やっといつもの自分の戻れたような心地がする。


「それで……あれからどうなったの? スヴェン殿下は?」

「ああ、スヴェン殿下は──」



◇◇◇



 アリーセを公爵家に連れ帰って休ませている間、エドゥアルトは王宮でスヴェンとフレデリクとともに話し合いをしていた。アリーセを再び危険な目に遭わされ、無事に戻ってきたからといって有耶無耶に事を収める気はさらさらなかった。


「エドゥアルト、そなたやアリーセ嬢を巻き込んで本当に申し訳なかった」


 フレデリクがエドゥアルトに頭を下げる。本来ならおやめくださいと言うべきなのだろうが、今回ばかりは身分も礼儀も関係なかった。


「俺のことはどうでもいいです。ただ、アリーセには心から謝罪してください。二人の確執にアリーセが巻き込まれる筋合いなんてないんです」

「……本当に申し訳ない。すべて僕が悪かったんだ」

「スヴェン殿下、あなたが王弟でなければ殺していたところだ」

「分かっている……。そうされても仕方のないことを僕はしてしまった……」


 そう言って唇を固く結ぶスヴェンは、口先だけでなく心から悔いているように見える。エドゥアルトは怒りを抑えるように深呼吸して息を整えた。


「あのとき、殿下はウルスラ女王に何を見せられたのですか?」


 エドゥアルトの問いに、スヴェンが躊躇いながら答える。


「……僕が見たのは過去の出来事だ。兄上との確執は僕の誤解だったこととカミラの遺言。それから……僕の、あるかもしれなかった未来……。僕の計画が成功して、アリーセ嬢と夫婦になって──」

「は?」


 呼吸を整えたばかりのエドゥアルトの口から、地を這うような低く恐ろしい声が出た。


「……あり得ない未来だよ。今思えば、アリーセ嬢が形だけだとしても僕との結婚を受け入れるはずがなかった。あれはきっとウルスラ女王が僕の目を覚まさせるために、最も可能性の低い未来を見せてくれたんだと思う。……おかげで自分が馬鹿で愚か者だったと気づけた」

「そうですか。それで、どう落とし前をつけるつもりですか」

「エドゥアルト、私はスヴェンに刑罰を与えるつもりは──」


 アリーセを想うエドゥアルトと、弟を守りたいフレデリク。対立するしかない二人の間にスヴェンが割って入った。


「陛下、お願いがございます。僕を流刑にしてください。もう王都にいるわけにはいきません」

「しかし、スヴェン……」

「僕のことを思ってくださるなら、これが最善だとお分かりになるでしょう?」


 フレデリクはスヴェンを見つめてしばらく考えたあと、目を閉じて深い溜め息をついた。


「……分かった。お前には北の枯れ地ノルマン領に行ってもらう」

「ありがとう──」

「ただし『流刑』ではない。派遣だ」

「派遣……?」


 予想外の言葉にスヴェンが首を傾げる。まだ意図に気づいていないスヴェンにフレデリクがさらなる命令を下した。


「ああ、お前に王宮文官長からノルマン領の特別顧問への異動を命じる。その優秀な力を発揮し、ノルマン領を豊かな土地にしてみせよ」

「陛下、そのような特別扱いは……」

「これは特別扱いではない。今まで誰も成し遂げられなかった最貧の土地の発展を押しつけているのだ。これから己の使命とし、良き報告ができるよう励め」


 フレデリクからの辞令にスヴェンが深々と頭を下げる。


「……はい、謹んで拝命いたします」


 これから遠く離れることになるとしても、今まで二人の間にそびえていた高く分厚い壁は取り払われた。


 まだ何もなかった頃の二人に少しだけ戻ったような兄弟を眺めながら、エドゥアルトは「いや、どう見ても特別扱いだろう」と心の中で呟いた。

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