第48話 本当の過去
「はじめまして、スヴェン──私の愛しい子孫」
アリーセの姿をした、アリーセではない人の挨拶にスヴェンが身をこわばらせる。
「あなたは……」
「私はリンドブロム初代女王のウルスラだ。信じてもらえるといいのだが」
いつものアリーセの落ち着いた声ではなく、凛とした張りのある声と威厳ある口調。アリーセではないことを確信したエドゥアルトが声を荒らげた。
「女王だと!? ふざけるな、アリーセを返せ!」
「安心しろ、彼女には少し眠ってもらっているだけだ」
そこにアリーセの意識があるのか、ウルスラが胸元を押さえて説明する。すると、それまで頭に幕が掛かっていたようだったスヴェンが我に返り、ウルスラに尋ねた。
「……先ほどのアリーセとの日々は、あなたが見せた夢だったのですか?」
「そうだな。夢とも言えるが……あれは、そなたが辿る未来のひとつ」
「あなたの持つ未来視の力ですね」
ウルスラが目を細めて、興味深そうな視線を向ける。
「どうだった? そなたが思い描いていた未来だったか?」
「それは……」
どうなのだろう。あれは自分が望んだ未来だったが、思い描いていた晴れやかな未来ではなかった。もしあれが現実だったら、自分はあのあとどうしていたのだろうか──。
「そなたが体験したように、人の心は永遠に同じではない。いつまでも消えないと思っていた気持ちも薄らいでいくし、別の思いが生まれることもある。過去に縛られることを己に課す必要はないのだ」
ウルスラがスヴェンとその背後にいたフレデリクを交互に見て、宙に手を伸ばした。
「では、次はそなたたちの過去だ」
◇◇◇
肌を焼くような暑い日差しが照りつける夏の日。スヴェンとフレデリクがまだ第一王子と第二王子だった頃のこと。
王宮の訓練場で二人は剣術の試合をしていた。練習用に刃を潰した剣が激しい音を立ててぶつかり合う。
『スヴェン! 私はお前よりひと回りも年上なんだ。もっといたわってくれ』
『三十代はまだまだ盛りの年齢ですよ』
兄は歳の離れたスヴェンのことを可愛がってくれ、スヴェンも兄を慕っていた。皆は兄よりスヴェンのほうが出来がいい、スヴェンは文武両道の神童だと噂していたが、正直鬱陶しいだけだった。自分は弟らしく兄を支えていければそれでいい。
スヴェンの鮮やかな剣撃をなんとか受け止めながら、フレデリクがふと気づいたように呟いた。
『おや、あれはカミラ嬢か?』
『えっ……』
こんな物騒な場所にカミラが?
そう一瞬だけ気を緩めたとき、フレデリクの剣が上腕を掠った。
『油断は禁物だぞ、スヴェン』
『兄上、僕を騙しましたね……!』
うっかり間に受けてしまった自分を恥じつつ、失態を挽回するために手加減していた力を解放する。
『そんな卑怯な手を使ったところで、僕の勝ちは変わりませんよ!』
フレデリクの剣筋を見切ったスヴェンが足を踏み込み、兄の剣を弾き飛ばす。するとフレデリクはすぐに両手を上げて降参した。
『やはりお前には敵わないな』
『剣術だけは負けるつもりはありません』
『さっきはカミラ嬢の名前を出してすまなかった。肩の怪我は医者に診てもらえ』
『はい』
勝負がついたあと、更衣室でひとり汗ばんだ体を拭いていると、侍医の身分証を持った医者がやって来て、肩の傷を見せるよう言った。きっとフレデリクが呼んでくれたのだろう。スヴェンは言われたとおり医者に傷を見せた。
『軽い切り傷ですね。この薬を塗っておけばすぐに治るでしょう』
医者は白っぽい軟膏薬を匙ですくってスヴェンの肩の傷に塗ると、その上から包帯を巻いて治療を終えた。肩に少しピリッとした痛みを感じたが、薬の作用だと思って気に留めることはなかった。
その後、なんとなく体がだるい気がして早めに休んだが、翌日になると痺れも出始め、我慢できないほどに痛みは強くなっていた。
たまらず侍医を呼ぶと、前日とは別の医者がやって来て、スヴェンの傷を診ながら首をひねった。
『傷が化膿していますね……。この包帯は殿下がご自分で巻かれたのですか? もっと早く医者をお呼びいただけるとよかったのですが……』
『いや、すぐに侍医に診てもらって治療を受けたのだが。この包帯もそのときに巻いてもらったものだ』
『えっ、ですが殿下のカルテに治療の記録は残っておりませんが……。それに包帯の巻き方も医者のものとは思えません』
『なんだって……?』
医者の言葉に、スヴェンの心臓がどくんと嫌な音を立てる。昨日のあの医者──侍医の身分証を持っていたから何の疑いもなく治療を受けたが、もしあの医者が偽物だったとしたら。もし、薬だと言って塗られたものが薬ではなかったとしたら──。
それから急いであのときの医者を探したが、どこを探しても見つけられなかった。そして、肩の痛みは治ることなく、その症状から神経毒によるものだろうという診断が下った。治療が遅れたこともあり、重大な後遺症は免れたが、もう剣を思いどおりに振るうことはできなくなった。
(誰が僕にこんなことを……)
そう何度も考えた。そして、繰り返し考えるたびに頭に浮かぶのは兄フレデリクの顔だった。
練習試合でスヴェンの肩に傷を作ったのは兄だ。
丁度よく偽物の医者を送り込めたのも兄。
スヴェンが失脚して得をするのも兄。
『……ああ、兄上は僕が邪魔だったのか……』
ウルスラの過去視の力で当時の出来事が再生される。思い出したくもない記憶を無理やり見せられ、スヴェンは苛立ちを覚えた。
──そうだ。慕っていた兄に裏切られ、剣術の道を閉ざされ、あの頃の僕は屍のようだった。怒りよりも絶望が大きく、何日も部屋に閉じこもって塞ぎ込んでいた……。
これから、そのときの記憶も見せられるのだろうかと辟易していると、今度はスヴェンではなくフレデリクの過去が映し出された。
『今なんと言った!? スヴェンに毒を仕掛けただと!?』
フレデリクが見たこともないほど激昂してしている。その目の前で冷や汗を流しているのは、フレデリクの侍従だった。
『フ、フレデリク様を確実に王位に就かせたい一心で……』
『そんなこと一言も頼んでいない! 何ということをしてくれたんだ!』
『ですが、スヴェン殿下がこれ以上活躍されては世論や陛下の心証が……。それに毒と言っても命を落とすものではありませんし、証拠だって隠滅して──』
『そういう問題ではない! 剣術はスヴェンの生き甲斐だったのだぞ、それをお前は……』
フレデリクが頭を抱え、苦しげに顔を歪めた。
『お前はひとまず謹慎とする。屋敷で沙汰を待て』
フレデリクが低い声に怒りを滲ませ命じると、侍従は震えながら部屋を出ていった。そして直後、フレデリクが両手で顔を覆う。
『ああ、何ということだ……。こんなことなら、あのときカミラの名前など出すのではなかった。そうすればスヴェンが怪我をすることもなかったのに。もはや私も同罪だ……。これからどうすれば……どうやって償えば……』
うめくように呟きながら、フレデリクが力なくその場に膝をつく。
『今さら何と言えばいいんだ……。あれほど塞ぎ込んでいるというのに……。ああ、スヴェン……お前に嫌われたくない……』
普段は楽天的な兄がこれほど苦悩している姿を見るのは初めてだった。兄はこの葛藤の末、スヴェンに言い出すことができなかったのだろう。やっぱり彼は卑怯者だった。けれど……。
──隠さず本当のことを言ってくれたらよかったのに……。
影を背負ったフレデリクの姿が揺らいでいく。そうして次に見せられたのは、最も思い出したくない瞬間だった。
カミラの体が血に染まり、顔色がどんどん失われていく。
『カミラ……カミラ、すまない……僕が不甲斐ないせいで……!』
命の灯火が消えようとしているカミラに縋ると、彼女は口もとにうっすらと笑みを浮かべた。
『そんなことないわ……私こそごめんなさい……あなたより随分先に死ぬことになって……』
『死ぬなんて言わないでくれ!』
流れる血を止めようとしても止まらない。カミラにこれ以上喋らないよう頼んだが、カミラは言うことを聞いてくれなかった。
『あのね、スヴェン……』
『私が死んだら……綺麗な思い出として覚えていてね。血まみれの姿なんて忘れて……。それから、思い出は思い出だから……。死んだ私に縛られなくていいから……』
『遺言みたいなことを言わないでくれ』
『仕方ないじゃない、本当に遺言なんだから……。だから最期に……愛しているわ、スヴェン』
『僕も……愛しているよ、カミラ……』
過去のカミラの最期の光景。それを現在のスヴェンは衝撃とともに目の当たりにしていた。
──どうして忘れていたんだろう。彼女の最期の言葉を……。
カミラの血まみれの姿を忘れる代わりに、彼女の遺言のほうを記憶から消してしまっていた。彼女がスヴェンに望んだのは、復讐でも餞でもなかったのに。
スヴェンの意識がまた廃教会の地下室へと戻ってきた。
過去視で見たものは、スヴェンが信じていた真実とは違っていた。ずっと憎悪していた兄は無実で、カミラはスヴェンを縛りつけたくないと願っていた。
スヴェンがうめくように呟いた。
「……僕は、どうすれば──」
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