第47話 幻の日々
──あれから、どれくらいの日が経っただろう。
アリーセは無事に女王の魂を宿し、アリーセの人格はそのままに女王の力を手に入れた。神殿でその類まれなる力を示し、彼女がウルスラ女王の生まれ変わりであると認められた。そして事前の計画どおり、アリーセはその場で偽りの神託を授かった。
王弟であるスヴェンと婚姻し、自らが女王となって再び王国に繁栄をもたらすよう女神から命じられたと。
神殿も国民たちもウルスラ女王の再来を心から歓迎した。国王フレデリクはその座を退くことを余儀なくされ、後継者にアリーセを指名した。
そして今日はアリーセとスヴェンの結婚式。初めての口づけを交わし、二人は正式に夫婦となった。そして同じ日に戴冠式も執り行う。
「この戴冠を以て、アリーセ・シーラ・リンドブロムがこの国の女王として即位したことを宣言する」
リンドブロム神殿の新たな大神官の宣言によって、この国に再び偉大な女王が誕生した。
◇◇◇
「──ありがとう、アリーセ。君のおかげで兄への復讐を果たすことができた」
結婚式と戴冠式を終えた夜、スヴェンはアリーセに労いと感謝の言葉をかけた。女王の魂を取り込んだ彼女は、スヴェンの願いを受け入れて復讐のために協力してくれた。エドゥアルトとの結婚を諦めてまで。
「君の戴冠式での振る舞いは素晴らしかったよ。女王の記憶があるおかげかな? それと花嫁姿も美しかった。本当はエドゥアルトのために着たかっただろうにすまない」
スヴェンが謝ると、アリーセは控えめな笑顔を浮かべてかぶりを振った。
「構いません、あの結婚式は形式だけのものですから。エドゥアルトとは二人だけで本当の結婚式を挙げるつもりなんです」
「あ……そうだったんだ」
初めて知った驚きのせいか、スヴェンの胸にずきりと鈍い痛みが響く。
「……たしかに僕との結婚は形だけで、君はエドゥアルトと愛し合って構わないと約束したからね」
「ええ、ですので初夜もやめましょう。お互いに愛のない夜を過ごす必要はないですから」
「……そうだね、僕たちは偽りの関係だ。そこまでする必要はない」
今夜はただ、周りの目を誤魔化すためだけに同じ部屋で過ごせばいい。それで皆、何も疑わずに騙されるはず。アリーセはエドゥアルトを想い、自分はカミラを想って眠りにつく。それでいい。
スヴェンは目を閉じてカミラの笑顔を思い浮かべた。
◇◇◇
何もなかった初夜以降も、スヴェンは周囲の目を欺くため、時々アリーセと同じ部屋で夜を過ごした。もちろん夫婦の営みなどすることはなく、チェスをしたり他愛のないお喋りをしたりして過ごすだけだ。
アリーセはよく建設中の学校のことを話し、資金調達や学習カリキュラムなどさまざなことを提案してくれた。
「君は凄いな。女王としての仕事だって多忙なのに、学校のことをこれほど深く考えてくれていたなんて」
「私にとっても学校づくりは大切なことですから。そうだ、学校の名前を考えてみたんです。『カミラ・クラース国立学校』というのはどうですか? 殿下のミドルネームとカミラ様の名前を冠するのがいいのではないかと思って」
「え……? でも君の名前だけないのは……。君が一番貢献してくれているのに」
「構いません。学校建設はカミラ様への餞でもあるのでしょう? でしたらお二人の名前をつけてください」
本当に大切なのは名前でなく学校の中身。だから名前なんて気にしない。スヴェンとカミラの名前を並べて付けたところで構わない。きっとそういうことなのだろう。
そう理解しているし、アリーセが考えてくれた名前は、昔カミラと一緒に考えた名前のひとつでもある。だから、提案どおりそれを学校の名前にすればいい。
(……なのに、どうして胸が痛むのだろう)
アリーセの嫉妬など微塵も感じない笑顔を見るたびに、暗い感情が渦巻くのはなぜなのか、どうしても分からなかった。
◇◇◇
ある寒い冬の日。この日はアリーセの誕生日だった。彼女を祝うために、夜は二人きりで過ごそうと思った。喜ぶ顔が見たくて、内緒でプレゼントも準備していた。彼女に似合う、最上級のエメラルドのネックレスを。
けれど、彼女は王宮にいなかった。珍しく願い事をしてきて、今夜はどうしてもエドゥアルトと過ごしたいと言うので、その願いを叶えてやった。
出かけるときの彼女の顔は本当に幸せそうで、とても美しく見えた。自分と一緒にいるときには決して見られない表情。その愛らしい顔が見られたことを、自分は喜ぶべきなのだろう。彼女の誕生日をきっと素晴らしいものにしてくれるエドゥアルトに感謝すべきなのだろう。ただでさえ、二人には夫婦となることを諦めてもらっているのだから。
気持ちを押し込めるのは得意なほうだ。そうやってずっと復讐心を隠してきたのだから。でも、おかしい。
「……なぜこんなにも叫び出したい気持ちになるんだろう」
何かおかしい。どうにもできない苦しみを無理やり隠すように、スヴェンはプレゼントのネックレスを引き出しの奥に押し込めた。
◇◇◇
「殿下、お誕生日おめでとうございます」
スヴェンの誕生日の朝、アリーセがお祝いに来てくれた。律儀にプレゼントまで用意して。碧色のリボンはきっとスヴェンの瞳の色に合わせてくれたのだろう。
「ありがとう、アリーセ。開けてもいいかな?」
「ええ、もちろん」
小ぶりの箱を開けると、中には立派な懐中時計が入っていた。蓋には精巧な模様が彫られ、裏側にはスヴェンの名前が刻まれていた。
「最近、時間が分からなくて困られていたことがあったでしょう?」
「気にしてくれてたんだね、嬉しいよ」
「蓋の裏側に小さな絵をはめられるようになっているんです。お好きな絵を飾ってみてくださいね」
「絵か……」
アリーセの肖像画を飾るのはどうだろう。時間を確認するたびに、彼女の可憐な笑顔が見られれば忙しくても頑張れそうな気がする。さっそく画家を呼んで描かせなければ。そう考えていると、アリーセが「ところで……」と何かを言いかけた。
「実はひとつご報告があるんです」
「報告? なんだろう、いい話かな?」
「はい、いい話ですよ」
アリーセがとても柔らかな笑みを浮かべるから、スヴェンもつられて笑顔になる。今日はいい誕生日になりそうだ。
「私、懐妊したようです」
「……え?」
アリーセの口からまったく予想外の単語が聞こえ、頭が真っ白になる。懐妊? 子供ができるようなことなんてしていないのに? いや、そうか、自分との子ではなくて──。
「エドゥアルトとの赤ちゃんです。でも表向きは殿下との子供になりますから。おめでたいことでしょう? エドゥアルトもとても喜んでくれて……」
「あ……ああ……」
アリーセの言葉はたしかに聞こえているのに、頭の中がぐちゃぐちゃに乱れて上手く返事もできない。たしかにこれはおめでたいことだ。アリーセの子供が生まれれば、フレデリクの子供たちが王位を継ぐ可能性は低くなるから。それも復讐になると思っていた。
でも、せっかくその機会がやってきたのに、ちっとも心が満たされないのはなぜだろう。むしろ今までよりもっと苦しくて息ができない。
思えば、兄に復讐できたと晴れやかな気持ちになったのは、ほんの一瞬だけだった。アリーセと結婚し、玉座につかせたあの日。兄を王位から引きずり下ろしたあの瞬間。
あれから自分は王配となり、不幸なことなど何ひとつ起こっていない。アリーセは約束どおり、表向きは仲睦まじい夫婦を演じてくれている。本当はまったくの白い結婚なのに。
──それでいいと思っていた。この計画を練っていたときは。
自分の心にはカミラしか住むことができないと思っていたから。アリーセと心を通わせることはない。自分はカミラだけを想い続けるから、アリーセはエドゥアルトと密かに愛し合えばいい。そのはずだったのに。
なぜ今さら、後悔しているのだろう。
なぜ胸が張り裂けそうなほど苦しくて、アリーセに縋りつきたいと、抱きしめたいと思ってしまうのだろう。
いや、本当は気づいていた。
あの夜会の日、満月を眺めて微笑んだアリーセに、カミラの記憶がかき消されそうだと思ったときに。
利用するために近づいたのに、芯があって優しく賢いアリーセにいつのまにか惹かれていた。カミラと似ているようで違う彼女に愛おしさを感じながら、それに知らないふりをしていた。
でも、もうそうやって自分を騙すことも、もうできなくなってしまった。すべてが今さらでしかないけれど。
(アリーセ、君の愛が欲しい──……)
自分の頬に冷たい涙が流れるのを感じた瞬間、スヴェンは王宮の部屋ではなく、廃教会の地下室に立っていたことに気がついた。
「今のは一体……」
呆然とするスヴェンの目の前で、アリーセが微笑んでいる。
「アリーセ、君は──」
愛する人に手を伸ばしたとき、アリーセが
「はじめまして、スヴェン──私の愛しい子孫」
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