友人関係

 愛車のボルトを転がして、真澄は親友の基へ向かった。

 あの二人の死体は、近いうちに発見されるだろう。状況的には霧緒が凌矢を殺し、自らも自死した無理心中として捜査が進められるだろう。変に証拠隠滅を図るよりは、不倫のことは正直に明かした方がいい。そう考えて、興信所の資料は置いてきた。ただ、それが吉と出るか凶と出るかも含めて、真澄はこの状況を少し楽しんでいる節があった。けれどそんなことより、今は早く和香に会いたい。


 マンションロビーでインターホンを鳴らせば、スピーカー越しに息を呑む声、やがて自動ドアが開く。

「やほ」

「カワちゃん……やだ、あの人が帰ってきたら」

 和香は不安げに右目——真新しいガーゼからはみ出た、青黒い鬱血痕を撫でた。真澄は一瞬、ぐっと眉間に皺を寄せたが、すぐに笑顔に切り替え、

「大丈夫よ。アイツもう帰ってこないから」

 言いながらブーツを脱いで、ネックウォーマーを外しつつ部屋に上がる。和香は眉をハの字に困惑を泛べつつ、真澄をリビングに案内して、コーヒーマシンを動かした。やがて湯気の昇るマグカップを二つ手にして、ソファでテレビを眺めている真澄に一つを手渡した。


「ねえ、あの人帰って来ないって、どういうことなの」

 隣に腰掛けた和香が問うと、真澄はにっと片笑んだ。

「今は教えない」

「どうして」

「あんた嘘下手でしょ。教えちゃったらボロが出るかもしれないから。とりあえず、明日捜索願出しに行こ。アンタは聞かれたことだけ、警察に正直に話したらいいのよ」

 寒空の下、風にさらされた身体に熱いコーヒーが沁みる。くたりと脱力するような感覚を得てようやく、神経が張り詰めていたのだと実感する。


「ごめんね、カワちゃん」

 真澄が目を閉じてソファの背もたれに身体を鎮めると、ふいに和香が呟いた。

「アタシほんと、何にもできなくて。変な男に引っかかって、こんな顔になっても心配してくれるのなんてカワちゃんくらいで、どうしていいかわからなくてさ。自分でなんとかできたらいいんだけど、でも」

「何よ、それ」

 長くなりそうな和香の話を遮り、真澄からっと笑って見せた。和香の右目の傷を労わるように、そっと指先で触れる。親友が謝罪ばかり饒舌になったのも、あの男と結婚してからだ。


「いつも言ってんでしょ、親友なんだから、和香が困ってんなら私がなんとかしたげるって。この先もそのつもりだし」

 すると和香は、はっと目を丸くした。それから「ありがとね」と泣きそうに微笑んだ。

 和香に頼られるのは、素直に嬉しいし身も蓋もない言い方をすれば気分がいい。あの男も、和香のこういうところにハマってしまったんだろうな。胸高鳴る優越に浸りつつ、そこから距離を置く冷静な自分が、そんな見立てを頭の片隅で呟いている。しかし真澄は、そんな冷めた自分が覗く扉を閉めて、真澄は和香に肩を寄せ体重をかけた。


「ちょっとお、コーヒー溢すから」

 くすぐったそうに笑う和香。真澄は満足げに口角を高くした。この子の拠り所は私でいい。私以外にいらないだろう。

 コーヒーを全て飲み干してしまうと、和香は夜食——というよりは早すぎる朝食を作るために空になったマグカップを持ってキッチンへ行ってしまった。真澄はその間に風呂に入ることにする。気が逸ってこちらに直行してしまったが、汗とその他諸々の匂いを落としてくれば良かったと、今更少し後悔する。


「あっ……と」

 脱衣して浴室に入り、初めて気づいた。プラスチックのシャワーヘッドが大きく欠けているのだ。

「どうしたの?」

 着替えを持ってきた和香が、浴室の扉越しに声をかけた。真澄は何の恥じらいもなくドアを開けると、わっと小さく悲鳴を上げて、少し目のやり場に困ったような和香に構わず、シャワーヘッドを見せた。

「なんか壊れてるからさ。普通に使って大丈夫?」

 問うと、和香はきょとんとして、それから肯いた。

「うん。使う分には問題ないから。ごめんね、見苦しいよね」

「いや、いいけど別に。どしたのこれ」


 和香は「ああ、それね」と右頬に手を当てた。右目にガーゼを当てた痛ましい顔。それでも、その表情は穏やかで、恍惚にさえ輝き綻んでいるようだ。

「ちょっとぶつけたの」

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妻との関係維持に向けた元カノ殺害に関する不倫相手との連携協働についての申し合わせ ニル @HerSun

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