第5話「神さまのための郷土料理亭はじめます」
「手を合わせてください」
澪さまの合図は、給食の時間を思い出す。
その言葉に続く言葉は、もちろん……。
「いただきます」
まったく別の場所で生まれ育った私たちだけど、雫さまの合図に続いた言葉はみんなで揃えることができた。
「新潟の郷土料理で、醤油おこわ、のっぺ、タレカツです」
醤油おこわと、タレカツの茶色を視界に入れるだけで、肩身が狭くなる。
「ごめんなさい! タレカツって、ご飯の上に乗せるものなんですが……ご飯に味をつけてしまったので、丼ものができなくなってしまいました……」
火にかけた醤油・料理酒・みりん・砂糖の調味料に、豚肉で作ったカツを浸す。
カツは自分で作ってもよし。
味の付いていない、お惣菜のカツを購入してきてもよし。
タレカツのタレは麺つゆを使うやり方もあるけど、今回は保苅家の味を紹介することにした。
「本日の料理は、塩分が過剰に使われております……。本当に、申し訳ございません」
「雫は、音ちゃんが作ってくれただけで、うれしいよ?」
「音さん、あやまらないでください」
新潟の郷土料理を知るために、料理へと手を伸ばしてくれた神さまに感謝の気持ちを送る。
「お肉、食べたことがない味がする!」
「味がしみこんでいて、とてもしんせんです!」
心が、ゆっくりとあたたかさという言葉の意味を知っていく。
「こっちのご飯、もちもちしてる~」
「でも、もち米ではないですよね……?」
神さまの舌は、大変に肥えているということらしい。
切り餅で作った、おこわ風の醤油おこわは、すぐに見破られてしまった。
「もち米を買い揃えていない人が、もちもちしたご飯を食べたいときに考えた人間の知恵です」
「すっごいね!」
「人間さんは、お正月にお餅を残してしまいますからね」
苦し紛れの言い訳。でも、そんな苦し紛れの言い訳すら、この食事の場では必要ないのかもしれない。
神さまとの楽しい食事の時間が続いて、二体はとても綺麗な箸遣いで新潟の郷土料理を口に運んでいく。
「こっちは、煮物?」
「鮭が入っているんですね」
さすがは神さまと言えばいいのか、里芋をいとも簡単に箸で持ち上げる所作が美しすぎて見惚れてしまう。
「今まで食べたことのない煮物だねっ」
「色合いが、ふだん、口にする煮物とは違いますね」
普段の獣姿では見ることができない、人としての顔を向けてくれる二体。
その笑みを通して、怖いことは何もないよってことを伝えてくれる。
「こんなに賑やかな食事、久しぶりでした」
この二体の神さまが、将来どんな神になるのかは想像することもできない。
二体が神になる頃には、この世を去っているかもしれないけど。
この二体の行く末を見守ることはできないかもしれないのに、この二体の未来を見てみたいという展望のようなものが生まれてくる。
「とても、楽しかったです」
食事を済ませた雫さまと澪さまは、元の獣の姿へと戻った。
健やかに眠る姿に寄り添わせてもらうと、身体がぽかぽかと熱を感じ始めて心地がいい。
友達からの連絡を知らせなくなったスマートフォンと同じで、次に目を覚ましたときにすべては夢でしたってオチが待っているかもしれない。
「音ちゃん、ごちそうさまっ」
「音さん、ごちそうさまでした」
雫さまと澪さまの呼吸のタイミングに合わせて、私の瞼が重たいものへと変わっていく。
雫さまと澪さまが与えてくれる、このあたたかさが私の幸せを更に高めてくれる。
神さまに寄りかかって寝るなんて、とんでもないことをしているのかもしれない。
でも、雫さまと澪さまは寄り添うことを許してくれる。今も私をあたためるために、もふもふとした毛並みで私を守ってくれている。
「神さまに、お話があって……」
灰色に澱んだ空から、一筋の光が差し込んだ。
もしかすると、もう少しで太陽が顔を出してくれるのかもしれない。
「神さまの郷土料理亭というのを、始めてみようかなって思っているんです」
彼女たちの優しい笑顔には、やっぱり青い空が似合っている。
「全国の郷土料理を、神さまに提供できたらなと」
空の青色を、ずっと探したかったから。
雲の向こうにしか見えない色だとしても、彼女たちに似合う空の色に会うことができたらいいなってことを、ずっと想ってきたから。
「音ちゃんのご飯、もっと食べたいなぁ」
「これからも、いっしょにご飯が食べたいです」
彼女たちが笑ってくれたのと同時に、空も一緒に笑ったような気がする。
青空と太陽が眩しすぎるくらい私たちを照らし出して、ちょっとだけ泣きそうになっている自分を雫さまと澪さまの陰に隠してもらう。
「雫さま、澪さま」
高校時代の努力が実を結んで大学に入学できたのはありがたいことだけど、肝心の交友関係作りに失敗した。独りご飯も悪くないけど、私は独りご飯を選ばなかった。
(誰かと一緒に食べるご飯を、私は望んでいる)
誰かと一緒にご飯を食べたいって願っているから自分だからこそ、神さまのためのおもてなしができるんじゃないか。自分に、ほんの少しの期待を込めていく。
「ようこそ、神さまのための郷土料理亭へ」
雫さまと澪さまが、いつものように私を守るための温もりを与えてくれる。
神さまは、いつも私たち人間を見守ってくれているって言葉の本当に意味を知る。
神さまのための郷土料理亭はじめました 海坂依里 @erimisaka_re
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