糸村游の曲解

犬蓼

第1話 癒術ってなに


 わたしの名前は糸村游(いとむらゆう)。

 来年高校卒業を控える十八歳、現役女子高生。

 えっと…自己紹介ってどこまで個人情報晒せばいいのかよくわかんないんだけど、こんなもんでいいのかな。

 家族構成とか学業成績とか志望進路とか得手不得手とか向き不向きとか好き嫌いとか恋愛談義とか趣味嗜好とか…語りだすとそれだけで話が終わってしまうんじゃないかってくらいあるけど。

 でも前置きとしてこの程度は語っておこう。

 わたしの母は糸村紡(いとむらつむぐ)。父は右浦片瀬(みぎうらかたせ)。

 あ、お父さんの方は旧姓ね、婿養子に入ったから。

 お母さんの実家は俗にいう大富豪で、お父さんからしたら逆玉の輿も逆玉の輿って感じだけど、そんなわけだからわたしも、わたしの大事な弟も何不自由なく元気に育っています、はい。

 それで、お母さん、糸村紡のこと。

 お母さんは魔法使い。…じゃないけど、癒師っていう魔法使いみたいな人。なんでも癒術っていう力を使えて、立ちどころに傷を癒してしまえるらしい。らしいっていうのは、お母さんが頑なに力を見せてくれないから。

 だからここだけの話、嘘なんじゃないかってわたしは思ってる。

 さて、前置きはこれくらいにして、これはわたしとわたしの家族を取り巻く因縁の物語。わたしが、わたしを理解する物語。



 第1話「癒師ってなに」


 わたしにはかわいい…かわいくてそれはもう本当にかわいくてできるなら一日中目愛でていたいほどかわいい弟がいる。

 名前は、糸村編(いとむらあむ)。

 最初にこれだけ語っておかないと姉としての沽券がというかそんな気がして。ブラコンだと言われても構わない、というかもっと言って!

 

 「ねぇさん、心の声が表情に出てるよ」


 器用だね、と編は言う。

 しまった、触ると頬が緩みっぱなしになっていた。わたしは編を抱きよせながらその匂いを堪能する。

 …変態だ?いや、もうそれ誉め言葉だから。


 「ねぇ編、キスしていい?」

 「今までの文脈で十分理解できそうなものだけどそんな気分なのねぇさんだけだからね」


 …ちぇ、相変わらず編は恥ずかしがり屋なんだから(重症)。

 編のかわいいところその一。なんてったってその容姿!男の子だけど普通にわたしよりかわいいって反則じゃない?整った顔立ち、長い睫毛、何となく愁いを帯びたような物憂げな眼差し…もうね、文句ないです。

 編のかわいいところその二。なんと、その容姿で女装してる!

 女装してる!もう物心ついた時からずっと女装してる!

 大事だからもう一回くどいけど言っておくと、女装してる!

 同じ高校に通っていて、編はわたしの二つ下。一年生だ。高校でも当たり前に噂は広まって、三年のわたしのクラスでもファンは多い。

 まぁわたしほどではないけど。

 セーラー服のまま抱き合う姉弟…いいねぇ、画になるねぇ。


 「…ねぇさんの溺愛ぶりだけは伝わると思うよ」

 「それが伝われば十分!伝えたいことは百二十パー伝わった!」


 …ともあれ、ずっとこの調子で弟ラブなわたしの心象を延々と書き連ねることもできるんだけど、そろそろ本題に戻して…。


 わたしと編が通う、私立御舩(みふね)高校はなんたって制服がかわいい。


 「話が本題に戻ってないよ」

 「…地の文にまでツッコミを入れてくるなんて…さすがわたしの弟」


 本当の本題。

 ともあれそんなわたしと編が通う御舩高校は、お母さんの実家、糸村家の息が掛かった高校だ。小学校からエスカレーター式に進級できる進学校。

 わたしみたいな勉強大嫌い人間でも卒業できるくらいはカリキュラムが充実していて、…きっとおじいちゃんやおばあちゃんに凄まじく助けて貰っている。滅多に会わないけど。

 糸村家。

 お母さんの実家にして大富豪。お母さんの言う『癒術』と言う力を使って代々巨万の富を成してきた。…もっとも、お母さんの代からはお金は貰わず無償で人を癒しているらしい。よくわかんないけど。

 富める者の義務、だなんて、一度会った時おじいちゃんが言っていた。なんだそりゃ。

 『癒す』対価としてお金をもらうのは自然なことだと思うけど。

 そもそもお母さんはその『癒術』を見せてくれないし、わたしは信じてない。ひいおばあちゃんも使えるらしいけど、そっちも見せてくれないし。

 いつもひらひら躱される。

 遺伝するもの…らしいけど、少なくともわたしはその力を使えなかった。


 『僕も最初はそう思っていたよ。でもね、游。実際目の当たりにすると、そうであると信じるしかないことが世の中にはたくさんあるんだよ』


 これはお父さんの言葉。お父さんも力を使えないから、お母さんの助手をしている。今だってそう。

 そこで、だ。今一度考えてみたい。本当に存在するとして、その『癒す』力について。


 「…その前に充電~」

 「ねぇさん…」


 『癒術』を行使して人を癒す『癒師』。

 現代日本では絶滅危惧種どころか一家相伝の秘術みたいな扱いを受けているけれど、違う側面から見た時その存在ってどうなの?

 

 「じゃあ充電も済んだし!話してみよっか!」

 「…ねぇさんは元気になったけど、僕はあんまり元気じゃ…」

 「でも編も正直どうかなーとは思っているんでしょ?」

 「まぁそうだけど」

 「まず、活動している以上失われる秘匿性だよね」


 ぎゅっと編を抱きしめる。ちょっと苦しそうにしていた。


 「…それで言うなら、どれだけ探しにくくしていても活動すればするほど危険だろうね。今でこそ事務所の場所も定期的に変えてるけど、僕たちが生まれる前はそう変えなかったって言うし」

 「人の口に戸は建てられないっていうし。案外ネットで簡単に見付かったりするのかも。…まぁ夢物語みたいなことを信じるか否かってハードルはあるけどね」


 キスをせがんだが押しのけられた。ホントケチだ、減るもんでもないのに!


 「探すの大変って言っても…誰だっけ、ほら、お父さんが言ってた宿敵さん。そんな人に目を付けられたら堪ったもんじゃないわけだし」

 「やってるのが個人である以上、割り出すのも簡単だろうね。

 今までよっぽどいいお客さんに恵まれたって言わざるを得ないかな」


 まぁ言うに及ばず、秘匿性はボロボロだった。


 「じゃあ次ね。そもそも『癒術』って存在するの?」

 「お母さんのアイデンティティに近いから一概に否定したくはないけど、僕もそこは疑問に思ってるよ」


 見てもいないのに信用するのも難しい、そんな神懸った力。

 触れるだけで傷を『消し去る』。

 編の頭を撫でる…ん、案外嫌じゃなさそう。


 「でもねぇ、あの現実主義の塊みたいなお父さんに信じるしかないと言わしめるってよっぽどだとは思うんだよね」

 「んっ…ちょっと、くすぐったいから…。

 確かにね、お母さんだけならともかくお父さんが言ってるからね」


 暫定的に、ではあるけど『癒術』はあると考えておいた方がよさそうだ。

 早い話が見られればいいんだけど。

 それだったら言葉を重ねる意味もなくなるかもしれない。


 「んぅっ!」

 「へっへー隙あり!」


 唇を重ねる意味はある!


 「もう…本当にやめてよ、ねぇさん。

 じゃあ次、存在すると仮定しての『癒術』の『消し去れる』範囲」

 「これこそ憶測の域を出ないけどねー。

 皮膚表面の傷はいけそうだけど、抉れてたり欠損してたらどうかな?」

 「小さな傷くらいならそもそも探すのに手間と労力がかかる『癒師』を探さず病院行くんじゃないかな。…つまり、『癒術』で癒せるのは重篤な傷から治療しても跡が残りそうな傷とは推測できるよね」

 「欠損を傷と見るのは難しそうだし、抉れてるところくらいまでがギリギリかもしれないね」

 「骨折とかもどうかわからないよね」

 「『癒術』で癒せるのが傷である以上、表面に露出している必要はあるんじゃないかなー。だってほら、触れないといけないわけだし」


 なでなで。目閉じてるかわいい~!

 こんなところかな、うん。そこそこ深掘り出来たかも。


 「さて、お話も終わり!今からはイチャイチャタイムだぜ!」

 「もう散々いちゃいちゃしてるよね…僕、そろそろ宿題したいんだけど」


 逃げようとする編を捕まえる。夕飯まで放すつもりはない!


 「わかった!もう、わかったよ!ねぇさん、一回落ち着いて僕の話聞いてよ!今日学校であったことなんだけどさ…

 僕、今日告白されたんだけど、男の子と女の子どっちからだと思う?」

 「え」


 逃げられた。



 「でさー、今日の依頼者さん本当に傷酷くてー」

 

 夕飯の席。夕飯だけは家族みんな集まろうとルールで決まっている。

 助手という職業柄か、いつも炊事はお父さんの仕事だ。…元々は洗濯と掃除もお父さんの仕事だったらしいけど、最近はしぶしぶお母さんもやるらしい。元がお嬢様、箒と塵取りの使い方は知らなかった。


 「ねーお母さん」

 「なぁに游?あっ、麻婆豆腐お代わりあるから」

 「もうらうけど…。『癒術』って本当にあるの?」


 お母さんはしばらく黙った後、麻婆豆腐をお椀によそって渡しながら言った。

 

 「ないなら、お母さんがそれを仕事にできないでしょ」

 「そりゃまぁ…そうなんだけどさ」

 「いずれ、見せてあげるから」


 まただ、いつもこれだ。

 にっと笑って言うものだからそれ以上言及もできない。


 「編は?お代わり要らない?」

 「僕はいいかな。それよりも、僕もねぇさんの質問が気になるよ」


 思わぬところから助け船が!


 「編までそんなこと聞くのー?困ったなー」


 お母さんはちらちらお父さんを見る。お父さんはというと、うんざりした顔をしていた。振られるとは思っていなかったのだろうか。


 「游、編。よく聞いて。

 懐疑的になるのは無理もないけど、『癒術』はあるよ」


 お父さんはしぶしぶといった感じで言った。


 「証明は今は出来ない。お母さんの言うようにいずれ『癒術』を見せるよ、絶対だ。その時に証明できる」


 これ以上深掘りしてもどうしようもなさそうだ。そもそも数えきれないほど二人にぶつけてきた質問だ。引き際は心得ている。


 「はいはーい、じゃあそういうことでー」


 この時のわたしは、そのいずれがそんなに遠くない未来のことだと思ってもいなかった。

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